故郷とは、オリジンとは何なのか。それは実在の土地なのか、人々なのか、記憶の中にだけ存在するものなのか、あるいは常に新たに生み出される何かなのか。『故郷-エル・ポアル-』→『故郷-エル・ポアル-』注→『新故郷』と〝エル・ポアル〟を巡るテキストの旅は続く。
by 大野露井
第一部 エル
ラウラを叱っているときの祖父には、かつてあったという迫力は微塵も感じられなかった。幼い父を、祖父はベルトで殴った。にんじん、食べられるよ、と嘘をつけば、切れ味を試すように口にベルトをくわえ、手に持ちかえ、しならせて、殴った。本当はにんじんが嫌いなの、と白状すれば、やはりベルトで殴り、その日は、にんじんしか食卓に乗せないよう妻に命じた。もし残すと、また口にベルトをくわえ、殴った。そのせいか父は夢遊病だった。夜半、二階の突き当たりにある寝床を抜け出し、自分の妹と弟、両親、それから祖母の寝室を素通りして、居間の奥の扉からテラスに出る。腰までの鉄柵を乗り越え、体が重力に沿って伸びきったところでそっと手を放し、裏口のまえに着地する。家は通りの端から三軒目で、すぐ表にまわることができる。頂点をアーチ型に整えた厚い木戸を、夢みる子供の慎重さでそっと開き、石の階段を登る。昼間でも暗く、夜には怖くてたまらない一階を、電灯も点けずにすり抜けた自分の勇敢さに惚れ惚れする間もなく、音もなく寝床にもぐり込む。父が夜中に台所に現れて戸棚の食料を平らげてしまうのは、その名残なのかもしれない。もっとはっきりした名残は、母を殴ることだった。刺そうと思ったけど、だめだった。包丁をそのままハンドバッグに入れて、電車に乗ったの。二日して帰ったときあなたは元気だったから、パパもなんとか世話をしたのね。僕はその二日間を覚えていない。父よりも軽度だったが、僕にも夢遊病が遺伝していた。そうすると僕も誰かを殴るようになるのだろうか。あるいは祖父のように、ベルトの扱いに長じるだろうか。祖父はいまでも気の短い、文句の多い老人だった。だがそれは祖父が典型的なスペイン人、典型的なエル・ポアルの住人であることを証言するに過ぎない。祖父は人生で数えるほどしか相見えることのないよう宿命づけられている初孫に対しては、人格が許すかぎりの優しさを注ごうと決めていたのだろうか。夕涼みの時間になると、僕と祖父は半開きになった分厚い木戸の内側で、日陰に木椅子を並べて座る。外の陽射しは、第六の刻限などとっくに過ぎたというのに、その支配下へと赴く決意をたちまち鈍らせるような凶暴さを維持していた。僕は気晴らしに、またしても祖父の鼻に挿入されたチューブを見る。一日の半分ほど、祖父はチューブを入れていた。廊下の奥から引いてきたビニールのチューブは先端が輪になっており、祖父はそこに首を通すと、輪から直角に生えている二本の短い管を鼻腔にさしこむ。最初にこの奇妙な光景を見たとき笑わなかったのは、傍らの母からそれが心臓病のせいであり、同情すべきであることを耳打ちされたからではない。僕はすっかりそのチューブの形状に魅せられ、暗い廊下を這い回る得体の知れないチューブを使役する祖父に、すぐさま憧れを抱いたのだ。チューブは祖父の耳の後ろでこれみよがしに宙返りし、襟元で人懐っこそうに輪をつくる。次いで格子縞のシャツを頼りなげになぞり、腰の辺りからよちよちと独立すると、急に明確な意志を持って石の床をのたくった。最後に二階へ続く階段を素通りして奥までゆくと、まるで軍部から盗み出して隠し持っている砲台かなにかのように布に覆われている酸素ボンベに、その尻尾を絡みつける。祖父が二階で活動するときは、チューブはそこから魔術師の笛に操られた縄そっくりの動きで天を目指し、天井の隅に空けられた穴の先に姿を眩ませてしまう。祖父は二階で待ち構えていてチューブの頭をつかまえると、いとも簡単に手なずけて顔のまわりにじゃれつかせるのだ。よちよち、くねくね。