「僕が泣くのは痛みのためでなく / たった一人で生まれたため / 今まさに  その意味を理解したため」

「僕」は観念として世界に対峙する。孤独から滲む透明な抒情──。「僕」とは切り取られた世界そのものでもある。画像によって喚起されたペルソナ手法による、小原眞紀子の連作詩篇。 

by 小原眞紀子

 

 

 

 

 

そもそも世界には

五千六百九十二本の道路があり

現在も増えつづけていると

昔、授業で聞いたのが

遠い夢のような気がする

こんな夜に

この路を行くと

なぜなら世界には

三本だけとくべつな路があって

歩けば巻き戻される

左の肩の下

脇に近いところにある螺子が

ぴゅるる、とかすかな音をたてて

なくなった中華屋の匂いがする

日盛りが肌を焼き

先の大通りにサイレンが響き

消えてゆく

何ごともなく

路はそこに横たわっていたのだと

ゆるんだ螺子が僕をさいなむ

ゆるんでいくのは僕の肉体だと

歩くたびに思い知る

昼間しか知らない

学校のある路

いや、違う

立ちどまって星を見上げた

誰だったかと手をつなぎ

時が過ぎ去る直前

肩の下に螺子留めした

 

 

 

 

僕は縛られる

走ったり転がったりしないように

真っ直ぐ立って見上げているように

紫の雲を

そこから滴る雨を

全身で受けとめるように

喜びに打ち震えながら

僕は縛ってゆく

犬を柱に

猫を袋に

ベッドの少女を袋とじに

本をバンドで括り

口笛を吹きながら

学校へ出かける

もっとたくさん

もっと上手に

何でも縛りあげられるように

いろんな結び目を習う

トポロジー理論のもと

時空がゆがんで

感情がわくわくする

蛹の変態のように

縄抜けしてそのとたん

縛られる

見たものすべてを

縛りたい欲望

椅子を机をパチンコ屋を神奈川をスイートポテトを

花を地蔵を海を保育園を

雲の裏から綱で引き上げるために

 

 

 

 

僕の肉体がここにあるとき

僕の意識は向う側にある

問題なのは

僕には向うが見えないことだ

意識はあるというのに

目がこっちに留まっているから

それはまずいので

目を皿のように

向う側を見つめる

それこそが一般に

目は心の窓

と言われる所以である

正しくは

目は意識の扉

になろうと苦労している、と

僕にはわかっている

そのせいか

僕の瞳は漆黒の宇宙のごとく

女の子が吸いこまれたり

道でパンをもらったりする

問題なのは

彼女もパンもこちら側にあり

意識できない

正しくは

意識の範疇にないまま

一緒にパンをかじる

闇のようなコーヒーをすすり

開けちゃえばいいのにそんな扉、と

女の子ってとんでもないことを言う

写真 星隆弘

 

 

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* 連作詩篇『ここから月まで』は毎月05日に更新されます。

 

 

 

 

■ 小原眞紀子さんの本 ■

水の領分 メアリアンとマックイン

 

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