%e7%a5%9e%e9%81%95%e3%81%88_10_cover01「天の岩戸が開いた」。マンションの隣り、または上階の人々が権力と偉大さの幻想と重なり合い、暗黒の陰謀が重層化する。ご近所から世間へ、そして巨悪の足元へと、無意義の波はひたひたと押し寄せ、現実を歪めてゆく…。詩人にしてストーリーテラー、気鋭の批評家でもある小原眞紀子が、現代の日常にひそむ古代的心理を抉る傑作純文学小説。

by 小原眞紀子

 

 

 

 

 瓢箪から駒だったのか。御所議員を追及してやる、と叫び出した来林さんの動向の推移を、息を殺して見守っていた二ヶ月の間に桜は咲き、それが舞い散る頃、幻の能「神違え」の上演は無事に終了した。

 幕が開いてみれば、それはかつての公園の持ち主、鎌倉時代からの旧家である御所家の興り、悪い地頭を廃し、この地の神でごとく慕われたという先祖を物語ったものだった。

 演目の書き手である大正期の歌人、生田西紀など聞いたこともなく、ようは御所家と繋がりのある親族か何かで、援助を受ける見返りに書き上げ、御所家に残っていたものらしかった。

 なんか露骨すぎやしないか、と思ったが、無論、口には出さない。

 

 ひとの世はぁ、灯しては消えぇ

          この日ノ本にぃ 永らえるう、めずらしき花ぁ

 

 酔っぱらった守は、聞き覚えのある謡を口ずさむ。

 わかりやすい現代語ふうにと、自ら脚本に手を入れたという若き演出家、巨海文夫に貼りついて世話をした守は、それこそ何度もリハーサルを見ていた。巨海のバックには、地域に強い公産党がおり、近くの竹原団地の管理組合、町内会と御所県議宅を走り回っていた鈴丸守は現在、こけら落とし後の野外能舞台の管理を任されていた。市民演奏会、子供劇といったイベントのスケジュールを仕切り、そのパンフレットには保守系の御所県議の母親が篤志家として、また公産党がらみの有名文化人が顔写真を載せ、コメントを寄せている。

 「そうだ。これをお返ししないと」

 わたしは風呂敷包みを手渡した。中には番台が持って逃げた年代記と、旅費の残りが入っている。いっしょになくなったはずの管理室の鍵と住民名簿は、最初から守が保管していた。

 「これはとっときなよ」

 年代記を脇に放り出し、守は厚い紙袋を突き出した。

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 旅費にと、守から百万円渡され、使ったのは半分にも満たない。

 いえ、とわたしは固辞した。「伊勢志摩観光ホテルの鮑も堪能させていただきましたし」

 「成功報酬、としちゃ少ねぇか。そうかそうか一千万くらい、渡さねぇとだめか。そうだよなあ、俺、頼りにしちゃってるもんなぁ」

 守はおどけて唇を突き出す。

 「どうぞ守がお使いください。今後のために」

 ところでよ、と守の目が底光りした。

 「伊勢で、座敷童を見たってのは」

 作り話ですよ、とわたしは笑った。

 「この宿にいる、って吹き込んでやったら、すっかり信じ込んで。見た気になってるだけです」

 そうか、その気になってただけか、と守は俯く。

 「だけどよ。その気になる、ってのが人間、怖いんじゃねえか」

 そうかもしれない。

 熊本の介護付き施設と隣り合った温泉付き百平米マンションで、おそらく彼女は再び長に治まるだろう。いずれは近隣地域、広く九州全土を支配下に置くことになるかもしれない。

 「番台とは、すっかり仲良しになっちまったようだが」

 来林の長に再会するや、深く恭順の意を表した番台を、これで征伐なった、と大長はすぐ許した。ついには番台とその娘の勧めにしたがい、彼がバイトで掃除人として勤めていたマンションを購入する運びとなったのだ。

 「で、本当のところ、番台は何をしに御所議員宅へ」

 連絡係よ、と守は言った。「俺と、議員とのさ」

 たった八十八戸のマンションでも、家族、親族を巻き込めば数百の票になる。地方選では馬鹿にならない数であり、そういったところからしか事は始まらないのだと言う。

 「結局、俺、御所さんが好きなのよ。やってやりたいのよ。そんで、あんたには悪いけど、来林ってのは結局、最初から好きじゃなかった。ああいう気ばっかし細かくて、そんでもってすぐ頭に血が上って、訳わかんなくなる奴はなあ」

