久しぶりの故郷。思い出したくない過去。でも親族との縁は切れない。生まれ育った家と土地の記憶も消えない。そして生まれてくる子供と左腕に鮮やかな龍の入れ墨を入れた旦那。それはわたしにとって、牢のようなものなのか、それとも・・・。辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑による連載小説第3弾!。

by 寅間心閑

 

 

 

 

   一 (後半)

 

 水羊羹を差し出し、瓶ビールやおつまみが運ばれ、旦那が改めて結婚の報告をし、父親の音頭で乾杯をした後、ようやく一息つけた。グラスに一口つけたきり、カウンターの中でおつまみの用意をしている母親の背中は、話の輪に入ることを拒絶しているみたいだ。

 「お前、今仕事は?」

 「運送やってる」

 思わず彼の方へ顔を向けそうになった。二ヶ月前、例の刺青をからかった同僚を殴って半年勤めた運送会社をクビになり、今は近所のパチンコ屋で働いているのに。

 「そうか。やっぱりきついか?」

 「まあまあね」

 それから彼は、勤務中に起きた幾つかのエピソードを面白おかしく披露した。私も何度か聞いた話だ。多分、目の前に座っている父親も、カウンターの中にいる母親も、自分たちの息子がこうして機嫌よく、そして早口に喋るのは、嘘をついている時だと知っているに違いない。その二人のグラスにビールを注ぎながら、私はいちいち大袈裟に驚いたり笑ったりしてみせた。どうせ嘘をつくならば、もっと上手にやればいいのにと苛立ちながら。

 「はいはい、こんなものしか出せなくてすいませんね」

 いかにも居酒屋の肴らしい小皿が並べられる。わーっ、と慣れない歓声をあげてみようかと思ったが、何度も頭を下げながら「すいません、すいません」と繰り返すだけにした。息子との会話にもう詰まってしまった父親が、瓶ビールを持ってくるよう命じている。

 「酒なら売るほどあるもんですから」

 そんなくすんだ冗談に微笑みながら、レンジで温め直したチャーシューに箸をつける。無言のまま、ポテトサラダを頬張る旦那にかける言葉が見つからない。「久しぶりの母の味、おいしいでしょ?」なんて軽口が言えれば、どんなにいいだろう。なぜか悔しいような気持ちを抱えつつ、真向かいに座っている母親に「かなりたくさんの量を作るんですか?」と無邪気な質問を投げかける。どうでもいい会話を続ける技術は、スナックで働いている時に覚えた。

 「質が悪い分、量だけでも作っておかないといけないのよ」

 やはり当たり障りのない会話は、女の得意技らしい。実の父子より、初対面の女同士の方が自然に振る舞える。久しぶりの息子よりも、その結婚相手と喋る気楽さが勝る理由は、女特有の、つまり私も持ち合わせている特性なのだろうか。それとも、あの色濃い竜の刺青に原因があるのだろうか。時折視界に入る彼の左腕に、あの竜が今にも浮かび上がりそうな気がして、私は無意味な会話を引き延ばすことに集中していた。

 「あれ、ランチ始めたの?」

 トイレから帰って来た彼が、店内を見回しながら呟く。両親に一瞬の静寂があった気がするのは、記憶の中の出来事だからかもしれない。いや、本当に私の思い違いであってほしい。

 「うん。まあ、タカヒロの嫁さんが手伝ってくれるもんでな……」

 「え、兄貴、結婚したんだ」

 その兄貴の存在さえ知らなかった私は、視線を落としたまま、乾きかけたお新香を口に運ぶしかない。

 「ほら、電話で言うのも変な話だし、もうあれ、二年も前の話。子ども、男の子もいるのよ」その場を取り繕うというより、彼の不在を責めている言葉に聞こえ、私はますます視線を落とす。「小さい子がいると、なかなか働くところって見つからないんだから」

 そうか、と小さく答え、ゆらゆらと席に戻った彼はグラスに残っていたビールを一息に飲み干した。

 「でもこんな場所でランチって言ってもねえ、来るお客さんだってたかが知れてんのよ。ほら、さっきも言ったように質はよくないんだから。うちの料理」

 「ええ、そんなことないですよぉ。ランチって何種類もメニューを出してるんですか?」

 私は彼に悪いと思いながらも、そのランチの話を出来るだけ薄く広げることに熱中した。一秒でも早くこの時間を終わらせるには、そうするしか思いつかなかったのだ。

 

 ふと目を開けると、見慣れない天井が浮かんでいた。ああ、ここはホテルだ。そう理解したのも束の間、慌てて飛び起き時計を確認する。十二時五十分。あと十分で告別式だ。やばいやばい、と呟きながら鏡の前で髪を整え、部屋を飛び出した。県内の名所のポスターが所狭しと貼られたエレベーターの中、もう働きに出たであろう旦那にメールを打つ。結局、運送会社の後に勤めたパチンコ店も一年ほどで辞め、今は友達のツテとやらで道路工事の仕事をしている。

