総合文学ウェブ情報誌 文学金魚

私達の故郷は日本語です。金魚屋プレス日本版は、日本語で書かれるあらゆる文学の方向を見極め、私達の精神の行く末を照らす光りを見出そうとするものです。 金魚屋プレス日本版はその光りのすべてを広義の文学と呼びます。

金魚屋プレス日本版代表 齋藤都

田山了一さんのTVドラマ批評『No.161 貴族探偵』をアップしましたぁ。フジテレビさんで月曜9時から放送されているドラマです。相葉雅紀さん主演で武井咲、生瀬勝久、井川遥、仲間由紀恵、遠藤憲一、中山美穂、松重豊さんらが出演しておられます。原作は麻耶雄嵩(まやゆたか)さんの同名小説です。

 

田山さんは『ツッコミどころ満載というドラマは、これはこれでスリリングである。新米女探偵を演じる武井咲は、しょっちゅう音声アシストサービス・ギリ(声は仲間由紀恵)を活用するわけで、インタラクティブな指向が垣間見える。(中略)製作者側の人が、思いっきりツッコミながら見て欲しいドラマにしたいと考えている、ということにしましょう』と書いておられます。確かに随所にツッコミどころがあるドラマですねぇ。

 

 主人公の貴族探偵が自ら事件解決に乗り出さないので、ドラマのクライマックスの謎解き場面はどーしてもセットになる。再現劇中劇だから臨場感や切迫感に欠ける。それを補うツッコミが必要になるわけで、それを生瀬さんが一手に引き受けております。どこまで台本通りなのかわかりませんが、生瀬さんの演技、小劇場です。

(田山了一)

 

田山さんは生瀬さんがいなければ貴族探偵というドラマは成立しないんじゃないかという意味のことを書いておられますが、そういう面はあるかな(爆)。ただま、貴族探偵を見ていても、フジテレビは内向きという感じが伝わってくるなぁ。演者に遠慮しすぎていると思います。相葉さんや武井咲、中山美穂さんらは、ご本人のイメージ通りに近いんだな。ただドラマでは多かれ少なかれ俳優のパブリックイメージを壊さなければ、文字通り〝ドラマ〟にならないと思います。

 

 

田山了一 TVドラマ批評 『No.161 貴族探偵』 ■

 

 

第05金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

第0回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■

 

 

 

 

 

 

 

大野ロベルトさんの連載映画評論『七色幻燈』『第十二回 桃色の夢』をアップしましたぁ。映画の中の桃色について論じておられます。大野さんが書いておられますが、東洋では『桃源郷』のイメージで桃色が使用されています。ただ濃すぎると血になって、バイオレンスとか生命の危機のイメージを喚起してしまうわけで、なるほど色というのは人間精神に直結した大事な表象であります。

 

 もちろんこの場合、ユートピアは常に「ディストピア」に変貌する可能性を孕んでいるということになるが、この映画のメッセージは決して後ろ向きなものではない。ユートピアが字義通りには「存在しない場所」を意味することは周知の通りだが、おそらく私たちの思い出こそ、最も重要なユートピアであろう。たとえ悪によって踏みにじられようとも、幸福な思い出には誰も手出しができないのだ。これはアンダーソンのあらゆる作品に共通する主張と言えるが、小津安二郎の影響と言われる、きわめて定い位置からの定点観測のようなシーンの多用も、観客に安心感を与えつつ、どことなく郷愁を誘う効果があり、監督の人生賛美の哲学に似つかわしい。

(大野ロベルト『桃色の夢』)

 

桃色は東西を問わず、世界のどこでももっと幸せな場所に行きたい、あるはずだという色の表象になっているようですね。じっくりお楽しみください。

 

 

大野ロベルト 連載映画評論 『七色幻燈』『第十二回 桃色の夢』 ■

 

 

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小松剛生さんの連載ショートショート小説『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.031 四の向こうで』をアップしましたぁ。単行準備中の小松さんのショートショート新作です。ん~本を作るのって、版下・印刷はすんげぇ単純な作業でササッと終わってしまひますが、その前が大変なのよねぇ。もちろん作家が〝これはいける〟と自信を持てない作品が読者にアピールするはずがない。でも作品は99パーセント仕上がってからが勝負。99パーセント仕上げて仕事が半分終わったくらいに捉えていた方がよろし。残り1パーセントは客観的に商品にするための作業です。

 

 昔、悲しみは雨じゃなかった。

 悲しみとはちゃんと理由があって湧いてくるものであって、雨のように突然降り注ぐものではなかった。今は違う。理由のある悲しみと、理由のない悲しみの2種類がある。突然わけもなく悲しくなるときがある。わたしの人生はそういう意味ではだんだんと確実に複雑なものになっていっている。

(小松剛生『四の向こうで』)

 

そう、人生はどんどん複雑なものになってゆく。だから小説が必要なんだな。詩のように最初からスコーンと青空に抜けるような小説なんて小説ではありません。地上の様々な重力で地面に縛りつけられている人間が主人公です。僕は、わたしは、いつだって苦しくて辛くて悲しい。小説はそこから始まります。地上の物語をきっちり地上で終えながら、地面から1センチくらい宙に浮いている小説が書ければ成功なのであります。

 

 

小松剛生 連載ショートショート小説 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.031 四の向こうで』 縦書版 ■

 

小松剛生 連載ショートショート小説 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.031 四の向こうで』 横書版 ■

 

 

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大篠夏彦さんの文芸誌時評『文芸5誌』『No.105 文學界 2016年10月号』をアップしましたぁ。岸川真さんの「坂に馬」を取り上げておられます。大篠さんは『中上健次を彷彿とさせるような小説である。物語の力とは、まずは小説を読ませる力、次のページをめくらせる力くらいの意味である』と批評しておられます。まず読まれなければ何も始まりませんよね。時代の変化を考えれば本を読む人が少なくなったのは当たり前のことです。それを前提として、作家の側も読ませる仕掛けや努力が必要になったということです。

 

 誰かはっきり言った方がいいと思うが、創作批評は本当にレベルが低い。最初のうちは面白かったが、もう手の内が透けて見える。小学生の借り物競走じゃあるまいし、オリジナル・コンテキストを無視して思い付きで海外思想をランダムに繋ぎ合わせ、何か言ったつもりになってもムダだ。ポスト・モダニズム時代の初期には何か新鮮な思想を生み出すのではないかと期待されたが、そんな期待はとうの昔に吹き飛んでいる。日本文学には固有の文脈がある。自分で考え抜いた主軸思想を持った上でサブ的に海外思想を援用しなければ、うまく機能しないのは当たり前である。

(大篠夏彦)

 

大篠さん、創作批評を批判しておられます。創作批評とは『批評家が小説をダシにしながら自己の考えを語っている』創作化した批評のことです。大篠さんは『たいていの小説よりも創作批評の方が〝お利口〟に見える。ただそれは幻想だ』と書いておられます。

 

石川も基本的に大篠さんに賛成です。ちょいと前まで一番批評のレベルが低かったのは「現代詩手帖」などに掲載される詩論で、論旨すら通っていなかった。詩人さんたちは、詩的であることを論理を無視して好き勝手に書いていいことだと勘違いしてるみたいですね。でも「現代詩手帖」的評論を読んで、詩を書き始める人はほぼいないと思います。またこの詩的批評は文芸評論にも拡がっている。タームとジャーゴンで煙に巻いていますが、たいていは論旨が通っていない。〝ではないか〟とか〝だろう〟といった曖昧な推測で終わる批評、誰が読みますか。

 

評論というものは基本的に、勉強のために読むものです。読者は評論を読むことで、今までわからなかったことに解答を得る、あるいはその筋道をつかむことを期待している。だから評論家はキレモノでなければならない。この明快なキレモノ評論を書いた上で、プラスアルファがあれば批評家は尊敬されます。まず素裸になって、自分の考えだけで評論を書くことですな。そこからしか批評の復権は始まらないと思います。

 

 

大篠夏彦 文芸誌時評 『No.105 文學界 2016年10月号』 ■

 

 

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岡野隆さんの『詩誌時評・句誌』『No.067 角川俳句 2016年12月号』をアップしましたぁ。ちょいと手厳しい時評になっていますね。岡野さんは『どんなメディアも一長一短があり、理想とするメディア像は作家や読者ごとにまちまちである。ただある作家や作風(いわゆる俳風)が好きなら、結社誌に所属してそればかり読めばいいわけだ。だから商業句誌は結社や同人誌それぞれが主張する俳風の違いを超えてフラットに俳壇を見渡し、理想の俳句像を作家や読者に提示する必要があると思う。(中略)KADOKAWA俳句は〝どこに向かって導いてゆくのか〟、その方向性が見えない』と批評しておられます。

 

岡野さんはまた、『雑誌は編集部の意図通りには絶対に回らない。(中略)そのため実績としても知見としても、信頼の置ける作家を選択し、そこはかとないヒエラルキーを作って全体を統御してゆくしかない。短歌・俳句の世界の場合、結社的党派意欲が薄く、歌壇・俳壇に寄与し得る公的な姿勢を持った作家を選ばなければならない。はっきりメインとわかる作家を置くといろいろ問題が起こるだろうが、それでも歌壇・俳壇作家の多くが「この人なら」と目する作家を重用しなければ、中心がなくなってしまう』とも批評しておられます。

