第十一回 溶けない道の固さ
『光の旅人K-PAX』(2001年 アメリカ映画)ポスター
監督イアン・ソフトリー
人生は旅である、という比喩は、下手な人間の口から出れば凡庸この上ない駄句にもなりかねないが、なかなかどうして、否定できない真実を含んでいる。例えば文学であれば、古典の和歌集には羇旅歌として旅の歌を扱う部立があるし、西洋では悪漢小説や騎士道物語、そのパロディとしての『ドン・キホーテ』、『マノン・レスコー』やヴォルテールの諸作品など、文学が近代性を獲得しはじめてからロマン主義の隆盛する時期にわたって書かれた作品の多くにおいて、主人公の旅程を軸に物語が展開されるのが常であった。
文学史はさておくにしても、さまよえるユダヤ人の伝説ではないが、われわれの世界では常に誰かが旅をしていることは言うまでもない。もっと見方を広げれば、ある地点から別の地点への到達という意味において、およそ表現と名のつくものは(たとえ円環構造を持っているとしても)すべて旅の有様を描いたものである、と断言しても差し支えあるまい。
とくに映画という表現においては、ある出来事の展開を静止した画面の連続によって捉えるという性質上、この特徴がどうしても強くなる。SFの長寿シリーズ「スター・トレック」のように広大な宇宙をひたすら旅するようなものはさすがに野放図に過ぎるとしても、地球にやって来た宇宙人(と主張する主人公)が故郷の星へ帰るまでを描いた「光の旅人K-PAX」(2001年、米)などは、宇宙規模のロードムービーとしても成立するだろう。
そういえばSF映画における宇宙船の飛行が必ずと言ってよいほど光の軌道によって跡づけられ、ワープ航法に至っては光のトンネルが描写されずにいないという事実も、このことを証明している。というのもロードムービの醍醐味は、何よりどこまでも続くアスファルトの道と、踊り狂う蛇のように飛び去ってゆく白や黄色の車線である。シカゴとサンタモニカを結ぶルート66をどこまでも、というのは旅のひとつのステレオタイプでさえあるが、スタインベックの『怒りの葡萄』とその映画化(1934年、米)に描かれているように、アメリカ西部の近代化に欠かせない大動脈であったこの道路は、季節労働者にとっては絶望の道でもあった。だがデニス・ホッパーが監督・主演した「イージー・ライダー」(1969年、米)に端的に現れているように、中産階級の天下になった戦後には、むしろ退屈な日常から脱出するための「蜘蛛の糸」であったのかもしれない。冒険は求めるが舗装された道路は欲しい、というところにいかにも現代人の軟弱さが見てとれる、などと言うのは辛辣に過ぎるだろうか。
『イージー・ライダー』(1969年、アメリカ映画)スチール
監督デニス・ホッパー
旅という概念は普遍的である。だからこそ、あえてロードムービーであることを前面に出して映画を作ることは難しい。主題ではなく外形をロードムービーと設定してしまうことで、表現が大きな束縛を受けるからである。例えばルイス・キャロルのアリスを下敷きにした「ローズ・イン・タイドランド」(2005年、英・カナダ)や、個性豊かな家族の再生を描いた「リトル・ミス・サンシャイン」(2006年、米)などは、独特の世界観が魅力と言えなくもないものの、まさにロードムービーという形式によって物語が窮屈になってしまっている印象が拭えない。また実在のバイク狂の老人を描いた「世界最速のインディアン」(2005年、ニュージーランド・米)はアンソニー・ホプキンスの存在感もありほのぼのとした佳作だが、やはりロードムービーであることが強調されすぎているために冗長になってしまっている。このように決して豊作とは言えない状況であってみれば、現代においてロードムービーという言葉が、ほとんどの場合において低予算のナンセンス・コメディーを指すという現実もむべなるかなである。
だがロードムービーと銘打たれていない、言ってみれば潜在的な、あるいは本質的なロードムービーのなかには、確かに傑作もある。例えばフェデリコ・フェリーニ監督の「道」(1954年、伊)である。この映画は題名の通り、頭の弱い娘ジェルソミーナと、旅芸人ザンパノの道中を描いたものだ。家計を助けるためザンパノの助手になったジェルソミーナは、唯一の連れ合いであるザンパノを慕い、精一杯に尽くす。しかし孤独のなかに生きるザンパノは感情を言葉にすることができず、結局はいつもジェルソミーナを迫害してしまう。それでも二人は長く旅を続けるが、ある事件をきっかけについに別離することになる。ここに描かれているのはジャン・コクトーが視覚化したそれとはまた違う一対の「美女と野獣」であり、人生という旅にさまよう一対の苦難する魂である。
