%e3%81%8a%e8%8f%93%e5%ad%90%e3%81%aa%e6%ae%ba%e6%84%8f_04_cover_01パティシエを目指していた彩子は、ある罪を犯した怖れから逃げ隠れして暮らしている。行き着いた先は、人気が陰りをみせた歌手・カオルの付き人の仕事。だが不運はつきまとい、ついに運命の大事件へと…。詩人・小原眞紀子の原案が甘やかな哀愁とともに語られる、待望の金魚屋ロマンチック・ミステリ・シリーズ第3弾!

原作・小原眞紀子 作・露津まりい

 

 

 

 

 

2 塀から落っこちた卵の始末を(後編)

 

 

 デビュー当時に定番だった、カウボーイふうのステージ衣装だが、まるでちぐはぐな金色のコーデュロイのパンツを穿いている。

 「だってジーンズが入んなくてさあ」

 三輪田は大袈裟な唸り声を上げ、「たーのむよお、カオルちゃん。二週間で痩せてくれ」

 カオルはうんざりしたように頷き、テンガロンハットに勢いよく頭を突っ込む。その下の膨らんだ顎は、まるで昔のジャケット写真のパロディのようだった。

 が、その目が彩子の姿を捉えるや、「当たったね」と、嬉しげに言った。

 「グッドニュースがある、って。退院前のブック占い」

 「そりゃ、すごいなあ」

 マネージャーは間髪を入れず、尻馬に乗った。

 「天使の本」のブック占い。

 目を閉じたカオルにページを開かせる。が、そこを読んでいるふりをして、適当な文言でカオルのわがままを封じ込めるインチキだと、三輪田も十分に承知のはずだった。

 「この企画は運命だな。予言した君が面倒見なくて、どうするの」

 「人は支え合う、結び合う、すべては繋がり合う」

 いつも言い聞かせているブック占いの言葉を、カオルは上機嫌で歌うように唱えた。

 「支え合おうね、彩子ちゃん」

 と、カオルは振り向きざま、ヘイ、ユーと指差した。

 「あたしの誕生日、覚えてる」

 女性スタッフは書類に判を押しながら、「一月一二日でしたっけ」と答えた。

 「だめだなあ、二一日よ、二一日。あたし、人気ないなあ」

 それから口を開けて眺めているバイトの男の子を小突き、「ねえ、お魚占い。お魚で何が好き」

 「ええと、し、塩鯖」

 「ふん。安くて青い、しょっぱい野郎」

 と、カオルは三輪田のデスクの書類を引ったくり、難しい顔で読み上げた。

 「これっ、カオルちゃん」

 「なになに、河田真奈美のマネージメント戦略、」

 カオルは書類を丸め、尻を突き出して拭く真似でぽいと捨て、ジャーッと見えないペダルを踏んだ。

 

 地下鉄を麹町で降りたときにはもう六時をまわり、日が暮れかけていた。彩子は地図を片手に、大通り沿いにあるはずの㈱タカノヤのビルを捜した。

 歩道の脇を車のライトが流れ、立ち並ぶオフィスビルのほとんどの窓はまだ輝いている。この辺りは彩子が夜間の製菓学校に通う傍ら、勤めていた商社からそう遠くないはずだった。

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 「君はなに、白水さんと親しいんじゃないの」

 三輪田は不審そうな顔をした。「あっちは君のこと、すごく信頼してるけど。タカノヤの広報も、それなら君を窓口に、と言っている」

 引っ越し先や仕事が見つかっているわけでもなし、三ヶ月だけだ、と彩子は頭を振った。

 日産のショールームが光の塊を煌々と通りに投げかけているその隣りに、㈱タカノヤの本社ビルは見つかった。昔からの中堅どころという感じで、さほど大きくない建物だ。一階のロビーには灯りがついていたが、すでにシャッターが降りている。一瞬途方に暮れ、通用門にまわった。

 警備員に通されると、白いブラウスに桃色のベストの制服の女子社員が二階の小会議室へ案内してくれた。

 「広報課長は打ち合わせ中ですが、まもなく」

 コの字型に椅子を並べた細長い部屋で、横の壁の前にホワイトボードが置かれていた。彩子は入口近くに腰掛けた。出されたコーヒーから微かに湯気が立ちのぼった。

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 ノックの音がした。

 入ってきた三○過ぎの男は上背があり、髪は無造作だったが、緑がかったグレイのスーツに錆色の蹄鉄模様のネクタイをしている。忙しいところを抜けてきた様子で、銅色のフレームの奥の目つきはいいとは言えなかった。

