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「作っちゃったんだ」「そうか、作っちゃったんだ」

元彼の奥沢くんはあたしのレプリカを連れていた。あたしと別れてから、あたし髪の毛なんかで作ったレプリカ。あたしのこと、そんなに好きなの? でもなぜ奥沢くんと別れちゃったんだっけ? あたしのレプリカは、奥沢くんのことが好きなの?

第三回辻原登奨励小説賞受賞作家・原里実による鮮烈な恋愛小説!。

by 原里実

 

 

 

 「作っちゃったんだ」

 と奥沢くんがいったので、あたしは

 「そうか、作っちゃったんだ」

 といった。それ以外になんといえば良いのかわからなかった。

 そうしたら彼の隣であたしが、

 「そうなのよ」

 といった。

 「どうやって?」

 あたしはとりあえずたずねてみた。すると奥沢くんは真剣な顔で、

 「万が一こんなこともあろうかと思って、僕の部屋に落ちてた千夜の髪の毛9本と、切ったつめのかけら5グラム、耳のうしろの匂いのついたガーゼ、それにくちびるとおなじだけの弾力のマシュマロ1個をとっておいたんだ」

 といった。

 「そうなの」

 とあたしはいった。われながら惚けたようすであった。けれども内心では、この人、そんなにあたしのことを好きだったのか、とすこしおどろいていた。

 道ばたで立ちどまり向かい合っているあたしたちを、ときどきちらりと通行人が横目で見ながら過ぎてゆく。けれども、あたしと、あたしと向かい合うかっこうで彼の横に立っているもうひとりのあたしの、顔や背かっこうがまったくおなじであるということに気づく人はいないようだった。あたしの後ろから来た人には彼女の顔とあたしのうしろ頭しか、そして反対にあたしの前から来た人にはあたしの顔と彼女のうしろ頭しか見えないからかもしれない。

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 「じゃあ僕たちはそろそろ夕飯の支度の時間だな」

 と奥沢くんはいって、重そうなスーパーマーケットのビニール袋の持ち手を握り直した。反対側の手はあたしのレプリカの手を大事そうに握っている。

 「ごめんね、急に呼び止めて」

 あたしはつながれた手をたどっていき、レプリカの顔を改めてまじまじと見た。相手も、目をまんまるくしてあたしを見てくる。まるっきりあたしの顔をしている。毎朝鏡で見るあたしの顔と唯一違うのは、前髪の分け目が左右反対ってことだけだ。

 「一緒に住んでるの?」

 とあたしはたずねた。

 「だって他に住むとこないもん」

 とあたしが答えた。

 

 その日に見た夢にレプリカが出てきた。

 あたしたちは何もない野原を並んで歩いていた。

 夢の中でのあたしたちは旧知のあいだがらという設定で、あたしたちはそのことを露ほども疑問には思っていなかった。

 「どこへいくの?」

 とあたしがたずねると、

 「えっ?」

 とあたしはびっくりしたようにたずねかえした。

 「えっ?」

 とあたしがたずねかえすと、

 「どこにいくの?」

 と今度はあたしがたずねた。

 「知らないよ」

 「あたしだって」

 「あんたについてきてたのに」

 「あたしだって」

 「まあいいか」

 「まあいいね」

 「どこかにつくわね」

 「どこかにはつくね」

 そういってあたしたちはくすくすと笑いあった。

 目覚めた瞬間、しかしあたしはその夢のことをちっとも覚えていなかった。ただぼんやりと、夢で見た野原にさそわれるくしゃみの予感だけがあって、半分寝ぼけた気分のまま起き上がり、思っていたのと違う風景がそこにあるので脳みそがついていかずにぎょっとした。しかし、すこしずつ意識がめざめてくると、そこはなんのことはない、いつものあたしの部屋である。カーテンがないせいで東向きの窓から顔をめがけてやってくる太陽の光がまぶしい、体を起こすとまず大きな壁いっぱいのクローゼットが目に入る、あたしがそこにあるとなぜだか思っていた部屋は、あたしのものではなく奥沢くんのものなのだった。

