総合文学ウェブ情報誌 文学金魚

私達の故郷は日本語です。金魚屋プレス日本版は、日本語で書かれるあらゆる文学の方向を見極め、私達の精神の行く末を照らす光りを見出そうとするものです。 金魚屋プレス日本版はその光りのすべてを広義の文学と呼びます。

金魚屋プレス日本版代表 齋藤都

連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第12回)をアップしましたぁ。『漱石論』は『日本近代文学の言語像』三部作の中の一冊で、『正岡子規論』、『森鷗外論』といっしょに今春金魚屋から三冊同時刊行されます。今回は『晩年――「則天去私文学」』で、『第Ⅱ章 漱石小伝』は今回で完結です。

 

んで鶴山さんの漱石論の原稿は先日脱稿しました。600枚となるとリライトでもけっこう大変ですね。まー引き続きお仕事してもらわにゃなりませんので、登山で言えば一合目をちょいと超えたって感じですけんど。ただま、石川は作家の自発的な仕事を尊重します。

 

文学業界が低調だということは、作家が何をやっていいのか、将来の文学ヴィジョンをつかみにくい時代になったということでもあります。そのため作家は人に頼りがちな傾向がある。メディアなどからの依頼仕事を仕事と考えがちになるんですね。大衆作家ならそれでいいですが、詩人を含む純文学系作家はそれではダメです。純文学系作家が〝(メディアの)企画〟などと言い始めるとかなりヤバイ。それはそれでこなせばいいわけですが、自発的な仕事をちゃんと見つけて形にするのが大事です。でもま、たいていの純文学作家はひ弱ですから、企画に乗っかり始めると、そればっかり仕事だと思い始めるなぁ。

 

文学の世界は、優れた作家が時間と労力をかけた自発的な仕事で状況が大きく変わることが多いです。吉本隆明が心的現象論三部作の出版を、既存出版社から断られまくったことはよく知られています。それはメディアが悪いのか、作家が悪いのか。多分両方です(爆)。メディアが優秀な作家の本質を見極められなかったのは確かですが、作家側も自分が優秀だというプレゼンテーションに難があったので、そういった不幸な事態が起こる。他人を信頼するのは大事ですが、もっと大切なのは自分の能力を見極め、それを伸ばしアピールする方法を考え抜くことです。それはメディア・作家両方に必要なことです。

 

 

連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第12回) 縦書版 ■

 

連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像)(第12回) 横書版 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

第04回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。

第04回募集要項_cover_01

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■

 

 

 

 

 

 

 

連載翻訳小説 e.e.カミングス著/星隆弘訳 『伽藍』(第03回)をアップしました。クーマングスさんの取り調べが始まるやうです。カミングスはフランス人は発音しにくひ名前のやうですね。カミングスは一般には抒情詩人として知られますが、骨太な作家です。抒情詩を書いているからなよなよしているというのは偏見といふか、誤解ですね。むしろ抒情詩人の方が生活者としてしっかりしていて、頑固なお方が多いものです。

 

詩人とはどういった人たちなのかについては、様々なイメージが世に溢れています。一番ティピカルなのは〝夢見る人〟といふイメージです。要はボーッとしていて浮き世離れしている人。あるいは裕福で浮き世離れしていられる環境にいる人です。だから『彼は(彼女は)詩人だね』という言葉は、『ちょっとバカかも』といふ揶揄を含むことになる(爆)。このイメージはどうも19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパで始まったようです。サンボリストは寡作で、裕福ではなかったけど、生活に困っている詩人は少なかった。作品が少なく難しいことを考えているようなので、浮き世離れした人たちというイメージが出来上がったようです。ただ前時代のゲーテなんかは、すんげぇ量の仕事をしています。

 

このバカらしい詩人のイメージに、真っ向から対立するイメージを持っているのが20世紀初頭に現れたアメリカのモダニスト詩人たちです。パウンドは『ABC of reading』などで、詩人らしいアトモスフィアを振りまく詩人たちを激しく攻撃しています。簡単に言うと、詩人らしい格好をして、詩人らしい話し方をして、詩人らしい詩を書く詩人が大嫌いで、そんなヤツらはエセ詩人だと言っております(爆)。

 

じゃあパウンドの考える詩人はどういう人たちだったのかというと、一番近いのが〝農夫〟。朝起きて夜まで言葉の畑を耕し続け〝労働〟する作家です。サンボリズムの影響を受けたヨーロッパ詩とはぜんぜん違う詩に対する考え方をアメリカの詩人は持っていた。これも簡単に言えば〝メタ言語など存在しない〟という、当たり前と言えば当たり前の現実主義です。詩人は霊が見えるとか聞こえない音が聞こえるとか、見えないものが見えるとか言い出したら終わりです。だって詐欺だもの(爆)。カミングスやパウンドらは、農夫のように詩で仕事をし続けた作家さんたちなのでありますぅ。

 

 

連載翻訳小説 e.e.カミングス著/星隆弘訳 『伽藍』(第03回) 縦書版 ■

 

連載翻訳小説 e.e.カミングス著/星隆弘訳 『伽藍』(第03回) 横書版 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

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■ 予測できない天災に備えておきませうね ■

 

 

 

 

 

 

 

山本俊則さんの美術展時評『No.066 『ルノワール展』(後編)』をアップしましたぁ。ルノワールの代表作『ムーン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』について山本さんは、『軽い。これほどの大作でこれほど軽い印象を与える絵画は、ルノワールの作品史にもヨーロッパ絵画史にもほとんどない。(中略)絵画が室内の重厚な人物や静物から解き放たれたことを示す記念碑的作品だった』と批評しておられます。また当時のフランスはサロン文化盛んな時代で、ルノワールは様々な文化人と交流しました。

 

 ルノワールの十九世紀末は、フランス・サンボリズム(象徴主義)の全盛期でもあった。(中略)優れた美術批評家でもあったマラルメが、ルノワールを評した文章は少ない。はっきり言えば冷たかったと言える。(中略)やがて神の不在にまで行きつくマラルメのような思索的詩人に、ルノワールの表層絵画が訴えなかったのは当然だと言える。

 これに対してマルセル・プルーストはルノワールを絶賛した。(中略)彼は早くもルノワールに、失われた世界のノスタルジーを見出しているようだ。それは第一次世界大戦を経て、ヨーロッパ精神が瓦解してゆく時代のプルースト芸術のノスタルジーでもあった。

(山本俊則)

 

ルノワールの時代はいわゆるベル・エポックで、パリが一番華やかな時代でした。ただ時間的に言えばつい昨日のことです。たかだか百年くらいしか経っていない。もちろんこの百年の変化は凄まじかったですが、それを詳細に辿ることができる資料がたくさん残されています。絵画はその一つであり、感覚的に受容される芸術である分、変化の本質を如実に表しているところがあります。

 

ルノワールの絵は古く見えます。晩年にはマチスやピカソらが活躍し始めていましたが、彼らよりずっと前時代的に見えます。しかしルノワール絵画の〝ノスタルジー〟は強烈です。単なる懐古趣味ではなく、何かの本質を表現した優れた絵画だと思います。

 

 

山本俊則 美術展時評『No.066 『ルノワール展』(後編)』 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

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山本俊則さんの美術展時評『No.066 『ルノワール展』(前編)』をアップしましたぁ。東京国立新美術館で開催された、言わずと知れた印象派の大家・ルノワール展の批評です。どんな芸術ジャンルでも、あまり知られてない作家について書くよりも、よく知られた作家について書く方が難しい。でもま、んなこと言ってたら批評など書けないわけで、ポピュラーな作家についてスラリと書ける人の方が力があるわけです。

 

 二十世紀に前衛アートの嵐が吹き荒れたこともあり、現代では未踏の表現領域は本当に少なくなっている。また現代は情報化社会でもある。ちょっとしたアイディアはすぐに共有され相対化される。(中略)作家の表現手法(アイディア)とその思想が密接に結びついていなければ、現代作家として成り立たなくなっているのだ。

 それはわたしたちが〝モダン〟、つまり〝現代〟に肉薄していなければアートではないという二十世紀的なオブセッションから解き放たれて、膨大な過去と現在と、少しだけの未来予測から成り立つ本物のアーチストだけを愛する時代に生きていると言うことでもある。(中略)

 そういった現代には、現代の起源をデュシャン的前衛ではなく、もう少し時間を遡って設定する必要があるだろう。印象派が現代の起点になると思う。ルネサンス、バロック、ロココ、ロマン主義、新古典主義etc.と絵画史を辿っていっても、絵画が写実から解き放たれたのは印象派を嚆矢とする。

(山本俊則)

 

今回の展覧会ではルノワールの代表作『ムーン・ド・ラ・ギャレット』が初来日しました。ヨーロッパが世界で一番華やかだった時代を代表する作品です。山本さんは『ルノワールをこんなに楽しんで見られるようになったんだな、と思った』とも書いておられます。それは山本さんだけの感慨でなく、多くの人に共通の感慨でしょうねぇ。一直線に未踏の領域を模索する前衛の時代は終わったと思います。前衛の質が明らかに変わったのが現代です。

 

 

山本俊則 美術展時評『No.066 『ルノワール展』(前編)』 ■

 

 

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山本俊則さんの美術展時評『No.065 『禅-心をかたちに-』展(後篇)』をアップしましたぁ。禅は理論的に説明しようとすると、とても難しい宗教というか認識体系になってしまいます。ただその本質は真理の直観把握にあります。撞着的な言い方になりますが〝真理〟と〝直観〟が結びついていて、かつそれが本当に真である必要がある。面倒といえば面倒な宗教なのですが、理解できる人には論理で説明する必要のない、基本的には平明な宗教です。

 

 つまり禅の悟りとは、この世は無であり、無から有が生み出されることの直観把握である。無に安住することはできず、無と有の間を往還する修行そのものが悟りなのだ。禅の遺物が生々しいのは、禅が抽象的な浄土といった悟りの境地に安住することを認めていないからである。禅者はあくまで現世の猥雑の中に生きるのであり、その汚濁が極まれば極まるほど、底に横たわる無の直観把握が強まるという逆説を生きている。だから禅者の言葉は一筋縄では解釈できない。