 「取り急ぎ、資料をお持ちしました」

 「井沢さんですね。お話はうかがっています」

 疲労感を無理に払拭するように、切れ長の鋭い眼差しを弛ませた。名刺には、総務部広報課長 真壁淳也とあった。

 サラリーマンだ。

 そんな妙な感慨に、彩子は浸った。

 父親もそうだった。自分が商社に勤めていた頃にも、それが日常だった。堅さを当然とする雰囲気に、忘れていた安堵を覚えた。

 社会の中で人同士が支え合う。結び合う。

 さっきのカオルの言葉が、彩子には別の意味を帯びて思い出された。

 

 苦しんでいた。激しくもみ合い、首を絞められていた。

 腕を振り払い、のしかかる身体を思い切り突き飛ばす。奈落へ落ちてゆく感覚、なぜ自分が落ちるのだ、地面に当たって死ぬのか。

 幕張のホールのロビーで目が覚めた。

 椅子の上でうたた寝していたのだ。客席のどよめきが響いてくる。今、誰がステージに立っているのだろう。

 彩子は頭を振り、ガラステーブルにボールペンを転がした。

 嫌な夢だ、と吐き気を覚えた。

 あの薬が、まだわずかに脳内に残ってでもいるのか。

 ホールの玄関先に停まった白いバンに、彩子ははっと目を凝らした。茶色の革ジャケット姿、カメラを持った男が出てきたのだ。

 根木ではなかった。

 まだ二〇代くらいの、生真面目そうな青年だ。

 三ヵ所の扉が開き、客がどっと流れ出てきた。ステージの前半部が終わり、中休みに入ったのだ。白い角柱の影から古株のファンが三人、彩子に手を振っていた。彼女達は爪先立ちし、掌を目の上に翳すおどけた仕草でテーブルに拡げたスケジュール表を覗こうとする。

 彩子は笑顔で応え、スケジュール表を丸めて書類ホルダーを抱え、早足でロビーを抜けた。

 「もう帰るってば。こんな楽屋じゃ、やってられない」

 楽屋に入るなり、カオルは怒鳴り散らした。

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 「他の人の部屋も同じです」

 化粧前の蛍光灯は昼間でもつけっぱなしだ。グレイのタイトスカートに開襟ブラウスと、スタッフ然とした自分の姿が鏡に映っていた。

 「同じって、なんて言い草よ。どっか角部屋があるはずでしょ、窓だって、たった一つじゃない」

 たいていは窓もないのだから、ずいぶん上等な方だ。リノリウム張りの楽屋には、テーブルに長椅子、冷蔵庫まで揃っている。幕張イベント会場はスペースに余裕があるのだろう。

 籠もった空気を入れ替えようと、その窓を開けかけた。

 「ちょっと、やめてよ。排ガスが入るでしょ」

 排ガス。窓越しに見える埋め立て地のがらんとした道路には、車一台見当たらなかった。

 「とにかく、部屋を替えてよ」

 カオルはいらいらと歩き回っていた。単独では二曲しか歌わないジョイント・ショーだが、独特の高音が掠れ、喉を温めても調子が出なかった。

 彩子は冷蔵庫を開き、牛乳と蜂蜜をコップに注いだ。

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 「でも、窓が広くとも、覗かれてるみたいで集中できないんでしょう」

 「広いのと、二つあるのとは違うのっ」

 カオルは癇癪を起こし、椅子に掛かっていたラメ付きのショールを引き裂いた。

 「主催者と交渉します」と、彩子は楽屋を飛び出した。

 代理店の担当者を連れて戻ってくると、カオルは大人しくテーブルの前に坐っていた。

 テーブルには空のコップが置かれていた。

 「あの、部屋割りのことで何か」

 三〇歳そこそこの大手代理店担当者は、戸口から入ろうともしない。「三輪田マネージャーにOK頂いた楽屋なんですが」

 「楽屋って、ここのこと」

 カオルは驚いたように振り返り、床を指差す。

 「そりゃOKでしょ。いいお部屋じゃないの」

 「はい。一番いい部屋を用意させていただきました」

 「あそこに坐ってると眩しいからね」と、カオルは化粧前に向かって顎をしゃくった。「窓のカーテンを引いてって頼んだのよ」

 「はあ、なるほど」と、担当者は腕組みしたまま、面倒臭そうに奥を覗いた。

 「鏡に反射するの。わかるでしょ」

 担当者は彩子の顔に視線を走らせ、慇懃な物言いで「次は後半部の二番目ですか。ではよろしく」と言い捨てた。

 「見て、これ。舞台衣装なのにひっかけちゃって」と、カオルはショールをひらひらさせた。

 彩子はソーイングセットを捜し出すと、残り六分で縫い繕った。

 幕が下りるや、スタンバイしていた彩子は、舞台衣装のカオルを連れて裏階段を駆け降りた。

 鉄の扉を開け、人波が押し寄せてくる駐車場を抜けようとしたとき、カオルさーんと古株のファンに呼ばれた。立ち止まった彩子の足を、さっきの代理店の担当者が思い切り踏みつけていった。

