おとうさんがいなくなった。あたしにはその理由がわからない。おかあさんは仕事で疲れて不機嫌で、おにいちゃんは毎日テレビばかり見て過ごしている。あたしがおとうさんに会えるのは夢の中でだけ。でも夢の中には〝やみ〟がひそんでいる。あたしは今日も夢の中でおとうさんを探し求める。

純文学エンターテイメント作家遠藤徹による、全編ひらがなの幻想的リアリズム小説!。

by 遠藤徹

 

 

 

ひるやすみ(後編)

 

 かわでは、おとうさんがちかづいてきてあみをとりあげたとき、あたしはそれをこばみました。

 「だめよ、おとうさん」

 あたしは、おとうさんにいいました。

 「おとうさんのことは、あたしがまもるから。あたししってるんだ、こいつをちいさくするほうほうを。こいつをよわくするほうほうを」

 「そうなのかい?」

 すこし、おとうさんはおどろいたようでした。でも、

 「やってごらん」

 って、いってくれました。あたしが、かわりつつあることをりかいしてくれたのでした。

 「やみは、やみをくらっておおきくなるのよ。だから、そんなえさをあたえなければいいのよ」

 あたしは、あみを、どてとかわのさかいめにおもいっきりつっこみました。なにかどっしりしたものが、あみにはいったのがわかりました。そのままでは、とてももちあげられないほどのおもみでした。

 「ちいさくなあれ、よわあくなれ。かあるくなあれ、かわいくなあれ」

 あみにはいったものは、じたばたしました。でも、しだいにあみのなかでかるくなり、あばれるちからもよわっていきました。

 「ちいさくなあれ、よわあくなれ。かあるくなあれ、かわいくなあれ」

 もういちど、くちずさみながら、あみをすくいあげました。そこには、どじょうのようなちいさくてくろっぽいものがばたばたしていましたが、それがみみずみたいにほそくなり、いろもくろがよわってはいいろになり、それからもどんどんしろっぽくなり、さいごはいっぽんのいとみたいになって、きえてしまいました。

 「ほらね、おとうさん。もうだいじょうぶでしょ」

 あたし、ふりかえって、はっきりみました。いままでみえなかったおとうさんのえがおを、はっきりとみたのです。

 

 きりかぶのひろばには、たしかにへびになったやみたちがひそんでいました。でも、あたしはきにしません。ひょこひょこあそんで、ほいほいたのしんで、アトラスオオカブトなんか、なんのことなくかんたんにつかまえて、あらかじめよういしてあったむしかごにいれてしまいました。おおきなきりかぶでひるねしていたときに、やみへびにかまれましたが、ぎゃくにやみへびがひめいをあげました。だって、てつでできたてぶくろをつけていたからです。ゆめのなかでしかてにはいらない、とくちゅうひんです。やみになんかくわれてたまるものですか!

 

 つぎは、おどろいたことに、がっこうでした。たいいくのじかんで、リレーをやっていました。はしるまえに、

 「だいじょうぶ、あたしはできる」

 ってじぶんをはげましました。

 「だれにもぬかれない」

 って。

 そうしたら、もうすこしであたしをぬきそうになった、たつきくんが、きゅうにこけました。いいえ、あたしはなにもしていません。ただ、うんがよかっただけです。そして、そのうしろからもうれつないきおいでおいあげてきていた、クラスでいちばんあしがはやいゆうせいくんは、きゅうにころんだたつきくんにぶつかってよろけました。

 そのせいで、ゆうせいくんもダッシュしきれず、あたしはぎゃくにもうれつにがんばって、みきちゃんをおいぬいたのでした。けっきょく、あたしのチームは、そのあとでゆうきくんがふたりにぬかれたのでゆうしょうはできませんでした。だから、たいきくんは、あたしのほうをみむきもしませんでした。かわりに、ゆうきくんにむかって、

 「おまえさあ、もうちょっとがんばれよな」

 とこえをかけ、ゆうきくんは、

 「えへへ、ごめん」

 そんなふうにわらってごまかしたのでした。みきちゃんとあけみちゃんが、あたしにちかづいてきて、

 「すごいね。はしるのはやくなったね」

 というので、

 「ううん、きょうはとくべつがんばっただけだよ」

 なんて、こたえておきました。それをみていた、かなさんがにっこりわらってくれたので、あたしもにっこりわらいかえしました。そして、ふたりでいろいろおはなししながら、がっこうからかえったのでした。

 

 おにいちゃんは、たしかにコンクリートブロックをもちあげました。そして、まちぶせしてじょうきゅうせいのかおをそれでなぐろうとしました。でも、うんよくそこにせいかつしどうのせんせいがあらわれたのでした。どうしてかって? もしかしたら、だれかからつげぐち、っていうかつうほうがあったのかもしれませんね。そう、だれかさん・・・からです。

 おにいちゃんはコンクリートブロックをとりあげられ、じょうきゅうせいは、ひごろのいじめのことでせんせいからきびしくしかられました。

 「にどとしません」

 じょうきゅうせいはやくそくし、ふたりはあくしゅをかわしました。おにいちゃんは、そのひからテレビをみるじかんをへらしました。すこしはしゅくだいもやるようになりました。しかも、しゅくだいをやっているあいだは、テレビをけすようになったのです。

