故郷とは、オリジンとは何なのか。それは実在の土地なのか、人々なのか、記憶の中にだけ存在するものなのか、あるいは常に新たに生み出される何かなのか。『故郷-エル・ポアル-』→『故郷-エル・ポアル-』注→『新故郷』と〝エル・ポアル〟を巡るテキストの旅は続く。
by 大野露井
第二部 ポアル
僕はすぐにラウラの言葉を呑み込み、返す刀で自分の言葉を吐き出していたわけではない。どちらかと言えば、僕は夢のなかで体の自由がきかなくなるときのように、咽喉のあたりを震わせながら、つっかえつっかえ話していたのだ。それでもラウラはせっかちな気性を自制してゆっくりと話したので、僕も頭のなかでいろいろと言語的な計算をする時間を稼ぐことができた。それには煙草はちょうどいい小道具でもあった。どんなに巧みに操れる言語であっても、必要な計算にはほとんど際限がないのだ。僕の言葉を相手がどう受け取るのか、どれほどの可能性で相手がその予想を裏切るのか、というところから始まり、その言葉をどこで言い間違え、どのように抑揚を追加することで、いかに相手に自分を知的に見せ、さらに興味を持たせるか―あるいは、すっかり関心を失わせるか―というところまでの見取り図を作るだけでも骨の折れる作業だというのに、ここにいる限り、僕はそのうえで言葉を一から組み立てなければならない。煙を吸い込み、あるいは吐き出している間は、せめて身振りについては選択肢が限定される。しかも煙草の身振りは、脂汗をかきながら危うい足場のうえに塔を立てようと躍起になっている僕の焦燥を、あたかもチェスの次の一手について沈思黙考する、余裕のある労働に見せかけてくれる。だがいつまでも煙草を喫っているわけには行かないのだ。
責任感を発揮して店番に戻ったものの、店には客らしい客はほどんど来なかった。やがて腹時計が鳴り、僕たちは戸締まりをしてラウラの家へ向かった。レイダは町というより街であり、田んぼではなく幾条も並ぶ大通りによって構成されていた。もはやエル・ポアルやモデルサのように蝶の比喩を使うことはできない。充分に猫くらいの大きさがあった。僕は今回この国へ来てはじめて、建物の全体像を把握するために首をのけぞらせて歩いた。しかし上ばかり見ているのは危険だ。この街ではあろうことか車道が白線によって二つに分けられ、その左右を忙しく車が通過していた。車はこれまでのようにねずみ色の道路の真中を漫歩したり、対向車が現れるとしぶしぶ路肩に身をひそめたりするのではなく、挨拶代わりに警笛を鳴らしながら擦れ違ってゆく。「デーウ」と言う暇もない。だから歩くときは前を見なければ、左右から鉄槍の一撃を食らう可能性があったのだ。
ラウラ一家の住居もやはり見上げるほど高い建物だった。骨組みはそれほど上等ではなく、エレベーターを階段がとりまく螺旋は石と金属の不調和なめまぐるしさで、深夜には犯罪者が好んで潜伏しそうな暗がりも散見された。ところが部屋のなかへ一歩入ってしまうと、壁紙はスペインのステレオタイプに当てはまりそうなオレンジ色で、斜交いになっている居間と食堂にはそれぞれ大通りに面した広い腰窓と張り出し窓があった。その反対には地味だが愛用を誘う食卓を挟んで台所があり、設備はカルメンのアパートのものよりも新型だった。厨房では、ちょうど親方になるよりちゃんこ屋を開くことを選んだ元関取が胡麻塩頭で辣腕をふるい、まさにパエリアを仕上げているところだったので、邪魔をしないように食卓を通り越して壁際まで行ってみると、壁に埋め込まれた趣味のいい飾り棚の中央に、革装のロルカ全集が静かに並んでいた。
「それはパブロのよ」
教えてくれたのはロサ叔母さんだった。真直ぐな黒髪は相変わらず豊かで、落ち着いた母親らしく後ろに束ねていても額の上に盛り上がっている。彼女は買物袋を置き、僕はロルカを放り出し、挨拶の抱擁を交わす。叔母さんの肉体はもちろんある程度質量を増していたが、やはり黒い服を着ているので未だに舞踏家のように見えた。叔母さんは水面を滑走する舟のように音もなく夫に横づけになり、料理の完成を見守った。