 

石川も岡野さんに同感です。もちろん雑誌は〝雑〟ですから、どんな作家が書いていてもいいし、どんな作品が載っていてもいい。だけど雑誌は生き物でもあります。その時代時代で中心を作っていかなければならない。それは編集部主導ではできません。作家が真ん中に立たなければならないわけで、そこはかとない形であれ、雑誌には中心作家が必要となります。

 

もちろんそのバランスは微妙です。ただメディアが力を持つということは、各時代にセンターとなるような作家を次々に輩出してゆくことでしか実現できないのです。文学メディアの影響力は作家がメインになって作り上げられてゆくものですが、編集部がどの作家を選ぶのかでその社会的評価が出る。みんな平等なんて、実社会はもちろん文学の世界でもあり得ない。文学者は誰もが作品の実力通りに評価されたいと望んでいるわけですから、本質的に実利的しがらみが少ない分だけ、文学の世界の方が実力の評価は厳しいはずなのです。

 

 

岡野隆 『詩誌時評・句誌』『No.067 角川俳句 2016年12月号』 ■

 

 

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高嶋秋穂さんの詩誌時評『歌誌』『No.035 角川短歌 2016年12月号』をアップしましたぁ。第62回角川短歌賞を受賞された佐佐木定綱さんと竹中優子さんが受賞第一作30首を書いておられます

 

君のいぬ部屋には音が足りなくていつもより多く蛇口をひねる

ふたとおりの人間のいる室内はふたとおりの音まとめてひとつ

すれ違う通行人のような日々消えてゆくから君を愛する

ただ平ではなく高さ奥行きがあるアスファルトと知る寝れば

伸びきったまま戻らない電灯のひも思い切り引きちぎる夜

(佐佐木定綱「引きちぎる夜」)

 

高嶋さんは『定綱短歌の骨格は古典的です。(中略)ただ(中略)定綱短歌は現実から微妙な形で抽象に抜けてゆく。(中略)この現実から抽象への抜け方が定綱短歌の最も貴重な点であり期待できるポイントではないかと思います』と批評しておられます。高嶋さんの定綱短歌の評価は高いですね。石川もいい歌人だと思います。

 

詩の世界に限りませんが、こうやって文学の世界は変わってゆくのですな。必ず新しい才能は出現するのであり、その新しさは今現在新鋭や中堅と呼ばれる作家たちにとって都合のいいものではない。むしろあまり歓迎できない場合が多いです。逆に言えば、同じような作風の作家を持ち上げてばかりいると文学の世界は堕落する。

 

いつだってどんな場合だって作家は常に正念場に立っています。同業者の作家はもちろん読者を納得させられるような作品をまとめられなければ、じょじょに作家の影響力は落ち忘れ去られてゆく。本質的には若い人もベテランも同じです。〝アガリ〟の状態なんて絶対ないのです。

 

 

高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『No.035 角川短歌 2016年12月号』 ■

 

 

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岡野隆さんの『詩誌時評・句誌』『No.066 月刊俳句界 2016年09月号』をアップしましたぁ。特集『さらば「萬緑」!』を取り上げておられます。『萬緑』は中村草田男(くさたお)主宰の結社誌ですが、七十二年の歴史に幕を下ろすことになりました。草田男は『降る雪や明治は遠くなりにけり』で知られる俳人です。

 

貝寄風(かひよせ)に乗りて帰郷の船迅し

蟾蜍長子家去る由もなし

思ひ出も金魚も水も蒼を帯びぬ

軍隊の近づく音や秋風裡

降る雪や明治は遠くなりにけり

萬緑の中や吾子の歯生え初むる

冬浜を一川の紺裁ち裂ける

夜の蟻迷へるものは弧を描く

焼跡に遺る三和土や手鞠つく

真直ぐ往けと白痴が指しぬ秋の道

咲き切つて薔薇の容(かたち)を超えけるも

中村草田男

 

岡野さんは『杓子定規に言えば、草田男は虚子「ホトトギス」系の有季定型俳人である。しかし引用の二十句を読んだだけでも草田男俳句がバリエーションに富んでいることがわかるだろう。(中略)新興俳句に代表される大正俳壇が、近・現代俳句の全盛期だったと言われる由縁である』と批評しておられます。

 

また結社誌について『「萬緑」に限らないが、結社誌は次第に師の教えの墨守に傾いてゆく傾向が強い。伝統俳句の作家たちばかりではない。無季無韻俳句でも前衛俳句でも、結局は師と仰ぐ作家の作品や評論を絶対とし、その微細な解釈に明け暮れるのが常である』、『俳句を文学と定義するなら結社は理念が失われれば廃刊になってよい。むしろ理念が見失われた時点で結社を廃止するのが文学者の正しい姿勢だろう』とも批評しておられます。

 

文学の世界に限りませんが、なかなか当初の理念通りに組織を動かしてゆくのは難しいです。ただ譲れない一点で筋を通していかなければ、グズグズになってしまうことも多い。また俳句結社も俳人の組織も永続的に続くわけではありません。現在40代くらいの俳人で俳句系の協会に属している人は少数です。20代、30代では結社離れが進んでいます。現実的利便性を含めた組織理念の見直しが急務でしょうね。

 

 

岡野隆 『詩誌時評・句誌』『No.066 月刊俳句界 2016年09月号』 ■

 

 

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大篠夏彦さんの文芸誌時評『文芸5誌』『No.104 文學界 2016年09月号』をアップしましたぁ。小山内恵美子さんの『御堂の島』を取り上げておられます。小山内さんは確か、三田文學推薦の同人誌優秀作品から現れた作家さんじゃなかったかな。まだ単行本は出てないようですが、文學界さんには年に1回くらい作品が掲載されているやうな。

 

 引用は小説の冒頭の方だが、この箇所に「御堂の島」という作品のストラクチャーは明確に示されている。(主人公の)小夜が行くのは本土から海で遠く隔てられた孤島だ。彼女には痴呆症の母親がいて、ひっきりなしに娘に電話をかけてくる。フェリーで島に上陸しようとしている瞬間もそうだ。目では海と島を見ながら、小夜の心は母親との苦しい世界に閉じ込められている。神聖だが禁忌に満ちた絶海の孤島と、小夜と母親の閉じた関係は相似である。物語は閉じた関係を深めるか、それをなんらかの形で破壊するしか進みようがない。もちろんどちらに進んでも良い。

(大篠夏彦)

 

大篠さんの批評は、昨今文芸誌に掲載される〝創作文芸批評〟ではありません。小説作品をダシにして、批評家のしょーもない思想を語る批評ではないということです。小説はどう書かれるべきなのかを考える、正統派の文芸批評です。作家の思想と小説技術を読み解いて、よりよい小説の姿を模索するための批評だと言ってもいいです。

 

文学金魚は総合文学を掲げており、ジャンルの越境や混淆に寛容です。しかしそれは曖昧なアトモスフィアでは不可能だと考えます。詩人で小説を書き、小説家で詩を書く作家はたくさんいますが、はっきり言えば誰も各ジャンルを本業とする作家の作品に比肩できていません。〝各文学ジャンルの雰囲気をなぞる〟だけではダメなのです。思想と技法の両面からジャンルの本質を捉える必要がある。大篠さんの文芸批評は実践的に役に立つと思います。

 

 

大篠夏彦 文芸誌時評 『No.104 文學界 2016年09月号』 ■

 

 

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金井純さんのBOOKレビュー『絵のある本のはなし』『No.052 『わくせいキャベジ動物図鑑』tupera tupera著(アリス館刊)』をアップしましたぁ。版元の内容紹介には『地球から831光年はなれた銀河のかたすみにある、わくせいキャベジ。黄緑色に輝く星には、ふしぎな生き物たちが住んでいます。ダイコンイカ、ニンジン、トマトン、モロコシギツネ……、惑星に住む28の野菜動物たちを、tupera tuperaさんが美しい絵で再現。特長や生態を解説する絵本図鑑です』とあります。

 

金井さんの評価も高いです。『傑作である。何が傑作といって、想像力が正しい方向を向いている。正しいか正しくないかはどうやって判断するかというと、それが細部にまでおよび、しかも無理を感じさせずに展開しているのならば間違いない』と批評しておられます。

 

 それが本当に子供向けなのか、子供を持つ親の財布向けなのかは、子供の興奮の度合いを見ていればわかる。本書を眺めた子供は、間違いなく冷蔵庫に直行するだろう。野菜室にもしかして、おかしな動物たちがうごめいているかもしれない。そうだとして、それには理由などないのだ。

 理由がない、ということは子供たちを直撃する。あらゆる理由は大人の考えたもので本来、子供には縁がないからだ。しかし理由はなくても繋がりはある。野菜室のキャベツが惑星であることに理由はないが、それが多くの奇妙な野菜-動物を擁するのは、それらすべてが〈新鮮〉であるからだ。

(金井純)

 

優れた書物には新鮮な驚きがあります。『わくせいキャベジ動物図鑑』にはそれがありますね。また読者を驚かせるためには、まず作家の側に、新鮮な驚きに対する繊細な感受性がなければならないのは言うまでもありません。これは絵本でも他の著作でも同じだな。驚きに対する感受性が鈍らない限り、作家は読者を惹きつけることができると思います。

 

 

