〝出来事〟はどうしようもなく、取り返しようもなく起こる。しかし緻密に分析していけば、それは〝偶然〟ではなく〝必然〟だったと考えることができる。だが本当にそうだろうか。〝出来事〟は〝偶然〟も必然〟も超えた決定的衝撃なのではあるまいか――〝「必然」と「偶然」、「此岸」と「彼岸」とが交わるパラドキシカルな時空〟ではないのか。自らの内に原罪を抱え、文学と哲学に救済を求める作家の新評論連載!
by 金魚屋編集部
はじめに
このバスが江戸川橋の十字路を通る時、私は何気なく外を見ていたが、護国寺の方へ江戸川橋を渡って小走りに駆けて行く犬が、遠見にクマに似ているような気がした。然し立てている尻尾の具合が少し違うようでもあり、若しかしたら慾眼でクマのように見えるのかと、迷いつつ、子供に、「あれ、クマじゃないか?」と云うと、うち中で一番動物好きの田鶴子という女の児が起上り、亢奮して、
「クマだクマだ」と大きな声をした。[中略] 此処で見逃がせば再びクマに出会う事はないと思うと、見栄をかまわず、「クマ――、クマ――」と私は怒鳴った。
護国寺の門の前で漸く捕える事が出来た。[中略] クマは自分が救われた事を漸くはっきり意識したらしく、非常に喜んだ。[中略] クマがいなくなって、一週間、私達の心は何となく晴れなかったし、クマの方は恐らく必死になって私達を探していたろう。そういう両者にとって十字路での三秒のチャンスは偶然というにはあまりに偶然過ぎる。
[中略]
私は昔、禅をやっていた叔父から盲亀浮木という言葉に就いて聴いた事があるが、これは単に盲亀が浮木にめぐり合ったというだけの事ではなく、百年に一度しか海面に首を出さないという盲亀が西に東に、南に北に大洋を漂っている浮木を求めて、百年目に海面に首を出したら、浮木に一つしかない穴の所から首を出したという、あり得べからざる事の実現する寓話だというのだ。
クマの場合は現世で起こった最もそれに近い場合だったような気がする。[中略]仮りに偶然としても只偶然だけではなく、それに何かの力の加わったものである事は確かだと思うのだ。然し、私の耄碌した頭では、その何かとは一体なんだろうと思うだけで、それ以上はもう考えられない。
(強調原文、志賀直哉「盲亀浮木」/新潮文庫『灰色の月・万暦赤絵』)
晩年を迎えていた志賀直哉の心を動かしたのは、迷子になり、あきらめかけていた愛犬との再会だったが、問題は再会のしかたにあった。その肝は、出逢いに至り着くまでの天文学的確率にあるのではもちろんない。そこに、たんなる偶然と言って片づけては腑に落ちない、自然法則をも人知をも超えた正体不明の「何かの力」を志賀が感じ取った、そのことにある。
超常好きだった志賀らしいエッセイだが、書かれた内容よりも、その存在自体が超常現象と言っていいのにまるで自覚していない志賀自身の方がおもしろい。が、いま言いたいのはそのことではない。
ここにもう一人、盲亀浮木の説話について幾度となく書き残したひとがいる。
大海に潜む寿命無量の首の亀が百年に一度その頭を出す。また唯一の孔ある浮木が海中に漂うて風のままに東し西する。人間に生れることは、この首の亀が頭を上げたとき、たまたまこの木の孔に遇うようなものであるという譬は汲んでも尽きない形而上の味を有っている。[中略] 原始偶然が一切の必然の殻を破ってほとばしり出るのである。原始偶然は形而上的遊戯の賽の目の一つである。
(九鬼周造「偶然の諸相」/岩波文庫「人間と実存」一五三~一五四頁)
志賀の「盲亀浮木」が発表されたのは昭和三八年、九鬼の「偶然の諸相」は遡って昭和一一年の発表である。同一の仏教説話について、立場の異なる者が三〇年近い歳月を隔てて取り上げ、そこに格別の含意を受け取っている。それだけだと言えばいえる話ではある。お互いの名は知っていただろうが、戦後に書かれた志賀のこの文章を九鬼が知ることはとうぜんできなかった。だが二人は同じものを見ている。異質な思考と言葉が、時も場所もジャンルも飛び越えてここに出逢っている。
さて、この出逢いは偶然だろうか必然だろうか。
*
出来事が起きる。
それが起こったのはどうしてか?
