金魚屋プレスより刊行予定の鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』を先行アップします。なお本書は近代文学批評『日本近代文学の言語像』三部作の中の一冊で、『日本近代文学の言語像Ⅰ 正岡子規論-日本文学の基層』、『日本近代文学の言語像Ⅲ 森鷗外論-日本文学の原像』といっしょに三冊同時刊行されます。(文・石川良策)

by 鶴山裕司

 

 

 

Ⅳ 写生文小説-『吾輩は猫である』(中編)

 

 

 この写生理論がなぜ重要かと言えば、ヨーロッパ・リアリズム文学と同様に、非情な視線(漱石の言葉で言えば「非人情」)で世界を描写できるからである。漱石は「写生文家は親の立場から世間を子として見て()ると僕は思ふ、(中略)()の見方は西洋にないものだ、西洋の文学者がしない見方だ、全く東洋的だ」(『漱石氏の写生文論』明治四十年[一九〇七年])と語った。写生理論(写生文)を使えばヨーロッパ文学と同質のリアリズムを表現できる。ただそれは日本文学独自の方法だった。

 

 余は昔から朝飯を()はぬ事にきめて()(ゆえ)病人ながらも腹がへつて晝飯(ひるめし)を待ちかねるのは毎日の事である。今日ははや午砲(ごほう)が鳴つたのにまだ飯が出來(でき)ぬ。(中略)仕方が無いから蒲團(ふとん)頬杖(ほおづえ)ついたま()ぼんやりとして庭をながめて居る。(中略)

 さつき(この)庭へ三人の子供が()て一匹の子猫を追ひまわしてつかまへて()つたが、彼等はまだ(その)猫を()て遊んで居ると見えて垣の外に騒ぐ(こえ)が聞える。竹か何かで猫を打つのであるか猫はニャーニャーと細い悲しい聲で鳴く。すると高ちヤんといふ子の聲で「年ちヤんそんなに打つと化けるよ化けるよ」と(やや)氣遣(きづか)はしげにいふ。今年五つになる年ちヤんといふ子は三人の中の一番年下であるが「なに化けるものか」と平氣(へいき)にいつて又強(またつよ)く打てば猫はニャーニャーといよいよ(きゅう)した聲である。

(正岡子規『飯待つ間』明治三十二年[一八九九年])

 

 坊ばは隣りから分捕(ぶんど)つた偉大なる茶碗と、長大なる箸を専有して、しきりに暴威を(ほしいまま)にして居る。使ひこなせない者を無暗に使はうとするのだから、(いきおい)暴威を(たくま)しくせざるを得ない。(中略)茶碗の中は飯が八分通り盛り込まれて、(その)上に味噌汁が一面に(みなぎ)つて()る。箸の力が茶碗へ伝はるや否や、今迄どうか、かうか、平均を保つて居たのが、急に襲撃を受けたので三十度(ばか)り傾いた。同時に味噌汁は容赦なくだらだらと胸のあたりへこぼれだす。(中略)打ち洩らされた米粒は黄色な汁と相和(あいわ)して鼻のあたまと頬つぺたと(あご)とへ、やつと掛声をして飛び付いた。(中略)

 先刻から此体(このてい)たらくを目撃していた主人は、一言も()はずに、専心自分の飯を食ひ、自分の汁を飲んで、此時は既に楊枝(ようじ)を使つて居る最中であつた。

(『吾輩は猫である』「十」明治三十九年[一九〇六年]四月)

 

 『飯待つ間』は明治三十二年(一八九九年)十月九日昼頃の根岸子規庵での出来事の写生文である。『猫』は苦沙弥家の朝食の様子を描いた写生文だが、当時漱石は四人の女の子の父親であり、実際の夏目家の食卓の観察に基づいている。

 

 子規と漱石の写生文には明らかな共通点がある。記述主体は現実を観察するだけで出来事そのものに関与しようとしていない。つまり写生文とは現実世界から距離を置いた記述主体が、主観を交えずに目前の出来事を客観描写してゆく文章である。それによって(なま)の現実の厳しさや滑稽味を表現しようとしている。

 

