人と人はわかり合えるのか。愛する人はこの世の中のどこにいるのか。あなたはわたしのことがわかっていて、わたしはあなたのことをほんとうにわかっているのか。いつだって純な心は純な心を求める。

第三回辻原登奨励小説賞受賞作家・原里実による鮮烈な短篇恋愛小説連作!

by 原里実

 

 

 

 あーあ。

 ちやはため息をつく。

 つまんないなあ、なんかいいことないかなあ。

 ペンケースにつけているキーホルダーのキャラクターの頭を人さし指でうりうりと小突きながら、ちやは思う。

 ハリボー食べたいなあ。

 ぽう、とため息をつくと、ハリボー色の煙がこぼれる気がする。だれかこの煙の色に気がついてくれればいいのに、と思うけれど、みんなとなりの子との内緒話やら、居眠りやら、板書を写すのやら、(先生は)板書やらに夢中で、だれもちやのことなど見ていない。まどの外に助けを求めてみてもここは二階だし、ひょっこりとスーパーマンが顔を出す気配もなくおだやかに平和かつ平坦な景色がひろがっている。

 きのうパーマをかけたばかりで元気よくくるんとくせのついた髪の毛の先を、人さし指に巻きつける。ちょっと、手触りがざらつく。やっぱりおにーさんの言うとおり、トリートメントもすればよかったかなあ。ちやはぼんやりと考える。きれいにのばしたいんなら、今日はパーマもかけたしトリートメントもしたほうがいい、って美容師のおにーさんはそう言っていたのだ。でもお金もったいないんだもんなあ、トリートメントなんか、したってわかるのぜったい自分だけだもん。

 あーあ、なんかいいことないかなあ。たとえば? そうだなあ、たとえば。たとえば、今日これからの授業がみんな休講になるとか。

 先生の顔をぼんやりとながめていたら、うろうろしていた先生の視線がきゅうに、ちやのところで立ち止まった。目が合った。

 「じゃ、問四は藤波」

 げげ、全然聞いていなかった。助けを求めて隣の垣ノ内くんを見るけれど、垣ノ内くんはいつものようにすやすやと気持ち良さそうな寝息をたてているだけである。

 ちやは観念してのろのろと立ち上がった。黒板の前に立ってみたら、思いもよらないすごい解き方が浮かんできたりするかもしれない。

 問一から三までを当てられた子たちに並んで、黒板のいちばん右端に立ち、目の前にそびえる白い数式をにらむ。わからないけれど、チョークを手に持つ。小指の先ほどに丸っこくちびた白いチョーク。

 なんとなく、ちやの右手が動き出した。ゆっくりと動き出したら徐々に勢いがついて、消し跡のすこし残る黒板のうえをチョークがなめらかにすべるのが心地よい。とまらない。数字と記号が横に、同値の記号が縦にいくつも並び、気づいたら最後の行にxの値が導き出されていた。

 ぽろん、とチョークを放り出し、腕組みをして、できあがった数式をながめてみる。なにがなんだかさっぱりわからない、でもきっとこれが正解にちがいない、という、妙な確信だけがある。ゆっくりと席に戻り、あらためてながめてみてもやはり、さっぱりわからない。まあ、解けたんだからいっか。

 先生はなんということもなさそうに、問の一から四までにくるくると黄色いまるを軽快につけ、うん、みんなちゃんとわかってるね、とあっさりまとめた。

 「特別に、いま正解したやつにはハリボーをあげよう」

 と言って、先生は四人にハリボーの小袋を配りはじめる。はい、と差し出されたちやのハリボーはコーラ味だった。ちょうどどんぴしゃ、ちやが食べたいと思っていたやつ。

 

 「じゃ、今日はここまで」

 先生はチョークの粉のついた両手をはたきながら、そう言った。

 ちやはおどろいて時計を見あげる。まだ時間まで三十分以上ある。

 ところがみんなはなんとも思っていないふうで、起立、などと号令がかかっている。ちやもあわてて立ち上がる。気を付け、礼。

 教室の時計がずれているのかと思い、腕時計を見てみるも、やはり同じ時間をさしている。

 隣ではさっきまで寝ていたはずの垣ノ内くんがもそもそと起き上がる。と思いきや、おもむろにノートや筆箱をかばんにつめはじめる。

 「帰るの」

 ちやはたずねた。

 「うん」

 と答える垣ノ内くんは、愚問、といわんばかりの表情。

 「ふうん」

 垣ノ内くんがふらりと消えるのはいつものことだ、と思ったら、前の席の大橋くんまで席を立っている。

 「帰るの」

 ちやはすこし声をあげて、大橋くんにもたずねた。大橋くんはぜんぜん、授業をさぼったりするようなタイプじゃないのだ。

 大橋くんは目をぱちくりとさせてちやを見おろした。

 「だって先生が、今日はここまで、って言ったろ」

 それじゃ、と言ってあっさりいなくなる大橋くんをなんとなく目で追うともなく追うと、三分の一くらいの子たちが席を立っていることに気づく。それ以外は好き勝手にしゃべっているか、まんがやゲームを取り出して遊びはじめているかのどちらかだった。

