%e8%a8%bc%e6%8b%a0%e7%89%a9%e4%bb%b6_09_cover_01コウタは大学三年生で、幼なじみのシュンジと〝本部〟に溜まって目的もなく毎日を過ごしている。本部は安アパートの一室。仲間のために部屋を借りたのは二年先輩のボスだ。高校生時代からコウタとシュンジはボスに憧れてきた。その怜悧さや悪の匂いすべてが魅力的だった。そのボスがある儲け話を持ちかける。手っ取り早く金を稼げればそれでよかったのだが・・・。辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑による新連載小説!。

by 寅間心閑

 

 

 

 

  四 (下編)

 

 結局、彼女は俺の家に来た。家に入った途端、そうしようと決めていたみたいに抱き合い、敷きっぱなしの布団に倒れ込み、そのままセックスをした。互いに抱えている不安が距離を近くした、なんて思わない。俺はそういう人間じゃない。ただ気になっている女とやれるチャンスがあって、それを無駄にしなかっただけだ。

 「ごめん、コウタ君、何か着る物貸してくれない?」

 午前五時前。暗いままの部屋で立ち上がり、ハンガーに掛かっていたジャージを渡す。ありがとう、という声だけでまたやりたくなった。旧式のエアコンだけでは暖まりきらない部屋で、俺のジャージを着ながら彼女は静かな声で話し始める。

 「あのレストランで食事をしてる時からずっとね、清美ちゃんのお父さんが可哀相っていうか、私みたいなヤツにずっと頭下げててさ、それがこうスポッとはまったんだよね。悪いと思ったからじゃないのよ、多分。昔っから弱いのよね、そういう涙ぐましいっていうか意地ましい人にね」

 サキエさんの話はよく分かった。ターゲットの顔などもう思い出せないが、話には納得できた。どうりで金をすんなりと支払ってくれたわけだ。本当にやっちまったんだもんな。

 うつ伏せになり、煙草に火を点けるサキエさんに触りたかったが、話が終わるまでは我慢しようと決めた。でも枕元の灰皿を渡すと、また「ありがとう」と言われてすぐにやりたくなった。

 「私ね、清美ちゃんのお父さんに全部言っちゃいそうだったのよ。どうせお金は払わせるんだから、種明かしした方がいいかなって思って」

 電気は消したままだ。煙を吸い込む度に煙草の火が明るくなり、彼女の顔を浮かび上がらせる。こんな綺麗な横顔の人とやったのは初めてだ。

 「でも種明かしをしちゃうと、清美ちゃんのことも話さなきゃいけなくなるし、もし全部を知ったら、それこそその場で自殺しそうな感じだったのよね。だから結局黙ってたんだけどさ」

 窓の外はまだ暗かったが、目が少しずつ馴れてきた。さっきのサキエさんの反応を思い出して話の途中なのにやりたくなった瞬間、突然名前を呼ばれて驚いた。

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 「コウタ君。セックスした相手が死んだことある?」

 「いや……、ないですね」

 「私もないのよ」

 知っている人が死ぬなんて、親戚以外では経験がない。最後の葬式は中学生の頃、母方のおばあちゃんが死んだ時だった。

 「だからさ、清美ちゃんのお父さんが自殺未遂したって時はすごく考えちゃったんだよね。セックスした相手が死ぬってかなり変な感じだよ」

 「……はい」

 「何ていうの、自分の一部分? 身体じゃなくて、うーん、記憶っていうか……。それがなくなっちゃったって感じかな。まぁ私の場合は死んでなかったから、違うかもしれないけど」

 そう言って小さく笑い、「もう一眠りしてもいい?」と煙草を灰皿で揉み消した。煙が鼻を刺激する。さあ、話が終わった。すぐにでもしたかったが、俺も一本だけ吸った。吸い終わってからするつもりだったが、我慢できず途中でもみ消して、隣で寝ているサキエさんの身体を抱き寄せる。

 見慣れた自分のジャージを脱がすのは変な気分だった。焦るように挿入しながら、明日この人が死んだら、と想像した。急激に萎えそうになったので、とりあえず想像するのは後回しにする。

 くぅん、くぅん。

 彼女はまるで子犬が鳴くような声を出す。あの日、ターゲットとしている時もこの声を出していたんだろうか。そう考えると頭に血が昇った。わざと乱暴な言葉を使ったり、手荒に扱ったりした。「くぅん、くぅん」という声がさっきより湿っている。互いにうっすら汗をかいてきた。

