コウタは大学三年生で、幼なじみのシュンジと〝本部〟に溜まって目的もなく毎日を過ごしている。本部は安アパートの一室。仲間のために部屋を借りたのは二年先輩のボスだ。高校生時代からコウタとシュンジはボスに憧れてきた。その怜悧さや悪の匂いすべてが魅力的だった。そのボスがある儲け話を持ちかける。手っ取り早く金を稼げればそれでよかったのだが・・・。辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑による新連載小説!。

by 寅間心閑

 

 

 

 

  

 

 さっきまでサキエさんと実家に帰っていた。俺が一人暮らしをすると同時に引っ越した、大和町にある馴染みのない実家。小さいが二階建ての一軒家だ。今年五十歳になる父親は、「出来るだけ頑張るけど、ローンが残ったらよろしく頼むぞ」と冗談めかしてプレッシャーをかけてくる。

 サキエさんと付き合うことになってからもう一週間だ。妙に早い気がする。その間は学校やバイトにもちゃんと行ってたし、夜遊びもしなかった。彼女は一日おきに泊まりに来てくれたし、今年いっぱいでキャバクラをやめると約束してくれた。いまだに俺は店の場所を知らないが、それで構わない。色々あった十月も終わった。あと二ヶ月で新年だ。

 最後に実家に帰ったのは八月の終わりだったから、二ヶ月振りに家族と会ったことになる。父親も母親もサキエさんを気に入ってくれた。息子が初めて恋人を連れてきたのがよほど嬉しかったらしく、近所の寿司屋から出前を取った。今年、短大に入学した妹も「きれいな人じゃん」と嬉しそうにからかっていた。

 日曜日の夜らしい風景ってこういうのなんだな。馴染みのない広いリビングでそう思いながら、父親のコップにビールを注いだ。少し白髪の増えた父親は、美味しそうに一息でコップを空けて「どうぞどうぞ」とサキエさんにビールを勧める。あんまり無理させちゃダメよ、と台所から母親が声をかけて、妹も「そうよお父さん」と苦笑いしながら注意する。正しい日曜日の夜の在り方だ。

 すいません、と言いながら父親にビールを注いでもらっているサキエさんはスーツ姿。いつもの恰好でいいんじゃないかな、と言った俺を「そういうわけにはいかないでしょ」とたしなめたのは昨日の夜のことだった。一緒に実家に行きましょう、という俺の申し出を最初は冗談だと思っていたらしい。俺が本気だと分かった瞬間に、ちゃんと座り直して「ありがとう」と頭を下げた。この人は、ちゃんとしている。いい人だ。

 あれ以来、ボスとは連絡を取っていない。オレオレ詐欺が忙しいんだな、と俺は納得している。もう「本部」はなくなってしまったんだろう。あそこはもう、ただの家賃二万二千円の安部屋に戻っている。LINEのグループ「一蓮托生」だって存在しない。気付けばボスが全員を退会させていた。まったくあの人らしい。サキエさんはあれ以来ボスの話をしない。ちゃんとした人だからだ。

 シュンジとは二回会った。あいつも今月の半ばには実家に戻る。サキエさんと付き合うことになった、と報告すると「おめでとう」と言って居酒屋でおごってくれた。優しいヤツだ。清美の母親は、少しずつ冷静さを取り戻してきているらしい。一時は入院という話も出ていたが、結局三日に一度くらいのペースで病院に行って、様子をみている。

 「医者から出された薬の種類が多すぎて、清美に文句を言っているんだってさ」

 あいつは少しも笑わずにそう言った。その清美のことを訊くと不器用に言葉を濁したので、それ以上は何も尋ねなかった。いい状態のはずがない。そんなことは分かっている。俺が心配なのは、これから先もずっといい状態にならないんじゃないかということだ。

 やはり俺とシュンジは重苦しいものを抱えている。あの日も他愛のない話がなかなか見つからず、酒の量だけが増えていった。どうでもいい話題がないのって辛いんだな。そう思った俺に、シュンジは清美のことをポツリポツリと話し始めた。

