夏目漱石の妻

NHK

土曜 21:00~(放送終了)

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 さすがNHKである。セットに金がかかっている。明治時代の家の中、すべてのものの佇まいが手抜きや省略一切なしに描かれている。室内への陽の射し方までも美しい。そして表通りはまだ、江戸の気配を濃厚に残している。それらを観ているだけでも、異空間に移動した雰囲気が十分に楽しめる。昭和とも重なり合うような近しさと同時に、少し遠い歴史にも触れる映像が立体感をもたらしている。

 

 このような極くリアルな時代劇に、尾野真千子はいまや欠かせない。原作は夏目漱石の妻であった夏目鏡子の手になるもので、広く知られていたけれど、尾野真千子の存在をもって非常に印象よくドラマ化されたと思う。妻の目から見た漱石の姿は、何かこれまでの穴が塞がれたように納得がいく。

 

 人間というのは多面的なものだ、というのは当たらないと思う。人間はいつだって一人だが、それを描写する側の限界で、一方向からしか描けない。とりわけ妻の言い分は、男のオフィシャルな姿とは別の、文字通り刺身のツマのような単なるエピソードとして片付けられていただろう。漱石の弟子たちそれぞれの思惑と、未亡人の考えが必ずしも一致しなかったこともあろう。

 

 尾野真千子の夏目鏡子は多面的ではない。ただ一人の、比較的普通の女である。この人の捉えた漱石像ならある程度、信頼がおけると思えるような。それは制作側ももちろん承知しているのであって、あの漱石先生のプライベートのこぼれ話をドラマにしたという、とりとめのない意識はないように映る。

 

 漱石の弟子たちであれ誰であれ、文学者としての漱石像をはっきり捉えたと思うなら、妻から見た姿とまったく矛盾する、まるで意外な言動である、先生がそうであるはずがない、などということはおかしいのではないか。結局それは捉え方が甘いのだ。素人ならともかく、プロの物書きの目を誤魔化せるほど、自身の本性を隠して書き続けられる作家などいないのだから。

 

 ドラマとして難を言えば、やはり妻の鏡子に視点をあわせている分、漱石については多少は単純化されている。たとえば『吾輩は猫である』は意外な大ヒットになったが、漱石がそれをもって「小説家として立った」と自負するところのバランスがちょっと不自然だ。気楽な手慰みが存外に、ということであって、文学の本質を研究し尽くそうとしていた漱石は、ただの作家志望とは違うのではないか。

 

 そしてやはり今日からみれば、女性に対する抑圧はもっと強かったろうから、夫婦関係のニュアンスは少し現代風に過ぎるかもしれない。そのへんはしかしテレビドラマの抱える永遠の問題なので、エンタテインメントである以上は仕方がない。尾野真千子の演技は、ぎりぎりのところで抑制が効いている。

 

 『夫婦善哉』よろしく、わけわからない夫に苦労して奮闘する妻のストーリーでは、漱石がわけわからない夫の役を果たすことになる。漱石を中心に据えればそこに明晰なロジックが成立するのだが、ここでは精神的に弱く、妻に頼りきりのように描かれる。そこはなんだか明治の文豪でない、平成ステレオタイプに映るのだが。

田山了一

 

 

 

 

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漱石の思い出 (文春文庫) 父・夏目漱石 (文春文庫)

 

 

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