高島秋穂さんの詩誌時評『歌誌について』をアップしましたぁ。金魚屋では現在『詩誌時評』と『文芸誌時評』のカテゴリ再編を行っています。『詩誌時評』は従来の雑誌別ではなく『歌誌』『歌誌』『詩誌』の3つのカテゴリに再編します。この再編にともない高島さんに総論を書いていただきました。あ、現在サイト全体のリニューアルも進行中で、来年には今より読みやすい新サイトになります。んで高島さんの興味の中心は口語短歌にあります。

 

 口語短歌はその旗手である穂村弘さんが千四百年の重い短歌伝統を一手に担う大文字の歌人=私という枠組みを取り払いごく普通のどこにでもいる私を詠う極私的短歌だと総括しておられます。(中略)ただそれが〝極私〟であることで大きな変化が起こっています。(中略)

 極私は私の自我意識が小さくなり希薄化した状態のことです。そのため「私はこう思う」「私はこう感じる」といった露骨な私的表現は少なくなり希薄な私の自我意識がふと捉えた写生表現が多くなります。(中略)ただあまりに微細な表現になるとほとんどツイッターの呟きと変わらなくなってしまう。(中略)

 年長歌人は口語短歌について「短歌は私を詠うものだが私が見えない」といった批判を繰り返しています。図式的に言えば最も私らしい極私を表現しているはずの口語短歌歌人がそれに反発するのは当然です。ただ文学の世界ではいつもそうですがどちらかの主張が正しいとは言えません。新興口語短歌と伝統短歌は統合されてゆくはずです。

(高島秋穂「歌誌について」)

 

日本には短歌、俳句、自由詩の三つのジャンルがあるわけですが、今最も面白い動きをしているのは短歌界だと思います。小説家や俳人、自由詩の詩人は短歌のことなど関係ないとお考えになるかもしれませんが、石川は連動していると思います。現在、文学の世界ではどのジャンルでも読者獲得に苦戦しています。しかしありとあらゆる試みをやってみたとは言えない。むしろ苦しくなればなるほど、あるかないかの既存の利権にしがみつく傾向も見られます。しかしそれでは新たな活路は拓けません。

 

口語短歌に端的に表れているように、現在文学に必須となりつつあるのはポピュラリティです。それは諸刃の刃で、通俗に脱する作家が出現するのはある程度仕方がない。しかし高い志を持っていても、売上を上向かせないことには勝負になりません。文学界全体で今何が起こっているのかを、俯瞰して総体的に捉える視線は必要不可欠です。関係ないと思って一つのジャンルに閉じこもれば、当たり前ですが世界全体の動きから取り残されます。

 

政治経済問題について熱く語る作家さんがいらっしゃいますが、マルチジャンル的視線を積極的に持とうとはしない。だけど文学は世界変化と連動していて、その変化が自分のジャンルだけに起こるわけではないのです。ジャンル横断的な視線を持てば、世界の変化をより正確に捉えられます。

 

 

高島秋穂 詩誌時評『歌誌について』 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

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