コウタは大学三年生で、幼なじみのシュンジと〝本部〟に溜まって目的もなく毎日を過ごしている。本部は安アパートの一室。仲間のために部屋を借りたのは二年先輩のボスだ。高校生時代からコウタとシュンジはボスに憧れてきた。その怜悧さや悪の匂いすべてが魅力的だった。そのボスがある儲け話を持ちかける。手っ取り早く金を稼げればそれでよかったのだが・・・。辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑による新連載小説!。

by 寅間心閑

 

 

 

 

  五 (上編)

 

 二日連続して同じ夢を見た。俺は普段あまり夢を見ない方だから、少し気味が悪かった。短い夢だ。

 高校生の俺が教室に一人でいる。そこにシュンジが来て、俺のためにと黒板の前で歌を歌ってくれる。知らない歌だ。「君が代」みたいだと思うけれど、すぐに違うなと気付く。

 その途中でボスが来て、シュンジと一緒に歌い始める。学生服を着ているわけじゃないのに、二人とも確実に高校生だ。妙な感覚だ。最後にサキエさんが来て、隣りに座りその歌を聴いている。もちろん彼女も確実に高校生だ。正確に指で拍子を取っていて、俺はどこか嫌な気持ちになる。

 それだけの夢だ。

 意味もよく分からない。夢占いを出来る奴がいたら尋ねてみたい。ただ、その夢の中で俺はずっと不快感に包まれている。その理由もよく分からない。しかも二日連続だ。

 「君が代」みたいなシュンジとボスの歌が気にいらないのか、正確に拍子を取っているサキエさんに対して文句があるのか、よくは分からないが強烈な不快感だけは起きた後も引きずっていた。

 夢から覚めた後の不快感をたどっていけば、ボスに突き当たる。あのパーティーの帰り、サキエさんから聞いた「あの十六万はさ、ゲンが悪いんだよ」というボスの言葉は、いまだに生々しく俺の内側で這いずり回っている。気持ち悪く、忌々しい。

 あんな夢を二日も見た原因は、サキエさんの言った「今回のことは多分これでいいんじゃないかな」という一言かもしれない。彼女の言いたいことはよく分かるし、「もういいや」という感じが理解できないわけではない。

 もうこれでいいだろ、な?

 そんな風に思いたい自分もいる。結局、大抵のことは忘れちまう。もし忘れなかったとしても、少しずつ慣れちまうはずだ。

 清美は徐々に家庭の状況に慣れていくんだろうし、シュンジはそんな清美と一緒にいることに慣れていく。あのターゲット、清美の親父だって、娘の先輩と関係を持ってしまったことや、それが原因で自殺しようとして、でも死にきれなかった自分に少しずつ慣れていくだろう。清美の母親だって、夫が近所のマンションから飛び降りたという現実に慣れていくはずだ。もしターゲットが、清美の親父が、真実を告白したとしても周りの奴等は慣れていくより他にない。

 そうやって考えると、やっぱり「今回のことは多分これでいい」のかもしれない。じゃあ、俺がこれでいいやと思えない理由は何だ。真剣に考えてはみるが、ただただ難しい。自分のことが一番分からないとはよく言ったもんだ。ああでもない、こうでもないの繰り返し。これ、答えなんか出るのかよ。

 口の中でブツブツ言いながら、半分以上残っていたビールを一気に飲み干す。微妙にぬるい。もう一杯頼むと「今日は一人なんですか?」と店員に訊かれた。

 いつものダーツバー。カウンターの席は椅子が高くて座りづらい。もしかしたらシュンジが来てないかと、ついつい寄っちまった。もちろんボスがいる可能性も考えた。本音を言えば会いたくはない。どう振る舞っていいか分からないからだ。たしかに俺は、「あの十六万はさ、ゲンが悪いんだよ」というボスの言葉を憎んでいる。でも、ボス自身を憎んでいると認めるのは難しい。憎む、という感情も含んだもっと複雑な感情のはずだけど、その感情の名前を俺は知らない。