 ふうん、とちやは頬杖をついてまどの外を見おろす。昇降口からぱらぱらと男の子たちが何人か出てきて、制服のままボールを蹴りはじめる。

 じゃあわたしはどうしようかなあ、することないし、つまんないなあ。なんか、いい考えないかなあ。

 ぼんやりしていると、後ろから名前を呼ばれた。

 「ちや」

 アヤ子とユキとすーちゃんである。

 「ちやもカラオケいかない?」

 カラオケかあ。ちやは考える。いいけど、昨日も行ったしなあ。

 「行きたい」

 ちやは答えた。

 「けどなんかあたし、森センに呼び出されてんの。あとから追っかけるから先行っててよ」

 わかったあ、と言って三人は、十分なスペースがあるのにもかかわらず狭くるしくぶつかり合ってじゃれながら、きゃっきゃといなくなった。ちやはほつれたセーターの袖の先をいじりながら、後ろ姿を見送る。すーちゃんのセーラー襟の上では黒くてまっすぐで、毛先だけきれいに内側に入った髪の毛がするりと整列している。キューティクルがつらなって天使の輪をつくっている。あれがトリートメントの力なのかと、ちやはもういちど自分のざらつく毛先にふれた。

 三人がいなくなってしまってから、だれも見てないと思うけど、とちやは立ち上がって、教室を出た。アリバイづくりである。出たはいいけど、どうしよう、ととりあえずトイレに行ってみる。用を足して、鏡で髪を直しながら、やっぱり前髪のパーマきつすぎたかな、と一生懸命ひっぱってのばしてから、それですぐ教室に戻ったのでは担任の呼び出しにしては短すぎるので、いちおう、一階に降りて廊下をはじからはじまで歩き、反対側の階段をのぼって一周してから戻った。廊下にはわらわらと人がはみ出して、ざわつきはじめていた。どうやら学校全体的に、今日はここまで、になったらしい。

 教室に戻ると、人数は全体の三分の一くらいに減っていた。
ちやはまた自分の席に座る。あと十分くらいしたら、「ごめん、カラオケ、いけなくなった」ってメールしとこう、と思う。

 突然授業がなくなったからか、普段の放課後とはどことなく雰囲気が違う。テレビをつけた子がいた。いつもは祝日しか見られない、平日昼間のバラエティ番組がやっている。黒板に落書きをはじめた子もいた。ちやはしばらくそれをながめた。

 けれどすぐにつまらなくなって、またまどの外を見る。いつのまにか、スーツ姿の先生がサッカーにまざっている。

 

 すいませーん、と声がして、ちやは振り返った。教室のうしろから、赤いキャップ帽に赤いウィンドブレーカーの男の人が顔を出していた。どこかで見たことのある顔に似ている。俳優だろうか。背が低くて、やせていて、すこし猿っぽいのに愛嬌がある。思い出せないので、あきらめる。

 それよりちやは山下くんが受け取っている、積み重なった四角い白い箱が気になるのだ。ピザだ。箱からしてあれは、Lサイズが三枚。

 山下くんたちははしゃぎながら、ピザの箱を次々に開ける。時間差で、ちやのところにもむわんとしたピザの匂いがやってきた。

 「みんな、食おうぜ」

 と山下くんは教室に残っている誰へともなく呼びかけた。すると残りの十人くらいのうち五人くらいが、そよそよと引き寄せられていく。

 へえ、あの子まで。ちやはちょっとおどろいて、まっすぐな髪で頬をかくしたうつむき加減のその子(推定、川柳さん。話したことがないのであいまい)を見た。教室で声を出しているところをほとんど見たことがないし、そもそもスカートが膝丈。とにかく、教室で宅配ピザを食べるタイプとは思っていなかった。

 そんなふうにしてみんなをながめているちやを、

 「藤波もこいよ」

 と山下くんが呼んだ。ちやはとりあえず立ち上がって、近づいてみる。なにごともああだこうだいうのは試してみてから、というのがちやのモットーである。

 近くで見ると、ピザは正真正銘のピザだった。ご丁寧に三枚とも味がハーフ&ハーフで、全部で六種類の味が楽しめるようになっている。

 

 

c‘縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。

 

 

* 原里実連作短篇は毎月11日にアップされます。

 

 

 

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■