第六回 兄弟たちの言葉
育った家の目と鼻の先に、プーク人形劇場という芝居小屋があった。施設の由来はもちろん同名の人形劇団である。昭和四年、旗揚げの頃は「人形クラブ」といった。英語なら The Puppet Club となるが、彼らはエスペラント語を好み、La Pupa Klubo を正式名称とした。プークはその頭文字である。
初期の団員たちはプロレタリア演劇運動の一翼を担っていた。ブルジョア的価値観と軍国主義を批判し、理想的社会の実現のために団結した。劇団の名にエスペラント語を選んだ背景も当然ここにある。エスペランティストの目的は、国籍、人種、政治、言語の壁を越えた多様性の獲得であった。
日本にも根っからのエスペランティストは少なくない。侍の子に生れ、クエーカー教徒の農学者となり、渡米先で現地女性とのあいだに遠益(トーマス)という息子を儲けるもすぐに喪い、いまだ読み継がれる『武士道』を著した新渡戸稲造もその一人である。あるいは、質屋に生れ、国柱会に入信し、生涯のほとんどを岩手で送りながらも、イーハトーブと名づけた理想郷に魂を投影していた宮沢賢治も、その生き方からしていかにものエスペランティストであった。そういえば誰でも一度は飲んだことのあるヤクルトもエスペラント語で、その語源はヨーグルトと同じだが、これも菌の発見者である代田稔が、世界人類を健康にしようという壮大な夢をエスペラント語に託したからこその命名である。
ただ現代の私たちにとって、エスペラント語はどちらかといえば便利な名詞を揃えた名付けのための引き出し、と言ったほうが近いだろう。「卵」を意味するオーヴォとか、「オアシス」を意味するオアゾなどという言葉は、いろいろな施設や商品の名に使われている。エスペラント語なら特定の言語に結びつかないから不必要に文脈に縛られることもないし、どこの言葉でもないということが、すでに冒険心をくすぐって耳に心地よい気がする。
とはいえ、それはやはり錯覚であろう。エスペラント語が本当に人類という兄弟のための理想的な言語であるとは、どうにも思えないのである。
まずは歴史のおさらいをしておこう。ユダヤ系の眼科医であったルドヴィコ・ザメンホフは、ポーランドのビャウィストクという都市に誕生した。あらゆる思想と同様、エスペランティズムの発生もこの土地の特性と無関係ではない。つまりビャウィストクにはユダヤ人の他にロシア人、ポーランド人、ドイツ人がおり、彼らはいずれも異なる言語を話し、お互いに歩み寄ろうとしなかった。外科医でなく眼科医になったのは血が苦手だったからと言われるほど気弱であったザメンホフが、通わぬ心のために流れる血をどうにかして止めようと思ったことは当然であろう。
そこでザメンホフはまずラテン語の復権を提唱した。ビャウィストクで話されている四つの言語はもちろんのこと、フランス語、ギリシャ語、ヘブライ語、英語にも通じていた彼にとっては、ラテン語など朝飯前であった。しかし市井の人々にとっては必ずしもそうではない。仕方なくザメンホフは方向を転じた。自然言語の一つを共通語にするのではなく、補助的な言語として人工言語を作り上げるのである。文法は英語のように簡単なものがよい。人称変化をせず、接頭辞と接尾辞でいくらでも裾野を広げてゆけるような言語にしたらどうか。
言語の構造が固まると、ザメンホフはさっそく旧約聖書とシェークスピアの翻訳に着手し、この生れたばかりのホムンクルスを懸命に育てあげた。そして義父の経済的援助によって、第一の学習書である『最初の本』が出たのが1887年のことである。こうしてエスペラント語の種はまかれ、現代では百万人から二百万人の話者を持つ、世界最大の補助語となっている。
おとぎ話であれば、ここで書くのをやめてもよい。だがおかしなことがたくさんある。エスペラント語を鍛えたものは旧約聖書というユダヤの聖典と、シェークスピアという、この言語にヒントを与えた英語の古典であった。そして『最初の本』が世に出たとき、それは学習書である以上、少なくともバイリンガルでなければならなかったが、最初の版はロシア語であった。つまりロシア語を通して学ばれる、砂漠の神の物語と、英国ルネサンスの演劇を語り直すことで調整を施された、ロマンス語とゲルマン語とスラヴ語の混交物こそ、世界共通語の正体だったのである。だが右の条件のどこに人類の最大公約数が秘されているというのだろうか。いくら後継者たちによって改良がほどこされ、あらゆる文化がそこに流入し、特定の文化の特徴が薄まってゆくことになっても、第一歩の痕跡はぬぐえまい。そうであるならば、例えばフランス語のような自然言語をひとまず共通語と見なしたところで、何も変わらないのではないだろうか。
と言うのは、この民族はフランス語を人類の言語と見なしているからだ。古代ギリシアの陽気な小民族は唯一自分たちの方言だけを人間の表現手段と見なし、他は全部野蛮な犬の吠え声・赤子の喚き声と見なしたらしいのだが、私が思うにフランス人はそれと同じである。
(マン『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』岸美光訳)
フランス語など使ってなるものか、とフランス語話者以外の人々、とくにフランスという国に対してよからぬ思いを抱いている人々は言うだろう。つまり特定の国の公用語を使うということは、その国の存在感を認めることを意味する、と彼らは考えるのだ。世界中の人々が(例え国際会議の間だけであっても)フランス語を使えば、人類の意思はつねにフランス語で宣言されることになる。エスペラント語であれば、その心配はない。なにしろエスペラントなどという国家は存在せず、エスペラント人もいないからだ。
