%e7%a5%9e%e9%81%95%e3%81%88_08_cover01「天の岩戸が開いた」。マンションの隣り、または上階の人々が権力と偉大さの幻想と重なり合い、暗黒の陰謀が重層化する。ご近所から世間へ、そして巨悪の足元へと、無意義の波はひたひたと押し寄せ、現実を歪めてゆく…。詩人にしてストーリーテラー、気鋭の批評家でもある小原眞紀子が、現代の日常にひそむ古代的心理を抉る傑作純文学小説。

by 小原眞紀子

 

 

 

 

 「番頭のことなど、もはやどうでもよい」

 在来線で京都へ戻り、新幹線に乗ってしまってから、大長はそう言い出した。

 それはそうだろう。が、わたしはリストの最後を示した。

 「番頭の娘、この住所は本当でしょう」

 「なぜわかる」

 「鈴丸守は、この娘と電話で話した、と言っていました」

 おそらくその際、本人の居所を確認しただろう。番台の他の子らは、実在しているかどうかすら定かではない。

%e7%a5%9e%e9%81%95%e3%81%88_08_01

 「では行かずとも、まず電話をかけてみればよい」

 それはまずい。普通に考えても、もし番台が潜伏していたら逃げられてしまう。

 「九州には、わたくしの親族どもがおります。お運びいただければ栄えあるものと思いましょう。先触れの電話は、そちらにかけておきます」

 ならば好きにするがよい、と大長は宣った。

 

 

 物干台は、大昔の記憶にある広々した空間とは違っていた。かつて青空にぽっかり浮いた楼閣のようであったそれは文字通り、ただの古い物干台に過ぎなかった。

 だがそこに立った大長は、遙か九州の山々を見晴るかす。

 「座敷童と一夜ば過ごして、天下ば約束された方てげな」

 物干台の下で、祖母はわたしに囁いた。

 「そるばってん、若か男ん方かと思とったところに」

 それでも祖母が招集をかけ、裏の丘の料理屋に親族一同が集まる。「なーん、み幸っちゃんの久しぶりたい、洋彦さんも元気かね」

 古民家じみた造りの部屋に通されると、女将が挨拶にやってきて、拵えた田楽や山菜の会席が運ばれる。

 「これは何」と、巻いた葱を摘み、大長は囁いた。

 「手の入っとろ、一文字のぐるぐるたい」と、祖母のマサは言う。「ここの女将さんのな、何代も続く有名な料理屋の娘さんだけん」

 「そしてこの川魚はすぐそこの菊池川のもん」と、笑子叔母が自慢する。

%e7%a5%9e%e9%81%95%e3%81%88_08_02

 「菊池川ってな、昔、み幸ちゃんも和一と水遊びに行ったこつのあろ」

 「笑子は子供ん頃、溺れかけよらしたろ」と、文彦伯父が口を挟む。

 「大勢で泳ぎに行ってな。そんとき死んなはった子もおったが」

 「そしたら、み幸ちゃんらの、ニューオータニに行かんならんな」と、笑子叔母は騒がしく混ぜ返した。

 「なん、明日の晩は宴会たい」

 「じゃ、これは何」と、大長は呟く。

 「これはただの会食。ニューオータニの宴会は風呂付きたい」

 「あのホテルの湯は不老長寿てだもんね」と、柚木子伯母が頷く。

 そぎゃん、そぎゃん、と笑子叔母が喚いた。

 「大陸から湧き出してから、海底の地下水の入り込んで」

 「うん、まあ、だいぶ薄まっとろ」と従兄弟の公介が言った。

 なーん、なん、と笑子叔母は掌を振り回し、口角泡を飛ばす。

 「なんば言うね、太祖、楊貴妃、始皇帝も一度は入られたちう湯のところに、罰当たりか、」

 「せからしかっ」

 突然、大長が立ち上がった。

 一瞬でしんと静まる。

 叔母や伯父、従兄弟たちは、セーターとパンツ姿で毅然と拳を握っている大長を見上げた。足元の卓は煮物や漬け物の鉢で埋まっている。

 「なんが始皇帝か」と、大長は宣った。

 「すでに死んどるところに、不老長寿の名に値ばせん」

 祖母と文彦伯父は俯き、やがて深く頷いた。

 大長は、いつ九州弁をマスターしたのか。

 奇跡を目にした思いに、わたしもまた頭を垂れた。

 