 「あのこが、じぶんでテレビをけすなんて」

 おかあさんは、おどろきのあまり、からなみだがこぼれるのをどうしようもないようでした。

 

 そういえば、おかあさんは、あいかわらずぶつぶつもんくをいいます。しごとでつかれて、ふきげんなときもよくあります。でも、こどもたちがよくわらうものだから、ついついじぶんもわらってしまうことがふえてきています。

 

これが、まほうです。まほうのしゅぎょうです。あたしは、「かえる」まじょになったのです。それは、ゲコゲコとなくカエルではなく、がっこうからげこうするといういみのかえるでもなく、なんでもかんでもちがうものにかえてしまうというまほうをつかえるまじょなのです。

 「まだまだみじゅくだが」

 まじょがっこうのせんせいがいいました。まじょがっこうのせんせいは、みなキツネやタヌキやムジナのおめんをかぶっています。だから、ほんとうはだれなのかがまったくわかりません。どこかできいたことのあるようなこえのもちぬし、どこかでみたことがあるようなたいけいのひとたちがおおいのですが、でも、どうしてもしょうたいがわかりません。

 「おまえはよくがんばった。かなりゆうしゅうなせいせきだ。これなら、そろそろたたかえるだろう」

 「ほんとうですか」

 あたしは、うれしくなりました。

 「だが、あいてはとってもややこしい。けっしてきをぬいてはならないぞ」

 「はい、わかりました」

 あたしは、げんきよくけいれいしました。そして、ほんからでてきました。ほんをとじたとき、ふいにあの、はいひんかいしゅうのおんがくがきこえてきました。しあわせなら、てをたたこう、っていうあのきょくです。

 「あらあ、なんてばちがいなおんがくなの」

っておもったとき、よみおえたほんをてにしてすわっているじぶんにきがつきました。ちょうど、ごじかんめがはじまるチャイムがなりました。

 「あ、いそがなきゃ」

 あたしはあわてて、てにしていたほんをもとのばしょにかえしました。そこは、いつものちいさながっこうのとしょしつで、あたしがよんでいたのは、「はるのくさばな」というこどもようのずかんでした。

 「あれえ、おかしいなあ」

 ってあたしおもいましたけど、とにかくいまはそんなことをいっているばあいではありません。ごじかんめはさんすうです。さんすうは、たんにんのせんせいがやるので、いそげばまにあうでしょう。たんにんのせんせいは、わりとゆっくりめにきょうしつにくるからです。

 いそいでかいだんをおりているとき、こしのあたりがひんやりするのにきがつきました。

 「あら、なにかしら」

 ポケットにてをつっこんでみると、あのみどりいろのいしでした。でも、ぬれているのです。そういえば、すいそうにいれたのでした。そして、おさかになっておよいでいたはずです。でも、いまはポケットにもどっていました。ただしぬれているので、やっぱりすいそうにいたのはたしかだとおもいます。

 「どう、みずのなかはたのしかった?」

 ってあたしかいだんをかけおりながらたずねましたが、もちろんいしはいしですから、へんじなんかするわけはありません。でも、あたしには、なんとなくわかったのです。さっきのできごとは、きっと、このいしからのおれいなんだって。

 「ありがとうね。いいゆめみせてくれて」

 あたしも、ちゃんといしにおれいをいって、ポケットにもどすと、きょうしつにとびこみました。ちょうど、せんせいがついたのとどうじで、セーフでした。

 

 げんじつは、あまくはありません。きたいして、いえにかえってみましたが、おにいちゃんはやっぱりテレビのまえでぼんやりすわっているだけでした。テレビからあふれてくるこえはすごくいせいがよくて、でもそれはなんだか、からげんきのようにあたしにはおもえました。だけど、おにいちゃんは、そんなからげんき、それともいつわりのようきさにひたされていないと、じぶんがなくなってしまうようにかんじているみたいでした。テレビからげんきをもらって、なんとかいきているっていうかんじでした。つかれてかえってきたおかあさんは、やっぱりふきげんで、いらいらして、よいこモードでもなかなかきげんをなおしてはくれませんでした。

 「あのさあ、きょうがっこうで」

 って、たいしたことないことを、とてもたのしいことのようにおおげさにはなそうとしました。そうすることで、おかあさんも、そしてじぶんも、げんきになれるようなきがしたのです。でも、

 「あ、あとにして」

 とすげなく、ことわられました。あたしのはなしなんか、きいてるひまはないっていうかんじでした。それは、つまり、こどもがめんどくさいっていういみです。いつもだったら、しょんぼりしてしまうところです。

 「でも、だいじょうぶ」

 って、あたしおもいました。げんじつは、そうかんたんにはかわらない。それはとうぜんなのです。だいじなのは、かわったせかいをそうぞうできるかできないかということです。そして、あたしは、かわったせかいをきちんとおもいえがけているのです。いまのところは、ゆめのなかでだけですけど。

(第15回 了)

 

* 『ゆめのかよひじ』は毎月03日に更新されます。

 

 

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■ 遠藤徹さんの本 ■

贄の王 姉飼 角川ホラー文庫

 

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■