第一回 翻訳される旅人
翻訳の醜さがもっとも露骨に浮上するのは、皮肉なことに、翻訳のすばらしさがもっとも燦然ときらめいている類の書物––––すなわち外国語でものされた詩集や物語の訳書においてである。といってもそれは、言葉というものに習熟すればするほど、たとえ外国語を知らなくてさえ直観的に嗅ぎ分けることができるようになる誤訳を見つけた瞬間の、むずがゆい疑惑と、抗しがたい優越感と、なおざりな仕事に対する義憤とがないまぜになったような、あの暗い恍惚のことではない。それも当然、無視すべき事柄ではないのだが、いま問題にしているのは「あとがき」というパラテクストのほうである。
パラテクスト、すなわち主テクストである本文に付随するあらゆる周縁的な、あるいはより正確に言えば「平行的」なテクストのうちで、翻訳書の「あとがき」はしばしば「訳者あとがき」という特権的な肩書きを誇っている。「あとがき」は「あと」に読む。西洋の文学書にあるのはほぼ例外なく Introduction であるが、本文よりも先に読者を作品に「紹介」し、物語の世界へと「導入」するというこの泰西の書物のいささか傲慢な手続きによほど飼いならされているのでもないかぎり、わざわざ出発前に模範的な道筋で目的地までの経路を示した地図を読み込んで、せっかくの秘境の余白を縮めようとする野暮天もいないだろう。
「あとがき」は旅を終えたあとの一服の茶のようなものでなければなるまい。それにより旅人は、自分が思いの外、実り多い旅をしたのだと満足することもあれば、自分が歩いてきた道の地下に、想像だにしなかった迷宮が広がっていた事実を知ることもある。いずれにせよ心地よい疲れのなかで旅人は、体力の回復につとめながら、いつかまたこの旅程をなぞってみようと思う。しかも「訳者あとがき」では、それまで永いときをを共にした水先案内人みずからが、その語り部をつとめてくれるのだから、それはあたかも戦友との回想の時間である。
しかし、この戦友がとんだ食わせ物であったことが突如として露見したり、一杯の茶のつもりで干したものが毒人参の煎じ汁であったことにはたと思い当たることも、残念ながらなくはない。なるほど、それは訳者によるそれに限らず、あらゆる「あとがき」や解説について言えることだ。私たちが物語のなかに見出した至宝にまったく気づいていない学者先生や、逆になんともつまらない果実しか見当たらない萎びたな果樹園をようやく抜けたところで、その不毛の地を人類の希望のように礼賛するお鼻の茶色い批評家氏などに出喰わしたときの腹立たしさと言ったらない。だが他ならぬ訳者自身による裏切りほど、私たちの神経を逆撫でするものがあるだろうか? 先ほどまで私たちは全幅の信頼を寄せて、訳者の腰に結わえつけた縄の先を自らの胴回りにしっかりと巻いて、それこそフランシスコ派の僧侶よろしく従順につきしたがっていたのに、密林を抜けるやいなや、先導者はふり返って舌を出し、縄を切って逃げてゆく。取り残された私たちには、振り上げた拳を降ろす相手も、気力もないのだ。
例えば翻訳者のこんな決まり文句がある。
「主人公の名前はデイヴィッドである。日本語ではデビッドという表記のほうが一般的という印象もあるが、実際の発音に近いものを採用した」
デイヴィッド、という名の人物がいるのなら連れてきてもらいたい。唇を噛むデイヴィッドだろうと、唇を合わせるデビッドだろうと、間をとってデヴィッドだろうと、いっそ江戸風のでえびっどだろうと、そんな英語圏の人物が存在したことはかつて一度もない。実際の発音は /ˈdeɪvɪd/ およびその誤差の範囲であり、日本語による表記が行われた時点で、実際の発音は不可能になる。むろん、デイヴィッドが長年の日本滞在の末、もはや自分はデイヴィッドであると信じ込んでいるか、それがデイヴィッドという名を持つ混血の青年(彼を翻訳された人間と呼んでみようか)であるなら話は別なのだが。
そして、もうひとつの決まり文句がこれである。
「今回の新訳に際しては、某氏による優れた先例を大いに参考にさせていただいた」
二度以上にわたって訳されている書物の「あとがき」につきもののこの文句は幾通りにも解釈できるが、どの解釈も、あまり訳者のためにはならない。
