故郷とは、オリジンとは何なのか。それは実在の土地なのか、人々なのか、記憶の中にだけ存在するものなのか、あるいは常に新たに生み出される何かなのか。『故郷-エル・ポアル-』→『故郷-エル・ポアル-』注→『新故郷』と〝エル・ポアル〟を巡るテキストの旅は続く。
by 大野露井
第一部 エル
ある夏から、エル・ポアルには第三のカルメンが加わった。男性だったので、カルメロと呼ばれた。第一のカルメンである祖母との共通点は名前くらいだったが、すくなくとも第二のカルメンである叔母の恋人だという理由で、カルメン三角形の底辺は安定しているかに見えた。カルメンカルメン、カルメンカルメロ。しかし母と娘のカルメンの間に充分な愛情が通っているかどうかがそもそも疑わしかったし、カルメロもべつに将来の義母に気に入られようとする素振りを見せなかったので、三人のカルメンが形成する三位一体は甚だ歪で頼りないものだった。もちろん三人はカトリック教徒だった。それは彼らがカトリック教徒の家に生れ、父母や祖父母がやはりその父母や祖父母を見習ってそうしたように洗礼を受けており、誰かが死んだときには教会へゆき、寝室には百年もまえから夫婦の契りや息子の自慰や娘の婚前交渉を見守ってきたキリスト像を飾っていることを意味した。そもそもキリスト教徒でなければ、カルメンという名をつけられることもない。しかし三人は受動的なキリスト者でしかなかった。それにカルメンという名前も、決してめずらしくなかった。だから三人はカルメル山の奇蹟が三人もの人間の姿を借りて一つ屋根の下に顕現していることに神秘的な符合を見たりしなかったし、自分たちの不調和が神聖な三位一体を汚しているなどという解釈には、逆立ちをしてもたどりつかなかった。とくにカルメロは宗教よりも肉体を信じていた。カルメロの短いシャツの袖からは二頭筋と三頭筋がはみ出していた。その演出のためにわざと細身のシャツを選んでいるのではないかと思われた。だが肉弾戦になったら、カルメロはたとえば隣家の果物農家の息子であるアントニオの敵ではないだろう。おまけにアントニオはもっと優しかった。六尺ゆたか、という前時代的な形容詞の似合う素朴な青年で、にきび跡のなかで静かに微笑んでいた。僕にトラクターを運転させてくれたこともあったし、腐りかけた洋梨が根方に散乱している果樹園の木陰で、肩車をしてくれたこともあった。僕は高所恐怖症なので、本当は楽しいよりも怖かったのだが、それでも地上を遥かに見下ろすアントニオの肉厚な胸や肩にまとわりついて、支配者になったような気分を味わった。仮にそこで失禁したとしても、それは恐怖のためではなく恍惚のためだっただろう。だがカルメロは近くの村で相当の土地を持っている、おそらくかつては郷士と呼ばれた家の息子なので、てんからアントニオ相手に喧嘩しようなどという気はなかった。袖がきついせいで肘の上でよけいに厚く膨らみ、そこから十本の指の第一関節までを律儀に覆っている黄金色の体毛が、存分にそのことを物語っていた。衝撃には弱いが高貴な感じのするこの純金の鎧は、戦のためではなく、アントニオのような小作人の倅に磨かせることを目的に鋳造されるのだ。もっともカルメロの首から上は、高貴さとは程遠かった。間違いのないように言っておくと、二枚目であったことは事実だ。だがそれを証明しようと思ったら、彼は終日ものを言わぬようにし、ついつい開いてしまう口を閉じ、よしそれがどんなに馴染みのないポーズでも、沈思する哲学者のうつむきをわがものにしなければならないだろう。それほど彼は「お馬鹿さん」と呼びたくなる表情をしており、年頃の女たちは一夜の快楽のためならそこに「可愛い」というおためごかしを重ねたかもしれないが、金持という好条件があるとはいえ、この男とお互いを信頼しつつ死地への船出を試みようなどという冒険は、カルメン叔母以外にはまずできることではないだろう。ところで母と僕のエル・ポアル暮しはたいてい一月続いたので、母は旅程の前後にバルセロナやニースやパリを盛り込んで、夫に課せられた気の重い田舎生活に立ち向かう胆力を養ったり、溜まりに溜まった毒素を中和したりしなければならなかった。エル・ポアルでの一月は、母には東京での半年にも感じられただろう。ただでさえ時の流れがゆっくりしており、教会の鐘楼は忘れた頃にしか時を告げないというのに、太陽と共に生きる村人の生活は朝の八時まえから夜中の二時すぎまで続くのだ(最後の数時間は、やっと去ってくれた太陽の思い出を語り、地表が冷めてゆくいつまでも新鮮な感覚を味わうために消費された)。シエスタのような応急処置では、とても母のような都会人の日焼けした精神を癒すことはできなかった。都会と田舎の両方で育ち、最終的に都会に骨を埋めることを選んだ人であるだけに、母はもはや保養地以外の田舎というものを認めることができなかった。だがエル・ポアルでは、母は生活しなければならない。