* 1779年版『百科全書、あるいは科学、芸術、技術に関する体系的事典』。
花―。紅葉。月や雪と共に見る花。風情がある者もない者も、風流を理解する者もしない者も、等しく美しく思うだろう。
月―。その美しさはなおさらである。幽かな夕方の月も、明け方の心細い月も、季節や場所を選ばない。だがとくに秋や冬の、月の明るい晩は、誰しも心が澄みわたる。過去・現在・未来、あるいはまだ訪れたことのない遠い土地にまで思いを馳せるのはこのようなときである。王子猷は独りで月を見る寂しさに耐えかね、長い道のりを越えて友の戴安道を訪ねた。弄玉は秦の指導者の娘であったにもかかわらず、簫の音に見せられて楽人と結婚したために世間の笑い者になったが、夫と共に月を眺めながら簫を吹き続けるうちに天に招かれた。何しろ月は勢至菩薩の化身でもあるから、闇に迷ったときの導き手なのだ。このように美しい光が、汚れの多い末世にまで残っていることは有難い。だからこそ、わかり合える友と一緒に眺めたい。
文―。『枕草子』ですでに述べられていることだが、手紙はすばらしいものだ。遥かに離れ、何年も会っていない人であっても、手紙を見れば、まるでいま面と向かって話しているような心地がする。それどころか、直接には伝えにくい心のひだも、手紙であれば書きつくすことができるのだ。それに、所在ない気持のときなど、昔にもらった手紙や、亡くなった人からの手紙を取り出して読むのも、その当時の気持が蘇ってきてよろこばしい。濡れたような墨は、まるでいま書かれたばかりのようだ。実際に会っているときの感情はその場限りであっても、文に記された心は永遠なのだ。それに、遠い日の記憶も、遠い国の物語も、文字がなければどうして伝えることができるだろうか。
夢―。捉えどころのない、儚いものではあるが、夢の道では昔の逢瀬の相手や、もうこの世にない人とも出会うことができる。藤原彰子も、「逢ふことも今はなき寝の夢ならでいつかは君をまたは見るべき」という歌を詠んでいる。
涙―。無骨な武士にも優しい心を目覚めさせる涙は、表に見えない心の内を明かすものだ。心が感じなければ涙は流れない。醍醐天皇の供をしていた右大弁・源公忠が、ひどく泣いている女性を見て「思ふらむ心のうちは知らねども泣くを見るこそ悲しかりけれ」と詠んだのも、もっともなことだ。
阿弥陀仏―。極楽浄土の主である阿弥陀仏ほど、ありがたいものはない。悪い感情も、世の中の辛さも、「南無阿弥陀仏」を唱えれば慰められる。左衛門督公光という人は、かつて自分の愛人であったのに、心変わりをしてしまった女性とばったりあってしまったとき、ひたすら南無阿弥陀仏を唱えたという。このように現世のこともそうだが、来世のためにはなおさら念仏は大切だろう。
法華経―。すばらしい絵物語も、何度か読めば飽きてしまうもの。しかし法華経は読むたびに、驚くばかりに新鮮な心地がする。法華経と出会えたことは、まさに人間として生れてきたことの思い出ともいうべき幸せである。これほどありがたい法華経について、何故あのすばらしい『源氏物語』は一言も引用していないのだろう。あの物語が書き漏らしたことといえば、法華経くらいのものであろう。
以上、八つの段落にまとめたのは、「捨てがたきふし」と呼ばれる一節の概要である。女房たちにとってこの八つの項目は、人生に欠くべからざるものであり、価値観の根幹をなすものである。むろん、それぞれの項目に、『枕草子』や『源氏物語』という重要なテクストに加え、和歌、大陸の伝説、さらには経典などが結びついていることを忘れてはならない。いわば八つの項目は百科事典の項目のようなものであり、そのそれぞれに、より範囲の広い連想を促す小項目が内包されている、というわけである。
ところで一般的な意味での百科事典の祖は、ディドロ、ヴォルテール、ルソーといった十八世紀の知識人たちが、あらゆる事柄を網羅すべく編んだ知のアンソロジーであった。知識を項目ごとに整理し、それをアルファベット順に並べるというこの試みは、他ならぬ言葉によって世界を理解しようとする姿勢の現れであり、まさに啓蒙思想の集大成とも言える。けれども、世界をどう分ければいいのだろうか。美、愛、音楽、などといった大項目が設けられたが、果たしてそれは正しいのだろうか。またある執筆者にとっては重要な事柄が、別の執筆者にとってはどうでもよいこと、という場合も少なくない。こうしたわけで、百科全書派と呼ばれる人々のあいだでは論争が絶えなかったのである。(写真は1779年に完結した、本文36巻、図版3巻からなる版。)