(山本俊則)

 

山本さんの批評にあるように、禅の高僧はかつて悟りを開いた者、あるいは悟りとは何かを直観的に把握した者ということになります。悟りの中にずっといる聖者ではないので、市場で飯を食い糞をする普通の人として生きています。それゆえまあ、エセ禅者を生みやすいという弊害がありますが、これはまあどの宗教でも同じですね(爆)。文学者で言えば夏目漱石は明らかに禅者の一人でした。悩み多い人の方が救済に近いというのは一面の真実です。

 

 

山本俊則 美術展時評『No.065 『禅-心をかたちに-』展(後篇)』 ■

 

 

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山本俊則さんの美術展時評『No.065 『禅-心をかたちに-』展(前編)』をアップしましたぁ。臨済宗と黄檗宗の禅の遺物を集めた展覧会です。禅というとなにやら難しげげすが、山本さんの批評はわかりやすいですねぇ。『禅の展覧会ねぇ。うーんと思いながら見に行った。(中略)地味な展覧会だろうなと予想していたが、予想を裏切らず全体的に地味でした』と書いておられます。文章の入りが軽い。禅のように重い展覧会では大事な要素です。

 

 この時代の為政者たちの心性は能楽によく現れている。死者が出て来て怨念を語る劇を為政者たちは好んで見ていたのだ。さすがに『平家物語』などから採られた過去の死者ばかりだが、為政者がそこに昨日自分が滅ぼした死者たちの声を聞いていたのは疑いない。もちろん倒錯したマゾヒスティックな心性ではない。能の死者は自分であったかもしれないという無常観が為政者たちの心にあった。殺伐とした現実を見すえながら、なおもその彼方にある救済を得ようとする心性だとも言える。世阿弥の娘婿・金春禅竹は禅に傾倒したが、当時の人々の心にピタリと合っていたのが禅だった。あらゆる宗教と同様に禅も心の救済を求めるが、その基盤は現世にある。

(山本俊則)

 

山本さんの美術評は文学や社会学を取り混ぜたものになっています。現代では本質的にこういった批評が求められるだろうなぁ。もちろん地道な研究はとっても大切です。だけど研究成果をどう活用してゆくのかが、現代を理解し未来を予測する糧になります。あるジャンルに視線を固定していたのではそれはできません。複眼的な視線と知性が必要です。

 

 

山本俊則 美術展時評『No.065 『禅-心をかたちに-』展(前編)』 ■

 

 

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大野ロベルトさんの連載映画評論『七色幻燈』『第十回 溶ける硝子と心』をアップしましたぁ。映画の中のガラスと雨について書いておられます。雨もガラスも映画の小道具としては重要ですねぇ。この取り合わせて印象に残る映画のシーンって、けっこう多いのではないかと思います。

 

 硝子というのは私たちにとって最も身近な素材の一つではあるが、その性質については意外なほどわかっていないことも多い。例えば硝子が液体なのか固体なのかという問題は、分子の配列などが明らかになってきたことにより議論の進展は見られるものの、完全な解決には至っていない。実際、技術が未熟であった時代に作られた窓硝子は時間の経過とともに重力によって「流れて」しまい、厚さが不均衡になるので、風が吹くと隙間から奇妙な音が聞えたり、嵐の晩には雨が降りこんだりして、いかにもゴシック風の不気味さを演出してくれるのである。私たちを守るのだか閉じ込めるのだか、頑丈なのだか脆いのだかもわからない硝子という物質が、液体なのか固体なのかもはっきりしない曖昧な物質であるということは、なかなか示唆に富んでいるように思う。

(大野ロベルト)

 

なるほど。勉強になるなー。

 

 

大野ロベルト 連載映画評論 『七色幻燈』『第十回 溶ける硝子と心』 ■

 

 

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小松剛生さんの連載ショートショート小説『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.028 府中のヴォネガットへ/キツネをつかまえないで/真夜中にたったひとつしかない靴に』をアップしましたぁ。今回は孤独シリーズとでも言うべき3篇です。人間、孤独であります。ひとりぼっちでいれば孤独なのは当たり前ですが、仲間や恋人といても孤独なのであります。

 

 弟が足場のパイプを右手でぎゅっと握りしめました。

 「何してるんですか」

 「つなぎになってるんすよ」と弟は答えました。

 「俺ね、将来はこうやって、つなぎ屋になろうかなと思ってるんすよ。足場をバラす日まで、こうやって足場をつなぎ続けるんです」

 「いいですねえ」

 「いいでしょ」

 つなぎ屋になるのが俺の夢なんすよ、と彼はもう1度言って足場をつなぎ止める右手に力を込めるかのように、肩を揺らせてみせました。

 府中のヴォネガット。

 彼らと会わなくなってもう何年も経ってしまいました。

(小松剛生『府中のヴォネガットへ』)

 

小松さんは第01回金魚屋新人賞受賞作家であり、間もなく金魚屋から単行本デビューすることになると思いますが、新たな才能を持った作家の一人です。石川は主要小説文芸誌を毎号ダーッと目を通していますが、それでもそう思います。今後も小松さん的な現代性が通用するかどうかはわかりませんが、2017年現在では少なくとも新しい。距離感の現代性とでも言えるかもしれません。

 

現代性というのは、ある側面では人間と現実との距離のあり方だと言える面があります。戦後の混乱期から復興期、高度成長期において、人間と現実との距離は近かった。肉体が現実に密接に結びついていた時代です。しかし現代はそうではない。人間と現実との間に距離がある。何かでつながなければならない。『つなぎ屋になるのが俺の夢なんすよ』ってことです。

 

この現代性は、30代くらいまでの若い作家は感覚として持っていると思います。それ以上の年齢の作家が持てないかというと、考えれば獲得できる。肉体的な現実把握の上に、ヴァーチャル的な現実把握手法を付け加えればいいのです。戦後文学的な『俺は昨日○○して』といった素朴リアリズム的現実把握が、少なくとも芸術の世界では嘘くさく見えてしまう時代です。現実の捉え方を変えなければなりません。

 

文学金魚は新人賞を設けていますが、作家が自分の仕事を社会に受け入れてもらえるかどうかは、基本的に作家の努力次第です。若い作家はその感性を活かすことができますし、キャリアのある作家なら、それまで積み重ねてきた知力をフル活用しなければなりません。どっちも苦しいのは同じです。結果を出せば、『若いって得だね』『年の功の知力があるんだもの』とか言われたりするのは目に見えています(爆)。自分の力を客観的かつ正確に把握して仕事をすれば、作家の年齢で損得が生じることはありません。

 

 

小松剛生 連載ショートショート小説 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.028 府中のヴォネガットへ/キツネをつかまえないで/真夜中にたったひとつしかない靴に』 縦書版 ■

 

小松剛生 連載ショートショート小説 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.028 府中のヴォネガットへ/キツネをつかまえないで/真夜中にたったひとつしかない靴に』 横書版 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

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山本俊則さんの美術展時評『No.064 園子温展『ひそひそ星』』をアップしましたぁ。映画『ひそひそ星』の公開に合わせて東京青山のワタリウム美術館で開催された、園子温さん初の個展についてです。園さんは日本映画界で特異な位置を占める作家です。かなり自制しておられますが、テレビのドキュメンタリーやインタビューを見ていても、素ならすんごい勢いで現状の映画界の批判が口から溢れるんだろうなとわかります(爆)。それを口にしても平然としていられる力のある映画監督だということでもあります。

 

 園の「今まで、『ひそひそ星』を作らなかったかったことで、悩まないで済んだんだ」という言葉はとても正直だと思う。この作家に通常の意味での倫理はない。世界を裸眼で見つめる作家だからだ。そこにはあらゆる人間のエゴイズムが蠢いている。それを描き出せば園の映画は止まらない。一直線に危うい線の上を突っ走ってしまう。

 しかし本当に倫理はないのか。人間の愛や友愛は存在しないのか。それはこの世にいてはつかむことができない。『ひそひそ星』は間違いなく「霊的な映画」だと思う。そこでは霊というあるかないかわからないもの、人間を人間たらしめ、抽象であるがゆえに、崇高であるはずの霊が揺さぶられている。

(山本俊則)

 

山本さんはまた、『同時代で同世代の表現者で園子温を最も信頼し、敬愛している』とも書いておられます。石川も園さんは素晴らしい映画作家だと思います。間違いなく文学金魚好みだなぁ。正面中央突破で日本の映画界を変えようとなさっています。

 

 

山本俊則 美術展時評『No.064 園子温展『ひそひそ星』』 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

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佐藤知恵子さんの文芸誌時評『大衆文芸誌』『No.107 オール讀物 2016年08月号』をアップしましたぁ。重松清さんの『残照』を取り上げておられます。イジメを扱った小説で有名です。まー編集者的にといふか、ビジネス的に言うか、イジメがテーマの小説は当たるとおっきいんだなぁ。教育的内容ですから、お受験問題に頻繁に取り上げられる。するとお受験する生徒さんと親御さんが読むんだなぁ。それが売り上げにつながるんです。

 

そんなことでと思われるかもしれませんが、小説の売り上げはホントに下降気味です。本が大好きって子供は減っていますし、親もめったに小説を読まない。イジメがテーマの小説は、期せずしてと言うべきか、しっかりとした読者層が想定できるのです。一昔前のように本が売れる時代が来るのはまず期待できません。作家が誰が読むのか、なんのために読むのかを考えなければならない時代が来ているといふことです。

 

作家として生きてゆきたいということは、文学で生活を成り立たせたい、もっと言えば好き勝手に活動して生きてゆきたいという欲望が含まれるのは否めません。だけどそれには力が必要です。その力には社会と折り合いをつけて創作してゆく能力も含まれます。他人の作品についてなら『こんな作品、誰が読むんだ』と簡単に言えますが、自分の作品に対しては誰だって評価が甘くなる。そんな甘さを少しずつ消してゆくのがプロの第一歩でしょうね。