 ボスが「全部終わったんだよ、全部」と俺の耳元で囁いたあのパーティーの夜から三日間。ボスからもシュンジからも連絡がなかった。俺からも当然連絡を取らなかった。そうなると妙に構えてしまい、「本部」にも行かないようになるし、本当はサキエさんだけは連絡を取りたかったが、それすらしないまま三日が過ぎていた。ちなみにマリア様からの連絡は、単なる営業電話だった。

 「あ、どうもぉ、マリアですぅ、分かりますかぁ、この前はカラオケごちそうさまでしたぁ、楽しかったですぅ、今週はずっとコスプレ週間なんでぇ、もしよかったらマリアのぉ、コスプレ見にきて下さいよぉ」

 やっぱりあの日の失敗は、大きな痛手だったんだろうか。だからこんなつまらない営業電話をされたんだろうか。失敗は許されないということなんだろうか。ボスならキャバ嬢の家で勃たなかったとしても、何かいい策を考えて乗り切るに違いない。少なくともこんなクソみたいな営業電話をかけられたりはしないだろう。

 二杯目のビールが来た。後ろでは女の子のグループが歓声をあげながらダーツに興じている。いつもの光景だ。俺たちがここで遊んでいる時によく見る光景。女の子たちがあんな感じで遊んでいて、ボスが声をかけて一緒になって飲んだりする。何ひとつ特別ではないのに、まるで何年も前の記憶を呼び戻したみたいに疲れちまった。

 時間は十二時を過ぎたばかりだ。このビールを飲んだら何を頼もう。壁のメニューに目を走らせるけど、頼みたいものなんてなかった。ガチャッとドアが開く。いらっしゃいませ、と声がかかる。シュンジだ。

 俺を見てあいつは笑い、隣に座って「お久しぶりです」とおどけた。酔っ払ってんのか? と尋ねると「さあ、どうでしょう」と俯き、ビールで俺と乾杯した後は鼻歌を歌っていた。もしかしたら夢の中の曲かもしれないなんて、つまらないことを考えちまう。

 後ろにいる女たちが歓声をあげる。すっごいじゃん、と何人かが叫んでいる。ダブルブルにでもヒットさせたんだろう。シュンジは振り返りもせずに微笑んでいる。完璧に酔ってんな、と思い無視した。筋違いだけど腹も立った。こいつが悪いんじゃない。今、俺の目の前でこんな態度をとったら、相手が誰だろうと腹が立つ。ただそれだけだ。

 舐めるようにビールを飲んでいるシュンジを視界から外したまま、出来るだけ静かにこの店を出たかった。ミックスナッツ下さい、というふやけた声が耳につく。だらしない声出しやがって、この馬鹿が。

 すいませぇん、四百五十点いったんですけどぉ、と女がカウンターに来て報告した。「すっげえじゃん」と大袈裟にシュンジが驚き、「まぐれですよぉ」と女が笑う。耐えられない。

 「ちょっとお待ち下さいね、マイダーツのプレゼントがありますんで」

 店員の声でまた女たちが騒ぐ。じゃあこれは僕からのお祝いです、とシュンジが女たちの人数分ビールを頼んだ。騒いでいる声が最高潮に達する。

 どうしたんだよ、やめとけ。そういう目付きで睨んだが、あいつは女たちに手を振って笑っている。銃殺してやりてえな、と思った。シュンジを、じゃない。生まれて初めて知らない女たちを銃殺したくなった。

 フルオートで撃っている俺と、悲鳴をあげながら死んでいく女たちを想像して気を落ち着かせる。意外とうまくいった。この場を滅茶苦茶にするのは簡単だが、やっぱりシュンジが気にかかる。明らかにおかしいこいつを正気に戻したかった。

 いただきまぁす、と女たちが次々にシュンジと乾杯している。うんざりだ。俺はトイレに立った。鏡の中の俺は、今にも噛みつきそうな顔をしている。便座に座り、もう一度銃殺の想像をして、深呼吸を繰り返す。扉の向こうのことは一旦忘れてしまいたかった。声に出して百数えてから、トイレを出る。鏡の中の俺は、少しだけ人間らしい顔に戻っていた。

