五十嵐貴久先生の「コンクールシェフ」が一挙掲載されています。数えるのが面倒なのでやってないですが250枚から300枚といったところでしょうか。タイトルからわかるように内容は料理コンクールのコンペティション。『料理の鉄人』系と言った方がピンとくる方が多いかもしれません。
アテクシ『料理の鉄人』、かなり見ていましたわ。作られたお料理を食べられるわけではなく味も匂いもわからないのになぜ惹きつけられたかというと、料理人の皆様の純な様子が胸に迫ったからです。いろんな方がいらっしゃいました。いわゆる創作料理を競うテレビ番組でしたが自分の得意な料理しか作らないとかね。
でも最後に審査員による勝敗が下されます。負けたとわかると料理人の方、ホントにしょげるのね。落胆が画面から伝わってくるの。ああ本気なんだなぁってテレビを見ていてもわかるのよ。その純な姿勢が一番の魅力だったと思います。
で、Wikiで調べたら『料理の鉄人』が終了したのは1999年なのね。もう20年以上前のテレビ番組だったということになります。馴染みも懐かしさもあるのですが、五十嵐先生はなぜ今回料理コンペティションを小説主題になさったのかしら。少なくても時事的な話題性は薄いですわね。
アルミパンに手をかざしたのは、鼻が異変に気づいたからだ。
(オリーブオイルの加熱が足りない)
正面の大型モニターに目をやると、右下に4:59と表示があった。残り時間は五分を切っている。(中略)
(ミスだ)
一瞬、頭が真っ白になり、自分が何をしているのか、わからなくなった。調理には流れがあり、一度手が止まると頭の回転も止まる。
「薫!」
アシスタントの野中直子の声に、浅倉薫は顔を上げた。
客席に三百人の観客がいる。四台のカメラが自分の動きを追っている。
五十嵐貴「コンクールシェフ」
小説の舞台はテレビ中継されるヤング・プラッド・グランプリという料理コンペティションです。『料理の鉄人』と違うのはエントリー資格が料理人歴十年未満であること。若くて有望な料理人が腕を競うんですね。最終審査に残ったのは六人。全員若いのですが、一人だけ家電量販店の店員を辞め、四十歳から京都の料亭で修行を始めた山科という男がいます。こういう変わり種、アクセントとして必須ですよね。戦隊ものヒーローでも必ずふとっちょとかぶさいくな人がいますもの。
で、小説冒頭はコンペティションの場面から始まります。仙台のイタリアンの名店で働いている浅倉薫という女の子です。彼女、大事なコンペティションの場でミスを犯す。「オリーブオイルの加熱が足りない」のです。で、どうなった? というわけですが、ここからが長いのよねぇ。
薫のピンチに続くのは最終審査に残った川縁令奈、邸浩然、里中海、和田拓実、山科一人、そして朝倉薫の経歴紹介とコンペティション前のテレビスタッフによるインタビュー収録の様子です。それからコンペティション前夜の出場者の様子が描かれる。そして一人ずつの料理の様子が続き最後に結果発表。
うーん、これはどうなんでしょうね。冒頭でピンチの薫を出している以上、彼女が主人公であるのは当然です。ということは恐らく彼女が優勝する。いわゆるネタバレになっているわけですが、それを上回る何かがお作品にあるかどうかがポイントになりますわね。
「器を持っててくれ」
おこげに均等にかかるように注がなければならないが、スピードも重要だ。狙っていたのは音だった。
料理は目で作る、という。舌は意外に鈍感で、微細な味の違いを感知できない。
それよりも、視覚による情報量の方が圧倒的に多い。人間は料理を見て、過去の経験に照らし合わせ、味を想定する。匂いも同じで、目と鼻を塞ぐと、誰でも何を食べているかわかりにくくなる。(中略)
すべての感覚を刺激することで、味を際立たせる。これが最後の仕上げだ。(中略)
小貫が両手で器を掴んでいる。邸はその中心に向けて上からお玉であんかけを注ぎ入れた。
だが、想定していた位置が僅かにずれた。斜めに器に当たったあんかけが跳ね、小貫の右腕にかかった。高熱に耐えかねて小貫の手が離れ、器が傾いた。