女房たちの挙げた八つの項目も、彼女たちの百科事典を構成するものとして捉えることができる。ただし、この場合は「百科辞典」と呼ぶべきだろう。誤字ではない。「百科辞典」とはウンベルト・エーコが『記号論』で提出した用語であり、ある言葉や記号から私たちが意味を生成する範囲を決定するもの、とされている。例えば、特定の業種の人間が使う符牒や、海賊船の上、刑務所の中といった場所で通用している俗語の多くは、その領域に属していたことのない人間には容易に理解できない。それは、彼らの「百科辞典」を共有できていないからである。同じエーコが『物語における読者』で補足しているように、あらゆるメッセージは受信者の側に、発信者が想定した文法能力を要請するのだ。
だが『無名草子』に登場する女房たちはもとより、当時の日本において文学に親しんでいた人々について考える場合、事態はある意味ではるかに単純と言える。何故なら教養ある貴族であった彼らは、『古今集』以降の勅撰集、『伊勢物語』などの歌物語、そして『源氏物語』に至るまで、重要なテクストに関してはまず例外なく、その知識を共有していたからである。連載の第二回でも見たように、当時の文学を支え、かつ特徴あるものにしていたのは豊かな間テクスト性であったが、このことはまた、文学の知識を共有するということが、そのまま文学ならびに当代人の思想発展を促す要であった事実を裏書きしてもいる。つまり女房たちは、おそらく他のどの時代のどの文化と比較しても遜色のないほどに「百科辞典」の共有に成功していたのである。それは理性の結晶であろうとする百科全書とは異なり、より有機的な、開かれた辞典であった。だから女房たちが議論の皮切りに挙げた八つの項目は、なるほど価値観の中枢をなすにふさわしい事柄として、多くの読者に親しく呼びかけたと考えられる。
とはいえ、女房たちにとって捨てがたいとされた事どもは、異なる時代や文化においても、やはりそれなりに普遍的な価値を持つ表象であると言えるだろう。例えば夢、涙、花は、百科全書派の人々に続いて巷間を賑わせたロマン派や象徴派の文学者たちにとっても、欠かすことのできない記号であった。
そういえば、西洋文学への憧れを強く持ちながら、なおかつ日本語の伝統への意識を堅持し、おそらく一般に考えられているよりもはるかに古典に精通していたであろう太宰治に、「ア、秋」という作品がある。それは詩人のノートを公開するという体裁の、読者の窃視願望を見事に満たす掌編であるが、この詩人の書斎はちょっとした「百科辞典」になっており、まず「あ」の大項目を付された引出しの中に、「愛、青、赤、アキ」などそれぞれの小項目のノートが保管されているのである。「秋」のノートには、以下のような語句がひしめいている。
トンボ。スキトオル。
夏ハ、シャンデリヤ。秋ハ、燈籠。
コスモス、無残。
(太宰治「ア、秋」)
いずれも一読して秋を思わせる片言である。私たちはそこにヴェルレーヌやランボーの影を認めるかもしれない。だが、『無名草子』の女房たちが敬愛した『枕草子』の存在を無視することはできないだろう。「山は」「草の花は」などの章段で明らかなように、名詞から連想を引き出すという意味生成のプロセスこそ『枕草子』の骨子であり、その手法は太宰治にとっても十八番であった。
女房たちが八つの項目を挙げることで彼女達の世界をいわば再構築してしまったのも、まさにこのプロセスによるのである。その世界は芸術への愛と、宗教に縁取られた存在論的な関心との間で均衡を保っているように見える。だが実際には、その両者は文学という大きな枠組の中で同居している、と考えるべきだろう。少なくともここから先、女房たちは経典をほっぽり出す、とまでは行かないまでも、男女の心があやなす物語の世界にすっかり夢中になるのである。
大野ロベルト
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