僕は再びロルカを取り上げながら、「パブロ叔父さんは本を読まない」という常識の転覆を感じていた。それが叔父の最近になってからの反抗なのか、あるいは連綿と続く陰謀なのかはわからない。僕は本をぱらぱらめくりながら、もし「ジプシー歌集」か、いっそ「血の婚礼」の一節が目に入れば面白いと思ったが、その巻はまだはじめのほうで、僕が読み取った文字はどうやら「蝶の呪い」を意味するものだった。蝶。こうしてモデルサとエル・ポアルはレイダにも姿を現す。
パエリアができて、僕たちは四人家族のように食卓を囲んだ。僕は持てるかぎりの言語感覚を動員して会話を続けるよう努めたが、ラウラの宣言通りパエリアがかなり美味しかったので、だんだん淡い黄色をした米をかき混ぜたり、海老や貝を解剖することに夢中になっていった。それでも取り分けられたものをほとんど平らげた頃にパブロ叔父さんに「もっと食べるか?」と訊かれると、さすがに二の足を踏んだ。僕はこの三日間、いずれも好みではあるが消化の面では理想的と言えない食事を続けていたので、底の塞がった下水管にどんどん新たな廃棄物を投入しているような状態だった。しかもカルメンのアパートの便所には紙がないのだ。
「もうお腹いっぱいです」
という返事を叔父はどう受け取ったのか、黙って僕の皿を下げ、
「このくらいならいいだろう」
と半分よそった。そして自分には山盛りで二杯目をよそった。せっかくの世界一のパエリアなので、僕はゆっくりと食事を続けることにした。
「スペイン語はできないのよね」
しばらくして僕の手と顎の動きがいよいよ緩慢になってきた頃、ロサ叔母さんは確認するように尋ねた。
「できません。英語と、フランス語がすこし―」
と僕がもたもた答えると、
「フランス語ができるの? 私もすこしできるわ!」
と叔母さんは、僕の正面の席から目を輝かせた。つまりこの瞬間、カルメンの独裁は終わったのだ。それはパブロ叔父さんが本を読むかどうかということなどよりもはるかに意義ある転覆だった。僕はカルメンでないカタルーニャの親族とも、まともに会話をすることができるのだ。もちろんフランス語が「すこし」である以上、それは会話というよりも通信に近いものにならざるを得ないだろう。だがそれでいい。十三年ぶりに会い、あるいは二度と会わない人との対話に、ひょっとすると対話に深みや味わいを与えるかもしれないという理由で不必要な接続詞や小噺や意図的な沈黙を挟むことを、僕たちは無批判に繰り返しすぎている。言葉というものの性質それ自体に罪をなすりつけることもできるが、実際のところ会話術とは多かれ少なかれ偽善と誤魔化しに過ぎない。僕たちが嘘つきだから、言葉は嘘をつくのに適した形に進化し、僕たちをなおさら嘘つきにしたのだ。「すこし」であるフランス語なら、さほど嘘をつかなくてすむだろう。
小さな革命を合図に食事が終わった。パブロ叔父さんは食器を下げると、大きな体を効率よく動かして食卓を元通りにし、あとは食器洗い機に仕事を任せた。そしてほんのすこしのあいだソファに落ち着いていたが、すぐに立ち上がって店番に向かった。このあたりの機敏さが、食事の後は翌朝まで腰を上げようとしなかった父との明暗を分けたのかもしれない。一方の叔母さんは、張り出し窓を全開にして風通しをよくすると、僕をソファへ坐らせて自分と娘で両脇に陣取った。叔母さんの手には陶器の灰皿が乗っていた。ラウラは家で大っぴらに煙草を喫えるというのではしゃぎ出した。
「いつもは家では喫わせたくないんだけど、今日はいいでしょう。私も喫うわ」と叔母さんはさっそく煙を睫毛に絡めながら言った。「あなたのパパのことを話したいのよ。カルメンから何か聞いた?」
「いや、何も。お金を渡されただけです」
「悪魔!」
何となく会話の内容を察したらしいラウラは横合いからそう叫び、痰を吐くような音をさせて不快を露わにした。
「きっとそうだと思ったのよ。カルメンにはちょっと胸のむかつくようなところがあるから」それはひとりの叔母からもうひとりの叔母への評価としては相当辛辣なものだった。ロサ叔母さんがそんな言葉を口にすることが、すでに意外だった。だがそれは麗しく響いた。「あなたのパパも生きているうちから妹の性格については色々と言っていたけどね」