金井純 BOOKレビュー 『絵のある本のはなし』『No.052 『わくせいキャベジ動物図鑑』tupera tupera著(アリス館刊)』 ■

 

 

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山本俊則さんの美術展時評『No.074 『草間彌生 わが永遠の魂』展』をアップしましたぁ。国立新美術館で開催されている草間彌生展の批評です。山本さん大絶賛です。

 

 文句なしに素晴らしい展覧会だった。青臭いことを言うと、生きる勇気、世界を前向きに肯定して生きてゆく勇気をもらった。それなりに長い間美術展を見ているが、すべての美術展が素晴らしいわけではない。今回の『草間彌生 わが永遠の魂』展は今まで見た美術展の中で三指に入る素晴らしさだった。『わが永遠の魂』展を見た人は幸せだ。これからずっと「あの展覧会は良かったね」と言える。苦しく悩み多い時に大好きなポップ・ソングを口ずさむように、草間彌生の、光の中を真っ直ぐに歩いて行くような魂の絵画を思い出すことができる。

(山本俊則)

 

草間彌生はいわゆる前衛美術家です。最近ではドローイング系の具象抽象画が多いので、コンセプチュアルアートよりは馴染みやすいですが、それでもここまで多くの人々の支持を集めるようになったのは尋常なことではありません。草間彌生という美術家のぶれない表現欲求に、時代が追いついたのだと言っていいでしょうね。

 

山本さんはまた、『第一展示室の『わが永遠の魂』連作に囲まれながら、泣きそうになった。周囲に誰もいなかったら泣いていたかもしれない。草間彌生は有無を言わせぬ作品の質と量でわたしたちを圧倒した。それは実に得難い経験だった。僕はこの展覧会で、確かに「素晴らしい生きざまを足跡として/宇宙の中に刻印してきた」草間芸術の素晴らしさを感受することができた。人は皆草間のように生きるべきではないのかと思った』と批評しておられます。じっくりお楽しみください。

 

 

山本俊則 美術展時評『No.074 『草間彌生 わが永遠の魂』展』 ■

 

 

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金井純さんのBOOKレビュー『絵のある本のはなし』『No.051 『うんこ!』サトシン・著 西村敏雄・イラスト(文溪堂刊)』をアップしましたぁ。ズバリ『うんこ!』というタイトルの絵本です。いやーうんこ、燃えますなぁ。俳人の永田耕衣センセは『雲古』と表記しておられましたな。そーいえば雲が古くなったような形の〝んち〟もあるかもです(爆)。

 

 異性への目覚めがまだない子供にとって、魅力的なのは自我の延長にあるもの、つまり自身と似たものだ。子供がうんこをそれほど好きなのは、結局のところ子供とはうんこのようなもの、それにかなり似たものだということだろう。それを覆い隠しているのは子供ではなく、親のエゴだ。社会に対しては覆い隠されるものの、家の中ではそれはしばしば剥き出しになる。

 家の中しか知らない子供は、自分がうんこのようなものであり、うんこのように扱われていると感じている。親の尻からひりだされ、親は自身の排泄物をまじまじと眺めるように子供を愛で、しかし都合が悪くなると押しやられる。なんの役割もなく、それゆえたいてい居場所がない。

(金井純)

 

金井さんの評論、見事な〝んち〟論になっていると思います。しっかし石川、そーとーなオジサンになっても、いまだにまぢまぢと自分の〝んち〟を眺めてしまふことがあります。まだ大人になりきってないのかなぁ。じっくりお楽しみください。

 

 

金井純 BOOKレビュー 『絵のある本のはなし』『No.051 『うんこ!』サトシン・著 西村敏雄・イラスト(文溪堂刊)』 ■

 

 

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連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第15回)をアップしましたぁ。『漱石論』は『日本近代文学の言語像』三部作の中の一冊で、『正岡子規論』、『森鷗外論』といっしょに金魚屋から三冊同時刊行されます。今回は『Ⅲ 英文学研究と文学のヴィジョン-『文学論』『文学評論』(下篇)』です。

 

夏目漱石は日本近代小説の中では古典中の古典であり、膨大な量の研究書と文芸評論が出版されています。では研究書と文芸評論は何が違うのかと言えば、研究書は新事実などの丹念な調査に基づく客観的文学探究であり、文芸評論はオリジナルテキストと研究書に基づきながら現代文学を考察し、未来の文学に示唆を与えるために書かれます。鶴山さんの漱石論は後者であり、漱石の英文学研究も原理的には日本の未来の文学を考えるための文芸評論だったと言えます。

 

小説家も詩人も同じですが、創作者ははっきり言えば自己顕示欲の塊です。自分の作品が一番大事なのです。そうでなければ小説や詩といった、ある意味こっ恥ずかしくもある創作を広く世の中に発表できない面があります。裏付けのない自信が創作者には必要不可欠なのであり、それが時に創作者を崇高に見せたり、滑稽で愚劣に見せたりするわけです(爆)。

 

ただ創作者は自己顕示欲の塊という自己認識をはっきり持った上で、バランスを取るために一つは公的な仕事を持った方がいい。会社等で働き社会に貢献するのもいいですが、創作のかたわら、時間をかけて地に足が着いた評論を書いてもいいと思います。ただその場合でもきちんと仕事をしなければなりません。会社での成果と引けを取らない完成品を作る必要がある。石川、近年の創作批評に冷たいですが、それは批評家が批評を中途半端に創作化する子供じみた遊びに耽っているからです。評論を書くなら頭から尻尾まで、きちんと論理と資料的整合性を備えた評論を書かなくてはなりません。

 

 

連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第15回) 縦書版 ■

 

連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像)(第15回) 横書版 ■

 

 

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山本俊則さんの美術展時評『No.073 『特別展 春日大社 千年の至宝』展』をアップしましたぁ。東博で開催された春日大社展の批評です。春日大社は神護景雲二年(768年)創建と伝えられますから、1250年近い歴史を持っています。たくさんの社宝を所蔵しているわけですが、山本さんは『見にいく前からけっこう難しい展覧会だろうなぁという予感はあった。実際に見てやはりこの展覧会は難しいと思った』と書いておられます。

 

 春日大社は「平安の正倉院」と呼ばれることもあるが、本家の正倉院とは質が違う。正倉院御物には目録があり、奉納された時期もおおよその伝来もわかる。しかし春日大社の神宝は平安時代だけでも二百年近い間に奉納されたものである。宝物の奉納時期や経緯などの記録もほとんどない。また神宝の種類は様々だ。(中略)姿形のない神様は地上では様々な形を取ることができる。それが古神宝の多様さになって表れている。春日大社の神宝は、物だけで完結した価値を導き出すことができないのである。

(山本俊則)

 

山本さんはまた、『春日大社の神宝は、いわゆる〝春日大社学〟を前提として一つ一つ見ていかないとその本当の意義がわからないのである。(中略)またその先にはさらに厄介な神道がある。神道は宗教理論としては空虚な求心点という性格だが、その周囲を膨大な神宝が衛星のように取り巻いている。言うまでもなくそれは日本の天皇制と近似した構造である。その意味で春日大社神宝は日本文化の本質につながっている』とも批評しておられます。物を見ただけではその本当の価値がわからないわけで、確かに〝この展覧会は難しい〟質のものだったかもしれません。

 

 

山本俊則 美術展時評『No.073 『特別展 春日大社 千年の至宝』展』 ■

 

 

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池田浩さんの文芸誌時評『No.024 三田文学 2017年春季号』をアップしましたぁ。池田さんは『文字は読むためにあると思うが、書くために書かれる文字もあるのだろう。「現代詩」と呼ばれていたある時期の詩作品、同様のことが「純文学」作品にも起こり、最近顕著なのは「文芸評論」がおよそ読まれるためのものではなく、ほとんど書くこと自体を目的とする「現代詩作品」化している』と書いておられますが、石川も同感です。小説も評論も、まず読者を獲得しなければ何も始まらない。文学業界はただでさえエゴイストと言わざるを得ない作家たちの集団です。外部の視線が届かなくなれば実に愚劣なことが起こる。

 

んでちょい前に触れた三田文學さんの騒動ですが、三田文學HPに掲載された吉増剛造さんの文章がよくわかんない。整理しておくと、三田文學は「発行所」、「発行人」、「編集人」という構造です。発行所はいわば株主、発行人は社長、編集人は編集長という位置付けです。具体名で言うと、2017年冬号まで発行所・三田文學会、発行人・吉増剛造、編集人・福田拓也さんで刊行されていました。2017年春号から編集人が関根謙さんに交代になりました。俗に言うと福田さんの首が飛んだわけですが、その経緯がちょいと問題のようです。

 

発端は三田文學会と編集長の福田さんとの間で意見の相違が生じたことにあるらしい。この場合仲裁に入るのは発行人の吉増さん以外にいませんが、どーも腰が据わっていない。三田文學HP掲載の吉増さんの『『三田文学』編集長交代の経緯について』を読むと、前編集長の福田さんに感謝しながら彼の言動に問題があったと指摘し、新編集長の関根さんの活躍に期待しているとあります。これでは問題がこじれるわなぁ。

 