それでせめてもの慰めに、週に一度は車で三十分ほどかかる郊外のスーパーで、物資と資本の匂いを嗅ぐ必要があった。そしてそのためには、村での母の暮しを楽にしているとは間違っても言えないカルメン叔母の力を借りなければならない。街にアパートを借りてはいるものの、夏をほとんど実家で過ごすカルメン叔母は、自由に車を出せる唯一の人間だった。ところがあるとき、カルメロが自慢の愛車に僕たちを招待したことがあった。カルメル修道会士カルメロの愛馬は、さほど高級な血統ではなかった。ただすこしばかり流線型をしているので、週末に洗ってさえやれば路肩に駐めておくだけで速そうに見えるのだ。車を駐めたのが葡萄畑のまえで、鼻歌の一つも歌っていれば、あるいはカルメロもかなり上品に見えたかもしれない。なぜなら葡萄畑も歌も、カルメンという名の語源だからだ。しかしカルメロに自分の名前の歴史を有効活用するような知恵はなかった。葡萄畑という言葉をさらにさかのぼればそれは庭、つまり楽園の庭を意味していたが、一対の若いカルメンが闊歩するのはどちらかと言えば荒野だった。さあ今日はこの車で行こうじゃないか。カルメロはすでに短い袖をさらにまくって二の腕を締め上げながら船乗りのように言ったが、うんと義理で答えた僕の注意は、車の外形ではなく内部に向けられていた。そう仕向けたのは外でもないカルメロだった。彼が問題にしていたのはもはや鉄でできた黒い愛馬ではなく、肉と骨からできていて、染料で傷めつけられて赤っぽくなった鬣を生やした、人前では乗ることのできない愛馬の方だった。未来の領主は片手でハンドルを切りながら空いている手で牝馬の鬣を梳き、そのまま手が気まぐれに滑ってゆくのに委せた。耳を撫でてやれば馬は笑い、指先が唇の湿り気をとらえると、飼い主もまた馬のように首を伸ばして自分の唇でその穴を塞いでやった。うふふふふ、と馬は僕や母がかつて聞いたこともない声で嘶いた。僕たちのまえでは、この馬はいつも不機嫌に口角から泡を飛ばしていたのだ。これこそがカルメン叔母の狙いだったのだと僕は思った。東洋からやってきた可愛げのない義姉といつまでも懐かない甥っ子(もちろん、懐いてほしいなどとは思っていないのだが)のために、素敵な恋人との甘い時間を割いた理由はここにあったのだ。自分にも人並以上の恋ができる。ちょっと従順なふりをしてやれば、これだけの男を夢中にさせることができる。土地持ちの息子で、黄金色の毛に覆われた胸を私のためだけに開くような男を。私は馬鹿ではない。英語もできるし、仕事も持っている。きちんとしたホワイトカラーの仕事だ。なにも兄貴のように世界中を飛び回って、あんたらのようなつまらない家族を作ることだけが人生じゃない。私には私のやり方がある。私は一生こんな田舎で単調な暮しをするようにはできていない。父や母や、ましてやできそこないのパブロみたいに!
そうして一日の様々な感情に折り合いをつけるために、村の住人は家のまえの通りに椅子を持ち出して噂話に花を咲かせる。若い男はバルへゆく。子供たちは通りを駆け抜ける。ときには誰かの誕生日や、僕のような遠くからの来客のために、大勢で食事をして、葡萄酒を顔から浴びるように飲む。だがそんな宴席の食事も、葡萄酒を顔から浴びるように飲むことを教えたローマ人の場合と比べてみれば、貴族の宴会と呼ぶにはあまりにも質素で、むしろ集合住宅で固いパンに酢のような葡萄酒を浸して食べていた庶民の晩餐に近いものだった。何しろ昼にあれだけの食事―大量のパンを片手に、イタリア風に言えばコンキリエ、つまり貝の形のパスタを浮べたスープ、またしてもイタリア風に逃げるなら、ペンネをチーズで挟み固く焼き上げたラザニアや、ジャガイモを大量に包み込んだまろやかなオムレツ、そして今度はフランス風に逃げなければいけないが、野菜をとかしこんだ噛みごたえのあるキッシュ、ときには兎、最後に果物とコーヒー―を摂り、すぐにシエスタに入って栄養を閉じ込めていたので、この上さらに大がかりな飲食は必要なかったのだ。太陽の被害を最小限にとどめるため、そして永すぎる一日をなるべく短く過ごすためのこんな生活は、どことなく力士が体を大きくするために耐え抜く苦行に似たところがあった。だが力士のような運動量を誇るわけではないから、筋肉の増量は追いつかず、脂肪ばかりで膨らんだお腹と、あちこちで詰まってやがて何も通さなくなる血管だけが残る。この宿痾の成長をすこしでも遅らせるべく、村人の夕食はたとえ宴会の席でもどことなく控えめで、ふだんの夕食とほとんど変わらなかった。すなわち、薄切りにした食パンにトマトをなすりつけ、全体が淡い紫色と小さな種で覆われたところに、牛や豚のサラミやタンを乗せたものが主食だった。そして昼食のときも並んでいたオリーブや貝が再び登場し、今度は四角く切ったチーズと共に、無数の楊枝で串刺しにされて人々の口に放り込まれた。