%e3%82%a2%e3%83%aa%e3%82%b9%e5%a4%b1%e8%b8%aa%ef%bc%81_13_cover_01ポスト・モダニズム時代において、オリジナルからの引用・二次創作・パラレル創作の問題は避けて通れない。ならば翻訳とはなにか、翻訳はどこまで創作の謎に近づき得るのか・・・。英文学者で演劇批評家でもある星隆弘が、『不思議のアリス』の現代的新訳に挑む!。文学金魚奨励賞受賞作。

by 星隆弘

 

 

 

 

 

第13回 『アリス失踪!』翻訳の痕書

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 『不思議の国のアリス』を翻訳するうえで取り決めた約束事、「アリス自身によって翻訳されること」について書こうと思う。これは『アリス』を新たに訳する方法には何があるかと考えた時に、真っ先に頭に浮かんだことだった。古くは芥川龍之介・菊池寛両氏も手がけ、数々の翻訳者や英文学者によって翻訳され続けてきた『アリス』を翻訳しなおすにはこのほかにないように思えた。ふつう、翻訳作品が新たな訳を必要とするのは、既存訳に不足があるか、あるいはその翻訳言語が古びてしまったときだ。でなければ、ある独自の語り口を持つ作家に腕をふるってもらいたいと、望まれたか。ところが『アリス』は、次から次へと翻訳が生み出され、新挿絵や二次創作によって「アリス・イメージ」も刷新・増殖を続ける一方だから、世間が新訳に飢えているとは到底思われない。食傷気味と言ったっていいだろう。だから、『アリス』を翻訳しなおすということを考えるなら、まずはそのような「アリスたち」を度外視しなくてならないと思った。

 

 もう一つ、翻訳方針を思いついたきっかけがある。『アリス』創作の経緯である。ある午後、作者ルイス・キャロルは懇意にしていたリデル家の幼い娘たちと舟遊びに出かけ、そこで次女アリス・リデルを主人公にした即興の物語を語ってきかせた。アリスはその物語を気に入って、つづきをせがんだ。キャロルはアリスのために装幀からなにからこだわった手作りの本を作った。その一冊にさらに筆を加えて仕上げたものが『アリス』である。つまり、『アリス』はその「オリジナル」に大きく二度、キャロル自身の手が加えられていることになる。「オリジナル」を作品として鑑賞した「読者」は、舟に揺られながら食い入るような目で次の一語を待っていたであろうアリスだけである。

 

 「アリス自身によって翻訳されること」とは、この午後の出来事、即興作品『オリジナル・アリス』が最初の読者によって受容され、読者の想像世界ではじめて像を結んだときの姿を訳文に再現し、100年以上に及ぶ『アリス』日本語訳の蓄積のなかに差し込む試みである。ルイス・キャロルの口から声になって流れでて消えてしまった『オリジナル・アリス』を復刻するのではなく、アリスによって聞き届けられた声が意味を携えた言葉として認識され、アリスの想像力に作用して主人公・アリスの像を形作った受容の経路を問題としている。そのときアリスはアリスにぶち当たり、絡め取られ、ろ過され、矯められ、切り捨てられたり付け足されたりしながらアリスを通過したはずだ。つまりアリスは、まずはじめにアリスによって翻訳されたのである。

 

 具体的に必要な翻訳の条件は、まず一人称語りであった。『アリス』は三人称の語り手によって語られる小説作品であるため、一語一句を損なわずにそっくりそのまま一人称に変換するというのは無謀である。しかし、『オリジナル・アリス』を受容した最初の読者・アリスは、なにせ自分自身をモデルにした冒険譚なのであるから、一人称世界を想像したのではないかと考えた。「アリスの背がぐんぐん伸びた」という語りを聞けば、たちまちアリスはぐんぐん背が伸びたであろう、と。ただし、この翻訳実験はあくまで全訳であるから、三人称語りの言葉もまたアリスによって翻訳されなければならない。それを記録する道具が必要である。日記では遅すぎる。より実況的で、一人称の言葉がストレートに記録されるようなもの、となればtwitterだ。それじゃあ「たられば」の翻案に過ぎないではないかとの謗りは免れないが、アリスの想像世界で起きたことを最速でアリスの外側へ、全方位へ向けてテクストとして放出できる場所と道具立てに、それ以上のものは思いつかなかった。

 

 それから、アリスの語り口。アリス・リデルの持ちうる語り口を再現することは到底不可能であるため、「twitterアカウントを所有する10代の女性日本語話者」を設定した。ツイートでありながら『アリス』翻訳であるということを両立させるための落とし所である。こうしてtwitterアカウント「Alice♡@ALICEs_wndrland」が生まれたわけだが、はじめは突発的で実況的、しだいに語り手として成熟していくように訳文に変化をつけることにした。当事者から観察者へ。これは、ウサギの穴に落ちたアリスが、はじめは好奇心によってその不思議な世界を拡張していくのに、世界が形作られていくと今度は逆にそこから追いやられてしまうという、物語の構造を加味しての手心である。

 

 翻訳底本には『ガードナー注釈版:不思議の国のアリス』を用いた。既存訳は必要に応じて参照した。とくに参考にさせていただいたものは、大西小生訳(http://book.geocities.jp/ohnishi_shousei/alice/index.html )である。ネット上で公開されていて、アクセスのし易さもさることながら、随一の精確な翻訳であると思う。

 

 これらの条件付けを設けて翻訳した『アリス失踪!』は、英語と訳語の文化背景の違いや言葉遊びなど、色々な翻訳上の問題を強引にアリスに翻訳させ、訳文へと落とし込んでいる。が、基本的には原文の頭からつま先へと順繰りに、一文ずつ訳しおろし、できる限り一語もおろそかにしないように努めた。ひとつ、原文と構造的に大きく異なる点は、『アリス』の巻頭に付録される巻頭詩の位置である。本作では物語末尾に接続した。一読すればわかるように、この詩は『アリス』の語り手によって、物語以後に書き加えられたものである。そのため、本作が再現しようとする時間においてみれば、その掉尾を飾るほうがふさわしいし、『アリス』の結末もひとり残された語り手によって静かに閉じられるのであれば、元来その「声」によってうたわれるものであろう。本作においては、アリスが失踪し、残された「お姉ちゃん」がアリスの夢物語を思い浮かべながら口にする詩行となっている。よって、この詩は「お姉ちゃん」なる語り手による『不思議の国のアリス』の始まりであってもいい。お手元の『アリス』を接続してもらえれば幸いである。しかし、先ほど駆けて行ってしまったアリス、アリス自身が翻訳したアリスは、戻ってくるだろうか。

 

 あとがきを書きながら、ひとつ思い当たったことがある。ネズミのしっぽを模した詩のことだ。あれはルイス・キャロルによって紙上に加えられたタイポグラフィであるから、アリスの想像世界では、また別の像を形作ってもよかったかもしれない。そのしっぽを追いかけて、ウサギの巣穴に飛び込んだのが本作だった。ぼくはしっぽをつかまえただろうか。その痕跡は指先よりも耳に残っている。原文と訳文の間の、ゆらゆらしたところから聴こえる、しっぽの立てる音、あるいは声。

星隆弘

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(第13回 了)

 

 

 

 

 

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