三田文學会と福田さんの間で問題が生じた場合には、吉増さんが火消しに走るのが当たり前。基本、編集長を守る役回りです。どうしても編集長解任となれば、吉増さんが福田さんを解任することになる。実際解任手続きはそうなっていますが、吉増さんの文章のニュアンスは、問題は三田文學会と福田さんの間で生じたのであって、僕知らないよ的なものなんだなぁ。

 

また吉増さんは『編集長交代の経緯について』で『三田文学会と新編集体制に対して前編集長がツイッターなどを通して非難の記事を拡散しており』と書いておられますが、福田さんの当該ツイッターを読むと、新体制になってから福田さんが行った著者への原稿依頼を取り下げた等の出来事があったようです。本当だとすればこれも問題。内部体制が変化しても掲載が決まっている原稿や、既に依頼を出してる原稿を引き継ぐのは当然です。

 

もそっと余計なことを書くと、株主格の三田文學会は、吉増さんという詩人に社会的事務処理能力がないことを知っていて発行人に任命したはずです。石川だって知ってるんだから(爆)。要するにお飾り扱いだったはずです。一方のトラブル当事者である三田文學会が、こういう時だけ『あんた社長でしょ』と吉増さんに詰め腹を切らせるのは酷だな。以前は長く江藤淳さんが三田文學の社長格で、彼は実質的に編集長を更迭したことがあります。ただ編集長と話し合い、最後は握手して別れたと聞きました。

 

慶應大学ではちょい前に、塾長選で得票トップが落選し次点の方が塾長になったことがニュースになりましたね。アメリカではトランプ大統領がFBI長官を更迭するし。最近はルール無用でエゴを押し通すのが流行のようです。社員の時は目一杯社員の権利を主張し、社長になれば社員をこき使い、株主になれば現場が困っても配当の増額を求めるという感じかな。ただそれじゃあうまく世の中回らない。三田文學、歴史ある雑誌です。余計なお世話ですが、くっだらない権力争いと思われないように、ちゃんと話し合った方がいいですよ。

 

 

池田浩 文芸誌時評 『No.023 三田文学 2017冬季号』 ■

 

 

第05金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

第0回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。

 

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第03回 文学金魚新人賞受賞作 青山YURI子さんの連載小説『ショッキングピンクの時代の痰壷』『No.005 握って、放す/即席短編』をアップしましたぁ。青山さんの小説はジャンル分けすれば前衛小説になるんでしょうが、前衛小説で思い出してしまうような臭みがないです。これはなぜなんだろうなーと考えると、多分青山さんに前衛小説を書こうという意図がないからだと思います。つまり青山さんの小説は前衛的に見えても、本質的には作家の実感小説だといふことです。

 

石川は基本前衛小説に冷たいですが、前衛小説を否定しているわけではありません。筒井康隆さんや安部公房さんを始め、数々の優れた前衛小説があります。ただ最近の、はっきし言えば1990年頃から現れた、現代詩の亜流のような前衛小説に批判的なんだなぁ。苦し紛れの前衛的素振りに見えます。前衛のフレームというか、骨組みだけが目立って見えます。簡単に言うと、変わった小説を書こうとして人工的に前衛の素振りを作り上げているように思えるんですね。

 

ただカフカを始めとして、優れた前衛小説には文学的作為は意外に少ないものです。つまり過去の前衛小説をなぞったり、現代思想や他ジャンルの成果を無理矢理小説に入れ込もうとはしていない。物語世界に入ってしまうと、前衛小説だということを忘れてしまふ作品が多い。青山さんの小説はそういった作家の必然的表現欲求に沿った前衛小説だと思います。今回の『即席短編』は傑作だな。一種の逆『千と千尋』でこっちの方が、ある意味リアリティがあると思いますですぅ(爆)。

 

 

青山YURI連載小説『No.005 握って、放す/即席短編』 縦書版 ■

 

青山YURI連載小説『No.005 握って、放す/即席短編』 横書版 ■

 

 

第05金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

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第03回 文学金魚新人賞受賞作家 原里実さんの連作短篇小説『水出先生(中編)』をアップしました。『水出先生』いいですね。石川は傑作だと思います。切迫感があります。

 

 「先生」

 わたしは呼んだ。先生はびっくりしたようにぱっと目を開けて、なんだ、もう開けてよかったの、といった。わたしはそれをきいてすこし笑う。わたしが笑ったので、先生もすこし笑った。

 「先生は、がちゃ目になったことある?」

 ないよ、と静かに先生はいった。僕は目がいいから、と先生はいって、そうね、知ってた、とわたしはいう。

 「とっても変なの」

 先生はわたしの左右の目を交互にみて、そう、といった。とっても変。

 「そう、透明人間みたいなの」

 「透明人間?」

(原里実『水出先生』)

 

『水出先生』は期せずしてなのでしょうが、ループ構造を持っており、スリップ効果を有効に使った小説です。なぜそれが効果的かというと、撞着的言い方ですが、作家がその効果を意図的に使用していないから。つまり必然性があって自然に生まれた効果だからです。

 

作家が一番力を持っている時期は、〝どうしても書きたいことがある時期〟です。そういう時期は一般的な文章テクニックを下まわっていても秀作が生まれますし、思いがけない高いテクニックを自然に生み出したりもします。

 

もちろん長く書き続けるには最初の衝動だけでは不十分です。ただ〝書きたいことがある〟という表現の核は必要不可欠です。もしそれが低いレベルでは有名になりたいとか、高いレベルでも秘密の内面を書きたいとかなら、それが達成された時点で作家の活動は実質的に終わります。

 

だから〝書きたいこと〟は抽象レベルの高さを持っていなければならない。それはなぜ文字で書くのかという根源的な問いかけも含みます。表現欲求が個的レベルから公的レベルに昇華されているわけで、それを把握できれば自己とは関わりのない世界や社会を題材にして、自己の世界を表現できるようになります。

 

 

原里実 連作短篇小説『水出先生(中編)』 縦書版 ■

 

原里実 連作短篇小説『水出先生(中編)』 横書版 ■

 

 

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寅間心閑さんの『肴的音楽評』『No.015 還暦過ぎても』をアップしましたぁ。寅間さんは新連載小説松の牢が始まりました。文学金魚では第3作目の小説です。女性が主人公の小説です。こちゃらの方もよろしくお願いします。で、今回の正統派酒飲みエッセイ『寅間心閑の肴的音楽評』は、ザ・ローリング・ストーンズとムッシュかまやつ、それにカエターノ・ヴェローゾが酒の肴です。

 

最近某大学文芸誌、といふかHPにコトの次第まで掲載されているので誌名を出していいんでしょうが、三田文學さんがちょいとモメてるやうです。三田文學さんでは、どうやら編集長よりも三田文學理事会の方が力があるらしひ。編集長が掲載したい原稿と理事会が掲載したい原稿に見解の相違が出たやうです。よそ様のことですから色々事情はあるんでしょうが、Web誌に移行すればそんな争ひは起こらないですよ。石川の感想は以上です(爆)。

 

ただまー文学金魚はWeb誌ですが、著者の間口を大きく開いてはいません。Webメディアは掲載枚数制限がないですから、その気になればいくらでも原稿を載せられます。そういうメディアも多いわけですが、文学金魚はその方針は採りません。もちろん常に新しい才能を求めていますが、作品で従来の文学環境を突出できる作家か、従来の文学環境では才能を十全に伸ばしきれない中堅以上の作家を求めています。そういう作家さんには徹底して書いていただきます。〝下手な鉄砲は当たらない〟もしくは〝当たってもまぐれでムダが多すぎる〟というのが石川の長年の編集者としての絶対的経験則です。

 

もちろんこのステップの次には、作家さんたちに経済的裏付けを与えるという高いハードルが待っています。もち石川も頑張りますが、著者の皆さんにも頑張っていただきます。寅間さんにもたんとお酒を飲んで頑張ってもらうのでありますぅ。

 

 

寅間心閑 『寅間心閑の肴的音楽評』『No.015 還暦過ぎても』 ■

 

 

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山本俊則さんの美術展時評『No.072 『世界に挑んだ7年 小野田直武と秋田蘭画』展(後編)』をアップしましたぁ。サントリー美術館さんで開催された江戸後期の秋田蘭画展です。蘭学はオランダ経由でヨーロッパの学問・芸術を受容しようとした江戸後期の文化動向です。最近では日本史の学者さんたちによって、江戸時代は鎖国ではなかったといふ議論が盛んですが、それについて山本さんは書いておられます。

 

 最近では江戸時代は鎖国ではなかったという議論が盛んだが、それは〝鎖国の定義〟による。江戸後期に蘭学や海外動向情報が流入していた証拠はいくらでも見つけ出すことができる。しかしそれと同じくらい、欧米人や欧米文化を得体の知れない鬼や魑魅魍魎として捉えていた証拠も見つかる。(中略)江戸の人々の心は欧米文化に対して広く開かれてはいなかった。

 この明治維新まで続く江戸後期の矛盾をはらんだ動向を前提とすれば、秋田蘭画はとても面白い文化的混合だった。蘭画の流行は新奇を好む当時の人々の心性から生まれた。正確に欧米絵画の伝統や作品を理解していた者はおらず、見よう見まねでそれを南蘋派や、欧米絵画の影響を受けた中国絵画の手法と折衷させていったのである。(中略)この折衷は、少なくとも日本画においては明治維新後も引き継がれることになる。秋田蘭画はその最初期の成果だと言える。

(山本俊則)

