故郷とは、オリジンとは何なのか。それは実在の土地なのか、人々なのか、記憶の中にだけ存在するものなのか、あるいは常に新たに生み出される何かなのか。『故郷-エル・ポアル-』→『故郷-エル・ポアル-』注→『新故郷』と〝エル・ポアル〟を巡るテキストの旅は続く。
by 大野露井
第一部 エル
滞在が一月を迎えようとする頃には、僕の肌もすっかり褐色になり、あたかも精悍な面持ちを演出しはじめていた。それは僕らしくないので、僕はそろそろ帰るときが来たのだと感じる。母はまた母で、すでに限界を越えていた。退屈のあまり弛緩していた母の神経は、もうすぐ帰るのだということに気づいた瞬間、一気に張りつめた。こんな村は、母にとって一つも楽しくなかった。もちろん、東京が楽園というのではなかった。父は僕を殴るようになっていた。きっかけは、いつもくだらないことだった。百貨店のなかに床屋が入っているのは何階だったかと訊かれ、七階だったと思う、と答えると、帰って来た父は、十階だった、といまにも泣きそうな顔で僕を殴る。父の拳は痛くなかった。父は自分を殴りたかったのだが、僕は父によく似ていたので、代わりに殴られたのだ。父は自分を強く殴れなかった。母はどこにいても僕が殴られたことをすぐに察して、次は家から叩き出してやるから、と訴えるのだった。僕はあと二年もすれば、自分でも父を家から叩き出せるのではないかと思いはじめていた。それでも東京には逃げ場もあった。父は商機を求めて外出することさえ減っていたが、僕には学校があったし、母も街に出ればいくらでもすることがあった。休みには、母の実家にゆけばよかった。だいたい、東京の家はなくなるかもしれなかった。ちょうど夕日が直角に家のなかを燃え上がらせて、すこしエル・ポアルのような風景になる時間帯に、執行官たちがどやどや上がり込んできて、家具のあれこれに白い四角い紙を貼っていった。これはいくらにもならないな、と言いながら僕が隠れていた寝室に入ってきた男は、ごめんね、と気まずそうな微笑みを浮かべて出ていった。東京の家がなくなれば、もう父のいる場所もなくなる。母は手帳に「夫―離婚―引越し」と書くかもしれない。そう思うと、夏に父の実家であるエル・ポアルに滞在することは、母にとってはいよいよ手術が必要になった腫瘍のような存在になっていた夫のそばを離れて一息つく絶好の季節に、わざわざ夫の懐へ飛び込んでゆくようなものだった。夫を生み育てたこの村はつまり夫で、夫の両親もまた、言ってみれば二人の夫だ。だが母はそのために舅と姑を責めるほど無思慮ではなかった。それにこの村で誰かが母の負担になっているとすれば、それはむしろカルメン叔母だった。公平なことだが、叔母も僕たちにいらいらしていた。一月もいればお客は居候に格下げされるべきだ。にもかかわらず両親は嫁と孫にずいぶん甘いし、うすのろの兄もにこにこしてばかりだ。おまけにこの生意気な東洋人の親子は自分より金を持っているし、その気になれば日本へ帰るまえに、どこへなりと好きな都市に寄ることもできる。叔母の目は確かにそう語っていた。その目があまりにも憎しみを隠そうとしないので、僕はちょっと芝居がかっているのを承知の上で、母にこんな質問をしたほどだった。僕って汚い? 叔母さんが虫でも見るような目で見るよ。その夜から僕たちは叔母を「あいつ」と呼ぶことにし、ときには本人のいるまえで、叔母にわからない言語で悪口を言った。もちろんそれは母よりも僕にとって楽しい気晴らしになったが、母も教育道徳をうっちゃってこの卑劣な行為を容認した。こうして叔母のことにばかり目がゆくようになったのも、やはりエル・ポアルに飽きていたからなのだ。祖父は相変わらず蠅を引っぱたいてはハエ、シンダ! と言っていた。ハンドルに籠がついた、赤い原動機付自転車に乗せてくれた。それはシクロモトールと呼ばれていた。