ここで「どうしてか」と問いに付すことのできるような、現実に起きたすべてのものごとを、出来事と呼ぶことにしよう。
わたしたちは出来事の原因をどこまでも追い求めて止まない。
過去に起こった出来事や、たったいま目の前で起きている出来事から、わたしたちは原因に対する結果を読み取り、分析推理し、未来に起こるであろう出来事を予測する。原因に対する結果という、いわゆる因果的連鎖と呼ばれるものは、アプリオリな論理法則から万有引力といった物理法則、「おばあちゃんの知恵」のような民間の言い伝え、職人技や芸事の口伝など数えきれない経験則、さらには占いや呪い、眉唾ものの宗教的・オカルト的教義等々と、人びとの間で何らかの効力が認められるか、または効力があると信じられ流通するものに限ってみても、その範囲の広さはとほうもない。わたしたちにとってそれは、出来事が起きる根拠とみなしうる何らかの必然性をそこに認めることと、異なるものではない。必然性という概念がなくては鎖をたどるどころか、鎖すら見出せない。それどころか、わたしたちは出来事を出来事とみなすことさえできず、いっさいは無秩序と混沌の中へ没することだろう。
このとき、鎖を外れたり、秩序を攪乱したり混沌に陥ったりさせるアナーキーなものごとを、わたしたちは「偶然」と呼びならわしてきた。
古今東西、「偶然」をメインテーマに論じたひとはその逆に比べて釣り合わないほどすくない。その逆、つまりものごとの必然性を論じたひとに比べて、という意味だが、「必然」を論じるなら「偶然」の問題は避けられないはずで、この偏りはなかなか興味深い。ちょうど「存在(ある)」を論じるひとは多いが、「無(ない)」を論じるひとはすくないのとパラレルであると思う。そして、まさしくこの点に着目したのが日本の哲学者・九鬼周造(一八八八—一九四一)だった。このひとの「偶然性」に対する考察は、他の誰よりも浩瀚ですぐれた果実を残していると筆者は考える。
にもかかわらずその全体像と具体的成果は、「いき」の哲学者という本人にとってはおそらく本意ではなかっただろう名声の陰に隠れ、日本ですらさほどに知られているとは思えない。本稿は九鬼の人物像や思想の紹介ではまったくないが、この人物のことをほとんど知らないという人のために、かんたんに触れておこう。九鬼周造は明治二一年、東京生まれ。生家はいまの芝公園にあった。父親は福沢諭吉の塾生、森有礼とライバル関係にあった文部官僚で男爵。祖先には志摩の九鬼水軍を率いた戦国の将、九鬼嘉隆がいる。幼少のころ岡倉天心と実母の醜聞によって心中複雑な思いを抱いて過ごしたことはエッセイ「岡倉覺三氏の思出」に語られているが、「やがて私の父も死に、母も死んだ。今では私は岡倉氏に對しては殆どまじり氣のない尊敬の念だけを有つてゐる」と当時をふり返る九鬼は、
思出のすべてが美しい。明りも美しい。蔭も美しい。誰れも惡いのではない。すべてが詩のやうに美しい。
(全集五『未發表隨筆』「岡倉覺三氏の思出」)
と続けるのである。
一高に入った周造の同学には辰野隆、谷崎潤一郎、和辻哲郎らがいた。東京帝大大学院を中退し妻をともなって足掛け八年、ヨーロッパへ留学。ドイツで新カント派を代表するとされるヴィンデルバントとその後継者リッケルトに学ぶ。同門に三木清。その後パリへ移ったが、仏語の家庭教師だったサルトルに九鬼がハイデガー宛の紹介状を書いた云々の逸話はよく知られている。この後、フッサール宅でハイデガーに会い、講義も聴講している。九鬼夫妻がハイデガー邸を訪ったときのことをかれもまた「言葉への途上」「言葉についての対話より」で語っている。ハイデガーと、パリで二度会ったベルクソンの二人から受けた影響が九鬼の中ではもっとも大きいだろう。