 

 風土記の丘、と呼ばれる広大な公園に、大長は立っていた。

 九州はすでに平定した。

 大長の着ている服は、柚木子伯母からの貢ぎ物であるウールのワンピースドレスだ。

%e7%a5%9e%e9%81%95%e3%81%88_08_03

 「座敷童と一夜を共にされた、とな」

 文彦伯父は絶句した。

 まさか、そぎゃん偉かお人とはと、公介は首を振った。

 「なん、偉大なお方が次々お出でになる。ここはそんな土地ですけん」と、笑子叔母は弱々しく語る。

 座敷童の証を受けた大長は、わたしの親族たちにかしずかれつつ不老長寿の湯を浴み、いっそう輝かしい光に包まれた。

 「まことに光栄至極」

 文彦伯父は大長の荷物を捧げ持った。「御用がお済みになられたら、またぜひお戻りになられますよう」

 「なん、江田なんぞ、ここから目と鼻ん先」と、笑子叔母が言う。「なんでしたら、お迎えに参りますけん」

 どぎゃんですかな、九州は、と公介までもが手を揉み、何度も頭を下げる。「よかとこでしょうが。何にもなかばってん、まあ、暖こうて」

 彼らに手を振り、見送られながら、電車とタクシーでこの場所に降り立った。

 貴人の地に大長は光臨されたのだ。

 丘の上には、石でできた古代の像が等間隔に並んで立っている。大きいものは二メートル近くある。

 「等間隔の法則とな」と、大長は呟かれた。「日本の西方に普遍的なもんとみた」

 入口の受付はちょうど交代の時刻だった。オフになった受付嬢は公園をつっきって帰るのか、案内がてら一緒について来る。

 「このあたりはよう、石人が出まして」と、受付嬢は言う。「復元ばして、ここに置いたもんです」

 モダンアート、とわたしは言う。「お堀端の現代美術館の庭にそっくり」

%e7%a5%9e%e9%81%95%e3%81%88_08_04

 はい、このへんは古墳が多くてですね、と受付嬢は読み上げを続ける。

 「公園のなかの、そこが江田船山古墳。金の耳飾りやら、銅鏡など出ましたが、剣に銀でですね、七五の文字の象眼ばされとりまして」

 あとはですねえ、と、どこまでも緑の広い丘が拡がる公園の敷地を眺め、遠くを指差す。

 「あちらの方までずうっと行きますと、とんからりん、ちゅうとのございます」

 とんからりん、と大長はオウム返しに言う。

 「五つ、トンネルのある遺跡でして、石を落とした音が、とんからりん、と聞こえますもんで。なんでしょうね、古代の排水路とか、なんかの祭祀のためのもんとか、どうもはっきりせん、てこって」

 古代の墓守の土地よ、と、わたしは教えた。博物館で書かされた報告書のいくつかは、この近辺からの出土品に関するものだ。

 「はあ、そがんこつかも」と、受付嬢は首をかしげる。

 「そして、ぬしがヒミコか」

 ワンピースドレスの裾をはためかせ、大長の御声は雷鳴のごとく轟いた。

 「はい?」受付嬢は目を上げた。

 「名を訊いておるが。番台の娘、ヒミコであろう」

 番台でなく、吉崎と申します、と彼女はおどおどする。

 「ええ、陽美子と申します。最近、こちらで働かせていただくようになりました」

 「採用の決め手は、名か」

 陽美子は頷いた。「あっちの、菊池のあたりが狗奴国、このあたりが邪馬台国のはずでございます。が、畿内の方で、新たに遺跡の発掘がありまして」

 確かに九州説は、もはや風前の灯火だった。

 そうか、と大長は考えている。

 「許す。ここでヒミコを名乗ってよい」

 はあ、と陽美子は客の顔を窺う。

 「父親を連れてまいれ。今すぐ、ここに」

 吉崎さんをお願いします、と、わたしは言った。「メゾン小蔵坂の者です」

(第08回 了)

 

 

* 『神違え』は毎月23日に更新されます。

 

 

 

 

 

 

■ 小原眞紀子さんの本 ■

メアリアンとマックイン 水の領分

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■