 

クリエイティブ業界全体のパーセンテージから言えば、作家予備軍のパーセントは減っています。文学は不況産業ですから、優秀な人材の多くがもっと儲かる業界に流れている。だけど日本の社会は比較的自由で豊かですから、好きな仕事をして生きてゆきたいという人が増えている。全体パーセントは減っていますが、アイドルやお笑い予備軍が急激に増えているように、数としては作家予備軍は増えています。表面的には過当競争になっています。

 

一昔前は書評や映画評などは小説家や詩人が書いていましたが、今はもの凄い勢いでフリーライターが増えているので仕事の取り合いになっています。有名作家でなければ雑文仕事は来なくなっています。本を売らなければ作家は厳しい。またメディアがフリーライターを使うのは、自分たちの好みの文になるまで何度書き直させてもかまわないからです。これに慣れるとフリーライターから作家に転身は難しくなる。売文は精神をすり減らす仕事ですが、そのかたわら強靱な精神で、いつ売れるかわからない作品を書く覚悟が必要です。

 

自分のことだけでなく、社会全体のことを含めて作家という仕事は成り立っています。もちろん作家は創作のことで手一杯で、文筆を取り巻く環境に鈍感にならざるを得ない面があります。ただほとんどのメディアは、文筆を取り巻く環境を知りながらそれを教えてくれない。だけど甘い夢を振りまくのは無責任です。メディアの利益のために作家を使い捨てにすることになる。文学金魚はそういったメディアにはなりたくなひですねぇ。

 

 

佐藤知恵子 文芸誌時評 『No.107 オール讀物 2016年08月号』 ■

 

 

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大篠夏彦さんの文芸誌時評『文芸5誌』『No.103 文學界 2016年08月号』をアップしましたぁ。『異色短篇特集「怪」』を取り上げておられます。前に小説文芸誌ではあんまり特集をしないとか、小説掲載が中心なので特集はおざなりになりがちだとか書きましたが、文學界さんはちょいと違ふみたひです。積極的に特集を組んでおられます。それにしても『怪』ねぇ。『怪』って雑誌あったなぁ・・・。

 

 文學界のウリは、これもまあ誰が考えたって芥川賞である。もちろん芥川賞は文學界掲載作品だけが受賞するとは限らないが、それでも文學界を支えているのが芥川賞であることは揺るがない。芥川賞は一応は文壇の公器的純文学賞ということになっており、現実には文學界文藝春秋社に多少有利に働くようにはなっているが、十分公器としての役割を果たしていてそれは一般にも認知されている。芥川賞候補号とか、芥川賞準備号、もしかするとあなたも芥川賞がもらえるかもしれない特集号なら納得できるしもっと売れるだろう。純文学は芥川賞のお墨付きでももらわないと、なかなか売れなくなっているのである。文學界はそういった、志が高いのか低いのか今ではよくわからないけど、とにかく純文学にこだわる作家とその作家予備軍の中心雑誌である。

 ただこの時評でしばしば書いているが、文學界的純文学は通用しにくくなっている。もしくは文学界全体の潮流とズレ始めている。又吉直樹さんにはまったく責任がないが、『火花』の受賞で文學界=純文学の魔法が解け始めていると思う。また純文学作家の中にも、文學界的純文学と心中するのを実質的に嫌う作家が出始めているように思う。もちろんそれを軌道修正して純文学界に君臨してきたのが文學界と芥川賞である。そういった意味での変化の試金石として「異色短篇特集「怪」」があるならよくわかる。ちゃんと「怪」のお題に沿って面白い純文学作品を書いている作家もいるからである。

(大篠夏彦)

 

まー純文学業界が文學界さんと芥川賞中心に回っているのは確かです。理由も大篠さんが書いておられる通りですねぇ。ただまー石川も、文學界さん系私小説に首までどっぷり漬かり、それが文学だと思い込むのは作家にとってはちょいと危険かなぁと思います。作家の理想は書いて、発表して、それを本にするというルーティーンを確立することです。それはに最低部数本を売り上げる必要がある。以前なら小説はそこそこ売れましたが、今はもうそんな時代ぢゃない。まぢ厳しいです。その厳しさをはっきり認識した上で、作家のメリットになるやうな道筋をいっしょに作ってゆくのがメディアの役割だと思いますぅ。

 

 

大篠夏彦 文芸誌時評 『No.103 文學界 2016年08月号』 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

第04回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。

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高嶋秋穂さんの詩誌時評『歌誌』『No.031 角川短歌 2016年08月号』をアップしましたぁ。『特集 戦後71年 うたびとの証言』を取り上げておられます。第二次世界大戦中に大政翼賛会や文学報国会などが作られ、文学者たちは国威発揚のために作品を書きました。一億総動員の時勢でそれに反旗を翻すのはとても難しかったとはいえ、文学が政治の道具になってしまった過去は反省すべき点があります。

 

詩や小説や戯曲でも翼賛文学が書かれましたが、短歌がよりいっそう翼賛的だったという印象がありますねぇ。和歌は日本文化の古層であり、日本文学の基層でもあるからです。軍歌や戦争スローガンに『撃ちてしやまむ』がありますが、あれは元々『古事記』の『久米歌』の一節です。ちょっと意地悪な言い方をすれば、戦中の歌人は日本文化の真髄を担う文学者として、得意の絶頂にいたようなところがあります。戦争責任を特集するメディアはほとんどなくなりましたが、歌誌が今もそれを検証しているのはいいことだと思います。

 

んで高嶋さんは馬場あき子さんの連載エッセイ『戦争と少女』を取り上げておられます。『もう七十年以上も前の開戦の日のことを書いておられるのですがその感性は実に瑞々しい。わたしたちが過去について書くときどうしてもある判断を前提にしがちです。しかし馬場さんのエッセイは過去をともに生きることができます。今の少年少女でもその瞬間を共有できるでしょうね』と批評しておられます。名エッセイだと思います。

 

 

高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『No.031 角川短歌 2016年08月号』 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

第04回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。

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佐藤知恵子さんの文芸誌時評『大衆文芸誌』『No.105 オール讀物 2016年07月号』をアップしましたぁ。あさのあつこさんの『フラワーヘブン』を取り上げて、大衆文学のパターンについて批評しておられます。あさのあつこさんは『バッテリー』で有名ですね。少年野球小説の傑作です。6巻ありますが、石川は面白くて一日で読み終えた覚えがあります。

 

 短篇ということもありかなり書き急いだ印象がありますが、樹が優柔不断な涙もろい性格から、内に秘めた強さを鍛え上げてゆくための十分な枚数があれば、あさの先生らしい長篇小説に仕上がりますわね。つまり「フラワーヘブン」には、あさの先生の小説作法の骨組みが表現されていますの。(中略)

 「フラワーヘブン」はその名の通り、樹にとっては〝天国〟です。つまり彼は実在しない至高の何かを「フラワーヘブン」に見ている。それがトップレスバーであることに、彼の複雑で、純でもある精神が投影されています。(中略)こういったストラクチャーはパターンですけど、パターンに沿い、やがてそれを壊し始めるところに、大衆小説作家様の面白さがあるのよ。

(佐藤知恵子)

 

小説に限りませんが、何かを高いクオリティで量産する場合にはパターンが必要になります。大衆作家さんはそんなパターンをお持ちです。そのパターンはかなりの程度まで、技巧として学習することができます。じゃあ純文学にパターンがないのかと言えば、ありますね。しかし純文学作家は〝型にはめて落としちゃいけない〟と教育されているところがあるのでパターンの力が弱く見える。多少なりとも前衛性を意識せざるを得ないという棲み分けが文学界にはあるわけです。

 

大衆文学・純文学を問わず、パターンは作家の思想から生み出されているのが理想です。技巧重視でパターンを捉えると、作品がマンネリ化してしまう。ただ純文学作家の場合、社会の変化などで思想を見失ってしまうと、技巧を含むパターンすべてが崩れてしまうといふ悲惨も起こる。2000年紀に戦後系の文学者を襲った大崩壊はそういった質のものだろうなぁ。もちろん純文学系作家に時代の先端を行く前衛的で特権的文学者という矜持があるなら、思想を見失った時点で書くのを止めればいいわけです。

 

 

佐藤知恵子 文芸誌時評 『No.105 オール讀物 2016年07月号』 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

第04回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。

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■ 予測できない天災に備えておきませうね ■

 

 

 

 

 

 

 

岡野隆さんの『詩誌時評-句誌』『No.062 月刊俳句界 2016年08月号』をアップしましたぁ。『無言館館主インタビュー 窪島誠一郎 戦没画学生が愛した日常と純粋な空間』を取り上げておられます。無言館は野県上田市古安曾にある、戦没画学生らの作品を収集・展示している私設美術館です。館主の窪島さんは水上勉さんのご子息です。戦没者記念館というと、すぐに国粋主義的思想の持ち主が運営している施設じゃないかと想像される方もいらっしゃるでしょうが、窪島さんはそういったイデオロギーには無縁です。

 

 創作者の抑え難い情熱は周囲の人を動かすことがある。しかしそれは、周囲の人々に迷惑をかけ時に不幸にしてしまうことでもある。それを重々知りながら、芸術家は「お前のエゴに過ぎないじゃないかと」指弾されてしまうような創作への情熱を捨て去ることができない。世間的に言えばもっと不幸なのは、そんな情熱を傾けても社会で認められ、作家や画家として認知される作家は一握りしかいないことかもしれない。だがそんな苦しみの中にも喜びの共有はあり、見返りを期待しない無償の愛は、芸術家の生が途中で断ち切られても、不思議と次の世代へと受け継がれてゆくものである。窪島さんが守ろうとしておられるのはそういった現世的利益を超越した、愚かで美しくもある人間精神なのかもしれない。

(岡野隆)

 