 

時代時代によって学問的成果が変わってゆく、変わってゆかなければならないのは当然ですが、最近では創作者だけでなく、学者さんまで個の強い自我意識に基づいたちょっと極端な主張をするようになっている傾向がありますね。幕末に幕閣上層部や知識人たちが、ある程度欧米の動向を知っていたのは間違いありませんが、当時の国是として諸外国との個人レベルの往来・交流禁止は厳然としてあったわけで、山本さんが書いておられるとおり、江戸は鎖国ではなかったという議論は、まず〝鎖国の定義〟をしっかり議論することからしか始まりません。

 

これは明治時代の知識人たちが、最初に欧米文化を学んだ時に最初にやったことです。現実な用語と概念定義と、それに基づく論理的な文章構成ですね。面白いことにポスト・モダニズム思想が流入し、それを生半可に理解した批評家たちによって、この欧米的基礎思考法が崩れかかっているところがあります。そういう点でも現代は過渡期なんだな。目新しいこと、奇矯なことを声高に叫ぶ人の方が注目される傾向がありますね。だけんどそれは一時的な流行で終わると石川は思いますよ。

 

 

山本俊則 美術展時評『No.072 『世界に挑んだ7年 小野田直武と秋田蘭画』展(後編)』 ■

 

 

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山本俊則さんの美術展時評『No.072 『世界に挑んだ7年 小野田直武と秋田蘭画』展(前編)』をアップしましたぁ。サントリー美術館さんで開催された、江戸後期の秋田蘭画展です。小野田直武(なおたけ)の作品中心の展覧会ですが、直武は前野良沢・杉田玄白ら訳の『解体新書』の図を描いた人として知られています。こげな展覧会が開かれていたのねぇ。

 

 江戸後期になると様々なルートでオランダ語の書物がもたらされるようになり、蘭学はじょじょに盛んになっていった。(中略)その中心になったのは医学(蘭方医学)だった。幕府は瓦解に至るまで極度にキリスト教の流入を警戒したが、医学は別だった。人の生き死にはいつの時代でも人間最大の関心事である。従来の漢方に加えて、外科的施術で人の命を救える欧米医学は大きな注目の的だった。(中略)

 この蘭方医学の基礎を作ったが、安永三年(一七七四年)に前野良沢、杉田玄白らによって翻訳された『解体新書』(ターヘル・アナトミア)である。小野田直武(なおたけ)は秋田を治める佐竹家久保田藩の支藩・佐竹北家の武士だが、『解体新書』の図版の原画を描いた。

(山本俊則)

 

幕末になると様々な資料が残っていて、歴史的な出来事についてもその詳細を辿りやすくなります。でもやっぱりよくわからない事柄も多く、秋田蘭画についてもその全貌が解明されているわけではありません。後篇は具体的な秋田蘭画論でありますぅ。

 

 

山本俊則 美術展時評『No.072 『世界に挑んだ7年 小野田直武と秋田蘭画』展(前編)』 ■

 

 

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第2回 辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑(とらま しんかん)さんの新連載小説『松の牢』(第01回)をアップしましたぁ。寅間小説は早くも第三弾です。初回からずいしょに寅間さんらしい設定が仕掛けられています。これからどんな物語に展開してゆくのか楽しみです。

 

作家は誰だって自分の作品が大事ですから、常に今書いている作品が最高傑作です。それが世の中から、読者から評価されないということなどあり得ない。だけど手放して見ると、しばしばあり得ないことが起こったりします(爆)。そーゆー場合はどーしたらいいのか。よし、じゃあ次はこうしてみようと方針を立てて、次の作品に取りかかるのですな。作品を書いて発表しなければ絶対に何も変わりません。書いて発表しないで不平をこぼすのは、ムダというより傲慢です。これは小説に限らずどのジャンルでも同じです。

 

今の世の中、非常に見通しが悪いです。それを反映して文学作品の評価基準も揺れています。石川が見ていても、なんでこのテの作家が評価されるんだろうと首をひねることもしばしばです。自己に確かな文学的基準があるなら、それを批評するのは前向きな仕事です。ただ一番確実なのは、作品で現状を変えることです。それには恐らく時間がかかる。強い信念と筆力が必要になります。寅間作品に期待大であります。

 

 

寅間心閑 新連載小説『松の牢』(第01回) pdf版 ■

 

寅間心閑 新連載小説『松の牢』(第01回) テキスト版 ■

 

 

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小松剛生さんの連載ショートショート小説『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.030 洗面所の床からすこし上で』をアップしましたぁ。小松さんの単行本は現在作業が進行中です。冊数とタイトルが確定しましたらまたインフォメーションします。ただなにかと時間を取られますので、ショートショート小説は今月から06と24日の二回に分けて一編ずつ掲載します。

 

作家は全員、最初のうちは、ちゃんとまとまった作品を一編書くだけでも大変です。だけど何作かで書きたいことが出尽くしてしまうようでは続きません。次のステップでは、ある程度作品を量産してゆかなければなりません。書きながら、自分がどういう形で作品を量産できるのか、そのポイントをつかむ作業だと言ってもいいです。それをやっていると作品群としての本の形が見えてきます。このあたりまでが作家の必要最低要件です。最終ステップは本という小宇宙のレベルです。自分の作品を客観視するのは難しいですが、できるだけ客体化して捉えられるようになればプロの第一歩を踏み出したと言っていいでしょうね。

 

版元の要請に添った作品を仕上げるのではなく、作家固有の世界観を世の中に問いたい純文学系の作家の自我意識が強いのは当たり前のことです。ただエゴが強いからこそ、逆説的に高い社会的センスが必要となります。簡単に言うと小心で大胆であることでしょうね。思い切ったことをしないと社会にアピールできない。でもあんまりとっぱずれていると共感を得られない。文学金魚は著者の自主性を尊重しますが、著者にちょっとした社会性に気づいてもらうのがその編集方針です。

 

 

小松剛生 連載ショートショート小説 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.030 洗面所の床からすこし上で』 縦書版 ■

 

小松剛生 連載ショートショート小説 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.030 洗面所の床からすこし上で』 横書版 ■

 

 

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小原眞紀子さんの連作詩篇『『ここから月まで』 第15回 渡/泡/縞』をアップしましたぁ。小原さんのCool抒情詩第15弾です。冒頭の詩篇『渡』はかぐや姫伝説を題材にしています。かぐや姫伝説の本歌取り自由詩ですね。

 

そこからきたという姫は

竹の節に似た小部屋で

いまも僕を待っている

鍵をあけて連れだしても

どうせ月へ帰るだろう(中略)

そうして君は

隣りの棟のカーテンの陰に

小声で歌ったり

猫をかまったり

かつての姫君が往き来した

夢の浮橋を

けっして渡ってこないのなら

僕もこの廊下の隅に

立ったまま向うをみている

(小原眞紀子 『渡』)

 

小原さんはわかりやすくて文学的価値のある詩を書いておられますが、そういう姿勢は大事だと思います。今後ますます重要になってくるでしょうね。まず読者に読んでもらえること、読もうという気を起こさせる必要があるのです。人間にとって文学が大きな楽しみだった時代は、とっくの昔に過ぎ去っています。

 

Webメディアはまだ未成熟な面があり、それに対するいろんな批判が石川の耳にも聞こえてきます。その中の一つに、『タダ(無料)だから読まれるんだよ』というものがあります。だけどホントにそーかな。社会的に権威あると見なされている雑誌に掲載されている作品でも、読まれないものは読まれない。それは紙メディアに掲載しても、Webメディアに掲載しても同じでしょうね。むしろWebメディアの方が、読ませる作品かどうかはっきりする面もあります。セクショナリズム的なさや当てはいつだってムダです。

 

紙でもWebでもその他の世界でも同じですが、人間は自分が所属する世界を世界全体だと考えがちな傾向があります。有吉弘行さんが『ツイッターはバカ発見器』という名言(?)を吐いたことがありますが、補足するとツイートを批判しているわけではなく、半径5メートルくらいの世界観で、原則世界中から閲覧できるWebで独りよがりな考えを書いてしまう危険性を指摘しているのだと思います。

 

そういう意味で、本質的に安全保障的な〝仲間〟に守られていないネット・メディアは創作者にとって怖い場所でもあります。作家が読者を獲得してゆく方法はいろいろありますが、目の前の編集者を説得するのではなく、〝読者に読まれる・読ませる〟ことを考えざるを得ないWebメディアは、作家が自己の作品を鍛える場として活用できるでしょうね。

 

 

小原眞紀子 連作詩篇 『『ここから月まで』 第15渡/泡/縞』 縦書版 ■

 

小原眞紀子 連作詩篇 『『ここから月まで』 第15渡/泡/縞』 横書版 ■

 

 

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連載翻訳小説 e.e.カミングス著/星隆弘訳 『伽藍』(第04回)をアップしました。クーマングスさん、拘留されてしまひましたね。自ら望んだわけで、これも偏屈な詩人の意地ですが。

 

