『ミス・シェパードをお手本に』(2015年 イギリス映画)ポスター
監督ニコラス・ハイトナー
これまで十五回にわたって映画における色のイメージについて取り上げてきた。初回では、白黒から総天然色への橋渡しを象徴する作品として「オズの魔法使」(米、1939)を挙げたが、この映画のもっとも重要な記号である「虹」という、文字どおりの「橋」を構成する色をはじめとして、身近な色調とその意味するところのパレットについては、ひとまずおさらいすることができたかと思う。とはいえ色は文脈によって当然ながらその意味を変えるし、特定の作品のなかである色が独自の意味を持たされていることもしばしばである。今回からはいわば第二部、応用編として、作品ごとの色に注目しながら、その主題にもいますこし切り込んでゆくこととしたい。
「ミス・シェパードをお手本に」(2015年、英)を監督したニコラス・ハイトナーは舞台演出家であり、映画監督としても基本的に戯曲に基づいた作品を世に送り出している。知名度の点で代表作と言えるのは十七世紀末にマサチューセッツ州セイラムで実際に起こった魔女狩りを描くアーサー・ミラー「るつぼ」の映画版(1996年、米)であろう。まだ万引き事件などで世間を騒がせる以前の、人気絶頂期にあったウィノナ・ライダーと、当時すでにオスカー俳優であったダニエル・デイ=ルイスを主演に迎えた本作はしかし駄作であり、興行的にも失敗であった。
ハイトナーがようやくその持ち味を発揮したのは、劇作家アラン・ベネットが七十歳で発表し大当たりをとった舞台をその二年後に映画化した「ヒストリーボーイズ」(2006、英)であろう。オックスフォードとケンブリッジへの進学を目指すグラマー・スクールの少年たちのあいだで繰り広げられる恋の鞘当てと教師たちとの奇妙な関係を、巧みに挿入されたヒット曲で彩るこの映画は、やはりケンブリッジ出身であるハイトナーにとっても自らのルーツを探る作品であったのではなかろうか。
それから十年ほどの空白を経て久しぶりの監督作となった「ミス・シェパード」では、ワゴン車に乗った文字どおりの「放浪者」であるシェパード婦人と、やや精神分裂気味の舞台作家アラン・ベネット(そう、脚本を書いたのはやはりベネットであり、しかもこれはベネットの「自伝的作品」なのである)の友情とも腐れ縁ともつかない交流が描かれる。主演は傘寿を迎えた英国の大女優マギー・スミス。
閑静な住宅地の通りをすこしずつ移動しながら、シェパード婦人は路上駐車したワゴン車のなかで暮らしている。ご本人は潔癖症と言い張るものの、撒き散らすゴミや汚物の臭いは公害であり、愛車の煤けた色もなかなかに不気味である。とはいえロンドンっ子は何事にも無関心を貫くのが信条であるから警察を呼ぶような無粋はしないし、むしろ粋なところを見せようとチャリティ精神を発揮して、食事の差し入れや季節の贈り物を欠かさない。主人公のベネットも徐々に口八丁の婦人のペースに巻き込まれ、気づけば自宅の駐車場にワゴン車を招き入れてしまうのであった。
『ミス・シェパードをお手本に」スチール』
そんなある日、婦人はワゴン車に眩いばかりの黄色いペンキを塗りたくる。「ジャクソン・ポロックもびっくりだね」と住民は声をかけるものの、婦人の真意は最後まで明らかにはならないのである。ただしヒントはある。それが映画の最初と最後に、これといった説明もなく挿入されるコンサートの場面だ。セピア色の画面からはそれが昔の出来事であったことが伝わってくる。そして、セピア色とはいえ、舞台の中央にいるピアニストのドレスが黄色であることも判別できるのである。
このピアニストが若かりし日の婦人そのひとであることは、劇中で小出しにされる婦人の過去を繋ぎ合わせればすぐに判明する仕組みになっている。いまでは口を開けば悪口ばかりの扱いにくい老人ではあるが、かつては将来を嘱望され、フランスにも留学した気鋭のピアニストであった。ところがある事件をきっかけに、彼女はピアノから遠ざかってしまうのである。つまり自由と栄光の日々の思い出を唯一つなぎとめてくれる色こそ、婦人の城であるワゴン車を染める、鮮やかな黄色なのであった。
『ミス・シェパードをお手本に』でコンサートの場面を演じるのは、イギリスの若手演奏家クレア・ハモンドである
ところで若さと情熱を表象するものとしてのピアノと言えば、おなじマギー・スミスが脇役として光る「眺めのいい部屋」(1986年、英)も思い起こされる。二十世紀英国を代表する作家E・M・フォースターの原作を監督したのは、おなじくフォースターの「モーリス」(1987年、英)や、カズオ・イシグロ原作の「日の名残り」(1993年、英)、またこの連載でもすでに取り上げたヘンリー・ジェイムズ原作の「金色の嘘」(2000、米・英・仏)など、文芸作品を多く映像化しているジェームズ・アイヴォリーである。
さて「眺めのいい部屋」は、スミス演じるお節介で世間知らずのシャーロットに伴われて、良家の令嬢ルーシーがフィレンツェを訪れる場面から始まる。ルーシー役はまだあどけなさの残るヘレナ・ボナム=カーターだが、さすがに銀行家と政治家を多く輩出した一族の出だけあって、知的でどこか高慢な令嬢役にはうってつけである。
ルーシーは寡黙だが情熱を秘めており、上流社会の規範を守って退屈な人生を送ることへの抑圧された恐怖を抱えている。そのルーシーが感情を解き放つのはピアノでベートーベンを弾くときくらいのものだが、そのとき、画面はにわかに濃厚な赤色で彩られるのである。
『眺めのいい部屋』(1986年 イギリス映画)スチール
監督ジェームズ・アイヴォリー
ピアノを弾くルーシーの表情は恍惚としている。
そしてルーシーの人生を変えることになるジョージとの出会いも、やはり赤色に象徴されている。フィレンツェの広場にたまたま居合わせた二人のまえで土地の男同士の喧嘩が持ち上がり、片方が刺される流血沙汰となるのだ。良家の娘らしくふるまう癖のついているルーシーは半ば義務的に気を失うが、それはどちらかと言えば、自らの世界が永遠に姿を変えてしまったことの衝撃からくる気絶だったのである。目が覚めてからのルーシーは、もはや自分の欲望するままにしか生きられなくなっていた。そして自分の感情をワゴン車に閉じ込めってしまったシェパード婦人とは対照的に、彼女は後悔のない人生を歩むことになるのである。
大野ロベルト
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