金魚屋プレスより2017年春頃刊行予定の鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』を先行アップします。なお本書は近代文学批評『日本近代文学の言語像』三部作の中の一冊で、『日本近代文学の言語像Ⅰ 正岡子規論-日本文学の基層』、『日本近代文学の言語像Ⅲ 森鷗外論-日本文学の原像』といっしょに三冊同時刊行されます。(文・石川良策)

by 鶴山裕司

 

 

 

Ⅲ 英文学研究と文学のヴィジョン-『文学論』『文学評論』(中編)

 

 

 ()て以上を綜合して考へて見ると、一目瞭然たるのはデフオーの小説が主人公を写すのに必ず幼時から説き起こすと()ふことである。(はなはだ)しいのは主人公の両親(また)は系図から始めたのさへある。()して(その)結末は必ず主人公が老人に成つて倫敦(ロンドン)に落ち着くか(あるい)は死んで仕舞(しま)ふことに成つて()る。(中略)これを一言にして云ふと、主人公の生涯の始めから終り迄写すのが主意である(ごと)くに思はれる。成程()うすれば始めがあり又終りがある。其点に(おい)て纏まつて()ると云ふことが出来る。

(『文学評論』(明治四十二年[一九〇九年]三月刊、三十八年六月~四十年[〇七年]三月の帝国大学での講義録))

 

 漱石は『文学論』に続いて『文学評論』の講義を行った。『文学評論』で漱石はイギリスの「十八世紀の状況一般」から始め、作家別に作品を読み解いている。ジョセフ・アディソン、サー・リチャード・スティール、ジョナサン・スウィフト、ジョン・ホープ、ダニエル・デフォーが漱石が章立てして論じた文学者たちである。ほとんどがエッセイイストや小説家たちだ。『文学論』で検討したのは英詩だったので、『文学評論』ではバランスを取ってエッセイや小説を取り上げたのだろう。また作家は漱石の好みで選ばれていない。十八世紀イギリスを代表する作家たちである。

 

 ダニエル・デフォーは『ロビンソン・クルーソー』で有名な小説家兼ジャーナリストである。漱石はデフォーを取り上げた理由を、「デフオーの小説は気韻小説でもなければ、空想小説でもない、(中略)た()労働小説である。どの頁を開けても汗の臭がする。しかも紋切り型に道徳的である。デフオーの小説はある意味に(おい)て無理想現実主義の十八世紀を最下等の側面より代表するものである」と書いている。デフオー文学が優れているから検討対象にしたのではなく、良くも悪くも十八世紀イギリスを代表する作家だから論じたのだ。

 

 デフォー論に典型的なように、漱石は常に文化全体の流れの中で個々の作家の仕事を捉え、客観的にその長所・短所を明らかにしてゆく。デフォー作品についても、「主人公の生涯の始めから終り迄写すのが主意である」と的確にその構造を捉えている。デフォーの思想は紋切り型の道徳だが、作品は小説源基と呼べるような型を持っている。このような形で小説を構造的に把握すれば、それはいくらでも活用できるようになる。デフォー的小説構造を援用した漱石作品は、処女作の『吾輩は猫である』だろう。

 

 漱石は『文学論』の講義(明治三十六年[一九〇三年]九月~三十八年[〇五年]六月)が終わりに近づき、『文学評論』(三十八年六月~四十年[〇七年]三月)の準備が始まっていた三十七年(〇四年)十一月末頃に最初の『猫』を書いた。『猫』はドイツ人作家E・T・A・ホフマンの風刺小説『牡猫ムルの人生観』に発想を得たと言われることもあるが、漱石文学全体を検討しても特定の作家・作品に大きな影響を受けた痕跡はない。しかし構造として捉えれば、『猫』はデフォー的小説構造と相似である。

 

 『猫』は主人公の「吾輩」が生まれてから死ぬまでの物語である。また立身出世と拝金主義に染まった明治現代の「最下等の側面」を描いている。漱石は虚子に「『猫』は続けて書かうかどうしやうか。かくのならば材料はいくらでもあるのですが」(虚子『平凡化された漱石』昭和二年[一九二七年])と語った。漱石は気楽に書いた『猫』で最も単純な小説構造を援用したのである。また当初は読み切り小説のつもりの『猫』を十一回も連載し続けられたのは、「材料」が尽きた時点で猫を死なせれば、いつでも物語を完結させられるからである。

 

 もちろん『猫』執筆のヒントをピンポイントで特定することはできない。しかし漱石文学を意味からのみ読み解いていたのでは、いつまでもその全体像を把握できない。

 