 ホテル、ちゃんと部屋取れました/どうもありがとう

 子どもの頃から、夢らしい夢はあまり見ない。大体、今のように記憶を反芻して終わってしまう。学生の頃、太ちゃんにそれを打ち明けて、「なんだかもったいなかねえ」と笑われたことを思い出す。つい数ヶ月前、旦那に話した時も「損してるみたいだな」と言われたが、彼は笑うことなく、ただ気の毒そうな表情をしていた。

 

 ずっと姿が見えていたのに、それが妹の佳奈美だと分からなかったのは、ハンドバッグの中の香典袋を何度も指先で確認していたせいではない。六年ぶりに会うその姿に、当時の面影が一切残っていなかったからだ。特に目の感じが全然違う。

 切れ長だったはずなのに、カラコンとつけまつ毛、そしてメイクの力で随分ぱっちりとしている。姉ちゃん、と迷いなく駆け寄ってきたところを見ると、私はあまり変わっていなかったらしい。

 「佳奈美、元気やった?」

 当たり障りなく、ただこの場に似つかわしくないことを口走ってしまったが仕方ない。私は最初にかけるべき言葉を、結局用意できなかった。しかし面影のない妹は、ごく普通に「うん」と微笑み、姉よりも更にちぐはぐな一言を口に出す。

 「姉ちゃん、スマホの番号とアドレスば交換しよう。あ、LINEば使いよる?」

 その喋り方や表情に、初めて面影らしきものを見出せたはずなのに、反射的に嫌な想像をしてしまった。私を通り越して向こう側を見るような視線と、斎場のロビーには不釣合いな言葉。酔っ払ってるの? とはさすがに訊けない。そして、人をこんな感じにさせる物が酒だけではないことくらい、私でも知っている。酒を飲んでいても困るが、それ以外の理由ならもっと困る。もしそうならば、この子とは金輪際、いや、今からでも関わりたくはない。

 会場の中からマイクで話す声が聞こえてきた。もう式は始まっているらしい。この三階建ての斎場には第五式場まであり、ここ二階の式場が一番小さかった。

 「ねえ佳奈美、とりあえず中に入ろう。ね?」

 まだ連絡先を交換するかどうかを決めたくなかったので、少し慌てた振りをして促してみた。そうね、と素直に従い受付へ向かう佳奈美の背中を追う。その後ろ姿でさえどこかちぐはぐな気がして、私は目を離せない。服装自体はいたってまともだ。ワンピースもストッキングも黒。決しておかしくはない。考えすぎかしらと思った瞬間、ひとつ気付いてしまった。肩まで伸びた黒髪。あの不自然な質感は多分、地毛ではなくウィッグだろう。

 

 六十人分あるという座席は、ざっと見たところ七割方埋まっていた。やはり年寄りの姿が多い。一番後ろの列に二人並んで座ったが、僧侶の読経を聞いている間もまったく落ち着かなかった。佳奈美はおとなしく指に数珠を絡ませ軽く俯いているが、何かのはずみで爆発しそうだ。周りに知った顔が見えないのを幸いと、椅子の背もたれに体重を預けて楽な姿勢を取る。お経は胎教にいいと本に書いてあったが、母体が妙なストレスを抱えているなら帳消しだ。

 「姉ちゃん、花輪の結構出とったね」

 そんな囁きを咎めるのも面倒で、適当に相槌を打つ。本当にこんな声だったっけ、と疑ってはみたものの、比較する「昔の声」がうまく思い出せない。

 「ほら見てん、泰邦おじちゃんのあがん肥えてさ」

 最前列の席で一瞬辺りを見回した伯父の顔を見つけ、佳奈美は得意気だ。ぼんやりしているようで、割に目ざといところは昔から変わっていない。やっぱり佳奈美なんだわ、とようやく納得しながら、祭壇に飾られたばあちゃんの遺影を眺める。まだ私が上京する前の写真らしく、記憶の中の顔と変わらない。昔のばあちゃんだ。

 弔電が読まれ始めたタイミングで、また何人かが入ってきて近くの席につく。見知らぬ顔だ。私からの返事がないのを気にする様子もなく、さっきから佳奈美はぽつりぽつりと囁いている。

 「この電報、さっき花輪ば出してた会社やんねえ。泰邦おじちゃんが勤めようとかしら」

 曖昧に返事をしながら、頭の中で記憶を整理してみる。泰邦おじちゃんは長男、太ちゃんのお父さんが次男、私たちの母親が末っ子で長女。本当は三人兄弟ではなくあと二人、じいちゃんに子どもがいると知ったのは、まだ小学生の頃だった。当時、私はその話を母親から聞いたのだが、佳奈美も知っているのだろうか。

