ファン・ゴッホ
フィンセント、僕らは君の作品が大好きだ
毎年のように東京で君の絵の展覧会が開催されている
今年はガラスウオールの曲線が美しい
黒川紀章設計の国立新美術館が会場で
ポップスターがテーマ曲を作って歌い
美術館内にあるレストランでは
有名シェフが君の絵に触発された料理を出している
まるで極東の島国の僕らまでが
君を失意の内に自死させたことを深く後悔し
その失態を取り返そうとしているかのようなお祭り騒ぎだ
僕が初めて本物の君の絵を見たのは十九歳の夏で
厚塗りのアイリスの紫色と
鮮やかな葉っぱの緑色にひっくり返るほど驚いた
例によって僕は自分で君を『発見』したように有頂天だったけど
大学に入りデュシャンだボイスだと背伸びするようになると
君と印象派の画家たちの絵から次第に遠ざかっていった
でも最近になって僕は
また君たちの絵の前に戻って来たよ
今度の展覧会では君が自分の耳を切り落とした
南仏アルルの黄色い家の寝室が再現されていた
惨事があったからではなく
そこは元々とても危険な場所だ
僕だって君の絵が大好きだけど
売れるはずのない自画像がイーゼルに立てかけられ
まだ乾ききっていない絵の具の匂いが漂う君のアトリエには
できれば足を踏み入れたくない
そこでは全てが未完成で混沌としている
君が君自身になるためには
君の作品はアトリエを離れなければならない
そしてそれらは最後に墓場のように清潔な美術館に運ばれて
僕らはそこで君の絵を残酷なほど安心して鑑賞できるんだ
もちろん君だってそんな穏やかな心で
自分自身の絵に向き合いたかったはずだ
君も、仲違いしてしまった友人のゴーギャンも
どこにも影のない明るい場所を探し求めていた
天から降り注ぐ光が地上の万物を肯定し
色が光そのものであるかのような絵を生涯追い求めた
フィンセント、君の苦悩ばかりを強調するのは良くないね
極東には散歩と草花が大好きだった英国帰りの老詩人がいて
「おばあさんはせきをした
ゴッホ」
と詩に書いた
僕らの国の言葉では君の名前は咳払いの音に似ている
老詩人は散歩の途中で
君の絵の複製が掛かる座敷に
お婆さんがひとりで座っているのを見たのかもしれない
* フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』(一八八九年)。引用の詩は西脇順三郎『海の微風』最終部
吉祥寺に南桂子展を見に行く
二〇一一年三月十一日の横浜は晴れで
風が強かった
古い団地のサッシは風でガタピシ鳴るから
「うるさいなぁ」と思いながら仕事をしていた
大きな地震だと気づいて外に飛び出していた
命の危険を感じたというよりも
狭い部屋にいることへの本能的な恐怖からだったように思う
部屋に戻ると玄関に掛けてあった野村清六の絵が落ち
ガラスが粉々に砕けていた
本棚は倒れなかったが
本が床一面に散らばっていた
被害といえばその程度だが
テレビをつけると大津波のライブ映像が飛び込んできた
「逃げて 早く」とテレビに向かって何度もつぶやいた
そんなことをしたのはあの日だけだ
夜には福島第一原発で電源全面喪失のニュースが流れ
三月十二日と十四日には原子炉建屋が水素爆発で吹き飛んだ
あの日からもうだいぶ経つけど
復興は遅々としている
原発事故の終熄までには数十年
数百年がかかるだろう
日本は二十世紀の半ばに大きな区切りを経験した
昭和二十年八月十五日を境にすべてが変わり
文学の世界では戦後文学と呼ばれる大きな潮流が出現した
でも敗戦の衝撃は数日しか続かなかったと言った人がいる
それは恐らく正しいのだと思う
僕がテレビを呆然と見続けたのは大震災から一週間くらいだ
その後には復活への足掻きが
精神の格闘が始まっている
去年の爽やかな秋の一日に
吉祥寺に南桂子展を見に行った
南の夫の浜口陽三の作品は学生時代から知っていたが
彼女のエッチング作品をまとめて見たのは初めてだった
南は僕と同じ富山県生まれで
高岡市の素封家の出身である
終戦直後に上京し
離婚して浜口の妻になった
前夫との間にもうけた女の子を郷里に残して
終戦がなければ
南があの保守的な風土から飛び出そうと決心できたかどうか
南の作品はさみしくどこか懐かしい
そよ風の音と
子供たちの内緒話が聞こえてくるような絵だ
でもそれは大きな時のうねりを経験している
僕は彼女のような画家と絵が好きだ
僕たちの時間は途切れながらも続いてゆく
皆さん今年は良い年でありますように
心から
* 南桂子作『テーブルと二人の少女』(一九六五年)
貯水池
帰る場所があるのはいいことだ
玄関をあけると家の匂いがして
いつも変わらぬ父や母や
姉の姿がある
ときどきうっとうしいこともあるけど
離れて暮らすようになった今では
それももう気にならない
実際に帰省して顔つき合わせても
ほんとのところ
あまり話すことはないんだ
「うん」とか「ふうん」と言いながら
いっしょにテレビを見たり
ご飯を食べたりしている
子供の頃
実家の近くに広大な社宅があった
同じ形をした平屋が建ち並んでいた
そこに数人の同級生が住んでいた
遊びにいく時は
Aの8とかDの9とか
プレートをちゃんと見ないと間違えてしまうほどだった
学校がおわると子供たちは家に帰っていく
友達はたくさんいたはずなのに
なぜか「バイバイ」と手をふって
社宅の方に走っていく子たちの後ろ姿ばかり思い出す
彼らには共通の家があって
僕だけ取り残されてしまうような心細さを感じていた
昨日大人になって知り合った友達が
おたまじゃくしの絵の写真を送ってくれた
『おたまじゃくしうじゃうじゃ』とか
『うじゃうじゃおたまじゃくし』とか
そんな楽しいタイトル
密集して
ケンカしながらでも肌ふれあって
いっしょにいるのは心地いい
草間彌生さんの絵もそんな感じかな
少女とかお花とか水玉が
うじゃうじゃと描き込まれている
でも彼女の絵の中には
押しあいへし合いしている世界を
意地悪とも優しいともいえない冷たいまなざしで
じっと見つめている目が必ず存在している
団地の真ん中には
ポプラ並木で囲まれた貯水池があって
大きな雷魚が住んでいた
大人たちが水を抜いて池を掃除するときに
僕も何度かその姿を見た
灰色の身体をくねらせ
大きな口を開けてパクパクさせていた
べつに迷信なんてありゃしなかったけど
バケツから尾を飛び出させていた巨大なそいつは
掃除がすむと必ず池に戻された
バシャッと水を飛び散らせて
すーっと水の中に消えていった
誰だって仲間はずれになることが
ひとりぼっちになっちゃうことってあるだろ?
友達は家にいたけど
誰も遊んでくれなくって
「今日は遊べないよ」って断られて
僕は貯水池のそばの
草むらの上に座っていた
風が強い日で
池の上に風が吹き付けると
白い水しぶきがさーっとあがった
僕はあの雷魚が好きだった
あいつはなぜかいつも一匹だった
毎年巨大なあいつしか捕まらなかった
僕らの不安というものは
貯水池の上を吹く風のようなものだと思う
表面は波立つけど
水の中は静かなんだ
帰らなきゃね
僕の家に
僕が必要とされている場所に
半ズボンのお尻を払って立ち上がり
水際を見ると
数匹のおたまじゃくしが
肩寄せ合って
静かにじっとしていた
* 草間彌生作『愛はとこしえ』(二〇〇五年)
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