泣いているこども
遠くでこどもが泣いている
ママの姿が見えなくなったから
酔っぱらったパパが大声で歌い
家が震えるような笑い声を上げるから
こんなに清潔で
いい匂いがするベッドに寝ているのに
誰もかまってくれないから
天井がとても高く感じられるから
泣いても泣いても
ママは来てくれず
パパは上機嫌のままだから
遠くでこどもが泣いている
好きだったひとが去ってしまったから
心から愛していた男が
「もう終わりにしよう」って
そんな簡単な言葉を残して
背中を向けて行ってしまったから
電話番号も
住んでいるアパートも知ってるのに
もう会えないとわかっているから
ほんとうはまだこどもなのに
大声で泣き叫ぶことができないから
遠くでこどもが泣いている
今朝 大切な人が亡くなったから
もう五年も寝たきりで
この日が来るのはわかっていたから
泣かない準備をしていたことを
ふと思い出したから
人が老いて死ぬことの醜さを
思い知らされたから
ちゃんと話をしたのはいつだったろう
五年 あるいは七年前?
もうこどもじゃないんだと思うと涙が出る
遠くでこどもが泣いている
昨日 大きな地震があって
大津波が愛する家族も
家も 思い出のアルバムも
なにもかもさらっていってしまったから
こどものようにたちすくんで
大声で泣いても
なんにも変わらないから
泣けば泣くほど
生きていると
わかってしまうから
夢見ておやすみ
夢見ることはいいことだ
君はニューヨーク・ヤンキースの四番打者で
勝てば優勝が決まる九回の裏
二死満塁だけど
チームは一対四で負けている
絶体絶命のバッターボックスだ
マウンドには帽子を目深にかぶった
剛速球のストッパー
バットを振り抜くと
ボールは満員のファンが待つ
ライトスタンドに消えてゆく
君は歓声に包まれてダイヤモンドを一周する
心やさしい君だけど
今この瞬間だけは
うなだれて肩を落とし
グランドから去っていく人たちのことを
考えなくていい
夢見ておやすみ
そしてまた君の
新しい朝が始まる
夢見ることはいいことだ
君は売れっ子ファッションモデルで
光に包まれたランウェイを歩いている
ほんとうは心細いけど
君を見守り
声援を送ってくれる人たちがいるから
まっすぐ前を向いていられる
もう少しおとなになったら
演技派の女優さんに
毎晩カメラの前にすわって
悲しいニュースと嬉しいニュースを
みんなに伝えるキャスターに
なるのかしら
でも君を愛してくれる男は
ひとりでじゅうぶん
子供はもちろん
たくさんいていい
夢見ておやすみ
そしてまた君の
新しい朝が始まる
君は四十歳
それとも五十をとうにこえた?
もうスポーツ選手にはなれないし
お化粧しなくても美しい
年頃は過ぎてしまったけど
それでも夢見てる
君は十三歳の時に
二十歳になった自分を想像していた
愛する人と抱き合って暮らす幸せを
十八歳の時には四十になり
安定した生活を送る自分を夢見ていた
それはちょっぴり実現できたんだから
五十歳をこえたら
また子供のように夢を見はじめればいい
過去も未来も同じことのように思えるけど
純粋な自分の夢だけが
あしたを作ることを君は知っている
だから夢見ておやすみ
苦しみと喜びに満ちた
新しい朝のために
自転車に乗って
自転車にまたがって
少年はムツカシイ顔で考えている
この道はまっすぐで
このまえタカシ君の
スピードメーターつきの自転車ですっとばしたとき
時速三十五キロも出たんだ
でもつきあたりには柵がある
そこまで行ったら
やっぱ柵を乗りこえなくっちゃね
向こう側にはだだっ広い台地があって
ものすごく古い
コンクリートの家がポツンと建っている
ドアも窓も壊れてるから
探検するにはうってつけ
以前 見たことのないラベルのビンを
そこでひろったんだ
でも今日はひとりだし
それに自転車に乗ってるだろ
とろとろ歩く気分じゃないんだよ
少年は方向を変えて
ペダルをこぎ出す
あっちだよね
とにかくあっちの方角だ
まだ行ったことのない場所があるんだから
ぐんぐんスピードを上げて
たんぼの中の道を進んでいく
カマボコ型の
大きな白い建物が見えてくる
あれはパン工場で
近くを通るといい匂いがする
いつも食べてるジャムパンが
あそこで作られてるなんてびっくりだよ
でもほんとなんだ
小学校の社会見学で見たんだから
ベルトコンベアーに乗って
食べきれないほどのパンが流れてきた
もっとびっくりしたのは
同じクラスのみっちゃんのママが
あそこで働いてたことで
みっちゃんははずかしそうだったけど
尊敬しちゃうな
帰りに一つずつパンをもらって
家に帰るまで食べちゃいけないって先生は言ったけど
できたてのパンを食べたかったよ
でも目的地は
もちろんここじゃない
パン工場は単なる目印
もっと もっと先に行かなくちゃね
この町にはおばあちゃんの家があって
おばあちゃんの弟とか妹とか
とくかくたくさん親戚が住んでいる
だからさっと通り過ぎてしまわなきゃ
肉屋さんのショーウインドウに
メンチカツが山盛りになっている
前に「好きなだけ食べたい」と言ったら
めずらしくママがたくさん買ってくれた
三コ食べてギブアップして
それからメンチカツ嫌いになっちゃったけど
お腹がすいてる今なら食べられそうだ
「あら どうしたの? 一人なの?」
振り向くと知らないオバサンが
怖い顔でじっと見つめている
「もうすぐ夕方よ 早くお帰りなさい」
少年は全力で走り出す
心臓がバクバクしてる
でも今日はこれでじゅうぶん
もっと遠くまで行くのはまた今度
でもあのオバサンは
どうして僕のことを知ってるんだろう
ママに電話して言いつけたりしないかな
自転車をおりると少年は玄関を開け
「ただいま!」と大声で叫んだ
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■