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 そのままのそのそとふとんから起き出し、洗面所の鏡を見て、そしてあたしはふたたびぎょっとした。自分の顔じゃないような、あたしにそっくりの誰かがそこにいるだけのような、気持ちの悪い感じがしたのだ。おもわず頬に手をやって、つねると、鏡の中の顔もおんなじようにつねられた。顔のパーツを中心に寄せるように顔をしかめると、鏡の中の顔も不細工になった。

 次の日の夢でもあたしはあたしに会った。それはきのうのつづきのようでもあったし、きのうよりも以前のようでもあったし、はたまたまったく別の、きのうとはまったく関わりのない世界でのできごとのようでもあった。

 「なんで?」とあたし。

 「どうして?」とあたし。

 「わからない」

 「わからない」

 「疲れたよ」

 「疲れたね」

 「もういいんじゃない」

 「よくないよ」

 「だって面倒じゃない」

 「面倒だけど」

 「面倒だけどなあ」

 あたしは毎日レプリカの夢を見た。

 一週間後の夢に、はじめて奥沢くんが出てきた。テディベアの夢だった。奥沢くんがユーフォーキャッチャーであたしにとってくれたテディベアの夢。帰りに寄ったレストランで、あたしはそれをなくしてしまった。席におき忘れて、あわてて戻ったのに、そのときにはすでに手品のように姿を消していたのだ。

 「不思議なことがあるもんだなあ」

 と奥沢くんはいった。あたしたちはとても悲しかった。悲しかったので、のんきにそんなことをいっている奥沢くんにほんのすこしだけ腹を立てさえした。

 何もいわないでいるあたしの顔をちらと見ると、

 「大丈夫、またとってあげる」

 と奥沢くんはつづけていった。

 奥沢くんには昔から、どこか魔術的な力を感じさせる何かがあった。たとえばあたしが食べたいなあと思いつきでつぶやいたお菓子が、ポッケの中から突然出てきたり。あたしがなくしたと騒いでいたイヤリングの片耳を、数日後プレゼントしてくれたり。だから奥沢くんがまたとるといったら、かんたんにとるのだろうということはわかっていた。

 おそろしいのは奥沢くんにそういわれると、もう何も考えず、新しいテディベアをとってもらえば良いのだ、単純なことだと思ってしまうということで、あたしは今にも「うん」と答えそうになって、だけどすんでのところで、そんなことをしたらなくなったテディベアがかわいそうだということに思い至った。思い至ったそのとき、

 「いらない」

 とあたしがいった。あたしはあたしを見た。あたしの考えていることがわかったの、といおうと思ったけれど、そうしているうちに、いらない、といったのがあたしだったのかどうかわからなくなってきて、さらにそうしているうちに、いらない、といわれた奥沢くんが悲しい顔をしただろうか、怒った顔をしただろうか、それともやっぱりのんきな顔のままだったか、その記憶もあいまいになった。

 あたしたちのうちのどちらか、または両方が、もしかして、テディベアを消してしまったのは奥沢くんの手品かもしれないと、ぼんやり思っている気がした。

 

 奥沢くんと別れたとき、あたしはべつに彼のことを嫌いになったわけではなかった。ほかに好きなひとができたとか、彼が浮気をしたとか、じつはゲイだったということがわかったとか、人間性に疑問を感じたとか、理由らしい理由はなかった。どちらからいいだしたのかもあいまいだ。どちらともがいいだしたのかもしれないし、あるいはどちらもいいだしてなんかいなかったのかもしれない。ただそのときのあたしたちにとって、もう一緒にはいないという選択があまりにも自然だった。だからあたしのレプリカを連れた奥沢くんとふたたび会うまで、奥沢くんはあたしの中で人生を完全に通り過ぎていったひとたちのうちのひとりだった。

 だからこそあたしには、なんだって奥沢くんがあたしのレプリカなど作りだしたのかということがまるきり不可解だった。あたしは奥沢くんと数年間一緒にいて、彼のことをなんとなくわかっているつもりでいた。しかし、ここであたしのレプリカを作ってくるなんてことは、ちっとも予想していなかった。

 こんなふうに他人はときどき思いもよらない行動に出る。あたしとのあいだに過ぎていった穏やかな日々を、そして訪れた静かな別れを、奥沢くんはどうして大切にしまっておいてくれなかったのだろう、とあたしは腹のたつような、悲しいような気持ちになった。