 しかし子規と漱石の写生文には大きな違いもある。『飯待つ間』の記述主体は「余」=子規である。『猫』の記述主体は「猫」である。人間ではない猫を記述主体にしたことによって、漱石の写生文は子規写生文よりもさらに徹底して現実世界を客観描写できるようになっている。吾輩は人間たちとは異なる生の審級に属しているからだ。

 

 この猫を語り手にするという設定が、それまで短かい作例しかなかった写生文で漱石が長篇小説を書くことができた理由である。また人間とは異なる生の審級にいる猫を記述主体とすれば、人間たちの行動はもちろん、その思考をも相対化して描けるようになる。

 

 「君はしきりに時候おくれを気にするが、時と場合によると、時候おくれの方がいえら(・ ・ ・)んだぜ。第一今の学問と()ふものは先へ先へと行く(だけ)で、どこ迄入つたつて際限はありやしない。(中略)そこへ行くと東洋流の学問は消極的で(おおい)に味がある。(中略)」と先達(せんだっ)て哲学者から(うけたま)はつた通りを自説のように述べ立てる。

 「えらい事になつて来たぜ。何だか八木独仙(どくせん)君の様な事を云つてるね」

 八木独仙と云ふ名を聞いて主人ははつと驚ろいた。(中略)今主人が鹿爪(しかつめ)らしく述べ立て()いる議論は全く(この)八木独仙君の受売(うけうり)なのであるから(中略)暗に主人の一夜作りの仮鼻(かりばな)(くじ)いた訳になる。(中略)

 「まあそんな贔屓(ひいき)があるから独仙もあれで立ち行くんだね。(中略)昔し僕の所へ宿(とま)りがけに来て例の通り消極的の修養と云ふ議論をしてね。いつ迄立つても同じ事を繰り返して()めないから、僕が君もう()やうぢやないかと(中略)寐かした迄はよかつたが――(その)晩鼠が出て独仙君の鼻のあたまを囓つてね。夜中に大騒ぎさ。(中略)仕方がないから台所へ行つて紙片へ飯粒を貼つて胡魔化(ごまか)してやつたあね(中略)(これ)さへ貼つて置けば大丈夫だと云つてね(中略)すると独仙君はあ()云ふ好人物だから、全くだと思つて安心してぐうぐう寐て仕舞(しま)つたのさ。(後略)」。

 「(しか)しあの時分より大分えらく(・ ・ ・)なつた(よう)だよ」(中略)

 「どうれで独仙流の消極説を振り舞はすと思つた」

(『吾輩は猫である』「九」明治三十九年[一九〇六年]三月)

 

 苦沙弥は久しぶりに訪ねて来た学生時代の友人・独仙(どくせん)の東洋文明論にいたく感心し、早速迷亭(めいてい)にその受け売り話をする。ところが迷亭は学生の頃から独仙の東洋的「消極的の修養」説に辟易していて、苦沙弥の幻想を打ち壊す話を次々に披露する。修養を重ねているとは言ったが独仙はぜんぜん悟ってなどいないのだ。

 

 また迷亭はあまり独仙の話を真に受けてはいけないと忠告し、同窓生の立町老梅(たちまちろうばい)の話をする。独仙の感化を受けた老梅は今は精神に変調を来して病院におり、天道公平と名乗って友人たちに無暗に手紙を出していた。天道公平の名を聞いてまた苦沙弥は驚いた。苦沙弥は公平から手紙をもらったばかりで「(すこぶ)る分りにくい」内容だとは思ったが、「わからぬものを難有(ありがた)がる癖を有して()る」ので、公平の文章を何となく「尊敬」する気になっていたのだ。

 

 その夜、苦沙弥は書斎で日記をつける。独仙や公平や迷亭について考え、寒月の件で大騒ぎをしている金田夫妻、苦沙弥家の庭に野球のボールを打ち込んでは騒動を起こす寄宿舎・落雲館の中学生たちに思いを巡らす。苦沙弥は「ことによると社会はみんな気狂の()(あい)かもしれない」、「気狂も孤立して()る間はどこ迄も気狂にされて仕舞(しま)ふが、団体となつて勢力が出ると、健全の人間になつて仕舞ふのかも知れない。大きな気狂が金力や威力を濫用して多くの小気狂を使役して乱暴を働いて、人から立派な男だと()はれて居る例は少なくない。何が何だか分からなくなつた」と書いて「ぐうぐう()て仕舞」う。

