りょんさんの詩誌時評 『No.014 現代詩手帖 2016年9月号』をアップしましたぁ。ひさしぶりのりょんさんの時評です。りょんさん、海外に行っておられたのですな。んで「現代詩手帖」については、『2016年9月号のレビューだけど、今号の巻末の出版広告も、著者たちの白黒写真で、全然変わってない。それはそれですごいかもねーと、洋行帰りのりょんさんは、一瞬の愛国者として思ったのでありましたあ』と書いておられます。確かに現代詩手帖さん、毎号ほとんど同じです。危機感すらなひなぁと感じるのは、石川とかりょんさんとかの部外者だけで、現代詩手帖コミュニティの詩人さんたちは、それなりに楽しく活発に活動しておられるんでせうね。

 

文壇でもそうですが、あるメディアの論理に取り込まれると、近視眼的にそこが〝世界〟だと勘違いしてしまう作家が必ず出ます。小説の場合、文壇など知ったこっちゃないといふ読者を抱える作家が大勢いますから、まだバランスが取れている。しかし作品が読まれず、本が売れないのが当たり前の詩壇では、思いっきり業界に精神を絡め取られてしまっている作家が多い。

 

自由詩の世界では、なにをもって作品の優劣を論じているのか石川にはちっともわかりません。厳しいダメ出しを受けることのない表現はムダ、といふのが石川の編集者としての信念ですが、過去の遺物である現代詩すらいまだに相対化できない詩壇は、どうやってダメ出ししていいのかもわからなくなってるんぢゃないかしらん。気持ちの悪いほめ合いが蔓延しています。詩壇全体はもちろん、個々の詩人でも、評価軸を持っている作家が見当たらないんだな。

 

ちょっと前まで鮎川信夫や田村隆一、吉本隆明といった詩人で批評家・エッセイイストが生きておられました。彼らは狭い詩壇を主戦場にした作家ではなかった。一般読者を視野に入れて活動していた。正直言って、今「現代詩手帖」に掲載されている詩や評論が、一般読者に読まれる可能性は皆無だと石川は思います。自分の作品だと目が曇るでしょうから、同時代の他者の作品や評論を、過去の名詩や名評論・エッセイと比べてみれば、その理由はすぐにわかると思います。

 

要するに視線が業界内向きなんです。自由詩の業界に限りませんが、○○壇を世界だと認識してしまうのは危険です。詩人はまず、自分はなんのために詩を書き始めたのか、原点に立ち戻るべきでしょうね。いつの時代でも、狭い詩壇を超脱した作家だけが、詩の世界に大きな影響を与えてきたのです。

 

 

りょん 詩誌時評 『No.014 現代詩手帖 2016年9月号』 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

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