んで岡野さんは、特集『あなたの俳句切れてます?』も取り上げておられます。俳句の切れ字を初心者向けに解説した特集で、岡野さんは特集を読むと『ちょょっと元気になる。俳壇は今日も「けり」「かな」「や」で大騒ぎしてるんだなぁと思う。嫌味ではなく、それが現世の賑わいで、活力というものだ』と書いておられます(爆)。

 

俳壇は十年一日でのんびりしていていいんですが、人間の人生は俳句文学の歴史より短いです。俳人に限りませんが、詩人っていったい何をしてるんだろうなぁと思うことがあります。年に数回同人誌を出す、商業誌にちょっと書く、で、計算すると自由詩なら年間10作品くらい、俳句・短歌だと100作ほど、評論は100枚くらい書いてるってことになるかな。

 

もちろん詩人は作品数や原稿枚数じゃなくて、その質が問われるとみんな言うでしょうね。だけど現実の仕事の質と量に比較して、詩人さんたちはプライドが高すぎる。作品は世の中にアピールできる十分な質に達していないし、仕事と呼べるほど量を書いてない。もっと冷静で残酷な認識を持った方がよござんす。

 

そういった残酷で痛切で自分の足元が崩れるような不安を抱かずにいられるのは、多くの詩人が業界に視線を奪われているからです。小説家が素晴らしいとは言いませんが、その多くは日々不安と戦っている。小説にも文壇はありますが、小説家はその先の社会に作品が認められなければ仕事を続けられないのです。

 

石川は詩人の仕事の大変さは重々理解しています。しかしみんな横並びで、同じような認識に囚われて仕事してるように見える。突出した仕事をしたいなら、詩人はまずその認識を変える必要があると思います。ギョーカイに囚われていたのではダメです。

 

 

岡野隆 『詩誌時評 句誌』『No.062 月刊俳句界 2016年08月号』 ■

 

 

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大篠夏彦さんの文芸誌時評『文芸5誌』『No.102 文學界 2016年07月号』をアップしましたぁ。7月号の表紙には『大型特集 18歳以上全有権者必読! 民主主義の教科書 柄谷行人インタビュー 改憲を許さない日本人の無意識』と印刷されておりまふ。なんかズレてるなーと思ったのは石川だけかしらん。

 

18歳くらいの若い有権者は、文學界を読んで政治に関する知識を得ようとは思わないだろうなぁ。文学者が現実政治に一石を投じられるような特権的知性や感性を持っていると信じ込むアトモスフィア自体が、時代とズレてるんぢゃないかなぁ。『改憲』という現実政治に食い込むトピックを本気で世の中にアピールしたいなら、Youtubeを使って生身の声をさらした方がよろし。見てもらえるようになるまでけっこう大変ですけどね。

 

現代社会はもちろん、それを取り巻くテクノロジーなどの環境も日々大きく変わっています。現代社会で他者を納得・説得できる発信者は、まずそのコンテンツの提出方法で時代感覚を問われると思います。そこでズレてちゃおしめーよです。文学者が文学の本質を極めることで、社会に一定の影響を与えるというのならわかります。でも文学者のまま社会批評家になってもねぇ。それは狭い文壇の中での自己差別化にしからならんように思います。

 

んで大篠さんは保坂和志さんの『彫られた文字』を取り上げておられます。『「彫られた文字」という作品は、その冒頭を読めばその後の展開がだいたい予測できる。驚かされるような事件は起こらないし、著者の決定的な感覚や思想が表現されることもないと断言できる。(中略)人によってはダラダラと、別の人によっては著者と読者の愉楽として、いつまでも小説が続くことが願われているのだ』と批評しておられます。純文学ですな(爆)。

 

 

大篠夏彦 文芸誌時評 『No.102 文學界 2016年07月号』 ■

 

 

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斎藤都さんの文芸誌時評 専門文芸誌 『No.001 専門文芸誌について』をアップしましたぁ。文学金魚では現在サイトの改編中で、それにともない文芸誌時評も再編しています。『文芸5誌(純文学)』、『大衆文芸誌』、『カルチャー文芸誌』、『専門文芸誌』、『大学文芸誌』の5つのカテゴリに改編したわけですが、斎藤都御大に『専門文芸誌』の総論を新たに書いてもらいました。なお専門文芸誌とは『SFやホラーなどに特化した文芸誌のこと』です。

 

 極論を言えば、文学ジャンル、あるいは特定ジャンルの中のサブジャンルは、後に純文学やSFと呼ばれるようになる、ある強い指向を持った作家の資質によって成立している。優れた作家の資質が純文学やSFというジャンルを生み出すのであって、その逆ではない。簡単に言えば、作品を書くとどうしても純文学やSFになってしまう作家の資質がジャンルを成立させるということだ。どのジャンル(サブジャンル)でも、中核となる作家の作品は、資質とジャンル性が密接に結びついている。そのため資質=ジャンルである作家の作品は、作家論として展開されるときは、実質的に文学ジャンルを考慮されないことが多い。

(斎藤都)

 

石川も斎藤さんの書いておられるとおりだと思います。松本清張や有吉佐和子、筒井康隆や江國香織さんなどを、大衆作家や純文学作家、SF作家、恋愛作家と定義してもしょーがない。日本のサスペンスやSFのイメージは彼らの作品から生じているわけで、特定ジャンルの法則のようなものが優れた作家を生み出したわけではないからです。

 

ですから何かの〝型〟をなぞるのはダメなのです。もちろん型はテクニックでもあり、最低限の型=テクニックは身につける必要があります。しかし作家の表現欲求の核となる部分を型に押し込めたり変形させてしまってはいけない。そこは譲れない一線として意地を張り通す必要があります。型にはまった作品ほどつまらないものはない。

 

もちろん特定のメディアやジャンルで成功したいのなら、きっちり型を踏まえるのは一つの方法です。ただその方法を採るなら、とことん型に嵌める必要がある。そうすれば、なぜその型が必要とされるのか腑に落ちるまで考えることになり、型を破る可能性が出て来ます。漠然と型をなぞるからつまらない作品になる。大衆文学だけでなく、純文学小説でも意外と型にはまった作品は多いものです。

 

 

斎藤都 文芸誌時評 専門文芸誌 『No.001 専門文芸誌について』 ■

 

 

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連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第11回)をアップしましたぁ。『漱石論』は『日本近代文学の言語像』三部作の中の一冊で、『正岡子規論』、『森鷗外論』といっしょに今春金魚屋から三冊同時刊行されます。今回は『修善寺の大患 ―― 自我意識との格闘(後半)』です。漱石小伝も大詰めですね。あと一回でこの章は終了です。

 

漱石は文学の世界でできるだけ世の中に寄与する優れた仕事をしようという強い意識を持っていましたが、当たり前ですが自分を〝文豪〟だとは考えてはいませんでした。鶴山さんの漱石小伝を読んでもそれはわかると思います。漱石は晩年になるにつれて孤独感を深めてゆく。それにつれて漱石の思考も研ぎ澄まされてゆく。それは森鷗外も同じです。鷗外も文豪と呼ばれますが、最晩年の『北条霞亭』を連載する雑誌がなくなり非常に困った。商業メディアはどこも連載してくれなかったのです。もし鷗外が自分が文豪と呼ばれているのを知ったら『作品掲載場所くらい与えてくれよ』と言うでしょうね。

 

話は変わりますが、多くの作家はメディアに作品を掲載して欲しいと思います。有名メディアならなお結構です。そして作品が掲載されたらそれを本にして欲しいと望む。そして本になった時点で作家の興味は終わりのことが多い。本を売るのは版元の努力でしょとなる。しかしそれではダメなのです。自分の生産物に最後まで目を光らせなければどんな仕事も続きません。

 

もし本を出してもらったら、しつこく版元に何部売れたのか確認しなければなりません。どの程度売れたのか真剣に考える必要がある。予想以上に売れても、予想通りであっても考える必要がある。ぜんぜん売れなかったのなら、これはもう死ぬほど考える必要がある。夜も眠れないほど考えた方がいい。多くの版元は作家に実売部数を正確に伝えません。特に売上が悪ければ『まあまあですね』くらいでお茶を濁す。誰だってイヤなことは避けたい。特にサラリーマン編集者はそうです。そして社内会議で前の本の売上部数が示されたら次の本は絶対と言っていいほど出ない。それが一番怖いのです。

 

版元の規模によって求められるノルマ(売上部数)は変わります。最初から文庫本で出す出版社は万単位売れなければ採算が合わない。いわゆる単行本形式で出す出版元でも、小規模出版社で3千部くらいが採算分岐点になる。零細なら500~1,000部くらいが最低限度の採算分岐点になるでしょうね。印刷費用を回収して次の本が出せる最低部数ということです。

 

金魚屋もまた作家の能力や今の出版界の現状分析を前提として、目標売上部数をクリアできるだろう作家の本しか出さないのはほかの出版社と同じです。ただそのために必要な努力やノウハウはできるだけ作家に伝えます。自費出版ではなく版元から本を出すということは、その先にいる読者の顔を思い浮かべられるかどうかという問題でもあります。読者をまったく意識しない本が売れる確率は、宝くじに当たるようなものです。ゼロから一に踏み出すのはとてつもなく大変なことです。新人作家はその困難を超えてゆく大胆さと繊細な小心さを持っていなければ、現状の文学界を生き抜けないと思います。

 

 

連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第11回) 縦書版 ■

 

連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像)(第11回) 横書版 ■

 

 

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水野翼さんの文芸誌時評専門文芸誌『No.028 ミステリマガジン 2017年03月号』 をアップしましたぁ。『そしてクリスティーはいなくならない』という特集を取り上げておられます。現代風俗と比較するとクリスティー作品も古びてきています。松本清張とかが古びてきているのと同じです。でもエンタメ業界は相変わらず古典作品に目配りしています。リメイクドラマや映画が盛んに作られている。それはなぜなんでしょうね。

 