 

『吾輩は猫である』漱石自筆稿

 

 人間の行動は一皮むけば身勝手なエゴイズムにまみれており、狂気と紙一重であるという苦沙弥の考察には漱石の思考が反映されている。しかしこのような思考に『猫』の主題があるわけではない。猫は苦沙弥の日記について「何返(なんべん)考へ直しても、何条(なんじよう)の経路をとつて進まうとも遂に「何が何だか分からなくなる」(だけ)(たし/rt>)かである」と評している。どんなに思考を凝らしても「何が何だか分からなくなる」のは世界に人間の言動を統御する絶対的規範が存在しないためである。『猫』はすべての人間の言動や思想を徹底的に相対化している小説である。

 

 「あなたが寒月さんですか。(中略)あなたが博士にならんものだから、私が貰ふ事にしました」

 「博士をですか」

 「い()え、金田家の令嬢をです。(中略)(しか)し寒月さんに義理がわるいと思つて心配して()ます」

 「どうぞ御遠慮なく」と寒月君が()ふと、主人は

 「貰ひたければ貰つたら、いゝだらう」と曖昧な返事をする。(中略)

 「あなたが東風君ですか。結婚の時に何か(新体詩を)作つてくれませんか。すぐに活版にして方々へくばります。(雑誌)太陽へも出してもらひます」

 「え()、何か作りませう、何時(いつ)頃御入用ですか」(中略)

 「た()は頼みません。御礼はするです。(中略)かう云ふ御礼はどうです」と云ひながら、上着の隠袋(かくし)のなか()ら七八枚の写真を出してばらばらと畳の上に落す。(中略)(ことごと)く妙齢の女子(ばか)りである。

 「先生、候補者が是丈(これだけ)あるです。寒月君と東風君に(この)うちどれか御礼に周旋してもい()です。こりやどうです」と一枚寒月君につき付ける。(中略)

 「何でもいゝからそんなものは早く仕舞つたら、よからう」と主人は叱り付ける様に言ひ放つたので、三平君は

 「それぢや、どれも貰はんですね」と念を押しながら、写真を一枚一枚ポケツトへ収めた。

(『吾輩は猫である』「十一」明治三十九年[一九〇六年]八月)

 

 『猫』の筋らしい筋は寒月と富子の結婚話以外にはないが、最終第十一章で、寒月は国元に帰った折りにさっさと結婚してしまったことが明らかになる。富子を嫁にするのは三平だが、「寒月さんに義理が悪いと思つて心配して()ます」という言葉を聞いても寒月は「どうか御遠慮なく」と平然としている。東風はかつて富子に新体詩を捧げたが、三平から「結婚の時に何か(新体詩を)作つてくれませんか」と頼まれて「え()、何か作りませう」と安請け合いしている。あれほど大騒ぎした寒月と富子の恋愛話はきれいに消え失せている。

 

 しかし寒月と富子の間にまったく精神の交流がなかったとは言えない。寒月は苦沙弥に吾妻橋から隅田川に投身自殺しかけた話をしたことがある。夜中に吾妻橋を渡っている時に、川の中から富子が自分の名前を呼ぶ声を聞いたのだった。富子はその頃病気で寝込んでいた。寒月は「はーい」と返事をして欄干によじ登り、富子の声がした水の中に飛び込んだ。寒月はどういうわけか水ではなく橋の真ん中に飛び降りてしまい、富子はその後何事もなく全快したというオチが付いているが、この挿話に漱石の基本的な愛の主題が反映されているのは間違いない。だが独仙の東洋思想や、苦沙弥の肥大化した自我意識の滑稽化と同様に、『猫』では男女の愛の主題も相対化されている。

 

 もし漱石が思想的作家であり、思想的作家が作品で何よりも思想を表現しようとする作家という意味ならば、それは間違いである。思想表現が重要なら、それは常に同じ記述として作品に現れるはずだからである。もちろん漱石文学には一貫した思想がある。しかしその描き方は作品文体によって大きく変わる。作品によって異なる文体で、多面的に思想を描き出しているからこそ漱石作品は高い文学的評価を得ているのだ。

鶴山裕司

 

 

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* 『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)は毎月15日と月末に掲載されます。

 

 

 

 

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