『男と女』(1966年、フランス)ポスター
監督クロード・ルルーシュ
劣情を煽るような題で恐縮だが、ここは訓読みをしていただきたい。男の色と女と色とは、それぞれどのような色なのだろうか。前者なら黒、後者なら赤、と仮置きしてみたところで、すぐさま「あの女のせいにしな」を歌うリタ・ヘイワース(「ギルダ」、1946年)から、赤い金属の塊のようなロバート・ダウニー・ジュニア(「アイアンマン」、2008年)まで、反証にはことかかないのである。だがそれぞれの作品のなかでライトモチーフとなる色が設定されることは映画の常套手段であり、その色に性の全体を表象させることも、こと恋愛を扱う映画においては定石と言ってよい。
例えばまさにこの問いを結晶化したようなタイトルを持つクロード・ルルーシュ監督「男と女」(1966年、仏)ではどうか。カンヌ映画祭をはじめ国際的な映画賞をのきなみ受賞したことでルルーシュ監督に巨匠の仲間入りをさせ、ひいてはフランス映画の代名詞ともなったこの映画では、作品の冒頭、それもまだクレジットが流れているうちに色の設定が完了してしまう。すなわち男の領域(赤)、女の領域(青)、そして男と女の領域(セピア色)である。男女それぞれの領域では二人それぞれの子供の存在もあって色調が明るくなるのに対し、男女が時間を共にしている場合には空間の全体がセピア色、あるいはモノクロームに近づく。
青い帽子、赤い車、そして恋の予感に満ちたセピア色の浜辺
主人公のジャン(ジャン=ルイ・トランティニャン)とアンヌ(アヌーク・エーメ)はどちらもやもめである。ジャンの妻はレーサーであるジャンが事故で瀕死の重傷を負ったショックから精神のバランスを崩して自殺し、スタントマンであったアンヌの夫は撮影中の事故で命を落としている。ジャンにはアントワーヌという息子がおり、アンヌにはフランソワーズという娘がいる。二人は保養地として知られるドーヴィルの寄宿学校にいるので、ジャンとアンヌは週末になると子供を迎えにゆくのである。二人の関係は、列車に乗り損ねたアンヌをジャンが自動車で送るところから始まる。もちろん、この時点で二人は恋に落ちているのだが、愛の悲しい結末を知っている二人はすぐには踏み出さない。ジャンから見れば、夫を事故で亡くしたアンヌは自分の妻のあり得た未来の姿であり、アンヌから見れば、レーサーのジャンは死なずにすんだ夫である。二人の恋はしたがってかつての結婚の再生の予感に包まれており、それゆえ希望と恐怖に満ち、また、自分の気持ちは果たして純粋に新たな恋人に向けられているのだろうか、という疑惑とも無縁ではない。
もちろん、二人は結ばれるのである。しかしそこへたどり着くまでには幾度もの逡巡があり、それが色を得ては失う画面によっても表現されているところにこの作品の面白さがある。夫との幸福な生活を思い出しているアンヌの世界は色に満ちているが、妻の死に思いを馳せているジャンの世界は色を失うこともある。子供を連れて四人で出かければ画面はセピア色にもカラーにもなる。だが最後、駅で抱き合う二人の世界にはやはり色がない。それはもはや二人の世界の円環が閉じ、過去も現在もなくなったからなのだろうか。
恋の始まり。アンヌの過去。ジャンの過去。恋の発展。恋の成就。
と、必ずしも色遣いを明確に定義できないところも、この映画の機知として受け止められよう。フランス映画にしてはあまりに素直な、純粋に過ぎるほどの筋書きが、その機知で埋め合わされていると言ってもよい。「愛と哀しみのボレロ」(1981年、仏)でもおなじみの、ルルーシュ十八番の主題であるところの記憶と予感、過去と現在の交錯が、色彩の明滅によって雄弁に、しかし謎めいた口調で語られるのだ。
ルルーシュ自身は、「男と女」にカラーとモノクロームが混在するのは、単に予算の制限のためだと述べている。本来は白黒映画になるはずが、アメリカの配給会社から追加予算が出たので、屋外のシーンではなるべくカラー・フィルムを使ったのだという。だが建物の内外と色彩の有無の関係は一定ではないし、「男と女の詩」(1973年、仏・伊)などの作品を観ると、なおさらこれは韜晦であろうと思われる。
うっかり恋に落ちた宝石泥棒を主人公とするこちらの映画は表面上「男と女」とは無関係だが、冒頭から「男と女」のラストシーンがサンプリングされ、作中にもパロディ的なシーンが複数あるなど、執拗なほどの言及が続く。そして色遣いはというと、パリの場面はモノクロームであるのに対して、恋の舞台となるカンヌの場面はカラーで撮影されているのである。要するにこの作品は、ルルーシュ自身による種明かし、あるいは種明かしを装った「技巧上の続編」としても観ることができるようになっている。とはいえ、それはときに撮影以上に編集にこだわり、作品と作品のあいだに様々な形で連絡をつけること、つまり間テクスト性を埋め込むことを異様に愛したらしい、モノマニアックな監督であったルルーシュの作品世界の全体から見れば、入り組んだ系統樹のほんの一隅に光を当てるものでしかないのである。
大野ロベルト
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