連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第05回)をアップしましたぁ。『漱石論』は『日本近代文学の言語像』三部作の中の一冊で、『正岡子規論』、『森鷗外論』といっしょに来春金魚屋から三冊同時刊行されます。今回は『第Ⅱ章 漱石小伝』より『学生時代② ―― 正岡子規との出会い』です。

 

漱石が子規の写生俳句を援用して写生文小説を書いたことはよく知られています。ただそれがどういったものであるのか、はっきり解明した人はいません。鶴山さんは子規と漱石の影響関係について、ほぼ完全な理解に達しておられます。それだけでも鶴山さんの『漱石論』は画期的なものになると思います。

 

漱石没後100年になろうとするのに、子規と漱石の関係すら明確に解明できなかったのは、文学がジャンルごとに分断されていることが大きな原因の一つだと思います。文芸批評を専門にする人でも、『詩はわらかない』となんの躊躇もなく公言される方がいらっしゃいます。小説だけが文学なのか?と思ってしまいますね。ただそれでは子規や漱石のように、詩も小説も手がけた作家の本質は理解できません。

 

ただ生半可な理解ではダメなのです。詩人が小説を書くと詩的なファンタジーになりがちです。小説家が詩を書くと散文の行分けみたいになることもしばしばです。その理由は各ジャンルの原理を認識把握していないからです。自由詩を例にするとわかりやすいですが、自由詩は形式的にも内容的にも何の制約もありません。だからどんな形の詩でも成立します。

 

だけど現実には小説家が詩を書くと、詩みたいだけど何かが絶対にズレていると感じる作品になることが多い。詩人の書く小説もそうです。それは技術的な問題ではないのです。詩とはなにか、小説とか何かがわかっていないからピントが合わない作品になる。技術的に未成熟でも本質をつかんでいれば、いい作品は書けます。だけど技術は上手でも本質を把握していなければ、やっぱりピント外れの作品になってしまうのです。

 

現代は情報化社会であり、政治・経済はもちろん、あらゆるジャンルで世界的な情報の共有が必須になっています。たとえばアメリカ経済専門であっても、世界経済に無知では経済の専門家としては成り立ちません。同じことが文学にも言えます。今のところ文学の世界、おっそろしく保守的です。ただこの保守的状況は必ず変わります。作家は過去の規範や権威にしがみつく保守的文学者と、21世紀以降の時代精神を捉えた文学者に、かなりはっきり分類されるようになるでしょうね。

 

 

連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第05回) 縦書版 ■

 

連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第05回) 横書版 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

第04回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。

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