 ドアを開けるとシュンジの姿がない。店員に尋ねると「電話をかけに行きましたよ」と言う。もう一杯ビールを頼んで待つことにした。

 十分、二十分。戻ってこない。ジントニックを頼む。これ以上ビールは無理だ。三十分、四十分。女たちが帰っていった。「さっきの人によろしく伝えて下さいね」とわざわざカウンターまで言いに来た女はブスだった。結局一時間が過ぎる頃、あいつは戻ってきた。

 席に座らずに代金を支払っている後ろ姿。店員が心配して手を差し伸べるほどフラフラしている。お釣りを財布にしまうのも一苦労した酔っ払いは、俺に小声で話しかけてきた。

 「コウタ、まだ帰らないの?」

 本当だったら怒鳴りつけたかった。てめえ一人で帰れよ、この馬鹿が。そう言って蹴りの一つでもくらわしたかった。でも、シュンジの顔を見たら一緒に帰ろうと思っちまった。今にも泣きそうな、いや、表で泣いてきたみたいに鼻の周りを赤くさせている顔。俺はシュンジに肩を貸して店を出た。

 

 ずっと無言で歩いた。あいつは「ごめんね」と何度か謝った。多分肩を貸していることに対してだろう。帰れるか? と訊くと「もうちょっと、いい?」と苦しそうな声を出した。

 俺は無言で公園に向かった。この間サキエさんと話をした公園。いつか若い母親たちに悪態をついた公園。この無機質な新しい公園も、段々と俺との接点が増えていき、何年か経てば無機質ではなくなっているのかもしれない。

 ベンチにシュンジを座らして、近くのコンビニで水を買ってくる。あいつは二リットルのペットボトルをちゃんと持てなかった。

 「どうしたんだよ、大丈夫か」

 そんなありきたりの言葉しか出てこない自分がもどかしかった。隣でゆっくりと水を飲んでいるシュンジ。公園の時計は一時半を指している。コウタ、と呼んだ声は泣き声だった。情けないその声を聞いて、ふいに鼻が痛くなる。目が熱くなって涙が溢れてくる。何だよ、と答えた俺も泣き声だ。

 今日はごめんね、とあいつは謝った。いいよそんなこと、とは恥ずかしくて言えなかったので何も答えなかった。俺は言葉を知らなすぎる。怒ってるよね? と訊かれた瞬間、涙が頬を伝っていった。悲しかったし、苛立っていた。

 なんで俺たちがこんな風に泣いてなきゃいけないんだよ、畜生。

 苛立ちの矛先はボスだ。

 一人だけ抜けがけしやがって、あの野郎。

 「なあ、実はボス、オレオレ詐欺やってんだよ」

 たいした反応もなく水を飲んでいるシュンジに、俺は知っていることを全部話した。オレオレ詐欺の金でバーを開きたいことも、ウィークリーマンションをアジトにしていることも、「あの十六万はさ、ゲンが悪いんだよ」というボスの言葉も全部話した。今まで黙っていた理由は話さなかったが、きっとバレている。競争相手だから仕方がない。俺たちはボスに少しでも近付こうと競い合ってきた、いびつなライバル同士だ。

 少し前までなら、オレオレ詐欺の話は俺が一歩リードした証しだった。シュンジ、こんなこと知らないだろ? そう言い自慢げにひけらかしていたはずだ。でも、今は違う。オレオレ詐欺の話は、俺からの合図だ。シュンジ、もう競争は終わりだぞ。もう俺たちはライバルじゃなくなるぞ。もう普通の友達に戻るぞ。そういう合図だ。

 まだ水がたくさん入ってるペットボトルをシュンジが倒した。ドボドボと水がこぼれていく。背中を折り曲げ、膝の間に顔を埋めながら泣いているシュンジに、俺の合図は伝わったんだろうか。