一方、木戸の外では、酸素にふれるたび燃え上がるように弾ける陽射しは透明なのに、ふとした拍子に無数の蠅が飛び交っているのが目についた。蠅どもはずんぐり太った丸い体で性懲りもなく舞い続けたが、羽の先が焦げたように感じると戸の内側まで入ってきて、僕や祖父の目や髪や胸や太腿で、しばし青と銀の命を憩わせる。祖父は蠅と過ごした永い年月のおかげで、すっかり駱駝のような無関心を身につけていた。僕がいちいちうるさそうに追い払っているのを見て、祖父は楽しそうに蠅を指さした。蠅! と僕は日本語で言った。ハエ! と祖父も真似をした。それから何度も、蠅ハエ蠅ハエという音声が、それこそ蠅の羽音のように日陰の空気を満たした。それに飽きてくると、祖父は丸めた新聞で蠅を叩き落とすのだった。ハエ! シンダ! こんな応用に祖父がたどりつくまで、長くはかからなかった。祖父は僕にも言葉を教えはじめた。この遊戯的な教育の時間には、スペイン語ではなく、僕たちを結ぶ本当の言葉、カタルーニャ語が解禁された。もちろん僕には区別はつかないが、そうこうするうちに、僕と祖父は日本語とカタルーニャ語の簡潔な辞典を作り上げる。口! ボカ! 鼻! ナス! 目! ウンチ! 口が馬鹿に似ていたり、そこに茄子や大便が突如として出現することがおもしろく、僕は笑い転げた。祖父はどうして僕がそこまで騒いでいるのかわからなかったに違いない。それでも孫が歯(デンツ!)をむきだしてのけぞるように笑うのを見て満足げだった。いま思えば、父の言語の才能は間違いなく祖父から受け継いだものなのだ。祖父は僕が教える単語を、ほとんど一度で覚えてしまう。もしすこしのあいだ暑熱に耐え、通りを一本渡る勇気を発揮することができれば、僕たちにはもう一つの遊び場もあった。祖父の仕事場でもある納屋だ。納屋と呼ぶにはずいぶん大きく、頑丈すぎる構えで、僕の視界のなかでそれは地中海沿岸の軍港にあるような倉庫と何ら変らない偉容を誇っていた。納屋の大部分はすでに空っぽで、肥料の入った袋が、投げ捨てられたホテルの予備の枕のように、いくつか寝そべっているだけだった。あとはただ石の床が広がり、砂埃がすきま風に乗って大舞台をほしいままにしていた。かつてはこの空間いっぱいに肥料が積まれ、その半分をばら撒けるだけの畑が、僕の家に帰属していた。あとの半分は、近隣の農家に売っていた。ずっとまえに死んだ曾祖父が賭け事に手を出し、事業が縮小されるまえの話だ。いずれにしても祖父にはもうそれだけの規模の農業を営む体力はなく、跡継ぎもいなかった。納屋の奥の階段からは、屋根裏に出ることができた。そこは村中の鳩が一日に一度は顔を出す暖かな広場になっていた。広場どころか、以前には集合住宅としても機能していたらしく、いくつかの鳩舎が埃をかぶっていた。もしかしたら祖父は昔、ピレネー山脈の向う側にいる誰かと伝書鳩を使ってやりとりしていたのかもしれない。べつに餌をやるわけでもないのにわざわざここに来て畑から失敬した穀物や虫を食べているのは、鳩たちのあいだに祖父についての微笑ましい評価がゆきわたっているからのような気がした。このように僕は鳩もきらいではなかった。けれどもやはり猫にはかなわない。村の猫たちの最大のパトロンヌはもちろんザラザラおばさんだったが、祖父母も缶詰の底に残った油っ気の多い肉などをおすそわけしてやることがあった。空っぽの肥料倉庫の横っ腹にある扉を開けて、中庭へ出る。そこは四角く、緑色で、上や下から蔓草が伸び、湿った石がごろごろしている。そんな石の一つに缶詰を逆さにして打ちつけると、それぞれの蔓草からまるで胞子のようにたくさんの猫が滑り出し、か細い声で鳴きながら、静かに肉の奪い合いを繰り広げる。それでもまだ、鳩や猫は納屋の主役とは言えない。その座は永遠に兎のものだ。中庭を突っ切った先にある小屋では、この村の主要な家畜である兎たちが、図書館の書棚のように規則正しく区切られた檻のなかで、閉じ込められている檻の退屈な外見を埋め合わせるように、忙しく動き回っていた。