 車に辿り着き、カオルを後部座席に押し込むと、すでに人垣ができていた。ごった返しの中で、少女たちが無遠慮に覗き込むのを散らすようにゆっくりと進む。

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 まるで出棺だ。

 長いクラクションを鳴らしたかった。

 通りに出ると、ハンドルを握る手は冷汗で濡れていた。

 こんな苦労をしなくとも、榎本キッズが帰るまで待機すれば難なく出られる。彼女らはどうせ一人残らず榎本キッズが目当てなのだ。

 だが、どうしてカオルにそれを聞かせられよう。ショーの後、着替えもせずにダッシュする。それがスターだ、と三輪田も言っていた。

 日曜の夕方で、ほぼ一本道の三車線には工事車両もいなかった。

 カオルは目をつぶり、ラメ入りショールに顎を埋めて座席に凭れていた。コンサートの後は興奮するから、と言われているが、他の出演者もいるジョイント・ショーは、盛り上がるよりむしろ疲れ果てるらしい。

 これが都心へ続く幹線道路だ、と地図で確認すると、やっと安堵した。運転にはいまだ自信がなく、制限速度を守るしかない。

 カオルは眠っているのだろうか。減量を重ねているせいか、こけた頬には生気がなく、声の出も悪くなるはずだった。朝・昼抜きを付き合わされている彩子も、お陰でずいぶん痩せた。

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 「ねえ、どう思う」

 いつの間にか目を覚ましたカオルが、後部座席から身を乗り出していた。舞台衣装の帽子を脱ぐと、坊主刈りの頭はどうやらベリーショートぐらいに伸びていた。

 「榎本キッズがね、番組にゲストで来ないかって」

 「いいじゃないですか」

 キッズの番組はゴールデンタイムの他に深夜のトークがある。出るとすれば深夜の方だろうが、ともあれテレビには違いない。

 「どっかで聞きつけたのね、CMの話」と、カオルは座席に反り返った。

 「CMがなくたって、」とバックミラーに返事をした。やや道が込み合ってきている。

 「アルバムも出るんですし。三輪田さんに交渉してもらいましょう」

 「ふん」と、カオルは満足げに頷く。「写真集の話もきてるのよ」

 前の車が停まり、彩子は慌ててブレーキを踏んだ。

 「写真集?」

 「白水がね、海外の大御所カメラマンを紹介するって。コンセプトがしっかりしてれば話題になるでしょ」

 彩子はしばらく考えたが、青信号に変わったとき、「コンセプトって」と、尋ねた。

 「そりゃ、どんなふうに脱ぐかよ」

 こともなげにカオルは言った。黒のBMWが猛スピードで追い越しをかけてきた。

 「やっぱさ、意外性のある設定がいいんじゃないかなあ」

 路上駐車だらけの道路で巨大なトラックに幅寄せされ、彩子は面食らって急ハンドルを切った。

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 「おっと、なによ。ね、ガーターと靴下と、手袋だけでステージに突っ立ってるのはどう。試供品、ってキャプションつけて」

 「その話、事務所には、」と言いかけたとき、後ろからバイクが蛇行してきた。

 「三輪田にはまだ内緒。手筈が整ったら、白水が説得するって」

 男の子のファンも増やさなきゃ、加納典明に撮らせようか、ヤりたい盛りの高校生が悶々とするぅと、わざと下品にはしゃぐカオルの鼻から口元には深い溝のような皺が刻まれている。

 車線変更を躊躇するうち、タクシーに嫌がらせのように割り込まれ、思わず口の中で悪態をついた。ヤりたい盛りの男の子が、なんで馬鹿高い写真集を買い、カオルの裸を見なきゃならないのか。可愛いらしい十代の少女たちが雑誌やビデオで惜しげもなく脱いでいるのに。

 「有名ってもアラーキーじゃねえ、綺麗なのは立木さんだけどぉ、ロマンティックすぎて感じないー」カオルは歌うように大声を張り上げている。右折はまだだろうか。

 「でも、そんな話はあまり信用しない方が」

 「あら、あんたなら確実に協力してくれるって」と、カオルは不審気に言った。「白水が請け合ったわよ。なに、あいつに弱味でも握られてるの」

 ものすごいクラクションの音がしてブレーキを踏みつけた。

 「バッカやろうッ」汚い小型トラックからいきなり罵声が飛ぶ。バンパーがわずか二○センチのところにあった。

 「あんた、あたしを殺す気っ」カオルが怒鳴った。「誰を乗せてると思ってんの、帰ったら三輪田に言いつけるわよ」

(第04回 第2章後半 了)

 

 

* 『お菓子な殺意』は毎月02日に更新されます。

 

 

 

 

 

■ 小原眞紀子さんの本 ■

メアリアンとマックイン 水の領分

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■