総合文学ウェブ情報誌 文学金魚

私達の故郷は日本語です。金魚屋プレス日本版は、日本語で書かれるあらゆる文学の方向を見極め、私達の精神の行く末を照らす光りを見出そうとするものです。 金魚屋プレス日本版はその光りのすべてを広義の文学と呼びます。

金魚屋プレス日本版代表 齋藤都

Interview 関連評論
No.026 死者たちを詠うということ―福島泰樹歌集『哀悼』

No.026 死者たちを詠うということ―福島泰樹歌集『哀悼』

書名:『哀悼』福島泰樹著 発行:皓星社  初版発行:2016年10月30日 定価:2,000円(税別)      『哀悼』は福島泰樹さんの二十九冊目の歌集です。処女句集『バリケード・一九六六年二月』が […]
No.003 短歌の根はどこにあるのか-福島泰樹短歌絶叫(下)

No.003 短歌の根はどこにあるのか-福島泰樹短歌絶叫(下)

    なにも語らずなにも願わずわれとわが貧しき夢と君のほかには 寂寞を友とし生きるからまず空を凝視することより始む 断念の後(のち)は笑って生きるのだ睦月如月弥生三月 かの女探してくれよ新宿の空に揚 […]
No.002 短歌の根はどこにあるのか-福島泰樹短歌絶叫(中)

No.002 短歌の根はどこにあるのか-福島泰樹短歌絶叫(中)

     歌状況は挽歌の時代に突入した。すなわち、六〇年代短歌にはいまだ可能であった行為する者としてのわれは、そこにはない。また呼びかけるべき他者〈他者=われわれ〉という図式もそこにはない。つまり、呼 […]
No.001 短歌の根はどこにあるのか-福島泰樹短歌絶叫(上)

No.001 短歌の根はどこにあるのか-福島泰樹短歌絶叫(上)

     福島泰樹の短歌は、現代短歌にとって喉元に刺さった棘のようなものなのではないかと思う。福島は一九七〇年の安保闘争の時代に歌壇に現れた。そのため左翼系の詩人だと思われがちだが、あの時代、創作者を […]
No.020 新宿梁山泊 第58回公演 『マクベス』

No.020 新宿梁山泊 第58回公演 『マクベス』

新宿梁山泊 第58回公演 満天星シェイクスピアシリーズVol.3『マクベス』 於:芝居砦・満天星 鑑賞日:11月21日   訳 小田島雄志 演出 金守珍 美術 宇野亞喜良 出演 金守珍、三浦伸子、渡会久美子、水 […]
No.011 Project Nyx 第15回公演『かもめ 或いは 寺山修司の少女論2016』

No.011 Project Nyx 第15回公演『かもめ 或いは・・・

    公演日程:10月21日(金曜日)~30日(日曜日) 場所:芝居砦・満天星 東京都中野区上高田4‐19‐6 ゴールデンマンションB2F Tel.03‐3385‐7971 JR東中野駅西口、大江戸 […]
No.022 われらは終わりの始まりの時代にいるが、時代精神は軽い―新倉俊一詩集『転生』

No.022 われらは終わりの始まりの時代にいるが、時代精神は軽い・・・

     ここしばらく新倉俊一先生の新詩集『転生』を持ち歩いて読んでいた。一千行の長篇詩なのだがB5版変形の小さな本で、総ページ数も八十二ページと薄い。この物理的な本の小ささと軽さが心地良い。 &nb […]
No.021 新倉俊一詩集『王朝その他の詩篇』

No.021 新倉俊一詩集『王朝その他の詩篇』

     詩とともに生きる、ということはどういうことか。それがテーマであると言える詩集だと思う。それはプレテクストとともに生きることでもあり、私たちが産まれ落ちた文化の中で生きることでもあり、その両方 […]
No.003 日本文学の原点-馬場あき子中世文学論(下編)

No.003 日本文学の原点-馬場あき子中世文学論(下編)

     能の中の語り舞は、こうしたある場面を再現する技法として、忠度を六弥太を演じ分け、またある部分では演じ重ねる独特の方法をもっている。そして「行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵の主ならまし」の […]
No.002 日本文学の原点-馬場あき子中世文学論(中編)

No.002 日本文学の原点-馬場あき子中世文学論(中編)

      玉の緒よ絶えなば絶えねながらへばしのぶることのよわりもぞする    この歌にみられるような、激しい「忍ぶる恋」の世界は、よく(式子)内親王の主題と作風を代表しているといえるだろう […]
No.001 日本文学の原点-馬場あき子中世文学論(上編)

No.001 日本文学の原点-馬場あき子中世文学論(上編)