 俺の荷物は刑務所の事務室で長官殿の入念な点検を受けた。長官殿に言われてひとつ残らず上下裏表をひっくり返した。巨大な薬莢に長官殿が驚いて目を瞠った。どこで手に入れた? ――フランス軍の兵士が形見にってくれたんですと言った。(中略)このたくさんのスケッチブックは、なにを描いている? ――長官殿、かんべんしてくださいよ、絵じゃないですか。――要塞のか? ――まさか。フランス兵とか、子供達とか、いろいろの廃墟とかです。 ――うぅむ。(中略)長官殿は(中略)そこに次のラベルを付ける(フランス語だ) 「カミングズ氏の荷物中に発見され本件には無用と見られる品々」。

(e.e.カミングス著/星隆弘訳 『伽藍』)

 

こういった箇所を読むと、カミングスがこの小説を楽しんで書いていることがよくわかります。『伽藍』という小説は〝本件には無用と見られる〟事柄を書いた作品です。もちろんじゃあ〝本件とは何か?〟が小説のテーマになっています。

 

詩人のイメージは「崇高な観念を抱えた人」から「生活力のないロクデナシ」まで現実世界の上下を行ったり来たりしますが、どちらにせよ一般的規範を外れる創作者というイメージがつきまといます。でもポーズでそんなことやってもすぐ化けの皮が剥がれる。カミングスさん、まぢ偏屈です(爆)。剣呑で孤独ですが、強い精神力と創作者としての高い能力があったからこそ、平然と、彼にとっては愚劣な社会に背を向けていられたのです。

 

 

連載翻訳小説 e.e.カミングス著/星隆弘訳 『伽藍』(第04回) 縦書版 ■

 

連載翻訳小説 e.e.カミングス著/星隆弘訳 『伽藍』(第04回) 横書版 ■

 

 

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純文学エンターテイメント作家、遠藤徹さんの連載小説『ゆめのかよひじ』(第15回)をアップしましたぁ。『ひるやすみ(後編)』です。主人公の女の子は夢の世界に行き、現実と理想の間を行ったり来たりします。ただ『ゆめのかよひじ』は夢によって現実が変わってしまうファンタジーではありません。夢=理想を指針として、主人公が内面を強く育ててゆく小説です。

 

 きりかぶのひろばには、たしかにへびになったやみたちがひそんでいました。でも、あたしはきにしません。ひょこひょこあそんで、ほいほいたのしんで、アトラスオオカブトなんか、なんのことなくかんたんにつかまえて、あらかじめよういしてあったむしかごにいれてしまいました。おおきなきりかぶでひるねしていたときに、やみへびにかまれましたが、ぎゃくにやみへびがひめいをあげました。だって、てつでできたてぶくろをつけていたからです。ゆめのなかでしかてにはいらない、とくちゅうひんです。やみになんかくわれてたまるものですか!

(遠藤徹『ゆめのかよひじ』)

 

闇は誰の心の中にもあり、それを追い払うことも取り除くこともできません。またたいていの場合、闇は光との対比によって闇となるのであり、最初から黒々とした悪ではないのです。その闇は現実世界ではちょっとした人間の悪意にまで広がっていますが、夢の世界が突き抜けるような明るい世界だとは言えません。『ゆめのかよひじ』は主人公が心の中の光を指針に、現実でも夢の世界でも闇の中を彷徨う物語なのでありますぅ。

 

 

遠藤徹 連載小説 『ゆめのかよひじ』(第15回) 縦書版 ■

 

遠藤徹 連載小説 『ゆめのかよひじ』(第15回) 横書版 ■

 

 

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原作・小原眞紀子、作・露津まりいさんの連載サスペンス小説『お菓子な殺意』(第09回)をアップしました。第5章『マーブル状の悲劇(前半)』です。カオルさんの身に大変なことが起こってしまひました。主人公の彩子さん、パニックです。

 

 「あたしね、本当はファンって大嫌い」

 昨日の夕飯時、彼女はそんなことを言い出した。夕飯だけは何を食べてもいいから、上機嫌といってよかった。

 「だって怖いんだもん。あたしのこと、しゃぶりつくそうとしてるんじゃないかな」

 皮肉っぽく唇を歪め、「あたしは何も食えないってのに」と呟きながら、彩子の皿のメンチカツに箸を伸ばした。「なのに、連中がいなけりゃ、どうしようもないときてる」

 彩子はふいに、何も起こらなかった気がしてきた。

 そう、二人一緒にここへ帰ってきたのだ。

 飽きっぽい彼女が今、このワインの栓を自分にくれたのだ、と思った。バッグを開け、それを仕舞った。

(原作・小原眞紀子 作・露津まりい 『お菓子な殺意』)

 

こういった記述はいいですねぇ。リアリティがあり、何か物語の本質に突き当たっている気配があります。小説に限りませんが、文学ではある決定的な記述が作品の本質だとは限りません。ほんのささやかな記述にその作品の核があったりします。これはそういった箇所ですね。

 

 

原作・小原眞紀子 作・露津まりい 連載サスペンス小説『お菓子な殺意』(第09回) (縦書)版 ■

 

原作・小原眞紀子 作・露津まりい 連載サスペンス小説『お菓子な殺意』(第09回) (横書)版 ■

 

 

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第0回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。

 

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Interview of gold fishes 第21回『ザ・ゴールデン・カップス『ちょっと危うい時代に音楽の自由を』(前編)』をアップしましたぁ。日本のロックのレジェンド・バンド、ザ・ゴールデン・カップスのインタビューをお贈りします。

 

ザ・ゴールデン・カップスは1966年結成で、結成時のメンバーはデイヴ平尾(2008年に死去)、エディ藩(ばん)、ルイズルイス加部、ケネス伊藤、マモル・マヌーさんの5人でした。その後のメンバー交代で、ミッキー吉野、林恵文、アイ高野、柳ジョージ、ジョン山崎さんが加入しました。1972年解散ですが2003年に再結成し、映画『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』(2004年公開)も制作されました。今回は2017年3月3日のデビュー50周年記念コンサートのリハーサル中にインタビューさせていただきました。

 

少しずつインタビューや本が出版されていますが、日本のジャズやロックが本格化したのはGHQの占領以降です。ポピュラーミュージックばかりでなく、現代音楽もそうですね。武満徹らがGHQの図書室に通い詰めてシェーンベルクなどの現代音楽を聴きまくったことはよく知られています。ロックの場合、横浜や横須賀のアメリカンスクールやクラブなどで演奏していたミュージシャンたちが、バンドを作って60年代以降のグループ・サウンズ時代を作り上げたりしています。ザ・ゴールデン・カップスもその一つですが、当初から洋楽と日本語ロックを取り混ぜた異色のバンドとして知られていました。

 

インタビューは前・後半でお送りしますが、前半はマモル・マヌーさん、エディ藩(ばん)さん、ルイズルイス加部さんのインタビューです。後半はミッキー吉野さんと、カップスのデビュー50周年記念コンサートにドラマーとして参加しておられた樋口晶之さんが登場します。なおインタビューは小原眞紀子、寅間心閑、星隆弘さんにお願いしました。じっくりお楽しみください。

 

 

■ Interview of gold fishes 第21回『ザ・ゴールデン・カップス『ちょっと危うい時代に音楽の自由を』(前編)』 縦書版 ■

 

■ Interview of gold fishes 第21回『ザ・ゴールデン・カップス『ちょっと危うい時代に音楽の自由を』(前編)』 横書版 ■

 

 

第05金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

第0回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■

 

 

 

 

 

 

 

佐藤知恵子さんの文芸誌時評『大衆文芸誌』『No.108 オール讀物 2016年09月号』をアップしましたぁ。第155回直木賞発表号で萩原浩さんの『海の見える理髪店』が受賞されました。萩原先生、おめでたうございます。んで佐藤さんは日本文学的な抒情について批評しておられます。

 

 2002年の日韓ワールドカップの時に、FIFA公認世界ランキング最弱王決定戦が行われたのね。『アザー・ファイナル』っていうドキュメンタリーにまとめられてアテクシはBBCで見たんですが、これがよかったのよ。(中略)

 『アザー・ファイナル』っていうドキュメンタリーでは、さまざまなエピソード、というか予期せぬ小事件が起こって場面が変わるたびに、青空に蹴り上げられたサッカーボールが写るの。それがこのドキュメンタリーの〝視点〟をはっきり示していましたわね。空から地球上の人間たちの営為を見つめているようなカメラの視点よ。ウエットなところがぜんぜんないの。(中略)

 それ見ながら、やっぱ神様のいる文化圏って、こういう視点になるんだなーってつくづく思いましたわ。(中略)それはそれで素敵なのよ。だけど日本にいると、ちょっとじめっとした抒情にどっぷりつかりたくなるわねぇ。藤山寛美(古っ!)的抒情に近いかしら。

(佐藤知恵子)

 

佐藤さんのオール讀物批評、回によってはちょいと漫談化していますが楽しいです。後はコンテンツを読んでご確認あれっ!。

 

 

佐藤知恵子 文芸誌時評 『No.108 オール讀物 2016年09月号』 ■

 

 

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連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第14回)をアップしましたぁ。『漱石論』は『日本近代文学の言語像』三部作の中の一冊で、『正岡子規論』、『森鷗外論』といっしょに今春金魚屋から三冊同時刊行されます。『Ⅲ 英文学研究と文学のヴィジョン-『文学論』『文学評論』(中篇)』です。鶴山さんの新基軸の漱石論が、じょじょに具体的に表れ始めていますね。

 