 そもそも、クリスティーはひとつのジャンルである、とも言える。それはクリスティーという個によって規定されるから、ジャンルとしての発展や継承はない。それでも独立したジャンル性を有するのは、いまだ汲めども尽きぬ謎があるからだ。ミステリーにとっては最高のことだが。

 クリスティーに内包される謎とはしかしもちろん、犯人は誰か、というものではない。(中略)かと言って、たとえばパトリシア・ハイスミスのような人間存在にかかる謎というものでもない。(中略)クリスティーの謎は(中略)少なくとも通常の意味で “ 文学的 ” なものではない。だがそれは本当に “ 文学 ” ではないのか。

(水野翼)

 

後はコンテンツを読んでいただきたいと思いますが、ミステリやSFといったジャンルが持っている文学性はとても重要なものです。それは文学の根源を指し示しながら、そこからズレてゆこうとする。その振幅の大きさがミステリやSFの魅力だとも言えます。

 

文学金魚では文芸誌時評を始めとして、現状の文学状況を多角的に検証しています。それが〝ほとんど徒労〟であることは、石川を始めとする執筆陣は重々承知しています。多くの作家とその卵たちは〝何かしてもらうこと〟しか考えていません。要するに自己顕示欲の塊であり、メディアはそれを達成するための踏み石でしかありません。

 

しかし現状の文学界がどれほど厳しい状況にあるのかは認識しておいた方が良い。文学金魚はその厳しさを著者にストレートに伝えますが、ほかのメディアは金魚ほど親切ではない。売れない作家は黙って切られるだけです。20代、30代でちょっと売れても50代くらいまでには行き詰まる作家がほとんどです。なぜか。考えないからです。

 

これほどマーケティングや戦略が口やかましく言われ、芸能人の行く末を始めとして、多くの人がそれをかしましく議論しているのに、文学者は相変わらず作家と呼ばれ特権的先生になることを夢見ているように思えます。でもそれは甘い。これからさらにそういった幻想は潰えてゆきます。本気であるジャンルで活動し、対価を得て生きてゆこうとするなら、情報を集め、それについて真剣に考えることは不可欠です。

 

 

水野翼 文芸誌時評 専門文芸誌『No.028 ミステリマガジン 2017年03月号』 ■

 

 

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山際恭子さんのTVドラマ批評『No.157 嘘の戦争』をアップしましたぁ。関西テレビ放送系列で火曜21時から放送されているドラマです。草彅剛さん主演で藤木直人、水原希子、菊池風麿、マギー、大杉漣、山本美月、市村正親さんらが出演しておられます。脚本は後藤法子さんです。石川も毎回なんとなく見てしまっております。最近のドラマの中では秀作ですねぇ。でも連続ドラマだから見てられるのかもしれないなぁ。

 

 主人公は子供の頃に家族を殺され、それを一家心中だと証言させられている。ドラマはそれへの復讐劇であり、この時点でうんと重い。そうならざるを得ない。しかし成長した主人公はなぜか詐欺師になっていて、この詐欺のテクニックを使って復讐を試みる、というよくわからないコンセプトだ。正義の戦いに、なぜ詐欺仲間の協力や詐欺的なテクニックが必要なのか。(中略)

 もちろん詐欺というテーマは魅力的だ。ただ詐欺師を主人公にした物語というのは、もとより造りが違う。そこでは殺人は起きてはいけないのだ。あったとしてもそれが表にずんずん出てきてはいけない。詐欺師の持つテクニックを見せ、楽しませようというコンセプトならなおさらだ。

(山際恭子)

 

そーなんだよなー。詐欺師が引っかかるし、山際さんが批評しておられるように、詐欺師モノでは「殺人は起きてはいけない」んだな。詐欺師が人を詐欺にかけて、その人が死んでしまって激しく動揺するという小説や映画はけっこうあります。テレビドラマとしては『嘘の戦争』は面白いですが、シーケンシャルな映画ではこの脚本のままでは行かないだろうなぁ。

 

テレビドラマは毎回勝負ですから、1回ごとに事件を入れていかなければなりません。ただ10回とかのクールで継続したテーマも織り込まなければならない。それはバランスというより、作品の前提となる構造(ストラクチャ)の立て方の問題ですね。作品の本質となるテーマの強さによって毎回の事件が引き立つような構造をあらかじめ作っておかないと、どこかで息切れしてしまふと思います。

 

 

山際恭子 TVドラマ批評 『No.157 嘘の戦争』 ■

 

 

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第03回 文学金魚新人賞受賞作 青山YURI子さんの連載小説『ショッキングピンクの時代の痰壷』『No.003 ガム屋敷のふたり/キルスティン』をアップしましたぁ。ん~青山さんの小説の組版はむちゅかしひ。縦書版でも横書版でも正確にオリジナルを再現できないなぁ。どーぞ両方ともチェックしてみてください。縦書き横書きを組み合わせた形がオリジナル原稿に近いでふ。

 

 「ねえ結局、イタリア人なの、フランス人なの、ポルトガル人なの、日本人なの?」

 彼は映画を見るたび、その国の人物になりきってしまうのだ。

 どこを見ても彼がいる。後で映画を見返すと、イタリア人にもフランス人にもポルトガル人にも、スロベニア人にもスペイン人にもなった彼がいる。彼のリズムとメロディーを刻む人間がこんなにたくさん名作の中に隠れていると、もしも大人になった時、もしも離れることがあった時、困ることになると思う。

(青山YURI子『ガム屋敷のふたり』)

 

この記述は青山さん自身への言及でもあるだろうなぁ。外国で長く暮らしていると、その国の文化や思考の影響を強く受けることがあります。しっかし青山さんはどっぷり日本人だと思います(爆)。でもある種の憑依能力がある。憑依であって同化はないと言うべきかな。作品は前衛的に見えるのですが、空疎な観念的前衛の気配がない。かなりしっかりとした根があって憑依してゆくような小説だと思います。多少エロチックなのもそのせいだろうなぁ。文字と絵と動画を組み合わせた表現が青山さんの理想なのでしょうね。

 

何度も書いていますが、文学金魚では現状の停滞気味の文学状況を活性化できる作家を求めています。もちろんそんな努力はどのメディアでも行っています。しかし過去の文学状況や制度のしがらみのない新しいメディアでそれを実現するのが一番効果的だと思います。第4回金魚屋新人賞の締め切りがもうすぐですね(今月31日まで)。才能ある作家さんと出会えるのを楽しみにしております。

 

 

青山YURI連載小説『No.003 ガム屋敷のふたり/キルスティン』 縦書版 ■

 

青山YURI連載小説『No.003 ガム屋敷のふたり/キルスティン』 横書版 ■

 

 

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第03回 文学金魚新人賞受賞作家 原里実さんの連作短篇小説『海辺くん』をアップしました。東大ハラ坊の連載短編小説第二弾です。原さんは、今のところと言うべきでしょうが恋愛小説作家です。ただその恋愛観念が尋常ぢゃなく高い。オジサンの石川がちょいと心配になってしまふくらいのレベルです(爆)。でもこんな天にも届くような恋愛小説を書ける作家は、石川の知っている範囲では江國香織さんくらいだな。

 

 「海辺くん、楽しい」

 わたしはカメレオンみたいだ。というより、カメレオンの逆、ということはンオレメカ。海辺くんがしゃべらないから、きっとわたしがしゃべっている。まわりとおんなじ色になるのがカメレオンなら、まわりとは反対の色になってバランスをとるのがンオレメカ。

 海辺くんは空を見たままである。わたしのくちはすらすらとトランペットのようにしゃべる。よく知っている歌を歌うのとおんなじだ。考える前に口が動く。

 「海辺くん、さみしい」

 海辺くんのとなりは、心地が良いなあと思う。静かで、おだやかで、正直で、よけいなものをまとわない、きれいな海辺くん。

 「みんな海辺くんみたいならいいのに」

 わたしがつぶやくと、海辺くんはまた、ざり、と頭を傾けて、こちらを見た。そしてばかじゃねえの、みたいな顔をした。

 「ほんとうよ」

 わたしは言った。けれど海辺くんはなにも答えなかった。

(原里実 『海辺くん』)

 

実に原さんらしい小説の流れです。この作家は読者を得られるだろうなという予感がします。もちろんそれは今後の原さんの努力次第です。現在すでに純文学系の作家は本が売れなければ原稿料収入を期待できない時代になっています。一昔前の文学幻想を引きずって、稿料で食べられるなどと甘いことを考えてはいけない時代に完全に突入しています。読者を獲得して読者を裏切らない良質の本を書けなければ作家の将来はありません。

 

文学金魚新人賞は枚数無制限、テーマ不問、文学界での実績も不問ですから、出たとこ勝負の新人賞です。ただ既存の文学幻想に囚われない、あるいはそこから抜けだそうとする作家さんたちを的確に評価できる自信はあります。〝あなたもすぐ簡単に作家になれる〟などと甘いことは言いませんが、金魚屋も作家と同様に努力して結果を出してゆこうと思います。

 

 

原里実 連作短篇小説『海辺くん』 縦書版 ■

 

原里実 連作短篇小説『海辺くん』 横書版 ■

 

 

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寅間心閑さんの『肴的音楽評』『No.013 ゴーイング・アンダーグラウンド』をアップしましたぁ。今回はポール・ウェラーとTheピーズ、それにヴェベット・アンダーグラウンドが酒の肴です。エッセイのタイトルも『ゴーイング・アンダーグラウンド』になっていますが、正統派酒飲みの寅間さんによる、東京地下街の酒場案内でもあります。

 

 そうだ、地下で呑もう。店単体より地下街がいい。フラフラできるもの。ただ都内は意外と難しい。例えば大阪。地下街「ホワイティうめだ」は、朝九時から呑める。構内の立呑み屋は、どこも扉開けっ放しに暖簾。気軽にくぐれる。素晴らしい。