 人間の思想や感情は複雑であり、それを言葉を使って丸のまま表現するのは難しい。苦悩を掘り下ることもできるし、『猫』のように苦悩を相対化して滑稽に描くこともできる。しかし一つの作品に悲劇と喜劇といった正反対の視点を設定するのは困難だ。そのためどの視点から人間の思想や感情を捉えるのかを決める必要がある。つまり作家の文体構造(世界認識構造)が世界の描写方法を決めるのである。

 

 吾人(ごじん)(この)編に(おい)てFの差違を述べんとす。Fの差違とは時間の差違を含み、空間の差違を含み、個人と個人のとの間に起る差違を含み、一国民と他国民との間に起る差違を含み、(また)は古代と今代と、もしくは今代と予想せられたる後代との差違をも含む。(後略)

 余は此編に於てFの差違を述べんと欲す。(しか)れどもFの差違はかくの(ごと)く複雑にして多面多様なり。(中略)(ただ)言はんと欲する所は文学の事なり。此故(このゆえ)に説く所にして這裏(しゃり)の消息に触れて、文運消長の(ことわり)、騒壇流派の別、思潮漲落(ちょうらく)(おもむき)を幾分か解釈し得れば足る。

(『文学論』)

 

 『文学論』最終章の「第五編 集合的F」で、漱石はFの変遷を論じている。文学作品の成立要件は「F(焦点)+f(情緒)」だという定義を放棄したわけではないが、時間や場所を隔ててある国や文化共同体の文学を相対化して眺めれば、それはFの集合体として捉えられると修正したわけである。

 

 この修正は重要である。漱石は実質的に、文学作品は作家による意識の言語化=焦点化(F)そのものだと定義し直している。そのためFの変遷を分析すれば、ある国や文化共同体の「文運消長の(ことわり)、騒壇流派の別、思潮漲落(ちょうらく)(おもむき)」、つまり「文学(文明)史論」を明らかにできる。

 

 漱石は文学者たちの「集合的F」の変遷を、「模擬的意識、能才的意識、天才的意識」の三つに分けて論じている。模倣者、秀才、天才と言い換えてもいい。文学史はその繰り返しである。理論として提示しているが、漱石はこの文学史観を膨大な読書体験から実感的に獲得した。驚くべきことに漱石は、彼の現代から約百年を遡ってヨーロッパの詩人、小説家、批評家、エッセイイスト、劇作家の作品を通読して『文学論』を書いた。それらが作家の強烈な個性(自我意識)の連続であるのは言うまでもない。

 

 江戸までの日本文学は短歌、俳句、漢詩が中心だが、それは一定の形式の中でわずかに作家の感情や個性を表現するいわば〝座の文学〟だった。しかしヨーロッパ文学は、結果として詩や小説、評論などのジャンルに分類されるが、その内実は唯一無二の作家の自我意識表現である。維新以降の日本文学が自我意識を表現基盤に据えた以上、その盛衰はヨーロッパ文学と相似の軌跡を描くはずである。

 

 (一)模擬の意識は数に(おい)(もっと)も優勢なり。(中略)(ただ)し独創的価値を()へば(ほとん)ど皆無なり。従つて赫々(かくかく)の名(優れた功績を上げたという評価)なくして草木と同じく泯滅(びんめつ)す(滅んで消滅してしまう)。

 (二)能才の意識は数に於て、(一)に劣る事多し。(しか)れども(その)特性として、(一)の到着地を予想して一波動の先駆者たるの功あるを(もっ)て、概して社会の寵児たり。(中略)但し其特色は独創的と云はんよりは(むし)ろ機敏と評するを可とす。(中略)通俗の語を以て(この)種の人を品すれば才子と云ふが尤も適当なるべし。世俗時に才子を誤つて天才となすは一事の成功に(げん)せられて其実質を解剖する(あた)はざるに()る。

 (三)天才の意識は数に於て遠く前二者に及ばず。()つ其特色の突飛なるを以て危険の(おそれ)最も多し。(中略)然れども天才の意識は非常に強烈なるを常態とするを以て、世俗と衝突して、夭折するにあらざるよりは(夭折しなければ)、其所思(しょし)を実現せずんば()まず。此点より見て天才は尤も頑愚なるものなり。もし其一念の実現せられて、たまたま其独創的価値の社会に認めらる()や、先の頑愚なるもの変じて偉烈(いれつ)なる(偉大で激しい)人格となり、頑愚の頭より赫灼(かくしゃく)の光(まばゆいばかりの光)を放つに至る。

(『文学論』)

 