 デフォー論に典型的なように、漱石は常に文化全体の流れの中で個々の作家の仕事を捉え、客観的にその長所・短所を明らかにしてゆく。デフォー作品についても、「主人公の生涯の始めから終り迄写すのが主意である」と的確にその構造を捉えている。デフォーの思想は紋切り型の道徳だが、作品は小説源基と呼べるような型を持っている。このような形で小説を構造的に把握すれば、それはいくらでも活用できるようになる。デフォー的小説構造を援用した漱石作品は、処女作の『吾輩は猫である』だろう。

(鶴山裕司『夏目漱石論』)

 

文学金魚は創作でも批評でも新しい刺激を文学の世界全般に与えようと企図しているわけですが、日本文学の基盤となる近代文学の再検討はその重要なファクターの一つです。また鶴山さんの評論は今流行のポスト・モダニズム批評に比べれば平明に書かれていますが、これは意図的なものです。漱石を論じていてデリダやソシュールが頻出するようなポスト・モダニズム批評は一般にはまったく読まれていません。批評を地に足がついた形に戻すのも文学金魚批評の大きな目的の一つです。

 

とは言っても新しい試みを形にするのはそう簡単ではありません。文学金魚は創作者の表現欲求を軸にするメディアですが、創作者は誰だっていろんなしがらみからインディペンデントでいたいと思いますよね。でも実際には難しい。なぜか。露骨な言い方をすれば経済が伴わないからです。究極を言えば本が売れなければ、創作者はインディペンデントではいられない。雑誌や出版元の意向に結局は従わざるを得なくなります。

 

それをかいくぐって創作者が力を得て、自分の好きなように仕事ができる環境を時間をかけて作り上げてゆくという道はあります。ただどうせそうしたいなら、近道した方がいいというのが文学金魚的な理想の作家像です。それには現実的な方法を数々考えてゆかねばなりません。だから石川もけっこう大変で、GWは久々に金魚屋のお偉いさんと会議なのでした。今から「ああっこれからやりますっ、ごめんなさいっ、すいませんっ」って言う練習しておこーっと。

 

 

連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第14回) 縦書版 ■

 

連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像)(第14回) 横書版 ■

 

 

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岡野隆さんの『詩誌時評・句誌』『No.065 角川俳句 2016年11月号』をアップしましたぁ。11月号は第62回角川俳句賞の発表号で、松野苑子さんの「遠き船」が受賞されました。端正で格調高い正統派の有季定型俳句です。

 

春の日や歩きて遠き船を抜く

帽子屋に汽笛の届く春の暮

春雷や金平糖の尖りほど

カンナ老ゆその柔らかきところから

家出たき頃の匂ひの毛布かな

桟橋の下の氷も揺れはじむ

(松野苑子「遠き船」)

 

ただま、この御時世では俳句界にも多少の変化は必要でしょうね。岡野さんがまとめておられますが、角川俳句賞の応募総数は748篇(人)で、年代別に見ると40代が14パーセント、50代が22パーセント、60代が29パーセント、70代が16パーセントで、40代から70代の応募者が全体の80パーセント以上を占めます。また予選通過者の37名のうち、結社無所属は3名です、歌壇の新人賞に比べると高齢化が著しく結社所属者が多い。またはっきり言えば、若い俳人たちが角川俳句賞に魅力を感じていないことがわかります。

 

岡野さんは『自由詩や小説の世界でも、新人賞に応募する者は三十代くらいの若手が主流である。短歌や自由詩、小説は〝新しい才能〟を欲しているのである。それに対比させれば俳壇はとても保守的だと言わざるを得ないだろう』と述べた上で、次のように批評しておられます。

 

 じゃあ〝新しい才能〟とは何かということになるわけだが、すごく単純に言えば〝自由な表現を容認すること〟だろう。若者は時に後先考えない無茶をやる。それは従来の文学伝統を壊そうとするだけでなく、勢い余って先行作家たちが作り上げた○○壇をも激しく批判するようになる。年長者は「そー簡単にはいかないよ」と静観するのが常だが、ある瞬間には純な表現欲求に心揺さぶられ、既成概念が少しだけ変わるのも確かである。歌壇はそんな厄介だが、新鮮な波にさらされている。もちろん角川俳句賞は新人賞とは銘打っていないので新しさを評価する理由はないかもしれない。ただそれは詭弁だな。

(岡野隆)

 

岡野さんは角川俳句賞を批判しておられるわけではないと思います。ただ俳人に限らず創作者の視線は概して内向きなんだな。自分が関わるジャンル以外の文学動向にはほとんど興味を持っていません。だからおかしいなーと思っても、それを変える本質的な力が湧いてこない。創作者が既存メディアを批判する場合、たいていは自分に注目してくれないというルサンチマンが透けて見えでしょ。だけど角川俳句にせよ、ちゃんと読んでいる俳人ってほとんどいませんよね(爆)。それではダメです。

 

パブリックな視点とは、自己の関わる表現ジャンルを客体化して俯瞰できる能力のことです。作家の一番の興味は短歌や俳句、自由詩、小説などの創作にあるはずです。それをベースにすれば、他ジャンルの動向から刺激を受けるのは当たり前です。本質的には〝○○壇〟などたいした問題ではないのです。

 

 

岡野隆 『詩誌時評・句誌』『No.065 角川俳句 2016年11月号』 ■

 

 

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高嶋秋穂さんの詩誌時評『歌誌』『No.034 角川短歌 2016年11月号』をアップしましたぁ。第62回角川短歌賞発表号で、前回第61回角川短歌賞で次席受賞だった佐佐木定綱さんが受賞なさいました。おめでとうございます。高嶋さんは『たいていの歌人は次席であろうと認知されれば角川短歌賞はもう卒業ということになりますが二回続けて応募して正賞を受賞された定綱さんは面白いです。(中略)なんやかんや言ってこの歌壇の貴公子にはやはり正賞がふさわしいと思ってしまいました』と書いておられます。

 

三日目の炊飯ジャーの干飯(ほしいい)にお湯を注げば思い出す 君

高架下掠れた「FREE!」のFのあたり蹴っ飛ばす君力の限り

ゲームならゾンビが出てくるような角 曲がって現実確かめている

地下にある防犯カメラのデータから僕の人生再生してくれ

金として盗まれてゆく新品の思想の価値は実際的らし

飛沫あぐ水道の音聞きながらつぶやいている暴力のうた

自らのまわりに円を描くごと死んだ魚は机を濡らす

君の排泄物とぼくの吐瀉物を引き合わせろよ下水処理場

(佐佐木定綱「魚は机を濡らす」)

 

高嶋さんは『定綱さんの歌には年長歌人にはないはっきりとした新たな世代の特徴が表現されています。端的に言えば現実世界に対して距離があります』と批評しておられます。その上で口語歌人世代について次のように書いておられます。

 

 歌壇は現象的に見ると口語短歌全盛時代です。ただ口語短歌の本質は文語を使うか口語を使うかといったレトリックの問題にはないと思います。一番重要なファクターは定綱さん的な〝現実世界への距離感〟でしょうね。現実世界の人や物や思想を一昔前の実存をもった存在として捉えられないのはもちろん短歌では重要な私性を歌っても距離ができる。その曖昧で苦しいと言えば苦しい状態に置かれた創作者たちが安住の地を求めるように繰り返すのが〝口語〟という符牒だと思います。ただ感性を口語というプロバカンダ的スローガンに落とし込むのは危険です。

(高嶋秋穂)

 

石川が見ていても、口語短歌というマジックはそろそろ賞味期限が切れかかっていると思います。徹底して口語を使うくらいで短歌文学が本質的に変わるはずがないということが、露わになって来ていると言ってもいい。佐佐木定綱さんのご活躍に期待大です。

 

 

高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『No.034 角川短歌 2016年11月号』 ■

 

 

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田山了一さんのTVドラマ批評『No.160 火花』をアップしましたぁ。NHKさんのドラマ10で、毎週日曜日の夜10時から放送されている全10回完結のドラマです。又吉直樹さんのベストセラー『火花』のドラマ化です。林遣都、波岡一喜、門脇麦、好井まさお、村田秀亮、高橋メアリージュン、菜葉菜、染谷将太、山本彩、渡辺哲、田口トモロヲ、小林薫さんらが出演しておられます。

 

石川は『火花』を読みましたが、この作品をドラマ化するのはむちゅかしいだろうなぁと思います。ただこれだけ話題になったのだから、ドラマ化せざるを得ない面があるでしょうね。しかしその〝話題の本質〟がどんなものだったのかは考えておく必要があります。

 

 つまり潜在的な文学のファンであった人々に、ここ何年も手に取ろうとしなかった芥川賞受賞作を買わせた、というのがブームの姿だった。そのような文学ファンにすら、昨今の芥川賞、純文学の姿はほとんど理解不能、いつの間にか関心の外になっていたものが、大きな期待をもって迎えられたのだ。その期待とは、今度こそ新しい純文学のあり方、その定義が見えるのでは、ということだったろう。

 その期待は応えられたのか。再び率直に言えば、この作品は文学に対して潜在的な関心のある人々に「半分は評価、半分はやる側の計算」という構造をあからさまにわからせてしまったのではないか。芥川賞もノーベル賞も、およそ賞はそういうものだが、純文学の象徴であった芥川賞を通して、文学への幻想を微かに抱いていた人々を、文壇は永遠に失ったのではないか。