 体勢を変える。バックから入れた瞬間に彼女の身体が震え、次の瞬間ぐったりと全身の力が抜けた。まるで瀕死の重傷を負ったようなサキエさんの背中に、二度目の射精をする。背中に俺の精液を乗せたまま動かない姿は、まるで死体みたいだった。

 

 後回しにしていた想像――、もしもこの人が死んだらという想像をする間もなく俺は寝てしまっていた。しばらくは時間を確認したくはない。目を覚ますと隣でサキエさんもまだ寝ていた。うつ伏せなので顔の右半分が枕で隠れている。

 この人が死んだら、自分の一部分がなくなっちゃった感じがするんだろうか。分からない。ただ彼女が死んだら一生忘れないような気がした。

 死ぬまで心の底で思い続けたり、というドラマチックな形ではない。「俺、昔好きだった女が死んだんだよね」と居酒屋で酒の肴にする感じだ。でも、そうやって酒の肴にすることで、俺は一生忘れはしないだろう。顔も忘れて声も忘れて、どんなセックスをしたかなんてとっくに忘れたとしても、この人の存在だけは忘れないだろう。

 苦しそうな声を出して寝返りをうち、サキエさんの意外に小さかった乳房が見えた。でも、死んだらなんて想像をしていたから、やらしい気持ちにはならなかった。

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 シュンジは「もしも清美が死んだら」という想像をしたりするんだろうか。あいつは俺みたいに酒の肴にしたりはしない。ストイックに思い続けて、生涯独身を貫いたりするかもしれない。

 ようやく時間を確認すると、昼だった。

 そっと布団を脱け出してコンビニに出かける。シャワーを浴びたかったけど、彼女を起こしそうだから我慢した。出かけると決めているので、水量で占う必要もない。靴には昨日のクラッカーのカスが付いていた。もうすぐ十二時だ。さすがに腹が減っている。でも、おでんの臭いが充満しているコンビニで、エロ本を立ち読みしていたらやりたくなってきた。食欲より性欲。がっかりするくらい俺は単純だ。家には裸のサキエさんがいる。きっと大丈夫だろう、きっとやらせてくれるだろう。俺は小走りで家に戻った。

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 どうか起きてませんように、と祈りながら部屋に入る。まだ彼女は寝ていた。初めは寝ぼけていて反応が鈍かったが、そのうちまた「くぅん、くぅん」と鳴き始めた。しがみつくようにして腰を振っていると、まるで自分がケモノになったみたいだ。俺はしてる最中に「死にたくねえな」とも思ったし、「死んでもいいや」とも思った。彼女の内側に舌を這わせながら「もしも自分が死んだら」と考えるのは、そんなに悪い感じではなかった。

 俺が死んだら、という考えはそのうち「誰かが死んで俺になったんじゃないか」と変形し、いつか大学の講義で出てきた「輪廻転生」みたいなものに行き着いた。そうなると、骨董品を眺めているみたいな気分になり、いつの間にか何も考えずただセックスをしているだけになった。

 射精した後、二人とも無言のまま天井を眺めていた。お腹すかない? とサキエさんに訊かれる。実はコンビニに行ったけど、やりたくなったから何も買わずに帰ってきた、とはさすがに言えず「そうですね」と答えた。どちらからともなく立ち上がり、シャワーも浴びずに服を着て外へ出る。途中から競争をしているみたいになって、相手が着替えているのを邪魔したりした。二人して笑い転げながら、不思議な気持ちになる。セックスしただけで、こんなに関係が変わるんだな。

 楽しい気分だ。ちょっと早いけどビールでも飲まない? という提案を断る理由なんてない。他愛もない話をしながら歩き、サキエさんがよく行くという高円寺寄りの小さい居酒屋に入る。存在は知っていたが、まさか入る日が来るとは思わなかった。年季の入った店構えに軽く緊張する。

 席はU字型のカウンターだけで、BGMはラジオ。昼だというのに、店内は結構混んでいた。みんな年金を貰ってそうな爺さんだ。ずらりと並んだ顔、顔、顔。サングラスをかけたり、ハンチングをかぶったり、パイプをくわえていたり、結構派手な人が多い。オシャレっすね、と小声でサキエさんに言うと「楽しんでるのよ、みんな」と笑った。

 そう、この爺さんたちは楽しんでいる。若い頃からずっと楽しんできたんだろうか。多分違う。ある程度の年齢になったから、こうやって楽しむ方法が身についてきたんだ。だとしたら、やっぱり死んじゃダメなんだな。