まず、第一の解釈。
「この書はすでに訳されているが、以前の訳がよくないので、私がやり直した」
要は自分の方が優れていると言いたいのだから、わざわざ言わなくてもよい、と思ってしまう。
つぎに、第二の解釈。
「最近この作家が注目を集めているので、新訳ということで、話題作りの片棒を担ぐことになった」
時代の要請、という言葉が引き合いに出される解釈である。つまりは復刊するよりも新しく誰かにやらせたほうが、大勢の懐に金が入るわけだ。
そして、第三の解釈。
「私が訳したほうが売れる」
某氏による新訳、ということがその書物の妙味になっている場合である。これはもう、何様だ、言うほかない。もちろん、たいていは旧訳のほうが優れている。
だが、どの翻訳が優れているかということは、実は問題ではない。このような訳者の決まり文句がどうして私たちの神経を苛むかと言えば、それはこれらが「あなたがいま読んでいるのは訳書である」という事実を誇示するような文句だからである。
結論を言おう。私は、翻訳をただ言葉の変奏として愉しみたい。
過日、ある翻訳者が、こんな趣旨のことを述べていたのを目にした。
「旧態依然とした日本の業界で、虐げられている業種も多い。翻訳も待遇が悪いと聞くことがあるが、果たしてそうだろうか。欧米などでは、表紙に訳者の名前が出ないこともざらである」
まさに至言である。ただし、本人が意図したのとは反対の意味において。
なぜロシア文学を英訳した人物や、日本文学を伊訳した人物は表紙に名前が載らないのか。簡単なことだ。誰が訳したかはどうでもよいことだからである。読者は作品を読みたいのであって、読むことにあたって読者が経由する幾重ものフィルターの、そのいちばん最初の、いちばん大きな漉し器を準備したのが誰であるかという情報は、テクストを読み解くうえでのノイズでしかない。
そしてここに、日本という土壌の特殊性がある。西洋とあまりに隔たった文脈の上に、西洋諸語とあまりに隔たった言語をもって自らを位置づけてきた日本人には、翻訳という作業の従事者を度外視するだけの図太さがないのだ。日本人の多くは波にもまれて日本を見失うたびに、西洋の岬に聳える灯台の光を探し、全速力でそこから反対の岸へ泳ぐのである。翻訳者はさしずめ、たまたま日本へ向かって海面を滑ってゆく猪牙舟の船頭だ。その名を呼んで、助けを請わねばならない。
誰しもこんな言葉を耳にし、また口にしたことがあるだろう。
「邦楽は聴くが洋楽は聴かない」
「邦画は観ないが洋画は好きだ」
「読むのは海外文学ばかりだ」
私たちは混乱する。……なるほど音楽に言葉が寄り添うとき、日本語はまだしも聴きとりやすい。だが旋律に言葉の透明度が追いつかないことはままあるし、あとから確認の作業が必要になるならば、それは何語でもおなじであるはずだ。……日本語を話さない人々が登場する映画には、あの字幕というやっかいな代物が這いまわっている。いかに誤りや矛盾を孕んでいるにしても、確かに存在するあの白い蛇によって、映画は翻訳されているのではないのだろうか? ……そして翻訳と言った瞬間に書物の問題に立ち戻らなければならない。翻訳された海外文学が日本文学と峻別されるとき、両者を隔てる障壁となっているのは何だと言うのだろう?
旋律の作り方、撮影の仕方、言葉の紡ぎ方、声、容姿、色、香り、世界へのまなざし……そういったものは、すでに西洋のそれらと交換可能になっているはずではないのだろうか。それでもなお往還を阻止する何物かがあるとすれば、それはやはり私たちが安心して寄り添うはずの故郷、すなわち言語ということになるのだろうか。それはつまり世界をつなぎとめるものとしての言語、世界そのものとしての言語が、常に矛盾を孕み、裏返ってしまうがゆえの隔絶なのだろうか?
不安を抱えながら、私たちは今日も旅に出る。翻訳されることを恐れて。
(第01回 了)
大野ロベルト
【画像キャプション】
「旅は道連れ、とはいうものの…」
ギュスターヴ・ドレ「ドン・キホーテとサンチョ・パンサ」1863年
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■