 都内にも呑める地下街はある。けど何かが違う。どこか構えちゃう。構えなくていいのは、やっぱり立ち食い蕎麦。有楽町「M」は帝劇の地下二階。何の縁か関西最大規模のチェーン店。梅田にもある。肴は100円台の天ぷら。そばつゆで出してくれる。しかもネギまで。オバチャン、ありがとう。ビールの栓を自分で抜けば、そこは立呑み屋。扉開けっ放しに暖簾だし。そういえば、蕎麦はまだ未経験。近いうち、必ず。

(寅間心閑)

 

昔から酒飲みの文学者が、大酒を飲む自分を正当化するような文章はたくさんあります。酒を飲まないと料理の味がわからない、文学がわからないといったものですね。また酒の味を引き立てるために、古備前や古唐津の贋作骨董を高い値段出して買っている詩人もいらっしゃる(爆)。でも寅間さんのエッセイにはぜんぜん文学的臭みがない。このお方、ホントに酒と料理が好きで、休みの日には朝から晩まで都内の酒場をハシゴしたりするのです。

 

寅間さんは現在文学金魚で『証拠物件』を連載中で、この小説、純文学的心理小説なのにとても面白い。読ませる力があります。石川がもう一押し欲しいと思うのは〝現代性〟です。文学金魚で連載していただいた寅間小説は『再開発騒ぎ』と『証拠物件』の2本ですが、下北沢再開発とオレオレ詐欺がテーマです。ただそれが現代風俗に見えてしまう。オーソドックスで王道を行く作家ですが、その力が原初的な小説の底を突き抜けて現代性を得れば、寅間さんという作家は大化けするような気がします。

 

 

寅間心閑 『寅間心閑の肴的音楽評』『No.013 ゴーイング・アンダーグラウンド』 ■

 

 

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池田浩さんの文芸誌時評『No.105 小説 野性時代 2016年 12月号』をアップしましたぁ。特集は『小説は進化する』ですが、昔からジャーナリズムは〝反〟とか〝超〟とかいった変化や進化を示唆する文言が大好きです。ただま、月刊誌でそんなことやってもあんまり意味がない。前月号に対する反とか超とか進化とか変化ならわかりますが(爆)。池田さんはだから『問うべきは「特集」というシステムそのものなのだろう』と批評しておられます。

 

 生物以外の「進化」という概念と親和するのは、言うまでもなく戦後の拡大再生産の図式である。だが文学がそのような社会の発展と歩調を合わせ、商業文芸でない、純文学的な営為も拡大再生産に乗り得るという幻想を生きたのはほんの短い数年だ。その頃に物心つき、そういうものだと刷り込まれた世代がいるにはいる。(中略)一番哀れなロスト・ジェネレーションになるのは、その辺りではなかろうか。後から振り返ると、何も残ってないことになるだろう。それは華やかだった戦後文学の最盛期に乗り遅れたからではなく、それが一時のトレンドだということを見誤り、潮目を読み違えてその価値観に固執したことからくる。何もかもが古びてみえるとはそういうことだ。

(池田浩)

 

池田さんはまた、『潮目を読むとは言ってもしかし、そこは実は嗅覚やら機敏さやらではなく、本質的な価値観が試されたのではないか。文学のある様相が一時の雰囲気に過ぎないと見てとるのは、文学が本来どういうものか知っている者に限られる』とも批評しておられます。

 

1980年代に潮目が変わり始め、2000年紀にはそれが動かしがたい潮の流れであることがはっきりしました。その中で昔ながらの文学幻想にしがみつく文学者と、新たな潮流を模索しようとする文学者がじょじょに乖離し始めています。

 

まー人間が精力的に活動できる期間はだいたい就職してから退職するまでの40年くらいです。それは文学でも同じです。この期間、現世を生き延びられればそれで良しとする文学者がいても別に不思議ではない。でもそれってチョーつまんないですよね。少なくとも文学金魚ではそういった作家はいらないなぁ。

 

 

池田浩 文芸誌時評『No.105 小説 野性時代 2016年 12月号』 ■

 

 

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高嶋秋穂さんの詩誌時評『歌誌』『No.030 角川短歌 2016年07月号』をアップしましたぁ。大特集『30年目のサラダ記念日』を取り上げておられます。高嶋さんは『俵万智さんの知名度はあらゆる歌人を凌ぎます。(中略)では歌壇ではどうでしょうか。ストレートに言うと俵さんは歌壇にほとんど何も寄与していません。もちろん意図的に背を向けているわけではありません。歌壇も(中略)対外的な〝歌壇の顔〟として俵さんを大事にしていると言ってもいいでしょうね。しかし俵さんと歌壇は本質的に接点が薄い』と書いておられます。

 

 比喩的な言い方になってしまいますが俵さんの写真は記憶に残ります。おかっぱで少女っぽい雰囲気が漂います。(中略)この比喩的に言う〝永遠の少女歌人の万智ちゃん〟は普通なら大きな軋轢が生じるような社会的規範をなんの熱もなくまたさしたる抵抗にも遭わずにスルリと抜けてゆく。それが許されている希有な表現者でもあります。俵さんがどんな人生を辿ろうとも今後もそれは変わらないでしょうね。

 吉本隆明は俵さんについて「この人は、本当に自分を特別な人と思ってない。どう読んでも、そうとしか思えない」と書きました。(中略)それは吉本さんが俵さんにある大きな欠落を感じたということでもあります。俵さんは特別な作家でありご自身はその特別という感覚を欠落させておられる。

(高嶋秋穂)

 

今回の高嶋さんの歌誌時評といふか俵万智論は、石川、けっこうウケました。まー歌壇ドメスティックな精神からは生まれて来ない批評だなぁ。唐突ですが、書家さんっていらっしゃいますね。現世で高い評価を受けている書家で、後世までその作品が評価される方ってほとんどいません。生きている間に弟子たちが作品を買うので値段が支えられている面がある。

 

こんなこと言うとちょっと怒られてしまいますが、歌人俳人もちょいと書家さんに似てるところがあります。創業者世代は別ですが、近世に入って一般的知名度を誇る歌人・俳人は素人とプロの狭間の方が多い。精神があるジャンルどっぷりにならないことはとても大切です。永田町の政治家さんたちみたいに、大衆の気持ちがわかんなくなっちゃいますよ(爆)。

 

 

高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『No.030 角川短歌 2016年07月号』 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

第04回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。

第04回募集要項_cover_01

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■

 

 

 

 

 

 

 

岡野隆さんの『詩誌時評-句誌』『No.061 月刊俳句界 2016年07月号』をアップしましたぁ。特集『阿久悠の世界』を取り上げておられます。言わずと知れた、歌謡曲の大作詞家です。明治大学の中に、阿久悠記念館があるですね。知らんかった。ただ阿久悠さんの歌詞、目で読んでも魅力的です。

 

 (岩崎宏美の)『ロマンス』は思春期の女の子の恋心を書いた詩だが、ここまで激しい女の子の恋心には、現実の輪郭を持ったどんな男も釣り合わない。女の子の恋心が、ほとんど抽象の神を求めるように燃えさかっているからこの歌詞は純なのだ。(都はるみの)『北の宿から』も同じで、「着てはもらえぬセーターを」とは書いてあるが、男が生きているのか死んでいるのかはわからない。「あなた死んでもいいですか」という行が現れるが、この絶望は生きているにせよ死んでいるにせよ、男が絶対的に不在だから生じる。もう手の届かないところにいるのだ。その至高点に向かって女心が一筋に燃えあがり、その純な思いを歌詞として言い切っている。

(岡野隆)

 

岡野さんが読み解いておられるように、阿久悠さんの歌詞には筋の通った観念があります。まあ並みの自由詩人より遙かに上だな。阿久悠さん、自由詩の世界で活動しても成功なさったと思います。でもこれだけの才能、世の中がほっとくわけないですよね(爆)。

 

岡野さんは『で、人間の感情を歌う短歌ならまだしも、阿久悠さんの歌詞から俳句が学べることは、残念ながらほとんどないだろう』とも書いておられます。面白い特集ですが、句誌ならやっぱり特集と俳句文学を、どこかで接続するような工夫なり著者なりを用意しなくてはならないでしょうねぇ。

 

 

岡野隆 『詩誌時評 句誌』『No.061 月刊俳句界 2016年07月号』 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

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第2回 辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑(とらま しんかん)さんの連載小説『証拠物件』(第11回)をアップしましたぁ。五章下編です。いよいよ大団円が近づいてまいりました。心理モノの一人称一視点小説なんですが、動きがある。このくらいディープな心理小説になると、動的な感じがなくなりがちなんですけどね。主人公コウタの、ちょいとヤンキーっぽい繊細な乱暴さが利いているのかな(爆)。

 

 「……俺と、付き合ってくれませんか」

 タイミングを間違ったかもしれない。ふと、働いているキャバクラの場所もまだ知らないんだよなと思う。テレビに映っている映画は昔のものなんだろうか、ドレスを着た金髪の女が、古めかしい電話機のダイヤルを回している。

 「私なんかでいいの? 年上だよ」

 耳元で囁く声。はい、と答える。いいも悪いもあるもんか。

 サキエさんの腕に力が入る。交渉成立、だ。素直に嬉しい気持ちはもちろんあるが、もう一つの気持ちが血管に流れこんでいく。

 ――人質。

 そう、サキエさんは人質だ。

 ボス、逃げようったってそうはいかないぜ、こっちには人質がいるんだ。

(寅間心閑『証拠物件』)

 

『テレビに映っている映画は昔のものなんだろうか、ドレスを着た金髪の女が、古めかしい電話機のダイヤルを回している。』はいいですねぇ。無意識的作家の記述なんですが、いい作品には必ずこういったスリップがある。石川、寅間さんという作家にじょじょに焦点が合ってきたように思います。あと一歩だなぁ。あ、そりは石川の勘次第なんですけんど(爆)。

 

 

寅間心閑 連載小説『証拠物件』(第11回) 縦書版 ■

 

寅間心閑 連載小説『証拠物件』(第11回) 横書版 ■

 

 