 ドンと無愛想に瓶ビールが置かれた。店主も爺さんだ。定食二つとキムチ盛り合わせと煮込み。手際よくサキエさんが頼む。

 「よく来るんですか?」

 「週一くらいかな。昼から飲む時は大体ここ」

 「いつもこんなに混んでるんですか?」

 「みんな常連さんよ」

 この間入った新宿の店を思い出した。あそこも年配の人が多かった。俺も爺さんになったら派手な格好をしてこういう店で昼間から飲むんだろうか。

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 「あんまり女性はいないんですね」

 そう言った俺にサキエさんは微笑みかけた。お婆ちゃんは昼間から飲んだりしないのよ、という感じの笑い方だった。料理はどれも美味い。夢中で食っていると店主の爺さんが話しかけてくる。

 「学生さんかい?」

 「はい」

 「今日は?」

 「え?」

 「今日、学校は?」

 「あ、ええと……」

 言葉に詰まると、向かいに座っているサングラスの爺さんが「さぼって美人さんとデートか。課外授業だな」と言ってみんなが笑った。私の可愛い生徒なんです、とサキエさんが答えると爺さんたちは大喜びだった。その後も彼女は爺さんたちと会話を交わし、店内を盛り上げていた。自分の親よりもずっと年上の人たちと、ごく自然に楽しんでいるその姿は全然ガキじゃなかった。やっぱりこの人もボスと同じだ。ガキじゃない。

 大きな声や小さな声、様々な声が店内に溢れている。ほとんどの爺さんが饒舌だ。ここで一番年下の俺が話せることは少ない。何とか絞り出したのは、シャワーの水量の話だ。サキエさんは「だったら浴びるんだったなあ」と、色っぽく微笑んでくれた。もう付き合ってるのかな、と勘違いしそうになる。これだからガキは駄目なんだ。

 結局、爺さんたちからビールを何本かおごってもらい、二人とも結構酔っ払ってしまった。まだ授業の続きがありますから、と笑いながら店を出る。ずいぶんと長く飲んでいた感じがするが、まだ夕方にもなっていない。ひとまず公園に行って休むことにした。この間若い母親たちがいた新しい公園。今日は誰もいない。ブランコに腰を降ろして、ペットボトルの水を回し飲みする。昨日のパーティーから色々なことが重なったが、こうしていると全部夢だったような気がしてくる。夢だった、というか、夢でも構わない、という感じ。今サキエさんと二人でいるんだから、今までのことは夢でも全然構わない。

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 こんな感じで忘れちまうんだ、と思う。大抵のことはこうやって忘れちまう。覚えていられる出来事なんてそんなに多くない。昨日のパーティーも、その後のセックスも、さっきの居酒屋も、今こうしていることも、多分忘れちまう。それは普通だろうか。軽く不安だ。

 もう煙草は全部吸い終わってしまった。ブランコに腰を降ろしてから、一言も言葉を交わしていない。何か喋った方がいいかな。そう考えた瞬間、彼女は突然話し始めた。前をまっすぐ向いて話す姿は、俺に話すというよりも自分自身が何かを確認しているようだった。

 

 昨日と同じく、サキエさんは「あの人」とボスのことを呼んだ。

 「私ね、高校生の頃あの人と付き合ってたのよ、一年ちょっと」

 唐突だったが、話の内容はすんなりと頭に入ってきた。

 「高二の夏からよ。私は女子校だったんだけどね、通ってる予備校が同じだったの。あの人は頭がいいけどガリ勉君じゃないし、あの頃からすごく堂々としてたんだよね。背も高いからとにかく目立ってたし。私はね、当時すっごく真面目だったの」

 そこで初めてサキエさんは俺と視線を合わせた。信じらんないでしょ? と笑ったが意外ではなかった。「清美の先輩風」スタイルを知っているからかもしれない。

 最初にデートに誘ったのはボスからで、すぐに付き合うようになった。付き合ったからといって成績が下がるようなこともなく、順調に交際は続いたが高三の秋、つまり受験本番まであと少しという時期に別れてしまう。東中野の食堂のバイトをやめた頃だ。そうか、あの頃ボスはサキエさんと付き合っていたのか。

 「別にケンカしたとかそういうんじゃないの。受験が終わってからまた付き合い直そうって雰囲気だったかな。でも今思うと私が邪魔になってたのよね、多分」

 煙草に火を点け、サキエさんは寂しそうに微笑み、彼女のことを邪魔だと思えるボスに俺は嫉妬した。

 「あの人が隠れて努力をする秀才タイプなのか、それとも元々万能の天才タイプなのか、いまだに私分かんないのよ。でもね」そこで言葉を切ってペットボトルの水を飲む。「あの人は自分の理想のためには手段を選ばないの。自分に失敗は許されない、って感じがすごく強いの。ある意味、変に真面目だよね。そう思わない?」

