コウタは大学三年生で、幼なじみのシュンジと〝本部〟に溜まって目的もなく毎日を過ごしている。本部は安アパートの一室。仲間のために部屋を借りたのは二年先輩のボスだ。高校生時代からコウタとシュンジはボスに憧れてきた。その怜悧さや悪の匂いすべてが魅力的だった。そのボスがある儲け話を持ちかける。手っ取り早く金を稼げればそれでよかったのだが・・・。辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑による新連載小説!。

by 寅間心閑

 

 

 

 

  五 (下編)

 

 眠りが浅いってこういうのなんだな、と布団の中で納得した。今まで寝ていたのか起きていたのかさえ、よく分からない。スマホを引き寄せる。昨日の夜、シュンジはタクシーに乗って帰った。それは確認したが、その後ちゃんと家に着いたかどうかは分からない。連絡してみようかな、と思ったがやめた。

 テレビは昼のニュース。二日酔いではないけれど妙に腹が減る。外に出るのも面倒くさいからピザを頼んだ。一人でピザを頼むなんて初めてだ。やけに元気なピザ屋の店員に金を払った後、俺は少し焦った。財布の中にもう金がなかったからだ。

 テーブルの上に財布の中身を全部ぶちまけてみる。一ヶ月も前からのレシートや、使うことのないスタンプカードをどけると二千五百三十二円。これだけだ。銀行にも二千円くらいしかない。もう十月も終わる。月末は家賃も払わなければいけない。俺は即金の日雇い専門だから、いつも金がなくなってから慌てて働きだす。けど今月は色々ありすぎて、ほとんど仕事をしなかった。そのくせ、マリア様のいる「ラブ・グランデ」で遊んだりしていた。金がなくなるわけだ。

 たしかにこの家の中には十六万円ある。封筒に入ったままの十六万円。けどあの金に手はつけられない。早くあんな金、始末してしまいたい。さもないと俺のことだ、いつか手をつけちまうかもしれない。

 散らばったままの郵便物を整理する。チラシやダイレクトメールを捨てると、電気、ガス、スマホの支払い通知とクレジットカードの請求書。それに学校からのハガキが一枚残った。図書室から借りた本を返せ、というハガキ。

 ピザを食いながら「やべえな」と呟く。

 とてもじゃないけど、やっていけない。親から少し借りようかな。最後に金を借りたのは去年の暮れ頃だ。ダメならキャッシングしかない。でも利子をつけて返さなきゃいけないし……、と考えながらピザを四切れ食べるうち、腹はかなり満たされた。もう食えない。残りを皿に移して厚紙の箱を捨てる。

 やばいやばい、と呟きながら明日以降入れる仕事を捜し始めた。頼みの綱は五本。どこも長い付き合いの会社だ。二件目にかけた電話でイベントの設営と撤去、計二日分は何とか決まったが、今日はこれから予定がない。もう少し捜さなくてはと思ってはいるが、だるいうえに満腹の身体がそれを拒んでいる。今までならこういう時、「本部」に行ってダラダラ過ごしてた。もしかしたら、と予想する。

 もしかしたら、もう俺はあそこに行かないかもしれない――。

 昨晩、シュンジはライバルから友達に戻ったが、それは俺の中だけの話だ。本人には何も言っていない。ボスにだって直接気持ちを伝えたわけではないので、「本部」に集合、といつものように招集がかかる可能性はある。もちろん、その時は無視するつもりだ。理由を訊かれたら、正直にもう終わったと告げればいい。何が終わったのかは、言わなくても分かるだろう。

 生活が変わる。いや、変わってしまう。これからは今までどおりに過ごしていけないんだ、という予感に俺はうろたえた。新しい生活は、とても面倒くさそうだ。あんな二流大学でも友達作っとくべきだったかな。多分シュンジとはこれからも会うだろうけど、サキエさんとはどうなるんだろう。俺はあの人と付き合ったりするのかな。あと、もうマリア様の店にはさすがに行けないよな……。

 色々な想いがゆらゆらと重なり合い、一つ一つが確認できなくなった頃、俺はまた眠ってしまった。

 