もちろん檻は小さかったが、兎も小さく、その歩幅も小さいので、ちっとも不憫に思えなかった。中庭の草木に浄化されるのか、外からはわからないが、小屋には濃厚な糞のにおいが立ちこめて、兎たちの健康を証言していた。兎はごく普通の兎だった。日本の兎しか知らない僕が見てもまるで新鮮なところはなく、イギリスの絵本に出て来るような灰色のや、耳が長く垂れ下がっているようなのは一匹もいない。みんな一様に銀色の檻のなかで前後にちょこちょこ動き回り、逆さに固定された黄色い容器から水を飲み、檻の奥で用を足すと、見事な球体をした糞が傾斜のついた鉄板を転がってこちらまで来る。糞はチョコレートに似ていた。匂いも、古い本ほどではないにしろ、どことなくチョコレートに似ていた。祖父は父を生んだ人とも思えぬほどまめな性分で、兎の檻をよく掃除した。兎たちは、ふだんはそこから出たい素振りなどこれっぽっちも見せないくせに、ほんの出来心で、脱走を試みることがあった。この遊びに耽るときの兎は信じられないほど敏捷で、小屋の角まで全速力で逃げる最初の疾走は、目で追うのがやっとだった。そこまで行くと今度は、ほとんど鼠そっくりに、薄暗い小屋を壁伝いに角から角へと移動した。祖父は手慣れたもので、大きな跫音で兎のそばまで走って動揺させ、相手が壁からちょっと体を離した瞬間に、的確に首根っこを押さえてしまう。この捕物が終わると祖父はだいたい決まって、カラテ! と叫んで兎の首筋に手刀を打ち込む真似をした。だが真似ではすまないこともある。最初はカラテで気絶させるんだ、という祖父の説明は冗談だったのかもしれないが、とにかく気絶させなくては皮を剥ぐことができない。気を失った兎は、中庭に生えた樹の枝から足首で吊るされ、毛と皮を毟り取られる。兎の脂肪や腱や筋肉は赤だったり桃色だったり、フラミンゴのような生き生きとした色だったりして、ひたすら緑の濃淡で染められている中庭から鮮やかに浮び上がった。それから兎は祖母に引き渡され、肉切り包丁の洗礼を受け、すこし甘みのあるソースで煮込まれる。このご馳走は、僕の一月ずつの滞在のあいだに、だいたい三度食卓にのぼった。そして僕の胃に収まらなかった兎は、村に何軒かある養兎家をまわるトラックの荷台に積んだ檻に移され、数枚の紙幣と引き換えに、どこかべつの空手家のところへ運ばれていった。だが兎の死には慣れっこになっているエル・ポアルの住人にとっても、もともと少ない村人の死はまだまだ神秘的な力を失っていなかった。村人は、死ぬと例外なく、村外れにある墓地に葬られた。通りでいつも顔を合わせている仲間たちは、死んでからもやはり一列に並ぶことになるのだ。祖父はその場所へも連れていってくれた。ここだよ。祖父は指さした。そのとき曾祖母はすでに亡くなっていた。花と一緒に写真が飾られていた。僕は見せかけの敬虔さすら身にまとうことができなかった。墓が見慣れないものだったからだ。それは大きな石の壁で、縦に四行、横に十列ほどの四角い扉に、死者の名前が刻まれていた。扉の向こうはまさしく身の丈ほどの空洞になっていて、そこに柩を挿入する。要するにこの地方の墓地は、近代的な病院の遺体安置所の形態を先取りしていた。僕はまず兎小屋を、それから蟻の巣を連想した。遺体が古くなると柩だけを穴から抜き、遺体は中に残しておいて、そこへかまわず次の柩を突っ込んでしまうのだ、と祖父は乱暴な身振りを交えながら、嘘とも本当ともつかない説明をした。ほら、ここをご覧。祖父は反対側に立っている寸分違わぬ壁まで歩き、左上の角の、ベニヤで蓋をしてある未使用の空洞を示した。そこにはチョークで僕の家の姓が描いてあった。ここがお祖父ちゃんのだよ。もう予約してあるんだ。
大野露井
(第03回 了)
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