「それは日本にいるときから言っていました」
「でも問題はカルメンのことばかりじゃないの。パパは日本からスペインへ戻って、カナリア諸島で仕事をしていたでしょう? それからあまり体調がよくなくて、一度エル・ポアルへ帰ってきたわけ。私はうれしかったけど、でもパパは悲しそうにしていることが多かったわ。そりゃ、あれだけいろいろなことがやりたくて、世界中まわっていたのに、いまじゃ実家にいるんですもの。それにパパは、実家では歓迎されなかったわ。お祖父ちゃんはあの通り厳しい人だから、これからは家でゆっくりしろなんてことは言わないし、それに、そのときにはもう、実家の財産はすっかりカルメンのものになっていたのよ。だからパパは、ここにはおれの居場所がない、なんてよく私に言ったわ」
カルメンがうまく立ち回り、両親の没後に家財をすっかり着服するための手筈を調えたことは、べつに驚くべきことではなかった。彼女ならそうするだろうし、どんな家族にも、カルメンのような人間が一人はいるものだ。そこで僕はハイメから借りてきた「英カタ辞典」を繰り、単語を探して言った。敢えてカタルーニャ語で言えば、なおさら嘘から遠ざかるだろう。
「それは―予想していました」
「だからお祖母ちゃんは、早くあなたに会いたかったのよ。生きているうちに、あなたに渡したいものがあるから」
僕はうなずいた。それは百万円をめぐる物語としてはいささか大げさだったが、家族の歴史をめぐる物語としては及第のように思われた。
「あなたのパパはほんとにいい人だったわ。ラウラがちょうど思春期で、手がつけられないようなときも、パパがよく叱ってくれたのよ。ねえラウラ?」
ロサ叔母さんは娘に向き直って、最後の部分を母国語で繰り返した。
「そうよ。たくさん喧嘩したのよ」
幼児のときでさえ大人を泣かせるほどの癇癪を誇ったラウラなのだから、十五歳のラウラには相当の芸当があったことだろう。僕と違って、父の恫喝に縮み上がり、ただ目をつぶって時間が過ぎるのを待つような真似はしなかったはずだ。きっと僕には言えないようなことを、僕には再現できないような口調でまくしたてたに違いない。「私は自分の考えでやってるの! 父親でもないくせに偉そうなこと言わないで! 自分の人生が惨めだからって私に当たらないで! よけいなお世話よ! あなたに命令される筋合いはないわ!」などという具合に。僕にとっても父がラウラにとってと同じくらい他人であったら、父に毅然と反抗しただろうか。「寝てばかりいるなよ! 働けよ! ママを殴るなよ! 出ていけよ! おまえはいま何を考えてる、と馬鹿の一つ覚えで訊くのはよせよ。どうすればこの人はいなくなるのだろう、と考えていることくらいお見通しだろう!」などという具合に。
「パパはそれからウクライナに行ったわ」ロサ叔母さんは父の伝記をさらに語り継いだ。「仕事を探すのに必死だったから、ウクライナみたいな遠いところでも、働けるならと受けたのよ。春になって、パパは体調もよくなってきていたので、これでまた仕事を始めれば、すっかり何もかもうまく行くという希望を持っていたわ。お祖父ちゃんはもう亡くなっていたけど、お祖母ちゃんにもよろこんでもらえるし、それに、お金ができれば、あなたのママにも返せると思っていたのよ。いつもママに申し訳ない、って言ってたわ。たくさんお金を借りてしまったからって。でも、春でもウクライナは寒いのよね。あんなところへ行くべきじゃなかったわ。結局、新しい国で、疲れることばかりで、すぐに以前よりも体調が悪くなってしまった。耐え切れずにまたスペインへ戻ったときには、もう手遅れだった。それはあなたも知っているでしょうけど」
そうして父は全身に転移した癌で死んだのだ。僕の知る限り一族で癌になったのは父だけだし、ついでに言えば禿げていたのも父だけだ。不摂生を理由にするのもいい。だが本当の病因は否定なのだ。父は否定しすぎた。すべての他人を、すべての提案を、すべての運命を。ついには自分をも否定した。
大野露井
(第11回 了)
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