 「とりあえず夜遊びとかはしなくなったんだよね、大体夜は俺と一緒にいるか、離れていたらメールでやり取りしてるからさ」

 言葉は悪いが、一番の貧乏くじをひいたのはシュンジだと改めて思う。気の休まる瞬間が今のあいつにはない。

 「でもさ、たまに元気っていうか調子のいい時もあるしさ、高校にもう一度行きたいなんて言い出したりするんだよね」

 「あいつ勉強嫌いなんだろ?」

 出来るだけ明るく言うと「そうそう」と笑顔を見せた。

 「だから専門学校とかを勧めてるんだよね、自分の好きなことだけをやった方がいいと思ったからさ」

 あえて話は振らなかったが、シュンジはあまり学校に行ってないみたいだった。もうめっきり寒くなった夜の街を歩きながら、俺たちは煙草の煙を吐き出した。息の白さと煙の区別がつかない。別れ際にあの十六万円のことを訊くと、あいつは一瞬暗い顔をした。やっぱり訊かなきゃよかったなと後悔した俺を気遣っているのか、妙に元気のいい声で「一応清美と話し合って、銀行に預けておくことにしたんだ」と教えてくれた。

 「もし何かあった時は使うかもしれないけどさ、一応封印しとこうって感じで預けたんだよ、まぁ手元にあるよりは気分的にも楽だしね」

 シュンジの言うとおりだった。俺の家にはまだ封筒に入ったままの十六万円があって、それはふとした瞬間に気持ちをとても暗くさせる。

 暗い気持ちになる瞬間はそれ以外にも増えた。あの公園を通った時とか、学校の行き帰りに新宿を通る時とか、あの日のことを思い出させる場所に立ち寄ると、必ず暗い気持ちになってしまう。

 それだけではない。実は、一緒に実家へ来てくれたサキエさんのスーツ姿も俺を暗い気持ちにさせた。両親から「光太郎をよろしくお願いしますね」と言われている姿も、鮮明にあの日のことを蘇らせた。

 ああやって、清美の親父からも頭を下げられていたのか――。

 そう思った後に、もしかしたら彼女自身もいやなことを思い出していたんじゃないかと考えて、こめかみの辺りが疼いた。

 

 実家を出たのは、午後十時過ぎ。サキエさんは少し酔った母親から「今月中にもう一度絶対来て下さいね」と、無理に約束をさせられていた。父親は「こんな時間だから泊まっていってもらえ」と言い張って、妹から怒られていた。

 「本当に今日はどうもありがとう」

 何となく俺の家の方に歩き続けていると、少し先を歩いていたサキエさんが振り返ってまたお礼を言った。もう何回「ありがとう」と言われただろう。

 「コウタ君はお母さんに顔が似てるんじゃないかな。妹さんはお父さん似だもんね。お父さん顔かなり赤かったけど大丈夫なの? お酒強いの? お母さんも後半かなりグイグイ飲んでたからね、びっくりしちゃった。あれ? 妹さんは飲んでなかったんだっけ?」

 かなり喜んでくれたらしく、サキエさんはいつもよりよく喋った。そんな姿に俺は舞い上がりそうになる。この人が彼女だなんて夢みたいだ。

 「ねえねえ、今日泊まってっちゃダメかなぁ」

 振り返り、甘えた声で尋ねてくる。多分そう言われると予想はしていた。

 「すいません、明日また仕事で早いんですよ」

 「また九時とかでしょ?」

 「いや、明日は七時なんで」

 「あ、それは大変だぁ」

 「どうにか頑張りますよ、任して下さい」

 「じゃ、私モーニングコールしてあげるよ」

 「いや、でも……」

 「泊まって起こしてあげてもいいけど、私も寝れなくなっちゃうかもしれないもんね」

 そう言って笑う姿を見ていると、決心が鈍りそうだった。明日七時起きなんて嘘だ。ここから俺の家まで歩いて五分もない。本当はこれから一緒に帰って、とびきりやらしいセックスをしたい。でも、それじゃ何もならなくなっちまう。俺はぐっとこらえて、彼女をタクシーに乗せた。

 「じゃ明日七時に電話するからね」

 そう言って手を振ったサキエさんの顔は本当に綺麗だった。名残惜しさを何度も振り切り、家に帰るともう十一時前。隠してあった十六万円が入った封筒をテーブルの上に出す。あの日、ボスから渡されて以来一度も開けていない。

 念のため、中身を確認する。もちろん全額ある。緊張をほぐそうと、缶ビールを一本飲んだ。味はほとんど分からなかった。

 

