関西テレビ放送系

火曜 21:00

 

 

 力作、というべきか。主演の草彅剛もはまっている。なんかキムタクより年齢を感じさせない、という長所があることに気づいた。こういう非日常的な、情緒欠損的な役が似合っているからかもしれない。このドラマは非日常的なサスペンスの重さで、本来なら軽妙であるはずの騙し合いのひっくり返しをも重厚な雰囲気に仕立てている。力作な感じとはそういうことだ。

 

 主人公は子供の頃に家族を殺され、それを一家心中だと証言させられている。ドラマはそれへの復讐劇であり、この時点でうんと重い。そうならざるを得ない。しかし成長した主人公はなぜか詐欺師になっていて、この詐欺のテクニックを使って復讐を試みる、というよくわからないコンセプトだ。正義の戦いに、なぜ詐欺仲間の協力や詐欺的なテクニックが必要なのか。

 

 いずれ復讐劇には多かれ少なかれ、目くらましが必要だ。それは赤穂浪士の時代からそうなので、何も詐欺とまで自己規定することはあるまい。視聴者だって目くらましが見事なら、無条件に喝采したい。家族を惨殺された子供、という十分に視聴者の共感を得る設定をしておいて、わざわざ後ろ暗くすることはないだろう。

 

 もちろん詐欺というテーマは魅力的だ。ただ詐欺師を主人公にした物語というのは、もとより造りが違う。そこでは殺人は起きてはいけないのだ。あったとしてもそれが表にずんずん出てきてはいけない。詐欺師の持つテクニックを見せ、楽しませようというコンセプトならなおさらだ。

 

 そしてそういうコンセプトでなければ、詐欺師を主人公にする理由はない。逆に言えば、それは殺人というテーマの重さをご都合主義的に利用しているようにしか映らなくなる。それを怖れるがゆえに主人公の復讐心をひどく強調せざるを得なくなる。視聴者は詐欺的どんでん返しと重い復讐劇のどちらに軸足をおくべきなのか、何を期待し、何に共感すべきなのか、迷ってしまう。

 

 実際、原作とされているものでは殺人が端緒となっていない。父の自殺である。殺されたようなものだ、とよく言うものの、同じ復讐劇でも大きな違いがある。テーマが双方向に割れてしまうというバランス感覚があれば、その違いはわかる。あれもこれもは決してよろしくない。

 

 同じジャニーズで、昔、山P主演の詐欺師ドラマがあった。少年の面影を残す天才詐欺師には当然、暗い過去がある。アパートの隣りに住み、彼を更生させようとするのがたしか堀北真希だった。テーマソングとともにくっきりした印象が残っていて、なかなか佳作だった。詐欺の手口を楽しませようとする意図と、ちょっと影のある少年の魅力がいいバランスで、何も言い訳を必要としなかった。

 

 つまりその言い訳の部分を、堀北真希演じる彼女が一身に担っていたのであるが。テレビドラマとしての楽しみと大義名分とのバランスの要を「嘘」という多義的な言葉の観念性に担わせるのは、やっぱりちょっと無理がある。恋の真実性をそこへ据えるなら、彼女はやはりとんでもなく清純派でなければならない。

山際恭子

 

 

 

 

■ 脚本の後藤法子さんの本 ■

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■