『わらの犬』(1971年、アメリカ)ポスター
監督サム・ペキンパー
サム・ペキンパー(1925-1984)は乾いた人である。ペキンパーという破裂音の多い名前がすでに、水気の抜けた骨のような、気性の荒さと一抹の寂しさをただよわせるような気がする。
ペキンパーの一族はもともとオランダとドイツにまたがるフリースラント諸島の出で、アメリカへ渡ってからは法曹界の人間を多く輩出している。だが下院議員だった祖父の牧場で育ったペキンパーは机にかじりついているような子供ではなく、幼い頃から兄と共に、荒涼とした自然のなかを泥だらけになって駆けまわった。馬に乗り、牛を飼い、兎を獲り、鳥を撃つ少年は、学校でも頑固なカウボーイで通したので喧嘩がたえなかった。将来を心配した両親に陸軍学校に入れられたペキンパーは、そのまま海兵隊員になる。軍人になることは家風にも合っていたのである。
第二次大戦の末期、中国大陸で繰り広げられた血みどろの光景を目の当たりにしたというペキンパーはしかし、自身は戦闘部隊に加わることのないまま除隊し、カリフォリニア州立大学フレズノ校で歴史学の講義に登録した。もっとも、それも最初の妻マリー・セランドと出会うまでのことである。演劇専攻だったマリーに導かれるようにして芝居と映画の世界に入ったペキンパーの血は、すぐに戦時中のように滾った。
自分はネイティブ・アメリカンの血を引いている、とことあるごとにうそぶいた粗野な青年は、偉大な先達ドン・シーゲルの作品を手伝うようになる。実際の刑務所で実際の囚人を起用して撮られた「第十一号監房の暴動」(1954年、米)にしても、五十年代を代表するSF映画と言われる絶望的な逃避行「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」(1956年、米)にしても、映像を通して自己の暴力性を冷徹に見つめるという独自の様式を発見するうえで、ペキンパーにとって欠かせない仕事であったに違いない。
やがて独り立ちしたペキンパーはまず西部劇の世界に飛び込んだ。自身の原風景であってみれば、乾いた大地での映画製作はまさに融通無碍のはずであった。しかしここで、業界の重苦しさが一気にのしかかる。予算不足などはまだよいほうで、新人の雇われ監督ではおちおち脚本に口も出せない。都会育ちのスタッフが馬の扱いを知らないことも腹立たしかった(この点が黒澤明と一致することは興味深い)。ペキンパーはとにかく短気だから、相手が誰だろうと平気で悪態をつく。作品の評価は必ずしも悪くなかったものの、製作陣と折り合いの悪いペキンパーは徐々に追い込まれてゆく。
転機となったのは「ワイルドバンチ」(1969年、米)である。同年に公開予定だったポール・ニューマン主演の話題作「明日に向って撃て!」の対抗馬として企画が持ち上がった本作で、ペキンパーは四年ぶりに指揮をとる。業界に背を向けられていた鬱憤を晴らすかのような活劇だが、その色調は当然のように暗い。「最後の西部劇」とも呼ばれる作品にふさわしく、クライマックスの大銃撃戦はいかにも古きよき映画の衰亡を象徴するようだが、後続の作品に大きな影響を与えた銃撃戦の描写、なかでもペキンパーの発明になる、銃弾の貫通を再現できる爆竹と大量の血糊の仕掛けは、全篇を貫く陰鬱な雰囲気とあいまって、すでにアメリカン・ニュー・シネマが隆盛しつつあった新時代へと西部劇の伝統を巧みに継承させ、なおかつ自身の作風を確立することにも成功している。
「血のバレエ」と渾名された「ワイルドバンチ」
そしてこの「ワイルドバンチ」の延長線上にある「わらの犬」(1971年、米・英)は、その意味でペキンパーの新章の幕開けを記念する作品であろう。わらの犬(Straw Dogs)とは奇妙な題名だが、これは老子の『道徳経』に出て来る「芻狗」のことである。ひとは儀式のたびに藁で犬を作り、儀式が終われば捨ててしまう。そのときひとは、愛情をもって犬を作るわけでも、憎しみをもって犬を捨てるわけでもなく、ただ習慣に身を任せているだけである。これと同じように、大いなる自然の運行にとって、人間は何ら特別の意味を持たない。ただ生まれ、やがて老いによって、あるいは病や災害によって、死んでゆくだけの存在なのだ。
主人公の数学者デイヴィッド(ダスティン・ホフマン)は助成金を得て、研究に没頭するため妻エイミー(スーザン・ジョージ)の生まれ育ったコーンウォール地方の農家へ引っ越してくる。だが小さな町でデイヴィッドを出迎えたのは無関心を装った敵意であった。しかもそれはエイミーの元恋人チャーリーや、彼と徒党を組んでいるノーマン、クリスをはじめとする住民だけでなく、ふしぎと妻の心にも巣食ってゆくように思われるのである。