二〇一九年、若くして他界した宮野真生子は遺著「出逢いのあわい」(堀之内出版)で、ヴィンデルバントの「偶然論」とハイデガーの「存在と時間」から九鬼が受けた影響、さらには同時代の日本の哲学者・田辺元や和辻哲郎の九鬼批判をつうじてどのように九鬼独自の考えが彫琢されていったか、かれの思想形成のプロセスを精細に描いている。ご関心をお持ちの方はぜひ同著を繙いていただきたい。書名がその内容をよくあらわしている。
帰国してからの九鬼は、京都帝大で教鞭をとり、「「いき」の構造」を発表したのが四十二歳、以降京都でその生をまっとうする。代表作に「偶然性の問題」「人間と実存」「文藝論」「をりにふれて」「押韻論」「現代フランス哲学講義」「講義 文学概論」ほか。昭和十六年没、享年五十三歳。墓碑の揮毫は西田幾多郎。
さて以下にこころみるのは、万巻の書と自らの経験という沃野を渉猟してきた九鬼に「偶然」がかいま見せた数々の本性、なかんずくかれが着目した九鬼哲学のキーワードと言うべき〝原始偶然〟と〝邂逅(出逢い)〟という二つの本性をクローズアップして、あらたな光を当てることである。もとより浅学菲才な筆者のおよぶところではないが、かれが育て上げた樹に接木する小さな枝になればと願い、あえて蛮勇を奮ってでもこの問題を取り上げることにした。
理由は二つある。
ひとつはいまなお瑞々しさを失わないかれの果実を味わうことによって、わたしたちが得られる恵みは、けっして小さくないと思うからである。
もうひとつは、九鬼が「偶然」という問題にこれほどの関心を寄せた事情にある。発表されたものに限っても一九二九年、大谷大学での講演「偶然性」から一九三九年のラジオ講演「偶然と驚き」まで十年に亘っている。けっして長いとは言えない人生のかなりの時を、九鬼がこの問題に費やしたのはたしかと思われる。それを解く鍵は、くり返すがかれが見出した〝原始偶然〟と〝邂逅〟という「偶然性」の二つの本性にある。
このひとは夙に哲学者として知られ、著作の大半は堅苦しい日本近代哲学の論述スタイルで占められる。しかしよくよく読んでみれば、西田幾多郎のいかにも佶屈聱牙な文章に比べると、その意味をまったく汲み取れないような文章はひとつもないと言っていい。九鬼がほんとうに表現したかったことは、論述の裏に籠められた数えきれない経験や思いである。そのことはかれのエッセイを読めばすぐにわかる。菅野昭正は九鬼のことを「文人哲学者」と呼んでいるが、適切な表現だと思う。哲学者であるには文芸への趣向が強すぎ、文人であるには形而上学への志向が強すぎたひとなのである。
付け加えると、「偶然性」とはなにかを考えることは、ことばの本質とはなにかを問うことと切っても切れない。「偶然性」も「必然性」も、その本性がもっともあらわになる場がことばだからである。九鬼もそう考えたはずだ。かれにとってことばを論じることは、日本語の本質を問うことにひとしかった。それに対する九鬼なりの回答が「文藝論」であり「音韻論」であるが、それに言及するところまで至れたら、ひとまず本稿の目的は達せられたことになる。これらには、やがて大樹となりうる未分化の細胞が内蔵されていて、見出される機をいまかいまかと待ち構えている。九鬼を知らない読者にもそのことを、多少なりとも伝えられたらと願っている。*1
*1 なお以下に引用する九鬼のテキストのうち、「偶然」をあつかった代表的論文である「偶然性の問題」(昭和一〇年)、同「人間と実存」所収の「哲学私見」「偶然の諸相」「驚きの情と偶然性」(昭和一四年)の四編については岩波文庫版からそれぞれ「問題」「私見」「諸相」「驚き」と表記を簡略化し、引用頁のみ記載する。それ以外は岩波書店「九鬼周造全集」からの引用であり、「全集」と表記し巻番号・タイトルを記載した。
萩野篤人
(第01回 了)
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*『九鬼周造と「偶然性」をめぐって』は23日にアップされます。
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