 生まれて初めて、といっても大袈裟ではないくらい真剣に考えた。そして答えが出た。俺はこれから警察に行く。

 別に突然決めた話ではない。サキエさんと付き合った翌日から、ずっと考え抜いて出した結論だ。多分このまま何もしなければ、ボスやサキエさんの言うとおり、今回の一件はこれで終わるのかもしれない。いや、終わるだろう。自然消滅だ。そうすれば、正直なところ俺も助かる。今までどおりの生活を続けられる。それでいいじゃないか、とは何度も思った。

 サキエさんとも付き合えたし、それでいいじゃないか。

 シュンジだって、清美だって、少しずつ落ち着きを取り戻してきているんだし、それでいいじゃないか。

 ちゃんと全部丸く収まるじゃないか。ただ……、とそこにケチがつく。

 ただ、丸く収まったとしても、やっぱり俺は置いてきぼりのままだ。いつまでたっても先を行くボスの背中を見ているままだ。別にボスのことだけじゃない。これからも俺は指をくわえながら、誰かの背中を見てなきゃいけないのか。ずっと誰かに置いてきぼりをくらってなきゃいけないのか。もう、それは嫌だ。だからどうしたらいいのかを真剣に考えた。

 そして、自首することにした。

 いつかマリア様の家から帰る時に、前を通りかかった警察署に行こう。あの長い棒を持って立っている、怖い顔をした中年の警察官に言うんだ。

 「すいません、自首しにきました」

 そう言うんだ。

 直接ターゲットを殺そうとしたわけではないので、殺人未遂ではないだろうけど、何という罪なのかは分からない。しかし少なくとも、八十万円を奪ったのは事実だ。恐喝とかになるのだろうか。分からない。罪名は分からないけれど、あの日笑いながら見ていた、ナニ撮ッテンダヨーと凄むモザイクの少年たちと同類になることは分かる。そう、ただの犯罪者になるんだ。

 持っていく物は、封筒に入ったままの十六万円と、今書いているこの文章だ。これには全て書いてある。何よりの証拠物件だ。まさか、こんな風に役に立つとは思わなかった。

 もし俺が逮捕されたら、ボスもシュンジも清美もサキエさんも逮捕されるんだろうか。みちづれにしたいのはボスだけだ。シュンジたちには迷惑をかけたくない。でも、しょうがない。許してくれ。俺はもう、置いてきぼりは嫌なんだよ。

 そう決めたから、今日はサキエさんを実家に連れて行った。

 明日、両親も妹も驚くし、それ以上に悲しむだろう。馬鹿な息子で、馬鹿な兄貴で、本当に申し訳ない。サキエさんもきっと驚くだろうし、もしかしたら俺のことを嫌いになるかもしれない。俺が「人質」だなんて思っていたことを知ったら、どれだけ不愉快な気持ちになるだろう。ごめんなさい。でも、本当のことだ。

 ボス、俺はあんたを逃がさない。逃がすもんか。また今日も格好よく暮らしてるんだろう。せいぜい今のうち格好つけておくんだ。あんたも、あのモザイクの少年たちや俺やシュンジと同類、ただの犯罪者なんだ。

 誤解しないでくれよ、ボス。俺はあんたのことを憎んでなんかいないし、嫌いでもない。名前の分からない、もっと複雑な感情があるだけだ。信じてほしい。俺はただ、あんたに追いつきたいだけなんだ。あんたに認めてほしいだけなんだ。そのために、みちづれになってもらう。それだけだ。

 もう書くこともない。

 刑事さん、弁護士さん、検察官さん、裁判長さん、ここに書いてあることは全部本当です。俺たちは、人を騙して脅かして金を奪った。そして自殺未遂までさせちまった。どうか、俺たちを裁いて下さい。お願いします。

 さあ、後はこれをプリントアウトするだけだ。

 明日の七時、サキエさんからのモーニングコールには多分出れないだろう。あの警察署の中にいるんだもんな。スマホの電源は切っておかなければいけない気がする。でも彼女のことだ、何度もかけ直してくれるんだろうな。ありがとう。心配かけちまって、迷惑かけちまって申し訳ない。

 でも大丈夫、たった一度捕まるだけだ。ちゃんと罪を償えば、何度だってやり直せる。この国はそういう国だ。そうなんだろう?

 

 プリントアウトをしている間、シャワーを浴びておこう。水量で占う必要はない。勢いがよくてもチョロチョロでも、俺はこれから警察に行く。

(第12回 最終回 了)

 

 

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