山本俊則さんの美術展時評『No.062 生誕三百年記念 若冲(中)』をアップしましたぁ。最近の若冲さん人気は凄まじいですが、その人生の詳細がわかっている作家ではありません。江戸以前の作家は、文筆家なら作品からある程度の人生の機微がわかりますが、画家などになると資料があまりない人がほとんどです。だから過去の画家の作品鑑賞は見る人の想像力を膨らませるところがあるわけですが、やっぱりある程度資料に即した読解でないと妄想まで飛躍してしまふこともしばしばです。

 

 若冲は最初の寄進の際に、『寄進状』と売茶翁一行書を添えて絵を納めた。相国寺は皇室に『動植綵絵』と一緒に『寄進状』と一行書を献上したので、現在は皇室所蔵である。相国寺が残したのは『釈迦三尊像』三幅だが、寺が仏画を大事にするのは当然である。しかし『動植綵絵』三十幅はやはり異様だ。江戸から明治にかけて、この絵の意図を明かす文章として『寄進状』は絵と切り離せないものだったのだろう。また若冲は、自己の絵の価値を保証する証書として一行書を相国寺に寄進した。売茶翁一行書もまた『動植綵絵』と一体だったのである。若冲は徐々に頭角を現していった絵師ではない。『動植綵絵』連作によってその画力が認められた画家だった。

(山本俊則『若冲論(中)』)

 

確実に若冲が書いた文章は、今のところ『動植綵絵』を相国寺におさめる時に書いた『寄進状』だけです。無名ではなかったですが、当時の若冲は少人数の数寄物たちに名前が知られた画家の一人でした。『寄進状』は作家による『動植綵絵』制作の動機を明らかにする文書として、絵画作品といっしょに皇室に献上されました。また売茶翁一行書は、若冲の画家としての力量を保証する一種の〝証書〟の役割をになっていたわけです。

 

山本さんは確実な資料を元に若冲作品を読み解いておられます。若冲自筆の文章が少ないだけでなく、若冲の同時代で彼につて詳細に書いた文章は、ほぼ相国寺の大典顕常の『若冲居士寿蔵碣銘(じゃくちゅうこじじゅぞうけつめい)』だけです。この二つの文章を基本資料として、山本さんは『下編』で若冲芸術の本質に斬り込んでゆかれます。

 

 

山本俊則 美術展時評『No.062 生誕三百年記念 若冲(中)』 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

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