 サキエさんからの電話で起こされた。午後八時。俺の声で寝起きだと分かったのだろう、受話器の向こうで笑いながら謝っていた。十分後、彼女は家に来た。

 「どっかに飲みに行こうかと思ったけど、起きたばっかりだったでしょう」

 テーブルの上に置かれた缶ビールと簡単なおつまみ。正直なところ助かった。今の俺には二千五百三十二円しかない。カードが使える店でないと困るんだ。

 サキエさんが冷蔵庫に缶ビールをしまっている隙に、慌ててテーブルの上の支払い通知や請求書を片付け、出しっぱなしの全財産を財布にねじ込む。このピザって大丈夫なの? と尋ねられた。今日のなんで大丈夫ですよ、と言うと怪訝な顔をする。腹減ってたけど眠りが浅くて、と事情を説明するとまた笑っていた。レンジで温め直したピザは美味しくなかったが、彼女とゆっくり飲むのは気分がよかった。

 テレビのクイズ番組を適当に見ながら過ごす時間。互いの子供の頃の話や、今までした珍しいバイトの話や、食べ物の好き嫌いの話。こういうどうでもいい話を一緒にしてくれる彼女に感謝した。ここ最近、どうでもいい瞬間があまりにも少なかった。どうでもいいことや、無駄なことって大事だ。

 三時間ほど経ち、ビールもおつまみもなくなった。シャワー借りてもいい? とテレビを見ながら尋ねる横顔がとても綺麗だ。はい、と答えると「シャワー、勢い悪かったら帰るからね」と視線を合わせてくる。いや、と言いかけた俺に「嘘よ」という感じで舌を出すサキエさん。今日泊まってもいいかな、という問い掛けを断る理由はもちろんない。

 「明日俺、仕事あるんで朝早いですけど大丈夫ですか?」

 「え、何時なの?」

 「九時起きなんですよね」

 全然早くないじゃん、とまた笑いながらサキエさんがテーブルの上を片付けた。今日はずっと笑っている。この人とちゃんと付き合いたいな、と思った。後で告白してみようかな。今みたいに笑いながらオーケーしてくれるような気がする。そうなったら、「今回のことは多分これでいい」と思えるはずだ。

 サキエさんがシャワーを浴びている間、俺はぼんやりと最後のピザを食べながら、天井を見上げていた。別に難しいことを考えていたわけではない。これからやるんだな、とやらしい気持ちになっていただけだ。音でシャワーの勢いがよかったことが分かる。コンドームの数を確認し、布団の裏側に二個挟んでおく。うつ伏せになりテレビのチャンネルを変えていると、「このバスタオル、借りるね」と彼女の声がした。

 人は勝手だ。俺はその中でも更に勝手だ。自分に都合のいいことがあった瞬間にもうこれだ。我ながら情けない。昨日公園でシュンジと泣いていた自分に顔向けできねえな。

 あいつは今頃清美と一緒にいるんだろうか、と普段なら考えるかもしれないが今は違う。そんなこと、どうでもいい。こっちに背中を向けながら、俺のジャージに着替えてるこの人が今の全てだ。

 電気はそのままでいいと、彼女は言った。

 この間は酔っ払っていてあまり気にもしなかったが、サキエさんの肌は意外に白い。部屋の明るさのせいもあり、しがみつくようにして愛撫をしていると、肋骨の辺りに走る青い静脈が目に入る。彼女は目を閉じない。自分の身体を攻略しようとしている二歳年下の男を、軽く微笑みながら見つめている。目が合うと「気が散る?」と囁いた。いえ、と首を振ると「見てるの好きなの」と真剣な表情になった。

 目を合わせたまま身体を移動する。へそ、乳房、鎖骨、首筋、耳。中に入る。サキエさんの呼吸が一瞬歪む。その感じがたまらなくて、俺はスイッチが入ったように腰を振り続ける。繋がっている下半身を見ながら腰を振ってると、溺れていくような感覚にとらわれる。自分が沈みこんでいくのとは違う。どちらかというと、水面が少しずつ上がっていくような感覚。