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 そうだろう。

 神ならぬ人間のすることは、結局は好き嫌いなのだ。

 「なあ。俺のやってること、変か。まずいことか」

 いいえ、とわたしは首を振った。

 守はここでは白い法だ。誰も非難などするまい。

 「それに、このマンションだって老朽化するだろ。竹原団地みたく数がねえから、公産党もテコ入れしにくいし、バランスとって上手くやんねぇと、スラム化しちまうんだよ」

 新しく引かれる新線の駅が川向うから、もうちょっとこっち寄りに来れば、土地のポテンシャルが上がって建て替えの費用も捻出できる可能性がある、と言う。

 「竹原団地との綱引きよ。あっちは別に、新駅なんぞ来なくったって、なあ。ヨリさんのお陰でよ、ここも早く底地を買っておいて正解だったんだ。俺も前々から、そう思ってたぜ」

 それでも表向き、公産党地方支部の文化イベント係の肩書きを得ている守は、御所議員のところへ、しょっちゅうは大っぴらに出入りできない。

 一方の御所議員も公産党とのパイプを強め、それによる保守党内での地位保全を図ろうとしていたが、それもまだ秘密裏だった。

 「だから、もう番台も呼び戻さないとな。だいたい臨時で派遣してもらう管理人って、割高だしよう」

 守は札の残りを数え、「戻ってきたら、奴にもボーナスやるか」と、呟いた。

 それがいい。

 御所から出ている金、それもそんな端金を、わたしは受け取るわけにはいかない。少なくとも、今はまだ。

 しかし、あんた、やっぱし呪術使いだよ、と酔っぱらった守はくだを巻く。「座敷童、呼び出したんじゃねえのか。作り話の才能で、よぅ」

 「だから、そんなこと、わたしの上司には、」と、わたしはぶつぶつ言う。

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 ただの一学徒、非常勤の研究調査員のわたしは本来、作り話などとは縁遠い。できるのはせいぜい、能の脚本を現代ふうに書きあらためるぐらいだ。まあ、少なくともあの脳足りんの演出家、巨海文夫が自分で本当にそんなことをやったと思っているなら、守も含めて皆、どうかしている。

 内密に話があったのは三ヶ月前、公産党の若い県議の一人からだった。

 わが党員の巨海文夫は、御存じの通り、字が読めないので、と軽口を叩いていた。

 今、その県議の紹介で、補選のための演説原稿などを書いている。これも無論、内密で、少なくともここでは亭主以外は知らない。

 呪術使い、という笑える噂もあってか、原稿の評判はよく、先日の市議補選では三十歳の新人が首尾よく当選した。最近は日本各地の公産党の若手から中堅の連中が、なかばゲン担ぎのように次々頼んでくる。この地域に強い公産党地方支部では、保守系の御所議員をそろそろ切ろう、という動きがあることも、彼らが耳打ちしてくれた。

 「なあ。座敷童、見してくれよぅ」

 うまくやるだろうか。

 子供のようにごねている守を、わたしは見ていた。

 御所議員と公産党との綱渡り。が、それは守が考えているより危険な、少なくとも割に合わない役回りかもしれない。

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 「あんたは、俺の味方だよな」

 はい、とわたしは頷いた。

 うまくやるかもしれない。そうあってほしい。ここの建て替えのこともある。

 が、どう出るか、決めるのはそれを見極めてからでいい。それまでこの男には、亭主を近づけることもない。

 「御恩は深く感じております。裏切ることはありません」

 そう。この人には大恩がある。

 わたしは底知れぬ腹黒さを持ち、神をも恐れぬ意地悪で呪術まで使う。そのわたしに恩義を忘れさせないような人物であるかぎり、再起不能に失墜することはあるまい。

 「よう、呪術使い。座敷童、ここに降ろしてくれよう」

 そのうちね、とわたしは守に微笑んだ。

(第10回 了)

 

 

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■ 小原眞紀子さんの本 ■

メアリアンとマックイン 水の領分

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■