この事実に感服するというのなら、やはりここで書くのをやめてもよい。だがここにこそエスペラント語の最大の問題がある。国家がなく、文化がないということは、その言語には心がないということになりはしないだろうか。すぐに思い当たるのは俗語である。雅俗の観念がそもそも存在しないエスペラント語には、本来的に俗語がない。俗語がないということは人々の生活もなく、度外れの喜怒哀楽も、野放図な快楽もないということである。
例えば金がある。「金」と言うのも柄が悪いので「お金」と言うが、内心では「銭」である。仕事で行けというなら顎足つきでないといやだ。しかしお金は足が速いからすぐに出て行く。足が出ると首がまわらない。天下のまわりものということに世間ではなっているがあまりまわってもこないようだ。雀の涙ほどのお給金をいただいて、欣喜雀躍しながら人は生きてゆく……。ところがどうだ、エスペラントではみんな「金」であろう。ただ等価値の物品や時間と兌換されるだけの貨幣である。
実際、エスペラントの擁護者たちは共通の貨幣をも夢想している。最初に登場したスペソという通貨は第一次大戦で頓挫した。戦後はスペロと名前を変えて、ごくわずかな理解者の間で金券や硬貨が流通したが、一九九三年についに消滅している。もっとも人類は近年、実体のない貨幣で火遊びをすることがめずらしくなくなったから、その意味でエスペランティストには先見の明があったのかもしれない。だがユーロでさえ明日には不穏な貨幣となるかもしれない世の中で、国家に連結され得ない貨幣を信用するお人好しはいないだろう。いや、エスペラントは国家ではなく思想に連結しているのだから、むしろもっと危険である。気に食わない政治体制の国には貨幣を分配しない、などということになりかねない。
なるほど考えてみれば、エスペラント人は存在するのである。しかも彼らは意外なほど排他的だ。話者が増えるにしたがって、この言語にも徐々に感情的な言葉が胚胎するようになった。エスペランティストもその理想とは裏腹に、人を罵倒したくなるときがあるのだ。
問題はその罵詈の内容である。例えば bonantagulo という言葉がある。訳せば「こんにちはさん」とでもなろうか。要は「馬鹿」ということだが、つまりエスペラントの世界においては、「こんにちは」程度のエスペラント語しか話せない人間は馬鹿なのである。同様の言葉に kielvifartasulo がある。こちらは「ごきげんいかがさん」であって、以下同様の侮蔑語だ。どうもこの世界では言語習得の度合いにおいてしか知性を測れないらしい。とどのつまりは eterna komencato すなわち「永遠の初心者」である。何年エスペラント語を学んでも上達しない人間は、救いようのない大馬鹿者ということになる。
とはいえ馬鹿さかげんを笑っているうちはまだよかった。さらに不可解なのは flavulo、blankulo、nigrulo の三つである。字面で判断のつく向きもあるだろうが、「黄色人」「白色人」「黒色人」を意味する。肌の色は無関係であったはずのエスペラント語に、人を肌の色で区別する言葉が歴然と存在していることが、この補助語の限界を物語っている。もちろん、それが補助語の宿命であることは言うまでもない。人間が差別をする生きものである以上、差別のできない言語では補助語にはならない。喜怒哀楽は隠しおおせても、異なるものへの恐怖までを封じ込めることはできないのだ。
と、ここまでさんざんエスペラント語をこきおろしてきたが、もちろん結果としてこきおろされてしまうのは言語ではなく人間のほうである。象徴的な事実を挙げよう。ザメンホフには子供が三人いたが、いずれもホロコーストの犠牲になっている。ヒトラーにしてみればエスペラント語など、世界中に散らばったユダヤ人が連絡を取り合うための策謀に他ならなかったのである。もちろん世界中の人間がしゃべるべき言葉はエスペラント語などではなく、第三帝国のアーリア人種の言葉であるドイツ語に決まっている。
その後もこうした補助語の試みは、朝露のように、ふと結んでは消えていった。例えばロマンス言語を寄せ集めた結果、単純明快という意味で英語に近づいたインターリングアがある。エスペラント語を改良すべく創始されたイド語もあるし、そこからさらに枝分かれしたノヴィアルもある。英語を削ぎ落としたベーシック・イングリッシュや、ラテン語から難解さという存在価値を差し引いた無活用ラテン語などというものもある。だがいずれも、既存の自然言語からその地位に登りつめた折々のリンガ・フランカを凌駕するほどの勢力は獲得しえなかった。それでもどの補助語も、やはり自分たちがいちばん優れていると確信していただろう。文化を持たない言語に、文化相対主義は期待できない。
さあ、もうやめにしよう。私たちがつねに追い求めるのは文学の言葉である。そして文学における言葉とはとりもなおさず、バベル以前の完全な言語へ立ち帰ろうとする、絶望的な叫びであるはずだ。私たちに必要なのは買物のための貨幣ではなく、意味を交換するための貨幣である。それこそソシュールが言葉を貨幣に例えた理由に他ならない。
もしそれでも人工言語について語りたいのなら、今夜あたり夢のなかで、いっそ自然言語として作られた人工言語に目を向けてみてもよいだろう。例えばトールキンが鋳造した妖精たちの言語。私はその言語について遠い目で語る、美しいひとを見たばかりだ。
(第06回 了)
大野ロベルト
【画像キャプション】
「小さき人類の兄弟たち、何語で話しているのやら……」
リチャード・ダッド「お伽の樵の入神の一撃」1855-64年
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