 くぅん、くぅん。

 聞き覚えのある鳴き声がして視線を上に移動させる。サキエさんの苦しそうな表情。閉じたままの唇を乱暴に吸う。「くぅん、くぅん」という鳴き声が、俺の口の中で反響する。俺の唾液で汚れた鳴き声は余韻を残さずに消えていく。その繰り返し、繰り返し、繰り返し。薄く開いた彼女の目。挿入させたまま、白い肌を胎児の姿勢に動かす。足首を持ち上げている時に、一度抜けそうになった。いや、という声でまたスイッチが入る。俺、いくつスイッチがあるんだ。コンドームを着けるのももどかしく、再び挿入する。また溺れていく。やっぱり俺は沈みこんでいない。水面の方が上がってきてるんだ。太腿の疲れを自覚しはじめた頃、彼女の左肩を強く吸いながら射精をした。タイミングがずれたのか、サキエさんはまだ「くぅん、くぅん」と鳴いている。

 

 白い手が伸びてきて灰皿を取った。電気は消してある。テレビの光で薄っすらとやらしい匂いが見えた。カチッとライターの音。ジュッと火を点ける音。スーッと吸い込む音。目を閉じてからもよく分かる。どのタイミングで、付き合って下さいと告白しようか考えながら、俺は部屋の中の音を聞いている。

 「そういえばあの人ね、あの部屋借りるのもう止めるって」

 目を閉じているからよく分かる。サキエさんが、出来るだけ何でもないような振りをしているのがよく分かる。

 「ねぇ聞いてる? コウタ君?」

 俺は返事をしなかった。「本部」がなくなる、という事実を暗闇の中で考える。またボスは一歩先に行っちまった。招集がかかるかも、なんて考えていた俺は甘すぎる。一番の原因は今回の一連のこと、その中でもターゲットの自殺未遂だろう。八十万円を奪っただけなら、別に変化はなかったはずだ。「本部」はそのまま存続し、俺とサキエさんもこうやって裸で一緒に寝たりはしていない。清美は腕に大きなアザをつくったりせず、シュンジは昨日泣かずにすんだ。清美の父親は、今頃病院の天井を見つめているんだろうか。清美の母親は、またウイスキーをガブ飲みしているんだろうか。

 煙草を消す音がする。

 「ねぇ、さっきの話聞いてた?」

 そう言いながらサキエさんが俺の身体を揺すっている。これでボスは幕を下ろしたつもりか。何もなかったってことにするつもりなのか。

 逃がすもんか。

 自分でも驚くほど強く思った。

 ボス、逃がすもんか、あんただけ逃げようったってそうはいかないぜ。

 その思いは血管に乗って身体の隅々まで運ばれている。我慢しきれずに上体を起こす。目は閉じたままだ。サキエさんが驚いている気配がする。

 「どうしたの、コウタ君」

 ゆっくりと目を開ける。サキエさんも上体を起こした。さっきの話、聞いてた? とまた何でもないような素振りで尋ねてくる。

 もうそんな芝居やめてくれ。

 言葉にするより先に、上体を起こしたままサキエさんを乱暴に抱き寄せた。テレビは映画を流していた。

 「……俺と、付き合ってくれませんか」

 タイミングを間違ったかもしれない。ふと、働いているキャバクラの場所もまだ知らないんだよなと思う。テレビに映っている映画は昔のものなんだろうか、ドレスを着た金髪の女が、古めかしい電話機のダイヤルを回している。

 「私なんかでいいの? 年上だよ」

 耳元で囁く声。はい、と答える。いいも悪いもあるもんか。

 サキエさんの腕に力が入る。交渉成立、だ。素直に嬉しい気持ちはもちろんあるが、もう一つの気持ちが血管に流れこんでいく。

 ――人質。

 そう、サキエさんは人質だ。

 ボス、逃げようったってそうはいかないぜ、こっちには人質がいるんだ。

 テレビの中の金髪の女は鏡の前で化粧を始めた。サキエさんがふざけて俺の耳を軽く噛む。そう、この人が俺の傍にいる限り、俺の決意は変わらない。あんたはどこにも逃げられないんだ。理屈なんてない。ただ真実が在るだけだ。ドレスに着替えた金髪の女は支度を終えて出かけていく。表には迎えの車が待っていて、中からタキシードを着た男が出てきた。

 「ねえ、コウタ君、キス、して」

 俺は彼女と舌を絡ませながら目を閉じ、再び音だけの世界に戻った。

(第11回 了)

 

 

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* 『証拠物件』は毎月06日に更新されます。

 

 

 

 

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