 「模擬的意識、能才的意識、天才的意識」(模倣者、秀才、天才)の中で、天才がある文化共同体の文学をリードするのは言うまでもない。しかし漱石は天才を、生まれながらの特権的才能を有する人と定義しているわけでは必ずしもない。漱石は「模擬的意識(模倣者)のFに留ま(中略)る時に当つて、能才(秀才)の脳裏には、Fの(まさ)に推移すべき次期のF’を胚胎しつ()ある(中略)。今能才がF’を予想しつ()あるに当つて、(中略)次期のF’’を予想し(中略)遂にFnに行き得るものありとせば、此人(このひと)(天才)は多数の民衆がFに固定せる間に(中略)既に幾多の波動を乗り超えてFn()け抜けたるものなり。(中略)凡人と天才とはFを意識するの遅速によつて決す」と述べている。

 

 模擬的意識(模倣者)はいつの時代でも大多数を占める凡庸な作家たちのことである。彼らは「人の歌ふ所を歌ひ、人の美とする所を美」とする「可もなく不可もなき」文学者たちだ。能才的意識(秀才)は凡庸な文学者たちがFというヴィジョンを抱いているときに、次に来たるF’を予想している。しかしこの「能才的Fは大衆に先だつこと十歩二十歩にして、大衆の到達すべき次回の焦点」を把握しているに過ぎない。これに対して天才的意識は将来文学が到達すべきFnという文学ヴィジョンを予見している。「FnはFの早晩達すべき駅路」だが、「凡人と天才とはFを意識するの遅速によつて決す」る。つまりある時代の人間意識の焦点(F)は、Fnを頂点とする一連の流れである。その遅速が文学者を模倣者、秀才、天才に分ける。

 

 

 【図2】は【図1】の「文学作品の構造」を元に「文学潮流(集合的F)」の変遷を図化したものである。各時代の文学潮流は単独で生起しているわけではない。必ず前時代からのF(または先行文学者が表現したF)を引き継いでいる。FからFnへの変化がどんなに唐突に見えようとも、それは過去の集合的Fの変奏である。また文学潮流(集合的F)が変化してゆく要因は様々である。外国からの新文化流入の衝撃や、前時代の文学に対する反動としての過去文学のリバイバルなども含まれる。

 

 ただ漱石はFの変遷は概ね「漸次(ぜんじ)ならざる可からざる」としている。「偉業の(中略)非常に急なる時は、成就の後を待つて、漸々(ぜんぜん)と成就せざる前の意識に近づき来るが故に、幾年かの後には、先に人目を(くらま)せるが(ごと)きの大変化として認め難きに至る。(これ)に反して漸次を旨として改革を企つるときは赫々(かくかく)の功を()つるの余地なきに似たりと(いえど)も、推移の自然なる、(また)幾年の後には所謂(いわゆる)偉業と同一の効果を収るを得べし」と述べている。

 

 長い伝統を持つ文化圏では、たとえ新たなFが斬新で革新的に見えようとも、それは一時的な影響力を持つに過ぎないというのが漱石の考えである。変化の衝撃が一段落すると、「(人々の意識が改革の)成就せざる前」に揺り戻ってゆくからだ。むしろ「漸次(ぜんじ)を旨として改革を企つる」方が本質的な変化をもたらすことが多い。つまり天才的意識は突飛な変化を引き起こす超人的能力ではなく、過去の文学潮流を踏まえて的確に未来の文学を予測・実現し得る能力のことである。

 

 また天才的意識はいち早くある時代の文学ヴィジョン(Fn)を見出すわけだが、それが明らかになると過去のFの質が問われることになる。単に目先の新しさに惑わされていたのか、時代の本質に届いていたのかということである。さらにFnはじょじょにFに変わってゆく。各時代の常識的パラダイムとして広く認知されるようになるのである。それを盤石の文学基盤とみなして模倣を繰り返し、次代のFnの探求を怠れば、文学は徐々に衰退してゆく。

 

 この集合的F論で得た認識を元に、漱石は将来の日本では「欧化主義は当初に吾人(ごじん)をして愕然たらしめし(ほど)に猛烈なる変化にあらずして、始めより漸次(ぜんじ)に泰西の文物を輸入せると同様の結果に到着するや(あきら)けし」と述べている。明治時代にこのような透徹した文明史観を持っていたのはほとんど漱石だけである。漱石は英文学研究を通して、同時代の日本文学の動向を冷静に捉えることができるようになっていた。

 

 ただ『文学論』などの理論書では、これ以上、天才論や日本文学の将来に関する見通し(パースペクテイブ)は探求されていない。漱石がそれを具体的に書いたのは後の創作作品においてである。(下編に続く)

『文学論』自筆稿

鶴山裕司

 

 

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* 『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)は毎月15日と月末に掲載されます。

 

 

 

 

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