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小原眞紀子さんの連作詩篇『『ここから月まで』 第13回 路/禁/扉』をアップしましたぁ。小原さんのCool抒情詩第13弾です。『扉』といふ詩篇は小原さんらしい作品ですね。理知的ですが思想的堅苦しさがない。抽象からスッと具体に抜けようとする。

 

僕の肉体がここにあるとき

僕の意識は向う側にある

問題なのは

僕には向うが見えないことだ

意識はあるというのに

目がこっちに留まっているから

それはまずいので

目を皿のように

向う側を見つめる

(小原眞紀子『扉』)

 

石川、自由詩に対して厳しいことを言いますが、理由はこのジャンルがマジでヤバイことになっているからです。その割には詩人さんたちは呑気なんだな。ちょい前まで日本の詩の序列は自由詩がダントツトップでした。今は俳人、歌人さんですら『一昔前に現代詩の時代があってさ』と公然と言うようになっています。でもなぜか詩人さんたちは〝一昔前の現代詩〟の栄華かなんかしりませんけど、それに囚われてるんだな。

 

小原さん、ぽんぽん作品を書きます。詩でも小説でも批評でもお書きになれる。マルチジャンルで多作です。状況は短期的に見れば10年くらいのスパンで変わってゆきますが、ここ10年から20年の間は、詩のジャンルに関しては〝いかに既存の詩の概念から抜け出すか〟がアポリアになると思います。それが現代の詩であって、現代詩という過去の遺物ではごぢゃりません。

 

 

小原眞紀子 連作詩篇 『『ここから月まで』 第13路/禁/扉』 縦書版 ■

 

小原眞紀子 連作詩篇 『『ここから月まで』 第13路/禁/扉』 横書版 ■

 

 

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連載リレーエッセイ〝あなたが泣けるもの〟鶴山裕司『No.004 あなたが泣けるもの4』をアップしましたぁ。ぽんぽん話が飛びながら、まとまっているやうなまとまっていないやうな、やっぱりちゃんとまとまっているエッセイらしいエッセイです。漱石さんの『三四郎』についてちょっと書いておられます。

 

 引用は、今は三四郎池と呼ばれている東大の中の池のほとりで、三四郎がヒロイン・美禰子(みねこ)と初めて出会うシーンである。白い花の匂いをフンフンかぎながら歩いてきて、三四郎をじろっと見て花を落としてゆくことからわかるように、美禰子ちゃん、かなり思わせぶりである。当時のことだから積極的に三四郎にモーションをかけることはないが、明らかに彼に自分の存在を意識させて気を惹いている。

 ただまあ、そんな美禰子ちゃんにまんまと乗せられて、ハヒハヒ言いながら走っていって、花を拾ってしまうところが身につまされる。男の子だなぁとしみじみ思う。中学生くらいの時に、好きな女の子の前でカッコイイところを見せようと、生け垣を跳び越えようとして思いきり木に足を取られ、すっ転んで爆笑された思い出なんかが甦ってくる。カッコ悪い。でも「たゞ(だ)何だか矛盾であつた」としか表現しようのない男の子の直情である。漱石先生にはほかにも恋愛小説があるが、三四郎と美禰子の出会いほど新鮮なシーンはない。

(鶴山裕司『あなたが泣けるもの4』)

 

エッセイは簡単なようで難しい。小説は書けてもエッセイはダメという作家はたくさんいます。物語を作る方が難しいように思うのですが、そうでもないんですね。ただエッセイばっかり書いていると、小説などの長い作品では息切れしてしまうやうなところがあるから難しい。ただ何事にもコツはあると思います。エッセイは迷ったらアウトですね。流れに沿ってスラリと書き抜ける。じっくりお楽しみください。

 

 

連載リレーエッセイ〝あなたが泣けるもの〟鶴山裕司『No.004 あなたが泣けるもの4縦書版 ■

 

連載リレーエッセイ〝あなたが泣けるもの〟鶴山裕司『No.004 あなたが泣けるもの4横書版 ■

 

 

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純文学エンターテイメント作家、遠藤徹さんの連載小説『ゆめのかよひじ』(第13回)をアップしましたぁ。『ゆめくい』篇です。友達のかなちゃんが奇妙で怖い夢を見たと話しかけてきたので、主人公の女の子は夢の話をすることになります。

 

 「ところがね、ふいにじしんがあったの」

 「へえ、ゆめのなかでじしん?」

 「そうなの、なにもかもがぐらぐらってゆれて、それから、ゆめのてっぺんがかじられちゃったのよ」

 「かじられた?」

 きみょうなひょうげんでした。どうして、ゆめがかじられたりするのでしょう。

 「そうなの、パーティーかいじょうのてんじょうのいちぶが、ぱっくりきえたの。そこだけが、まっくらになった。むしゃらむしゃらって、なにかをたべるおとがしたわ。つづいてふたくちめ、てんじょうからゆかのいちぶにかけてがぱっくりたべられちゃった。

(遠藤徹『ゆめのかよひじ』)

 

子供は現実と異次元世界を混同しがちですが、それは現実世界の様々な要素に阻害されず、ある真理を見抜く能力でもあります。遠藤さんにとって想像界は無限の可能性を秘めたイメージ世界ですが、子供から大人に至るある無意識的夢や恐怖を導き出す力をお持ちです。

 

編集者だから当たり前ですが、石川は作家さんから原稿をいただいて読み、それをアップする前にまた読みます。それを繰り返してゆくと、作家さんの力量がなんとなくわかってくることがあります。

 

遠藤さんはとても奇妙な作家さんです(爆)。でも作家として力があり、ただちょっとそれを世の中にアピールする道筋ができていない。じょじょにそれを考えてゆこうと思います。

 

 

遠藤徹 連載小説 『ゆめのかよひじ』(第13回) 縦書版 ■

 

遠藤徹 連載小説 『ゆめのかよひじ』(第13回) 横書版 ■

 

 

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原作・小原眞紀子、作・露津まりいさんの連載サスペンス小説『お菓子な殺意』(第07回)をアップしました。第4章『ショコラを砕けば香りは高く(前編)』です。スターさんのマネジメントをするのは大変ですな。テレビなどに限らず、大勢の前に出てて演技や演奏をするのはもんのすごいエネルギーを人間に要求するらしひ。スターさんが多少わがままになってもしょうがないメカニズムがあるやうです。

 

ただま、このメカニズムは作家にもかなりの程度、当てはまります。作品を世の中に出してゆくことは、四方八方から批判的な視線にさらされるということです。それをグッと受け止めて、さらに書き続けてゆく精神力がないと作家にはなれません。作家なら誰でも日の当たる場所で活動したいと願っているでしょうが、一番気楽なのはある種の詩人さんたちのように、日陰と日向のグレーゾーンで物書きというプライドだけを維持してゆくことかもしれません(爆)。

 

 出て行こうとする彩子を、「ちょっと」と、カオルは呼び留めた。

 「あんたさ、この企画終わっても、付き人を続ける気はないの」

 「まず、無事終わるかどうか」と、彩子は低く呻った。

 「それはそれとして」

 カオルは馬鹿に物わかりよく頷いた。

 「わかったんだ。あんたは理想の付き人だよ。お菓子も作れて、占いもできる」

 「インチキ占いはお嫌いでしょ」彩子はやっと言い返した。

 「大っ嫌い」カオルは満面に笑みを浮かべた。

 「でも、ないよりましよ。だいいち好きとか嫌いとか、あんまし自分でわかんないんだ、あたし」

(原作・小原眞紀子 作・露津まりい 連載サスペンス小説『お菓子な殺意』)

 

カオルさん、なんか不穏なことを言い始めましたねぇ。これがどう物語の伏線になってゆくのか、ちょー楽しみであります。

 

 

原作・小原眞紀子 作・露津まりい 連載サスペンス小説『お菓子な殺意』(第07回) (縦書)版 ■

 

原作・小原眞紀子 作・露津まりい 連載サスペンス小説『お菓子な殺意』(第07回) (横書)版 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

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Interview of gold fishes 第20回 筒井康隆『宙を行く創作の旅(上編)』をアップしましたぁ。筒井康隆先生についてはもう説明する必要もないですよね。日本のSF小説の大家であり、『時をかける少女』を始めとする大ベストセラーを連発した流行作家で、『虚人たち』を始めとする前衛文学作家でもあります。脚本家で演劇人でもいらっしゃる。

 

石川、筒井先生を心から尊敬しております。流行作家として数々の苦しみをお舐めになったことは、作品を読めばよくわかります。でも過ぎてみれば、先生は文学の世界で好き勝手おやりになった。現在も好き勝手できる数少ない作家であります。それは筒井先生が圧倒的な読者の支持を得ているからです。これは物凄く単純な原理です。しかし文学の世界で一番強力な原理でもあります。

 

よく知られているように、筒井先生はあれだけのヒットメーカーでありながら、直木賞などの賞に恵まれませんでした。しかしそれは今になれば、先生の前衛性に文壇がついていけなかったからだと総括してしまっていいと思います。有名賞を受賞しても、次の作品が売れなければ意味がない。数多くの読者を抱えているのが作家にとっての最高の栄誉です。

 

筒井先生からは学ぶべき点がたくさんあります。大衆文学に凝り固まっても、純文学に凝り固まっても活路は拓けません。特に現在はそういう時代です。とにかく読者を意識すること。誰に向けてどんな作品を書くのか、作家が強く意識しなければ絶対に生き残れません。かなり高いレベルになりますが、筒井先生的な作家のあり方は、若い作家にとっても一つの指標になると思います。じっくりインタビューをお楽しみください。

 

 

■ Interview of gold fishes 第20筒井康隆『宙を行く創作の旅(上編)』 縦書版 ■

 

■ Interview of gold fishes 第20筒井康隆『宙を行く創作の旅(上編)』 横書版 ■

 

 

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日本が誇る世界的特殊作家、三浦俊彦さんの連載小説『偏態パズル』(第100回 最終回)をアップしましたぁ。『偏態パズル』、遂にフィナーレであります。石川、正直なところ、この小説が完結を迎えるとは思ってなかったなぁ。完全に無限増殖テキストだと思います。