(田山了一)

 

『火花』を論じる際にはどうしてもそれがベストセラーになったことに触れないわけにはいきません。その場合、田山さんも書いておられますが『無論、それは著者のせいではない』という留保が定冠詞のように付くことになります。それはその通り。著者は芸能人であり、テレビなどで一挙手一投足をチェックされるスターは、スキャンダルから文筆能力までを〝ウリ〟にできる。潜在販売力を持つスターに文学界がすり寄ってゆくのは自然なことですが、軸が揺らいでいるのはスターの方ではなく、文学業界の方でしょうね。

 

 

田山了一 TVドラマ批評 『No.160 火花』 ■

 

 

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大野ロベルトさんの連載映画評論『七色幻燈』『第十一回 溶けない道の固さ』をアップしましたぁ。映画の中の道について書いておられます。大野さんは『ある地点から別の地点への到達という意味において、およそ表現と名のつくものは(たとえ円環構造を持っているとしても)すべて旅の有様を描いたものである、と断言しても差し支えあるまい』と書いておられますが、確かにそうですね。

 

また大野さんは、『かくして西洋の都市はつぎつぎと石で固められることとなったが、現代人の目から見るとこれは一長一短でもある。丸みを帯びた石を敷き詰めた石畳などは、凹凸のない道に慣れている軟弱な現代人には決して歩きやすいとは言えないのである。とはいえ観光資源の一部となるとまさか引き剥がすわけにも行かない』と書いておられます。石畳、言われてみれば歩きにくいですね。アスファルトの方が歩きやすかったんだなー。なるほど。

 

今回のコンテンツではホッパー&フォンダの『イージー・ライダー』や、フェリーニの『道』、ヴィスコンティの『ベニスに死す』などの懐かしい映画も取り上げておられます。スチールを見ていると、も一回見ようかなといふ気になりますね。じっくりお楽しみください。

 

 

大野ロベルト 連載映画評論 『七色幻燈』『第十一回 溶けない道の固さ』 ■

 

 

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小松剛生さんの連載ショートショート小説『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.029 タンス・タンス・タンス/メッシが恋をした日/ピーターはもういない』をアップしましたぁ。小松さんについては、現在単行本の原稿がアップするのをお待ちしているところです。順調にいけば、金魚屋の第1回出版本の一つになるでしょうね。

 

本を出すのは嬉しいことでもあり、勇気のいることでもあります。本を出せば批評という形であれ、売り上げ部数という形であれ、必ず一定の評価が出ます。どんな形であれ作家はその評価を真正面から受けとめて前に進んでゆかなければなりません。ただ本を出せばメデタシメデタシの時代は完全に終わりました。特に純文学の世界では、版元が取り合いするような売れる作家はほんの一握りです。はっきり言えば、本が出たくらいで先生気取りになるような作家に未来はないですね。

 

ただ厳しい時代だからこそチャンスも多いわけです。サラリーマンのように、同輩と競って既存の文学システムの中で頭角を現すのも一つの方法です。ぜんぜん違う方向から攻めてゆくという選択肢もある。今現在の状況は、後者の方法にかなりの間口があると感じます。そのためには新たな才能を持った作家が必要です。小松さんはそういう作家の一人です。

 

 

小松剛生 連載ショートショート小説 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.029 タンス・タンス・タンス/メッシが恋をした日/ピーターはもういない』 縦書版 ■

 

小松剛生 連載ショートショート小説 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.029 タンス・タンス・タンス/メッシが恋をした日/ピーターはもういない』 横書版 ■

 

 

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鶴山裕司さんの連載エセー『言葉と骨董』『第056回 ヨルバ族のオポン・イファ(後半)』をアップしましたぁ。チュッオーラの『やし酒飲み』は、『毎日たらふくやし酒を飲んでいた男が突然パラダイスを失い、地獄である危険なブッシュを彷徨って再びパラダイスを取り戻すまでの物語である』と鶴山さんは定義しておられます。つまりダンテ『神曲』やバニヤン『天路歴程』にも比すべき、ヨルバ人作家による創作的神話物語だということです。

 

 ヨーロッパでは文学者だけでなく、ユング派の心理学者も『やし酒飲み』に強い関心を示した。ユングは人間の無意識領域の根源には元型(アーキタイプ)があると仮説した。民俗や宗教が違っても、確かに人間存在に共通で普遍的と呼べるアーキタイプは存在するからである。(中略)

 多分深層心理にあるアーキタイプは言葉を発せず、しかし具体的で変幻自在な姿かたちをして蠢いているだろう。それが意識に近いところまで浮上してくれば言葉に近づくはずである。(中略)『やし酒飲み』のある種不気味な手触りは、人間の深層心理に存在するアーキタイプの姿を驚くほど具象的に、だが熱もなく淡々と外面から描いていることで生じているように思う。

(鶴山裕司)

 

チュッオーラの『やし酒飲み』を楽園喪失と地獄巡り、そして楽園の回復という神話的文脈で読み解いたのは鶴山さんが初めてだろうな。でもまあ、少なくともそう読まなければ、『やし酒飲み』という荒唐無稽な物語はちっとも面白くない。またそれが人間の深層心理に直結した部分を持っているのも確かだと思います。じっくりお楽しみください。

 

 

鶴山裕司 連載エセー『言葉と骨董』『第056ヨルバ族のオポン・イファ(後半)』 ■

 

 

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鶴山裕司さんの連載エセー『言葉と骨董』『第056回 ヨルバ族のオポン・イファ(前半)』をアップしましたぁ。アフリカのナイジェリアあたりに多く住んでいる、ヨルバ人のシャーマンが使った占い用のお盆(オポン・イファ Opon Ifá)を取り上げておられます。ん~お盆に顔がついてるぅ。こういふお盆は東アジアにはないなぁ。

 

鶴山さんは『言葉と骨董』で、骨董はある時代、民族、あるいは特定共同体の精神が形になって残っている物で、それを読み解くのだとしばしば書いておられます。連載が進むにつれて、その姿勢はどんどんはっきりしてきましたね。考えるための触媒としての骨董なんだなぁ。

 

んでオポン・イファという占い用ボードは、イファ(Ifá)という宗教(信仰)に基づいているようです。その精神世界を鶴山さんは、ヨルバ人作家、エイモス・チュッオーラの『やし酒飲み』から読み解いてゆきます。エジプトやエチオピアなどを除いて、アフリカ大陸の言語はほとんどが無文字です。ヨルバ語も元々無文字ですが、チュッオーラは英語で書きました。『やし酒飲み』がディラン・トマスを始めとするイギリスの作家を狂喜させたのはよく知られています。後半は『やし酒飲み』の神話世界の読解になります。

 

 

鶴山裕司 連載エセー『言葉と骨董』『第056ヨルバ族のオポン・イファ(前半)』 ■

 

 

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岡野隆さんの『詩誌時評・句誌』『No.064 角川俳句 2016年10月号』をアップしましたぁ。大特集『「病牀六尺」の豊穣――半径1メートルの世界を詠む』を取り上げておられます。岡野さんが書いておられるように、『といっても正岡子規の特集というわけではない。(中略)特集は子規に倣って身辺の狭い空間にある風物を詠んでみようといったくらいの意図』です。でも特集としては中途半端なものになってしまってるなぁ。

 

特集では子規の名前を最初に掲げてしまったがゆえに、石田波郷ら病気で苦しんでそれを俳句にした作家や、篠原鳳作ら夭折した作家についての論が並んでおります。病気を句にすることと、身辺の細々した風物を写生的に俳句にすることは質が違います。前者はある意味、特権的自我意識表現になりがちです。でも後者は別に病者に限ったことではない、俳句一般の特徴を論じなければなりません。また夭折作家の短い人生は結果論であり、病気や死が作品で詠まれているとは限らない。そのあたりの整理がちょっと不完全でしたね。

 

まあ雑誌の特集が、ちょいと厳しい言い方ですがその場限りなのは今に始まったことではないです。昔、村上春樹さんが『『ユリイカ』ってなかなか棄てられないんだよなぁ』って書いておられました。石川もその気持ち、よくわかります。『ユリイカ』は毎号作家やイズムの特集号ですから、特別なことが書いてあるような気がする。でも実際には翻訳や年譜等の情報しか役に立たなかったりする。ある作家やイズムについて本気で知りたいと思ったら、たいていの人はオリジナルに当たるか、時間をかけて書かれた評論などをを買いますよね。要するにちゃんと読んでなくて後で読もうと思ってるから棄てられない(爆)。

 

ただまあ雑誌特集はいつの時代もそんな質のもので、アトモスフィアも含めて成立しております。もちまったく役に立たないということでもありません。ただ作家が雑誌の要請に応えることが〝仕事〟だと思い始めるのは、あんまりよくない点もあります。締め切りに追われることが作家としてのステータスだと夢想してる方は多いと思いますが、雑誌の都合で使われているのか、自分の原稿がどーしても欲しくて依頼されているのかは考えてみる必要はあるでしょうね。後者はほんの一握りです。また後者は作家がある〝核〟を抱えているから社会的ニーズが起こるのであって、そういう場合は時間が経ってもちゃんと読める原稿であることが多いです。

 

 

岡野隆 『詩誌時評・句誌』『No.064 角川俳句 2016年10月号』 ■

 

 

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