ただでさえ妙齢の女性が少ない町のこと、都会の空気を浴び、洗練された姿で戻ってきたエイミーは男たちのあからさまな欲望のまなざしを集めるが、エイミーはどこかでそれを楽しんでいるらしく、男を焦らすような衣服を好んで身につける。しかも男たちは夫婦の新居を改装するという仕事を任されており、いつでも家に上り込むことができるのである。だからチャーリーとノーマンによってエイミーがついに強姦されても、観客はとくに驚かないだろう。むしろ不穏なのは、エイミーがさほど抵抗しないということなのだ。
どこか悪意を楽しむように見えるエイミー
しかし翌日、退屈このうえない教会の催しに参加したエイミーは、そこで加害者と再会したのをしおに、典型的な被害者の心理にたちもどって怯えを隠せなくなる。夫は、少なくともまだ明白には事実を知らないが、妻を家に連れ帰ることにする。ところがその途上で、夫婦の乗った車がヘンリーを撥ねてしまう。精神疾患を抱え、少女を襲った前科もある、村八分にされている青年である。このときもヘンリーは、少女を誘拐した疑いを受け、酔った若者たちに追われていたのだった(実際は、少女のほうが誘惑したのだ)。デイヴィッドはヘンリーを連れ帰り、医者が来るまで自宅で休ませようとする。だがそこに、チャーリーたちも到着する。よそ者であるデイヴィッドも、裏切者であるエイミーも、犯罪者であるヘンリーも、彼らにとっては、もはやひとしく敵なのであった。こうして古い農家を舞台に、凄惨な殺し合いが幕をあける。
一世を風靡した子役スター、マコーレ・カルキンの代表作「ホーム・アローン」(1990年、米)や、フランスのスリランカ難民の受難を描く「ディーパンの闘い」(2015年、仏)の原型とされる屋内での殺し合いは、たしかにこの映画の主要な場面である。だが注目すべきはデイヴィッドが数学者らしい(?)知恵を発揮して準備する急ごしらえの武器や罠よりも、出口のない殺し合いに身を投じる登場人物たちの心理であろう。本来であれば、夫婦が力を合わせて悪漢を撃退するのが映画の定石である。ところがこの二人は、目的を共有しているだけでなく、おそらくまだ愛し合っているというのに、愉快なほどに心が通わない。妻はしばしば夫の足を引っ張り、夫も妻に向ける慰謝の言葉を持たないのだ。むしろ乱闘が長引き、絶望の度合いを増すほどに明らかになるのは、妻はこの地獄から抜け出せるのであればどちらが勝利しても構わないと思っている、ということであり、また、夫が本当に殺したいのは妻なのだ、ということであろう。
絶望の淵で遠ざかってゆく二人
「わらの犬」は徹頭徹尾、暗幕の垂れ込めるような陰鬱さを帯びている。土埃の立ち込める道、煤けたような石を積んだ建物、光の差さない寒々しい屋内。そこへ降り立った新婚らしい夫婦の明るさも、ほとんど一瞬にしてその穴のなかへ吸い込まれてしまう。そして緊張感が限界まで高まったところで、ペキンパーの十八番である血糊が、おそらく唯一の明るい色をスクリーンに添えるのだ。
この作品の背後に当時のアメリカの状況を透かしてみることは容易い。ベトナム戦争に対する大衆の嫌悪感はすでにピークを迎えていた。それは暴力というわかりやすい形をとってはいたが、実際には人権よりも物質的利益を優先するアメリカという巨大国家の居直りであり、国民の声はいつまで経っても権力の中枢には届かなかった。戦争は泥沼化し、無力な国民はどこにあるのかもわからないベトナムという異郷で繰り広げられる殺し合いを、映画館はもちろんテレビでも、毎日のように見せつけられたのである。この戦争で多くの兵士の命を奪ったのはジャングルに仕掛けられたブービー・トラップであったが、それが作中でデイヴィッドが仕掛ける罠のなかに反復されていることも疑いを容れないだろう。そうするとペキンパー作品の大仰な血糊も、決して笑うべき映画作法とは言えまい。現実に流されている血のほうが、よほど馬鹿らしい毒々しさを放っていたからである。
もっとも、無理に政治を持ち込む必要もない。戦争はすでにペキンパーの青春として刻印されており、その意味でこれは極めて個人的な映画である。ペキンパーは他者とのすれ違いに苦しんだ、孤独な人間であった。「どうしておれはみんなに嫌われるんだろう?」と真顔で質問するような人間であった。撮影中、取り憑かれたようにナイフ投げの練習をする癖があったという「血まみれサム」は、やがてアルコールだけでなく薬物にも溺れ、まだまだ仕事ができたはずの五十九歳で永眠した。
―家の場所がわからない。
―僕もだ。
「わらの犬」のラストで、ヘンリーとデイヴィッドはそんな会話を交わす。この会話を、ペキンパーはその後の人生で何度も反芻しただろう。故郷の牧場のほかに、ペキンパーが心から愛した土地が一つある。それは二番目の妻ベゴニア・パラシオスの故郷、メキシコの乾いた大地であった。
大野ロベルト
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■