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 重厚感のある木版画ふうの絵が好ましい。年越しのイメージはこうであるべきだ、というものを体現している。どうやら絶版のようだが、このままで復活してもらいたい。何もかも、特に子供向けのものはサイズもイラストも軽くなって出されることが増えている。それはもう昔の本とは違うものだ。そんな安っぽいものを与えられた子供が軽々しい人間になるのは当然だろう。

 

 年越しにまつわる様々なアイテム(! 軽々しいファッション用語でもある)を十二支の動物名に引っかけ、洒落を交えた絵にしている。正しい理解には繋がらないかもしれない。が、この著者には落語についての絵本もあるようで、なんでも真に受けないこともあわせて教えるべきだろう。

 

 なんでも真に受けない態度は、軽々しいものではない。軽々しいものが軽薄なのはむしろ、いちいちそのときは本気だからだ。重さと軽さのバランスが取れなくて、したがって妙に教訓めいたものになりがちだ。吹けば飛ぶようなニンゲンの軽さが、安っぽい教訓を重石にしたがる。

 

 本質的に重厚なものほどナンセンスを好むのは、そういえばなぜだろう。ナンセンスとは表層の組み替えだ。それによって何も変わりはしない安定感がナンセンスを呼び込む。呼び込むことによって、少し見え方が変わることを期待している。あくまで見え方であって、本質ではない。ナンセンスの本家本元イギリスの『不思議の国のアリス』も、最後は夢から覚める。

 

 そして私たちが望むのは、年越しの行事については重厚感あるもの、変わらないものとして伝えられていくことだ。ここに描かれてるあり様は、私たちの世代ですらすでに厳密に踏襲しているわけではない、過去のものなのだが。子供時代にだって、こういう体験そのものはない。それでも懐かしいのだ。確かにこういうことをしていた気がする。誰が、と問えば自分のような、自分でないような。

 

 つまりは日本人の総体が持つ共通の記憶なのだ。それは次代にも伝わってゆく。否応なく伝わるので、伝えるべきだ、と頑張る必要すらない。必要はないが、それはそれでも頑張るだろう誰かを当て込んでの話だともいえる。だから軽々しい本たちに混ざり、これだけが絶版ならば誰かが何とかすべきだ。

 

 私たちの集団的無意識である記憶を体現している絵本に登場しているのが、ニンゲンでない動物たちであるというのは、だからとてもふさわしい。可愛い子供であれ、お母さんであれ、およそニンゲンがもつ自我というものが、私のものでありあなたのものでもある無意識を阻害することがない。

 

 そして注意深い読者なら気づくだろうが、ここにいる動物たちは動物たちですらない。干支の動物という〝概念〟なのであり、すなわち言語だ。私たちから次代へと否応なく伝わるもの、紛れもなく伝わるだろうものとは日本語だ。日本語という場が抱える無意識的な記憶は揺るぎのないもので、多少のナンセンス、あるいは若者言葉や文法間違いなどによっても本質的に変わらないのだ。

金井純

 

 

 

 

■ 川端誠さんの本 ■

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■