 「ボスはさ……」

 シュンジが折り曲げた身体のまま、言葉を絞り出そうとしていた。辛そうだ。俺に出来るのは待つことしかない。いつまででも待ってやる。

 「ボスはバーを開くことで、そのオレオレ詐欺を正当化したいんじゃない?」

 「正当化……?」

 「犯罪じゃなくって、バーを開く資金集めだって思いたいんだよ」

 やはりこいつは頭脳派だ。そんなこと、思いつきもしなかったが多分正解だろう。犯罪でなければ、ボスにとってオレオレ詐欺で稼いだ金は、何ひとつ汚れていない綺麗な金なんだ。

 「でも、ひどいよねえ……」シュンジの声がまた震えている。「ゲンが悪いなんてさ、ひどいよ……」

 泣いている元ライバルにかける言葉など、この世には存在していない。鋭い音と鈍い音が一緒に鳴っているような変な泣き声。こういうのを慟哭っていうんだろう。頭には犯行当日の場面がバラバラに浮かんでいる。あの日、どうして誰一人引き返そうとしなかったのか。どうしてこういう結末が来ると、想像すら出来なかったのか。時間は戻せない、という当然の事実が重すぎて涙が止まらない。五分以上、泣き続けた。公園の時計はずっと動き続けている。ようやく顔をあげたシュンジの横顔は猫みたいだった。

 「俺、自信ないよ、清美を元に戻す自信、全然ないよ」猫の横顔でシュンジは訴える。「昨日あいつ、腕に大きなアザつくってきてさ。あいつのお母さんがおかしくなったって前言ったでしょ? お酒なんか全く飲まなかったのにさ、ウイスキーをガブ飲みしてたらしいんだよね。あいつもさすがにヤバいと思って、グラスを取り上げようとしたら突き飛ばされたんだって」

 話しているうちに、声が段々と普通に戻ってきた。ずっと話を聞いてやろうと思う。少なくとも声が完璧に戻るまで、ずっと聞いてやろう。

 「すげえ力だったらしくて、あいつ冷蔵庫に腕ぶつけちゃったらしいんだよ。娘のこと突き飛ばしたのにお母さんはさ、何もなかったみたいにウイスキーを飲み続けてるんだって」

 俺は初めてこいつの両親に謝りたいと思った。

 大事な一人息子を、変なことに巻き込んじまってすいません。

 土下座をして心の底からそう謝りたかった。

 しばらくの沈黙。シュンジは猫の横顔のまま何か考えている。俺の涙も止まった。頬がかゆい。でもさ、と聞こえた声は意外に軽かった。

 「でもさ、変なもんであいつがおかしくなってると、しっかりできるんだよね」

 それは理解できた。俺がさっき、店で静かにしていたのも同じ理屈だ。隣に尋常じゃないこいつがいたから、どうにか正常でいられた。

 「ただやっぱり、無理してしっかりしてるからさ。あいつと一緒じゃなくなったら、その分ダメになっちゃってさ。……さっきはごめん。コウタ、ごめんね」

 また泣き出したから、最後の方はよく聞き取れなかった。泣き出すと、もっと猫っぽい横顔になる。足元のペットボトルには、ほとんど水が残っていない。こぼれ出た水は、だらしなく広がっている。シュンジは肩を震わせながら泣き止んだ。ずっと泣いていてもいいけれど、どうやって伝えるのかが思いつかない。言葉を知らないと本当に不便だ。

 「明日、学校一限からだからもう帰るね」

 シュンジはそう言って立ち上がったが、多分嘘だろう。こいつは明日大学になんか行かないはずだ。足元のペットボトルを拾い上げ、ゆっくりと深呼吸をしている。何か言うんだな、と分かった。理屈でも勘でもない。経験で分かった。深呼吸をし終えたシュンジが、俺の方を見ずに口を開く。

 「あとさ、実家に帰ることにしたよ。春に家賃更新したばかりでもったいないんだけどね」

 そんな友達の言葉に、俺は何も言えなかった。

(第10回 了)

 

 

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