『道』(1954年、イタリア映画)スチール
監督フェデリコ・フェリーニ
ところでジェルソミーナを演じたジュリエッタ・マシーナが、その身体表現の巧みさから「女チャップリン」と呼ばれていたことは興味深い。思えばチャップリンの名作の数々もまた、珠玉のロードムービーと言えよう。代表作の多くは去ってゆくチャップリンの後ろ姿で幕を閉じているが、それは映画が終わっても旅を続ける主人公と、映画を観終えて自分たちの旅のつづきに出発する観客の、二重になった後ろ姿なのである。
『モダンタイムス』(1936年、アメリカ映画)スチール
監督チャーリー・チャップリン
道は映画にとって脇役ではあるが、移動の観念を視覚のみならず聴覚によっても表現することのできる優れた演出家でもある。例えば時代劇の類であれば、土埃をあげながら急いでいた馬車がカポッカポッ、ガラガラガラと蹄や車輪の音を響かせるようになれば、観客はそこで舞台が文明の及ぶ城下町に切り替わったことを察することができる。パリでもロンドンでもヴェネツィアでも、偉大な都市は必ずと言ってよいほど石の道を敷き、まるでそこから生えたように見える、やはり石の、威容を誇る建築によって、その栄華を訪れる者に見せつけるのだ。
『レ・ミゼラブル』(2012年、イギリス・アメリカ合作)スチール
監督トム・フーパー
革命によって、石畳の所有権は王から市民の手に渡る。
石の道の使った演出として象徴的なのは、トーマス・マンの小説『ヴェニスに死す』を巧みに書き換えたルキノ・ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」(1971年、伊・仏)で、初老の作曲家アッシェンバッハが宿命的な美少年タジオと視線を交わす場面であろう。半ば恍惚のうちにタジオの影を追い求めるアッシェンバッハは、あくまで回廊から伸びた遊歩道から降りることはないが、まだ文明に囚われていない自由な少年であり、誘惑者であるタジオは、野性のままに砂の上を歩いている。登場人物がそれぞれに歩く人生が、ここでは文字どおり地面によって表象されているわけである。
『ベニスに死す』(1971年、イタリア・フランス合作)スチール
監督ルキノ・ヴィスコンティ
文明と石の道の関係は、古代ローマでアッピウスの指揮により整備された「街道の女王」、アッピア街道にまで遡る。道なき道を人間の手によって整備し、街と街とを接続することは、そのまま人類の勢力が神によって作られた世界の上で拡大してゆくことを意味した。だがむろん、ルート66と同じく、その実利的な重要性は計り知れない。雨が降ればたやすくぬかるみ、人馬が立往生してしまうようでは、とても円滑な資源の交通は望めないのである。
かくして西洋の都市はつぎつぎと石で固められることとなったが、現代人の目から見るとこれは一長一短でもある。丸みを帯びた石を敷き詰めた石畳などは、凹凸のない道に慣れている軟弱な現代人には決して歩きやすいとは言えないのである。とはいえ観光資源の一部となるとまさか引き剥がすわけにも行かない。私もロンドンに滞在中、むやみに膝が痛くなったが、それは天候や節約生活ゆえの栄養不足のみならず、方々に広がる石畳のせいでもあったと思っている。
ところで形而上絵画で知られるデ・キリコの作品にも、石がこれでもかとばかりに登場する。矩形に区切られた、耳の痛くなるほど静かな空間はたくさんのアーチを持つ石造りの建物で構成され、地平線まで拓けている地面はというと、こちらはどこまでも乾いた、のっぺりと固められた土である。しかもその土の上にはこれまた石で作られているのであろう神像の類が、石であるにしてはあまりに柔らかく溶けている。それはおそらく記憶のなかの、精神のなかの幾何学的な石なのだ。
ジョルジュ・デ・キリコ「占い師の報酬」1913年 フィラデルフィア美術館蔵
前々回にも取り上げた石と文明の問題に話が戻ってきたところで、私の記憶も、またしてもT先生のもとへ舞い戻る。というのも先生はデ・キリコがとくにお好きであったようで、私は学部を卒業したあとに、この画家を特集した展覧会場で先生に再会したのだった。奇縁と言うべきか、再会はその一度だけではなく、あちらこちらの美術館で幾度か繰り返され、ついにはさすがの先生も苦笑され、「君も好きだねぇ」とおっしゃったのであった。もっとも最後にお会いしてから、すでに十年ほどになる。
大野ロベルト
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