金魚エセー_No.006_01

 

 

 「宇治には、どう行くのがいいですか」

 仲居は、姉小路通の宿から京阪三条駅まで出て、と説明しかけ、「後で聞いてきます」と言う。京都に住む人もよく知らぬのか。それも京は京であって、宇治はやはり滅多に行かぬ鄙の証しだろうか。

 

 ほとんど四半世紀ぶりに訪れた宿だった。とはいえ一見みたいな客にそう言われても、「設えは変わってませんか」と応えるしかないだろう。当時の宿を見たのは、その場では私しかいない。まだ相当に子供っぽかったものの、自分で好きこのんで来たのだった。その後十年間、年賀状が届いていたのを覚えている。

 

 そもそも出不精で、京都そのものが四半世紀ぶりみたいなものだ。漏れ聞いていた変貌ぶりは、その日の渡月橋で目の当たりにした。まさに芋の子を洗うよう。食事処は文字通り押すな押すなの長蛇の列がリーズナブルな〝京都らしさ〟を咀嚼し、消化吸収しようとしていた。

 

 階段を上ったところの別の店に、特別弁当があるという。三つに仕切った長方形の箱にそれぞれ飯が詰まり、真ん中の箱に刺身が数切れ盛り付けてある。左側にはちりめん山椒と青菜の漬け物、右の箱には何か白いものが載っている。これは何かと聞くと、湯葉だという。どう見ても豆腐をぶち撒けてある。それで二千円。わかりやすい分、手の込んだ懐石より印象には残る。おそらく二度と訪れることのない客たちが席を埋め始めた。それも京都だ、と思い出す。

 

 京都に来る前、鹿王院に行きなさいよ、と言われたのは、だからお告げのようなものだった。長蛇の列の店のすぐ脇に、いきなり駅がある。商店街のアーケードみたいな構内に、薄紫色のちんちん電車に似た車両が入ってくる。

 

 バスと同じように人を掻き分けながら前方で降りなくてはならなかった。降り立つと別世界だ。田舎の無人駅で、道を訊ねるべき人影もない。うらうらと天気だけがよく、私と母は線路の周囲をさ迷う。

 

 如雨露を片手に出てきた初老の男性は、ひどく親切だった。京都で道を訊ねて、最小限必要以上の言葉を聞いたのは初めてだ。鹿王院という名の駅の周辺から、鹿王院は少し離れていた。人通りの少ない道で、外国語も日本語すらも聞こえてこない。

 

 足利義満の筆だという「鹿王院」の扁額の「鹿」は「比(火)」を避けて、と観光客仲間に話して聞かせる人がいる。奥の舎利殿に拝観者は自由に出入りできて、そのたびに扉が音楽的に鳴り響く。足の痛い母と私は、枯山水の庭の前に座り込み、陽射しに白くけぶる紅葉を眺めて、静けさとわずかな物音、拝観者のささやき声を愉しんだ。

 

 「ガイドブックはお持ちで」と仲居に訊かれ、いえ、これで、と私は答える。もはや喧騒から逃れることしか旅の目的とてなかった。しかし「これで」の「これ」が iPad なのだから、京都の変容を嘆くこともできない。一方で、普段使いつけているもので迷うのだけを避けるのは、ガイドブック片手にうろつくよりは気分にかなう。母娘してどうしても定番の京都観光をしようということもない。

 

金魚エセー_No.006_02

 

 内風呂から上がった母は、「まあ、なんていいお風呂だったんでしょう。宿でこんなことって、まるでうちのお風呂みたい」と妙な褒め方をした。いつまでも浸かっていたい木の香のお湯などうちにはないが、くつろぐということだろう。There is no place like home. よそ行き感のない贅沢の記憶から母を連れてきた。

 

 ただ、変貌した京都とともに宿も仲居も薄っすらと賑やかになった気がした。タクシーの運転手は新館か本館かと訊き、昔からある方、と答えると、あのボヤ騒ぎのときは真向いの、そこも旅館が助けたのだと言う。単に延焼を怖れたのだとしても、にわかに互いの存在に目覚めたような二つの老舗のありさまが京都っ子の口の端にのぼったに違いなかった。

 

 その薄っすらと賑やかな仲居は、宇治に行くのは「よい選択です」と言ってくれた。少なくとも揉みくちゃにはされないということに過ぎまいが、ずっと源氏について書いていて、宇治物語まで来たのに行ったことがないからと言いながら、宇治どころか今日だって六条御息所の野宮にも行きそびれたと思い、代わりに行った鹿王院をなぜかカノウインと言い間違え、書くことと歩き回ることの落差と、けれども時間が経つと重なり合って一つになることの不思議を考えるうちに夕飯が済み、蒲団が敷かれた。おうちのように加湿器を出してもらう。

 

 京都駅から宇治は、急行列車でほんのいくつ目かだった。悪天候の中を半日もかけて、来ただけで愛情の深さを知れ、と薫の君も匂宮も言い募った。その距離感は列車のスピードから推し量るしかない。駅前は大きな土産物屋だけが目立ち、並んだタクシーになお寂れを感じる。タクシーの運転手は機嫌が悪く、領収書をと言うと、そんなことはもっと早く、乗ったときに言え、と言う。どうしてと訊くと、入金のデータを消してしまうからだと堂々と答える。

 

 宇治ではそんなものなのかもしれない。世を憂しと思う心に、入金管理や国民の義務など何物でもないだろう。実際、運転手の不機嫌は、近場の客に捕まったといった俗な理由からではなさそうだった。宇治の観光名所はJRと私鉄の駅近くに集まり、その源氏物語ミュージアムというのが一番遠い。遠いといっても宇治川を渡ってまもなくで、猫も杓子もそこへ送り届けることを繰り返していれば不機嫌にもなろうが。誰も彼もが渡る三途の川の渡しも、たぶん退屈しきっている。

 

 地元の人たちにとってはこの上なく馬鹿げたところに違いない箱物で、よかったのは建物を取り巻く遊歩道の紅葉だった。今年はなかなか寒くならなくて、今ひとつ色彩がぱっとしない。それでも宇治は嵐山よりも気温が低いのか、いくらか鮮やかだった。真っ赤にそまった山肌は見られなくても、歩道を包むように両側から伸びた細い枝々の葉っぱは、ミュージアムの白壁から垂れる赤と緑の繊細なレースめいている。

 

 編み目のような葉の下をくぐりながら、そして母の写真をiPadでやたらと撮りながら、今見てきたヴィジュアル化された源氏物語が与える功罪、といったことを考えていた。ミュージアムは当然のことながら源氏物語の最終部、宇治物語に焦点を合わせ、人形や映像で表現していた。

 

 印象に残るのは大きな人形たちで、草深い廬で大姫と中姫が琴を前に音楽を奏で、その外からそっと窺う薫の君が姉妹を「発見」している。そして短篇映画での「浮舟」の、宇治川に「身を投げる」シーン。背中から水に落ちた浮舟は、オフィーリアのごとく水面を流れてゆく。

 

 これらはとてもドラマチックだが、源氏物語にはこういう場面はない。場面はないと言うより、そういうストーリーではない。薫の君は直接的な意味で姉妹を「発見」するのではないし、浮舟は宇治川に身を投げない。(後編に続く)

小原眞紀子

 

 

 

 

メアリアンとマックイン 水の領分