 ふと泰邦おじちゃんの隣に座っていた人が中腰の姿勢で立ち上がる。ふくよかになりすぎてはいるが、間違いない。泰邦おじちゃんの奥さん、チエおばちゃんだ。夫婦揃って肥えようやない、と佳奈美に膝を押し付けられ、この子も親戚の人たちには会っていないんだと確認する。では、今日のことを知らせたのはいったい……。

 「連絡くれたの、太ちゃん?」

 突然話しかけられて驚いたのか、佳奈美は面影の残っていない目を真ん丸にし、無言で頷いた。一度尋ねてしまうと、訊きたいことが溢れてくる。会わなかった数年間のこと、現在の暮らしぶり、そして母親の消息。

 佳奈美、と改めて呼びかけようとした矢先、場内脇の通路から遠慮がちに辺りを見回していたチエおばちゃんが、軽く腰を曲げ「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょ」と近付いてきた。

 「あんたたちの席はあっちたいね、親族者席」

 「?」

 「ここはお客さんの席やろうもん。もうすぐお焼香の始まるけんが、早よ移りなさい」

 中腰のまま前方の席を指差すチエおばちゃんと、口を開けたまま立ち上がろうとする佳奈美の姿に、時間の感覚が狂っていく。

 まだ私は東京に行ったこともない高校生で、このまま夜になれば太ちゃんの家に帰り、あの二階の部屋のベッドに横たわって朝を待つ。そして翌日、太ちゃん一家と共に食卓を囲み、一足先に出勤していくおじちゃんに「いってらっしゃい」と声をかける――。

 何年も繰り返したあの情景に、思いがけず涙が溢れた。懐かしいことなど何もないのに、と不思議がる暇もなく、佳奈美に「姉ちゃん、早よせんば」と促されて立ち上がる。お腹をかばう癖がついているせいかバランスを少し崩し、溢れていた涙が頬をつたっていった。泣いたことは不本意だったが、そのおかげで時間の感覚が戻ったのはありがたい。今、私の帰る家は東京にしかないんだ。

 佳奈美にもたれるようにして通路へ出ると、私の涙の理由を勘違いしたチエおばちゃんが、「あんたはおばあちゃん子やったけんねえ」と、もらい泣きをしながら抱きしめてくれた。

 

 人生初の焼香は無事に終わった。「葬儀参列のマナー」を調べていたおかげかもしれない。右隣で佳奈美は、指先に付いた抹香を物珍しそうにいじっている。さっきまでのように独り言を言わなくなったのは、見知った顔が多いからだろう。その判断は出来るようだ。となると、酒やそれ以外の何かを心配する必要もない。この子も私みたいに緊張してるだけなのかも、と肩の力が抜ける。

 移動してきた私たちに席を詰めてくれた太ちゃんは、左隣で神妙な表情のまま弔問客の姿を見つめていたが、唐突にこちらへ顔を向けて囁く。

 「そういえば、店の場所、教えんとらんかったね」

 「店?」

 「今日の夕方さ、久々やけん、身内だけで飯食おうって言いよったとさ」

 「でも、この後ってさ……」インターネットで調べた通りなら、この後は火葬場に向かうはずだ。「みんなで……」

 「あ、ごめん。それも伝えとらんだったね。火葬場に行くってことやろ?」

 「うん」

 「実はもう火葬は終わっとうとよ」

 「?」

 「だけん、棺桶の無かったろうが」

 たしかに祭壇に棺はなく、骨壺だけが置かれている。なぜ、お焼香の際に気付かなかったのだろう。

 「俺は覚えとらんけど、じいちゃんの時もそうだったらしいったい。で、自分の時もそがんしてって、ばあちゃんが言いよったって」

 へえ、としか言葉が出ない。聞こえているのか聞こえていないのか、佳奈美はまだ指先の抹香をいじっている。

 「店の名前だけ分かれば、スマホで調べられるっちゃろ?」

 本当は断りたかったが、うまい理由が思いつかない。妊娠は理由になるかもしれないが、それは内緒にしておきたかった。太ちゃんにも、もちろん佳奈美にも伝えるつもりはない。

 告げられた店の場所は、じいちゃんの家、つまり太ちゃんの家に預けられるまで住んでいた家の方向だという。佳奈美に伝達すると、一瞬無表情になってから大袈裟な笑顔をつくる。

 「あそこら辺に行くの久しぶりやけん、超楽しみ」

 その言葉の奥に潜む気持ちに気付かないふりで、「じゃ、一緒に行こう」と誘うのが私には精一杯だった。

(第02回 了)

 

 


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* 『松の牢』は毎月07日に更新されます。

 

 

 

 

 

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