お玉を捨てて手を伸ばしたが、遅かった。作業台から器が落ちてゆく。その時、終了のブザーが鳴った。
同
参加者六人の料理の様子が描かれるのですが、中華の料理人の邸浩然の部分はわくわくしました。中華料理はもんのすごく早い。高熱で炒め揚げるからです。そのスピード感が文章にも表れています。また邸は失格になります。おこげの上に高熱のあんを掛ける際にそれがアシスタントの小貫の腕に跳ねて、器から手を離してしまったのです。器は床に落ちてしまい料理は完成しなかった。印象深いシーンです。
ただその他の登場人物のフレンチ、ポルトガル、和食、イタリアン料理の記述はそれほどわくわくしませんでしたわねぇ。レシピを説明され料理解説を読んでいる感じ。料理を言葉で表現するのはなかなか難しいですわね。
「料理専門学校の理事長として、長い間料理のことを考え続けてきました。それでも、わたしには料理のことがわかりません。ただし、奇妙であり、不可解であり、不思議ですらありますが、心に響かない料理と、逆に感動を覚える料理があるのは確かです。その観点から考えると、圧倒的に浅倉さんの方が上でした。インプレッションポイントが一ポイント入ったのはそのためです」
一瞬不服そうな表情を浮かべた拓実に、あなたの料理には欠点がまったくありませんでしたと国丘が言った。
「入念な準備をして構想を立て、優勝するための料理を構築した。試作を重ね、秒のタイミングまで計ったのでしょう。しかし、計算が透けて見えてしまったのは誤算だったかもしれません」
誤算、と拓実がつぶやいた。あなたの戦略は優勝するためのものです、と国丘がうなずいた。
「コンクールにおいて、それは大前提ですが、審査するのは人間です。完璧な準備、手順、凝った演出、パーフェクトな味、それが絶対の正解にならないところが、人間の面白いところです。あまりにも完璧であり過ぎると、作り手の姿が見えなくなり、心に響きません」
同
優勝を争ったのはイケメンでミシュラン二つ星レストランのスターシェフ、和田拓実と薫でした。薫が優勝したわけですが、その理由を審査員の国丘は薫の料理は心に響いたが拓実のそれはそうではなかった、「完璧な準備、手順、凝った演出、パーフェクトな味、それが絶対の正解にならない」からだと言います。
料理人になるには修行が必要です。一人前になるためには当然です。ただしそれだけでは抜きん出た一流料理人にはなれません。お作品の中の料理人たちの会話でもしばしば「ギフト」や「特別な才能」といった言葉が交わされます。料理に限りませんが技術は教えてもらい習得すればかなりの程度まで上達します。しかしそれだけでは足りない。一流とその他を隔てるのは持って生まれた才能に近いなにかだということです。
これは文学についても当てはまりますわね。かなりの数の小説講座が各地で開かれています。小説は底堅い形式ですからちゃんと学んで実戦すればある程度の水準まで技術は上達します。でも小説の良し悪しを決めるのは技術ではないプラスアルファ要素です。むしろ技術的に崩れていても、それをものともしない勢いや情熱が傑作を生みます。
「コンクールシェフ」という小説は主要登場人物六人の料理人の背景や料理の様子を淡々と描いたお作品です。この手法は謎解きサスペンスではかなり有効だと思います。客観的記述でわくわくする核心部に近づいてゆけるからです。でも料理がテーマではどうなんでしょうね。
勝ち負けが決まっても他者を憎んだり恨んだりすることなく、結果を自己の励みとするの爽やかさは料理人ならではだと思います。ただそれは予想の範囲内。最大のポイントは飛躍。勝敗を決したのは技術ではない飛躍でした。犯罪などの人間心理の飛躍と違ってそれを言葉で説明するのは難しい。難しいテーマをお選びになったと思いますわ。
佐藤知恵子
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