     人間の生と人類の歴史には類似点がある。だからこそユダヤ、キリスト、イスラームといったセム一神教は人類の始まりと終末を描いた聖典を創出したわけだ。人類の歴史に終わりがあるかどうかは別として、そ […]
No.020 詩の力を信じるということ-新倉俊一詩集『ヴィットリア・コロンナのための素描』

No.020 詩の力を信じるということ-新倉俊一詩集『ヴィットリア・・・

     ここしばらく自由詩の仕事から離れている。二十代から三十代にかけては詩のことばかり考えていた。ほとんど詩に取り憑かれた詩狂いだった。自信過剰に聞こえるかもしれないが、今なら詩作品も詩論も書こう […]
No.002 かくも不吉な欲望-遠藤徹『姉飼』を読む

No.002 かくも不吉な欲望-遠藤徹『姉飼』を読む

     『姉飼』は遠藤徹氏のデビュー作で、平成十五年(二〇〇三年)に第十回日本ホラー小説大賞を受賞した。選考委員の荒俣宏氏は「私はこの作品が「毒」であるのか「純情」であるのか、最後まで判断できなかっ […]
No.037 カエルの王さま-あるいは鉄のハインリヒ 江國香織著 イラスト・宇野亜喜良

No.037 カエルの王さま-あるいは鉄のハインリヒ 江國香織著 ・・・

     「カエルの王さま」は教訓や意図のわかりにくい話だ。それゆえ江國好みといえる。だが江國香織の多くの童話と同様に、ナンセンスというわけではない。江國香織のような強い観念ー逆説として示されるとして […]
荒木経惟ポラロイド写真作品集『結界』論

荒木経惟ポラロイド写真作品集『結界』論

荒木経惟インスタントフィルム作品集『結界』 2014年10月 eyesencia(アイセンシア)刊      ポラロイド写真の特性はなんといっても撮ったその場で現像されることである。フィルムが残らない […]
No.036 『宇野亞喜良クロニクル』-宇野亞喜良イラストレーション&デザイン作品集-

No.036 『宇野亞喜良クロニクル』-宇野亞喜良イラストレーショ・・・

     文学金魚で宇野亞喜良さんのインタビューが掲載されていて、宇野さんの演劇好きが相当なものであり、僕が漠然と考えていたよりも遙かに多くの舞台美術を手がけておられることを知った。宇野さんのインタビ […]
No.015 新宿梁山泊 第53回公演 芝居砦・満天星シェイクスピアシリーズ Vol.2 『ハムレット』

No.015 新宿梁山泊 第53回公演 芝居砦・満天星シェイクスピ・・・

新宿梁山泊 第53回公演 芝居砦・満天星シェイクスピアシリーズ Vol.2 『ハムレット』       於:芝居砦・満天星 鑑賞日:2015年2月21日   作:ウィリアム・シェイ […]
No.035 あかるい箱 江國香織著 イラスト・宇野亞喜良

No.035 あかるい箱 江國香織著 イラスト・宇野亞喜良

     部屋、とりわけマンションの部屋は箱に似ている。と言うより、箱そのものだと感じるときがある。そして箱というと、そこからはみ出したくなる者とそこに籠もって充実したい者との二通りがあるように思う。 […]
往生から見た世界―荒木経惟写真展

往生から見た世界―荒木経惟写真展

Nobuyoshi Araki, installation view at Taka Ishii Gallery Photography / Film, May 25 – Jun 20, 2015 Photo: Kenj […]
荒木経惟ポラロイド写真論――『不可侵の暗室、不可視の私室』

荒木経惟ポラロイド写真論――『不可侵の暗室、不可視の私室』

荒木経惟ポラロイド写真展『鏡の中』ハガキ(2015/5/1~10日 下北沢LA CAMERAで開催)     ポラの見(せ)方    「荒木経惟のたのしい写真術」という特集に導かれて『SWI […]
【荒木経惟論】この世の花たち(後編)

【荒木経惟論】この世の花たち(後編)

(荒木経惟写真全集1『顔』(平成8年[1996年]平凡社刊)より)      表参道ヒルズで開かれた「男-アラーキーの裸ノ顔展-」にまつわる場で、荒木は「ありのままなんていうことはないんだ」と、繰り返 […]
【荒木経惟論】この世の花たち(前編)

【荒木経惟論】この世の花たち(前編)

(荒木経惟写真全集17『花淫』(平成9年[1997年]平凡社刊)より)      昔から、写真については腑に落ちないことがあった。それはジャンル分け、すなわち写真の分類である。風景、人物、静物などと分 […]
アラーキーとカンチェラーラ

アラーキーとカンチェラーラ

『写狂老人日記 嘘』(平成二十六年[二〇一四年])より      アラーキーについて何か書いてくれと言われた。  無理だ、と僕は思った。  僕はアラーキーについて何も知らない。  写真を撮るおじさん、 […]
仕事のポートレイトーー荒木経惟『男 ーアラーキーの裸ノ顔展ー』