 

桑田康介は、ナオミおろちの表面に浮き出ている未消化粒々や色の変化を忠実に日本語に変換する作業に没頭し、その翻訳成果を『偏態パズル』として脱稿した記念的な年が今日ではおろち元年と定められている。おろち学者等の長年に及ぶ検討により、事実『偏態パズル』の一字一句が、おろち黎明期の歴史を完全忠実に再現していることが確認された。ナオミおろちの模様において最大の謎とされたのは、ナオミおろちの末尾が次第に細りながら頭から尻尾までの同じ模様を繰り返し、それがだんだん合わせ鏡のように縮小しながら繰り返されてちょうどフラクタル模様風に自己再現を反復しつつ消えてゆく形になっていることだったが、この謎を解決したのは『偏態パズル』そのものだった。すなわち、『偏態パズル』の執筆・公刊それ自体が、おろち黎明史の末尾の一部としてナオミおろちの中に記録されていたということだったのだ。『偏態パズル』にはおろち黎明史の主流がそっくり記述されているわけであるから、それがおろち黎明史の末尾につくということは、末尾が全体の縮小的反復を成すということである。しかも『偏態パズル』そのものがおろち黎明史末尾まで記述しているということは、『偏態パズル』自身についても記述しているということであり、この自己反復は次第に縮小しながら合わせ鏡的に極限接近的に続いてゆくのである。

(三浦俊彦『偏態パズル』)

 

おろち学は三浦センセのライフワークであり、自己再現と反復の魅力であります。『偏態パズル』はいちおうの目出度い完結を迎えましたが、三浦センセの精神的健康と溢れるやうな筆力のためにも、続編、続続編をお願いしたいと思っておりますぅ。

 

 

三浦俊彦 連載小説 『偏態パズル』(第100最終回) 縦書版 ■

 

三浦俊彦 連載小説 『偏態パズル』(第100最終回) 横書版 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

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連載翻訳小説 e・e・カミングス著/星隆弘訳 『伽藍』(第02回)をアップしました。戦場を舞台にした小説はヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』などが有名です。スペイン内戦のお話で、ヘミングウェイらしいロマンチックな小説です。でもカミングスの『伽藍』はぜんぜん違います。

 

 大成功さ、アメリカ赤十字社ノートン=ハージェス救急隊第二十一衛生分隊所属志願運転兵としての半年間の任期を、Bと俺は三ヶ月弱で済ませたんだ、そしてその後体験することを踏まえればこう宛字してしかるべきその運命を境に、分隊長の私物のT型フォードを洗車して油をさしておく(正式に言うとお清めする)くそみたいな仕事ともすっぱり縁が切れたわけで、この分隊長なる紳士のことは便宜上A氏としよう。偉大なる我が国大統領閣下の独特の言い回しに倣えば、プロイセンの暴虐の魔手から文明を救わんとして着手した大仕事をついにやり遂げた我々が味わうはずの湧き立つような高揚感でさえ、御生憎様、なんの因果か俺たちの上官となった男とどうしても打ち解けられなかったがためにいくらか興醒めした。

(e・e・カミングス著/星隆弘訳 『伽藍』)

 

『伽藍』はカミングスの詩からはちょっとイメージできないような、リアルで、それでいて内面的表現に満ちています。だいたいフランス警察に拘引されてゆくシーンが『聖地巡り』ですからね(爆)。戦争の馬鹿馬鹿しさ、その理不尽さは、ヘミングウェイよりもカミングスの作品の方により正確に表現されています。

 

 

連載翻訳小説 e・e・カミングス著/星隆弘訳 『伽藍』(第02回) 縦書版 ■

 

連載翻訳小説 e・e・カミングス著/星隆弘訳 『伽藍』(第02回) 横書版 ■

 

 

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連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第10回)をアップしましたぁ。『漱石論』は『日本近代文学の言語像』三部作の中の一冊で、『正岡子規論』、『森鷗外論』といっしょに今春金魚屋から三冊同時刊行されます。今回は『修善寺の大患 ―― 自我意識との格闘(前半)』です。

 

よく知られているように、漱石は明治四十三年(一九一〇年)に伊豆の修善寺で大吐血して生死の境をさまよいました。漱石文学はこの〝修善寺の大患〟を境にして明らかに変化します。わたしたちの記憶に強く残る〝自我意識文学〟になるわけです。危篤状態を経験した漱石が、もう時間がないという意識をもって、彼にとって最も切実なテーマに向かい合い始めたのだと言っていいでしょうね。。

 

それにしても漱石は胃潰瘍、子規は結核、鷗外は腎不全で亡くなったわけですが、今なら治る病気なのになぁといふ気がしてしまいます。漱石は49歳といふ若さで亡くなったわけで、実働期間は驚くべきことに12年です。まあビートルズも実働約10年ですから、全盛期に入った作家の実働期間は10年くらいなのかもしれません。

 

鶴山さんも書いておられましたが、石川も現在の世の中は過渡期だと思います。漱石は『野分』で明治初年代から三十年代に名を成した文学者は、偶然とラッキーに恵まれただけであり、文学史から消え去るだろうと書いています。現代も危ういですね。一九八〇年代から二〇〇〇年にかけて評価された文学者のうち、何人後世まで読まれるかなぁといふ状態です。いや生きている間にその作家としての地位を保てるんだろうか。

 

もっと深刻なのは、一九八〇年代頃まで第一線で活躍し、今も書いておられる作家の作品が、とっても言いにくいですがまるで前世紀の遺物のように感じられてしまふことです。明らかに二〇〇〇年紀の前後で断絶が起こっています。それに目をつぶって新しい文学は生み出せないだろうなぁ。ベテラン作家も若手作家も等しく厳しい時代を生きています。

 

 

連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第10回) 縦書版 ■

 

連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像)(第10回) 横書版 ■

 

 

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大野ロベルトさんの連載映画評論『七色幻燈』『第九回 溶ける石と本』をアップしましたぁ。大野さんは映画セットの中の大理石について、『大理石は熱や圧力で変成を来した石灰岩であり、現在の雲南省にかつて存在した大理国がこれを多く産したことから、その名で呼び習わされている。(中略)大理石は複数の色が溶け合い、波紋や木目のような表情を持つところから、邸宅の柱や装飾に多用されたのである。マーブル模様という言葉が日常的に使用されていることからもその普遍性は明らかだが、そもそもマーブルの語源は「輝く石」だから、大理石は美と富そのものの象徴であったといっても過言ではない』と書いておられます。なるほど。

 

また欧米の映画でしばしば目にする図書室について、『学者の書斎とか、紳士クラブの図書室を目の当たりにするたびに、私たちはある馬鹿げた疑問を抱くものだ。つまりその書物に囲まれた空間の住人は、果たして本当に万巻の書物を読んでいるのだろうか、という疑問である。(中略)要するに図書室や書斎に置かれた書物というものは、日本庭園でいうところの借景のようなものである。それは一山の書物による、巨大な知の提喩なのだ』と書いておられます。やっぱそうだよなぁ(爆)。

 

現代では、書物はますます〝知の提喩〟になりつつあります。書物は〝情報〟であり〝物〟であるわけですが、この2つのバランスが今後どうなってゆくのかは、過渡期なのではっきりとはわかりません。ただ書物の〝物〟としての物理的・心理的〝重さ〟は必然的に軽くなってゆくでしょうね。作家と出版社はそれがメインストリームになるだろうといふ予測を持って、戦略を立てていった方がいいように思います。

 

石川は古い人間ですから、紙の書物には強い愛着がごぢゃります。ただ現在は、今まで紙の本でしか読めなかったものが情報化され、発信された膨大な情報の中からほんの一部が紙の本になるといふ時代です。変化はゆっくりしているようで、振り返ってみると意外な早さで訪れたなぁといふ感じになると思います。今は作家も出版社もかなり舵取りが難しい時代になったのは確かであります。

 

 

大野ロベルト 連載映画評論 『七色幻燈』『第九回 溶ける石と本』 ■

 

 

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小松剛生さんの連載ショートショート小説『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.027 コオロギと殺し屋 (3)/コオロギと殺し屋 (4)/傘を書かない世界の話』をアップしましたぁ。『コオロギと殺し屋 (4)』の『世界の終わりのあと、自分ひとりだけ電話ボックスに閉じこもっている。扉の向こうでは作業員の男たちが何やら話し込んでいる。』っていう記述はいいなぁ。なんてことはないんですが、魅力があります。

 

 もうひとつ、彼女との思い出について書こう。

 彼女は犬を飼っていた。

 名前をクリント・イーストウッドといった。

 「なんでそんなめんどくさい名前にしたの」

 クリント・イーストウッドはちっとも僕に懐いてくれず、彼女の足元に寝そべりながらちらっとこっちを見たかと思うと、目を閉じた。

 「泳げるから」

 「泳げると、どうしてクリント・イーストウッドなの」

 「昔、そんな名前をした豚がいたから」

 その豚は泳げたらしいから。

 僕がすべてを理解できたとはとても思えないけど、それは彼女なりの世界を記述する方法だったのかもしれない。

(小松剛生『傘を書かない世界の話』)

 

これはもう、小松さんの独壇場ですね。俗から聖への飛躍があります。

 

んで第4回金魚屋新人賞の締め切りが近づいてまいりました。来月3月31日締め切りです。金魚屋新人賞はジャンル制限なし、枚数制限なしの新人賞です。この要項自体、金魚屋が新人の皆様に求める新しさのメッセージです。また新しい才能に出会えるのが楽しみです。ご応募お待ちしております。

 

 

小松剛生 連載ショートショート小説 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.027 コオロギと殺し屋 (3)/コオロギと殺し屋 (4)/傘を書かない世界の話』 縦書版 ■

 

小松剛生 連載ショートショート小説 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.027 コオロギと殺し屋 (3)/コオロギと殺し屋 (4)/傘を書かない世界の話』 横書版 ■

 

 

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