総合文学ウェブ情報誌 文学金魚

私達の故郷は日本語です。金魚屋プレス日本版は、日本語で書かれるあらゆる文学の方向を見極め、私達の精神の行く末を照らす光りを見出そうとするものです。 金魚屋プレス日本版はその光りのすべてを広義の文学と呼びます。

金魚屋プレス日本版代表 齋藤都

鶴山裕司『現代詩人論』
No.001 はじめに

No.001 はじめに

  『現代詩人論』は〝現代詩の詩人論〟という意味である。日本では伝統的に、第二次世界大戦を挟んで自由詩の歴史を『近代詩』と『現代詩』に分けるのが一般的である。明治維新以降の近代日本に現れた一群の詩を『近代詩』と […]
No.015 【現代詩人論 番外篇】自由詩について少しだけ考えてみよう(後編)

No.015 【現代詩人論 番外篇】自由詩について少しだけ考えてみ・・・

     僕はしばらく前から詩は原理的に〝自由詩〟と定義すべきだと書いている。それはじょじょに詩人たちの共感を呼んでいると思う。しかし一部で誤解されているように、僕が主張しているのは詩を「自由詩」と呼 […]
No.014 【現代詩人論 番外篇】自由詩について少しだけ考えてみよう(前編)

No.014 【現代詩人論 番外篇】自由詩について少しだけ考えてみ・・・

     エズラ・パウンドに『詩学入門』(沢崎順之介訳)という詩の入門書がある。沢崎先生には申し訳ないのだが、”ABC of Reading” という原題のままの方がパウンドの意図が伝わるように思う。 […]
No.013 極私と非私(詩)-朝吹亮二論(後篇)

No.013 極私と非私(詩)-朝吹亮二論(後篇)

    朝吹亮二(あさぶきりょうじ) 昭和二十七年(一九五二年)、東京に生まれる。慶應大学文学部フランス文学科卒業後、同大学大学院博士課程文学研究科修了、同大学院博士課程文学研究科単位取得後退学。父は […]
No.012 極私と非私(詩)-朝吹亮二論(前篇)

No.012 極私と非私(詩)-朝吹亮二論(前篇)

    朝吹亮二(あさぶきりょうじ) 昭和二十七年(一九五二年)、東京に生まれる。慶應大学文学部フランス文学科卒業後、同大学大学院博士課程文学研究科修了、同大学院博士課程文学研究科単位取得後退学。父は […]
No.011 現代詩の創出と終焉─入沢康夫論(下)

No.011 現代詩の創出と終焉─入沢康夫論(下)

    入沢康夫(いりざわやすお) 昭和六年(一九三一年)、島根県松山市で生まれる。東京大学フランス文学科に入学し、社会派の詩のグループ「明日の会」に入会後、岩成達也らとともに純粋芸術志向の同人詩誌「 […]
No.010 現代詩の創出と終焉─入沢康夫論(中)

No.010 現代詩の創出と終焉─入沢康夫論(中)

    入沢康夫(いりざわやすお) 昭和六年(一九三一年)、島根県松山市で生まれる。東京大学フランス文学科に入学し、社会派の詩のグループ「明日の会」に入会後、岩成達也らとともに純粋芸術志向の同人詩誌「 […]
No.009 現代詩の創出と終焉─入沢康夫論(上)

No.009 現代詩の創出と終焉─入沢康夫論(上)

    入沢康夫(いりざわやすお) 昭和六年(一九三一年)、島根県松山市で生まれる。東京大学フランス文学科に入学し、社会派の詩のグループ「明日の会」に入会後、岩成達也らとともに純粋芸術志向の同人詩誌「 […]
No.008 終わりと始まり-飯島耕一論(下)

No.008 終わりと始まり-飯島耕一論(下)

右から西脇順三郎、一人おいて飯島耕一、吉岡実     空は喪のあとの色をしていて わたしにつよく影響をあたえた人が死んだあの七月の翌日と 同じ色をしていた あの人の拒否と拒絶の思想に 縛られている日々 […]
飯島耕一氏追悼

飯島耕一氏追悼

  飯島耕一氏がお亡くなりになった。個人的なお付き合いがあったわけではないが、敬愛する詩人の一人だった。また愛すべき方だった。   初めて飯島さんにお会いした、というより先生の姿を見たのは明治大学の教 […]
No.007 終わりと始まり-飯島耕一論(中)

No.007 終わりと始まり-飯島耕一論(中)

右から岡田隆彦、飯島耕一、吉岡実、大岡信      飯島は昭和三十一年(一九五六年)に、大岡信、東野芳明、江原順らとシュルレアリスム研究会を組織した。処女詩集上梓から三年後のことである。あくまで私的な […]
No.006 終わりと始まり-飯島耕一論(上)

No.006 終わりと始まり-飯島耕一論(上)

    飯島耕一 昭和五年(一九三〇年)、岡山県岡山市で生まれる。父・隆は英文学者で旧制第六高等学校教師、母・八重は岡山第一高女の音楽教師だった。旧制六高文科卒業後、東京大学仏文科に入学。卒業後、いく […]
No.005 西方東語─渋沢孝輔論(後篇)

No.005 西方東語─渋沢孝輔論(後篇)

  垂直と水平 天地と東西南北からはじめて 行(ゆ)き方(がた)知れずになる (『ぜんまい』冒頭。『行き方知れず抄』[一九九七年])   世を絶した銀嶺の荘厳に向けてでも 遙かな環礁のエメラルドグリー […]
No.004 西方東語─渋沢孝輔論(前篇)

No.004 西方東語─渋沢孝輔論(前篇)

    渋沢孝輔 昭和5年(1930年)~平成10年(1998年)。長野県小県(ちいさがた)郡長(おさ)村横尾で生まれる。7人兄弟の末っ子(四男)。上田中学校卒業後、東京外事専門学校フランス語科に入学 […]
No.003 モダンとポスト・モダン-吉岡実論(後篇)

No.003 モダンとポスト・モダン-吉岡実論(後篇)

60代の頃の吉岡実     ドジソン家の姉妹ルイザ マーガレット ヘンリエッタ 緑蔭へ走りこむ馬 読書をつづける盛装の三人 見よ寝 巻のなかは巻貝三個 * C・パーカー牧師の娘メイは椅子の上へ立ってい […]
No.002 モダンとポスト・モダン-吉岡実論(前篇)

No.002 モダンとポスト・モダン-吉岡実論(前篇)

吉岡実。ペットのダルマインコのダルちゃんと。     吉岡実 大正8年(1919年)~平成2年(1980年)東京の本所で生まれる。本所明徳尋常小学校卒業後、本所高等小学校に入学。卒業後、本郷の医学出版 […]
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