 

 気がつくとあたしは奥沢家の呼び鈴を鳴らしていた。

 「はあい」

 とインターホンを通して、とぼけたあたしの声。あたしはそれを聞いて、やっほう、といえばいいのか、ひさしぶり、といえばいいのか、ちょっと、と怒った声を出せばいいのか、わからなくなって、言葉につまった。結局、

 「あたしだけど」

 というとあたしはすぐにわかったようで、

 「はいはい」

 と軽く返事をした。開いたオートロックの自動ドアをくぐり、エレベータで六階へあがった。

 「来ると思った」

 といいながら、腕組みをしたあたしがエレベータの前に立っていた。あたしはその姿を見て、ものすごく懐かしいような、のりもの酔いで気持ちがわるくなるような、デジャビュのような、不思議な気分になった。

 しかし目の前のあたしはどう思ったのか、何も思わなかったのか、きびすを返し無言で奥沢くんの部屋へと向かう。あたしも無言でそれにつづいた。ニットの背中のまんなかに、縦にボタンが並んでいて、かわいいデザインである。

 「いま出かけてる、もうすぐ帰ってくると思うけど」

 といいながら、慣れた調子で玄関の鍵をしめ、レプリカは台所へと向かった。背中にボタンのかわいいニットの下には、ひざ下くらいの丈のふんわりしたスカートを履いている。家でまでおしゃれするようなキャラじゃないくせに。彼と住んでいるからって、はん、と思う。

 あたしは奥沢くんの家の中でいちばんのお気に入りの場所だった、黒い革張りのソファの右端に我が物顔で腰かけた。ここに座ると、ちょうど窓の外に遊園地の観覧車が見えるのだ。あたしは観覧車が好きだ。乗るのよりも、外側からながめるのが。レプリカは台所でお湯をわかしている。

 「観覧車見えるでしょ」

 お湯をわかしながらあたしがいった。見えるよ、とあたしは思った。見えるから、ここに座っているんじゃない。けれど何もいわなかった。

 「あたし好きなんだ、観覧車」

 とまたあたしがいった。あたしはかちんときて、

 「観覧車好きなのはあたしよ」

 といった。あたしはびっくりしたような顔であたしを見た。そうなんだ、とすこし悲しそうにいった。あたしはなんだか悪いことをしたような、ばつの悪い気持ちになって、深呼吸をひとつした。

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 「好きなわけ」

 とあたしはたずねた。「奥沢くんのこと」

 「えっ」

 とあたしはすっとんきょうな声をあげた。つづいて、あっつ、という声と、水が勢いよく蛇口からじゃあじゃああふれる音が聞こえてきた。

 「うーん」

 うなっている。好きってことだな、とあたしは思う。

 「まあ」

 やっぱり。

 「そっちは?」

 とあたしがたずねた。

 「好きじゃなくなったから、別れたんじゃん」

 あたしは答えた。

 「ふうん」

 あたしは納得していないふうである。じゃあ、なんで来たの、と思った。けれどたずねては来なかった。両手にマグカップをひとつずつ持って、お茶を運んできた。

 「はい」

 ミントティーである。さすが、あたしの好みをわかってる、と思ったけれど、思いなおす。もしかしてただ単に自分の好きな飲みものをいれただけかもしれない。なんせ相手はあたしなのだ。

 レプリカは、ソファの前に置かれたガラス製のテーブルの、あたしとちょうど九十度の位置になる場所に腰かけて、自分でもミントティーを飲んでいる。ちらりと横目であたしのおなかのあたりを見た。この席に座りたい、と思っている。でもぜったい譲ってあげないもんね、と思う。

 思っていると、レプリカはやおら立ち上がって、部屋の隅にあるストーブのスイッチをいれ、その前に正座した。

 あっ、いいな、とあたしは思う。ストーブの前も、あたしが好きだった場所のひとつだ。とたんにソファの隅のこの席よりも、ストーブの前のほうがよかったという気持ちになってくる。あたしはあたしのほうを見ずに、ひたすらストーブを見つめて、まばたきをした。

(前篇 了)

 

 

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* 『レプリカ』後編は2月11日にアップされます。

 

 

 

 

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