それから雨が降ると、両手にバケツを下げて納屋の中庭を徘徊し、あふれんばかりの蝸牛を捕まえてきて祖母に料理させた。僕はまだ蝸牛をそのままの形で殻から引きずりだして口に入れることの美学を理解できなかった。曾祖母の顔の上を這っていた蝸牛のせいかもしれない。祖父から命じられるままに料理をしたり掃除をしたりする祖母は、夕食が済むと近所の主婦たちと何時間でも話していたが、家のなかでは夫を憚って寡黙にならざるを得なかった。僕と祖母が水入らずで言葉を交わすのは、もう祖父が寝てしまい、台所で最後の片づけものをしているようなときだった。会話は単純だ。まだ起きてたのかい? お水を飲むの。そうかい、おやすみ。おやすみ。そうして僕は渋色の壁紙に囲まれた寝室に戻り、もはや完全に壁の一部になってしまい何一つ訴えかけようとしない磔になった男を見上げ、明日はラウラが、そしてロサ叔母さんが来るだろうか、あるいは鳩子たちや、未知の親戚や、父の幼馴染だとかいう人々が来るだろうか、でも、どちらでもいいな、と考えながら、セールスマンが顧客開拓のために必死にめくった電話帳のように擦り切れた漫画雑誌をすこしだけ読み、いつか目を閉じる。もうすぐ帰るのだ。旅立ちの前夜には、たいてい何かが起こった。ある年には、村が停電に見舞われ、すべての荷造りを蝋燭の灯りでしなければならなかった。またある年には、僕が熱を出した。僕はかなり大きくなるまで、よく熱を出したのだ。旅行がまさに終わるとき、また旅行が終わった直後はとくに熱を出しやすかった。祖母はお湯にとかした錠剤をスプーンで口に運んでくれた。そしてその年には、母が前例のない行動に出た。もうあとは寝室に入るだけという時間に、僕は母と祖父母と食卓を囲んでいた。また来てちょうだいね、と祖母が言った。隣で祖父もうなずいている。しかし母は社交辞令で肯う代わりに、辞書の助けを借りて作った原稿を諳んじて、こんなことを言った。来たい気持はありますが、妹のカルメンには歓迎されていないようだし、また来られるかどうか、いまはわかりません。寝室に入った母は、言ってやったという達成感と、言ってしまったという虚脱感に襲われて、すこし震えているようだった。しばらくすると、とっくに眠っているはずの「あいつ」の部屋のまえで、祖母が声高に話しているのが聞えてきた。あのわがままな嫁がこんなことを言ってたよ、まったく困ったもんだね、とでも言っているのかしら。母はいつも物事を後ろ向きに捉え、想像しうるかぎり最悪の結果に怯える癖があった。僕は、祖母はこう言っていたのだと思う。あんたは何だっていつも人に嫌な思いをさせないでいられないんだい。いったいあんたは誰に似たんだい。もしあんたのせいで孫に会えなくなったら、どうしてくれるっていうんだい。それでも翌朝には当のカルメン叔母に送られて空港へ向かうので、まえの晩のことを蒸し返すのは誰もが避けていた。丸く削った木戸のまえで、僕は祖父母と抱き合った。祖母が涙目になっているのは驚くことでもないが、祖父が大粒の涙をいまにもこぼしそうに浮かべているのは意外だった。祖父のような男が泣くときは、猫が一匹で死ににゆくように、一人っきりで泣くものだと思っていたからだ。僕はできることならずっとここにいてもいい、とちょっと考えてみて、やはりすぐに取り消して、祖父の顔から目をそらした。車は動きだし、手を振る二人が小さくなる。腕につれて持ち上がった祖父のシャツの胸ポケットから、折り畳まれた紙片が覗いた。そこにはこんなことが書いてあるのを僕は知っている。
メ、ハナ、クチ
ウシ、ウマ、ウサギ
ハエ―シンダ
大野露井
(第05回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
* 『新故郷』は毎月05日に更新されます。
■ 金魚屋の本 ■