仕事のポートレイトーー荒木経惟『男 ーアラーキーの裸ノ顔展ー』

  荒木経惟 『男 ーアラーキーの裸ノ顔展ー』(ダ・ヴィンチ創刊20周年記念事業) 会期:2015年4月24日-5月6日 会場:表参道ヒルズ 本館地下3階 スペース オー 主催:ダ・ヴィンチ 表参道ヒルズ &n […]
【荒木経惟論 3】 荒木経惟文学論

【荒木経惟論 3】 荒木経惟文学論

『書き下ろし小説』(平成十一年[一九九九年])表紙      初めて荒木経惟の文章をまとめて読んだのは、平成六年(一九九四年)に刊行された『包茎亭日乗』だった。『アラーキーの愛とエロスと偽りの写真真実 […]
No.016 写真に、愛を試される瞬間

No.016 写真に、愛を試される瞬間

     荒木経惟の写真に出会ったのは大学3年生の頃だった。大学の近くに新しく出来た本屋には、日本文化関連の本として前から馴染んでいた岡倉天心の『茶の本』、鈴木大拙の『禅』やルーマニア人作家による日本 […]
陽画としての「死」

陽画としての「死」

     荒木経惟の数ある写真集のうちで最も高い知名度を誇るのは、『センチメンタルな旅・冬の旅』(1991)ではないだろうか。作品の知名度は必ずしも完成度と比例しないのが常であるが、この場合、それが荒 […]
「ラ・カメラ」という暗室

「ラ・カメラ」という暗室

     1月の終わりに訪れた時には閉室、ガラス戸には暗幕がかかっていた。下北沢駅南口から雑貨屋居酒屋が連なる商店街を10分ほど真っ直ぐに突き抜けると、左手に代沢小学校が見え、車通りのエンジン音が人の […]
【荒木経惟論 2】 猥褻と無

【荒木経惟論 2】 猥褻と無

『荒木経惟写真全集14 猥褻寫眞と墨汁綺譚』(平成九年[一九九七年])より     写真は暴露する。暴露することは猥褻である。 写真は隠蔽する。隠蔽することは猥褻である。   写真を撮ること […]
【荒木経惟論 1】 写真そのものであること

【荒木経惟論 1】 写真そのものであること

荒木経惟写真全集完結記念限定写真集『さっちんとマー坊』(平成九年[一九九七年])より      写真家でなくても多くの人は、少なくとも一冊は写真集を持っている。アルバムを開けば柔らかいおくるみに包まれ […]
メタパフォーマーとしてのアンチパフォーマー -辻原登論-

メタパフォーマーとしてのアンチパフォーマー -辻原登論-

  ◎ 「最近、こういう図式で芸術哲学をやってるんだよね。まだ論文にはしてないんだが、講義では試しにちらほら使ってみたり」   ▽ 「なんだこれ。アスペクト分析かな?」   ◎ 「あすカルチ […]
辻原登-現代小説の特異点(下)

辻原登-現代小説の特異点(下)

     『遊動亭円木』は、盲目の噺家が主人公である。落語とは伝統的な記憶の総体であり、それを暗記し、再話するものだ。なおかつ盲目であることで、近代的な自我の視点を積極的に失おうとする円木とは、古代の […]
辻原登-現代小説の特異点(中)

辻原登-現代小説の特異点(中)

     以下に、パスティーシュの手法による美しい再話をいくつか挙げる。まず『東京大学で世界文学を学ぶ』第十講義においても、まだ書かれぬ自作のアイディアとして語られた『抱擁』。ヘンリー・ジェームスの『 […]
辻原登-現代小説の特異点(上)

辻原登-現代小説の特異点(上)

     辻原登氏の名前を初めて目にしたのは、芥川賞受賞作を紹介する週刊文春の記事だった。(当時、実家では待合室に置くのにと、医療事務のお姉さんが文春と新潮を欠かさず買っていた。)中国の桃源郷か、面白 […]
No.003 二十一世紀文学の基層-辻原登論(下)

No.003 二十一世紀文学の基層-辻原登論(下)

   【図1】は「通常の純文学作家の作品構造」である。作家は通常、思想を核に作品を作りあげる。思想に沿った主題が構想され、それを的確に表現するための技法が選択される。思想が作家固有のものであれば、作品の主題や技 […]
No.002 二十一世紀文学の基層-辻原登論(中)

No.002 二十一世紀文学の基層-辻原登論(中)

     円木は二つ目だったが、真打ちもそのうちというところで、不養生がたたり、遺伝体質の糖尿病が悪化して、白内障がすすみ、すっかり水晶体が濁ってしまった。(中略)  妹とそのつれあいがやっている小松 […]
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