確かにオリーブ、肉の加工品、それにチーズは、決して健康的な取り合わせとは言えなかったが、いったい誰がそんなことを鹿爪らしく問題視するだろうか。夕食は明らかに昼食よりも質素であり、この秩序を守ってさえいれば、また翌朝には空になった胃が、仕事のための準備を整えてくれるのだ。もちろん子供たちは、食事にそこまで熱中することはない。僕はラウラや、夏のどこかで出会った鳩子たちや、まだあまり目を合わせることのできないその友人たちと通りへ出る。もし彼らがいなければ、一人で出る。僕はたいてい自転車に乗る。何人かの大人が井戸端会議をしながら、子供たちが羽目を外しすぎないように見張っている。宴会があったときは、子供たちに花火をすることが許される。僕にも誰かから花火が回ってくる。火の粉は垂直に、ほとんど電線のところまで吹き上げたかと思うと、今度は円盤のように回転しながら八方に散らばる。それだけでは物足りないので、かんしゃく玉も投入されて、子供たちは故意や偶然にまかせてあちこちで可愛らしい銃声を轟かせる。通りの右手にある小さな広場には石柱が立っていた。僕は身長の三倍ほどある石柱に空想のなかではいとも簡単に登ったが、実際には土台の上に立つのが精一杯だった。柱の根元に抱きついて、きれいに削った石の、塩のような滑らかさを楽しんだ。最初のうちは、僕が土台に攀じ登るとすぐにどこかから子供たちがやってきて、どこから来たの? 名前は? 元気? いくつ? という質問を浴びせながら柱の周囲をかけまわり、勢いがついてくると僕を一気に追い抜いて天辺まで登ったものだ。僕はまるで柱に縛られて猛禽類の襲来を待つ、鳥葬にふされた死体のようだった。ところが長い夏の盛りにそろそろ陰りが見える頃になると、子供たちは僕の正体を大人たちから聞いて知っており、しかも僕の付合いの悪さに嫌気がさしているので、僕が土台の上からかんしゃく玉をいくつか放り投げてみても、ハヤブサもハゲワシもコンドルも横目でちらっと見るだけで、もう得体の知れない獣の肉をつついてみようとはしなかった。そんなとき、大人たちはどんな話をしていたのか。誰にでも予想がつくだろう。誰が何を買った、副業でいくら稼いでいる、街に出た息子が警察の厄介になったらしい、娘が妊娠しているらしい、誰の旦那と誰の女房はできている、神父はひどいアル中だ、などなど、家庭と村、彼らのすべてを規定するこの二つの円を歪ませかねない流言蜚語を、よせばいいのに口に出して、ときには喧嘩や離婚が起こるのだ。しかし年に何度かの悲劇を防ぐために、毎晩の快楽を犠牲にするわけには行かない。木椅子で一列に並んだ住人たちの、これは夜ごとの小さなカーニヴァルだったからだ。ただある夏だけは、事情が違っていた。その事件は世界中の新聞でも報じられたのだが、バルベンスという、エル・ポアルからいくらも離れていない、それも同じくらいの大きさの村で、住民のほとんどが一夜にして大金持ちになるという椿事が持ち上がったのである。それはすぐさま「バルベンスの奇蹟」として歴史に刻まれたが、実際はこの土地の人々の大らかさを証拠立てているに過ぎなかった。というのも、宝くじは首都の本部から各県へ、各県から各郡へと、番号を分散させながら配られなければならないのだが、まさかそれが当たりくじとは思ってもみなかった担当者たちが、受け取ったものをそのまま次の階層へと垂れ流しにしたので、百枚もの当たりくじがまとめてその村に届けられてしまったのである。村人たちは、当たりくじしか買うことができない、という実に奇妙な状況に追い込まれた。このようなわけでバルベンスではある朝を境に、くじを買った人々、つまりほぼ全員が高級車を乗り回すようになり、経営者は社員に莫大な報償を出し、社員は妻たちに宝石を買ってやり、子供たちは新しいおもちゃを手に入れるという、無重力のような恍惚に包まれることになったのである。もちろんエル・ポアルの人々の嫉妬と羨望は甚だしかった。バルベンスに親類のある幾人かはあまり表に出ないようになった。若い娘たちは、いや、とっくに夫への愛情が冷めてしまっている人妻たちも、今度の週末には一張羅を着てバルベンスへ行ってみよう、とひそかに計画を練った。そして男たちは、慣れない高級車に乗った連中がさっそく事故に遭ったらさぞ愉快だろう、という願いを口に出すのもみっともないので、なんでその奇蹟がエル・ポアルではなく、バルベンスで起きねばならなかったのか、という問題について、まるで神学者のような面持ちで熱心に議論するのだった。だが案の定、そんな混乱は長くは続かなかった。彼らは再び静かで涼しい夜の大切さを思い出し、その腰を折るようなバルベンスの話題は、さっさと放逐してしまうことにした。それに、なんだかんだ言っても、彼らにはやはりエル・ポアルの話題のほうが面白いのだ。
大野露井
(第04回 了)
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