 分かります、と頷く。昨日のオレオレ詐欺の話がよぎる。実際に俺は、今までボスが失敗したのを見た記憶がない。今度のことだって、ターゲットが自殺未遂した時はさすがに参っていたが、どうにか最悪の状況だけは避けた。いや、避けたどころじゃない。昨日たくさんの拍手と歓声を受け、胴上げまでされていたボスを思い出す。よくぞあそこまで挽回したもんだ。

 「私と付き合っていて受験に失敗する自分を、あの人は許せなかったと思う。万が一だけど、私だけ受かっちゃう場合もあるしね。そんな色々を考えて、私のことが邪魔になっちゃったんじゃないかな」

 靴の裏で煙草を揉み消す。こういう仕草が本当に似合う人だ。

 「結果的に私もあの人も第一志望に入れたし、てっきりまた付き合いだすのかなって思ってたのよ。そしたらもう他の女の子と付き合っててね。文句を言うチャンスさえ貰えなかったのよ。まぁ今となってみればアッパレな男だけどさ」

 俺が合点のいかない顔をしていたんだろう、サキエさんは言葉を補ってくれた。

 「私もあまり感情的になってる自分が好きじゃないし、文句が言えなかったのはちょうど良かったのよ。それ以降も定期的に遊んではいたし。それに今回だって、あんなに重要な役割を任命して頂けたわけですから」

 そう言っておどけている彼女を見ながら、ブランコを軽く漕いでみる。キーコキーコという音が懐かしい。ねえコウタ君、と話しかけられる。真剣な響きだ。漕ぐのをやめて彼女の方を向く。

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 「うまく言えないけどさ、今回のことは多分これでいいんじゃないかな」

 予想外の言葉に俺は驚いた。思わず目をひん剥いちまった。

 「たしかにこれじゃ終われないって部分は、みんなにあると思うんだ。シュンジ君はこれから清美ちゃんをケアしてあげないといけないだろうし、そのシュンジ君も誰かからのケアが必要かもしれないし、もしかしたら清美ちゃんは一生このことをひきずっていくかもしれないよね」その通りだと眉間に皺が寄る。「コウタ君も私もかなりモヤモヤしてるわけだし、あの人だけハイ終わりってそれはナシでしょって、そういう気持ちは分かるのよ」

 喋りながら彼女の声は段々と大きくなり、余裕のなさを報せてくれる。この人も必死に整理をつけようとしているんだな、と軽く同情した。

 「でもね、これ以上マシな形に持ってけないような気がするのよ。現状に百パーセント納得はしてないけど、じゃあ何かいいアイデアがあるかっていうと別に浮かばないしね」

 それは違うでしょう、と言いたかったが無理だった。言えなかった。彼女の言い分もよく分かったからだ。何も言わずにまたキーコキーコとブランコを漕ぎだした姿を見て、サキエさんは俺が渋々でも納得したと思ったらしい。落ち着いた声に戻り、静かに話し始めた。

 「清美ちゃんのお父さんと本当にしちゃったのは、あの人への反抗だったのかもしれないのよね。多分あの人、まだ自分に気があるって思ってるわ、私のこと。単なる勘だけどね」

 サキエさんは一瞬暗い表情になったが、すぐに「ごめんごめん、そういう意味じゃないのよ」と俺に謝った。昨日のことを言ってるんだろう。俺とセックスしたのはボスへのあてつけだったのかな。まあ、そういう要素も何割かは含まれてるってことだ。

 「これから仕事だから、一回家に帰らないと」

 そう言って彼女はブランコから降りた。じゃ俺も、と立ち上がったが別に用事はない。大通りに出て、タクシーを拾うサキエさんを見送るだけだ。乗り込む前に彼女は「また今度家に行ってもいい?」と言ってくれた。

 「はい、いつでも。それで、またさっきの店に行きましょうよ」

 今度はシャワー浴びさせてもらうからね、とタクシーに乗りながらサキエさんは笑った。俺はいい言葉が見つからず、だらしない顔で「はい」と答えるのが精一杯だ。ドアがバタンと閉まりタクシーは走り出す。平日の夕方前、道路は空いていてタクシーはすぐに見えなくなってしまった。

(第09回 了)

 

 

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* 『証拠物件』は毎月06日に更新されます。

 

 

 

 

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