家売るオンナ

日本テレビ

水曜 22:00

No.130_TVドラマ批評_01

 

 

 高い数字だそうである。確かに、なんとなく観ちゃう。それについて分析している文章をよく見かけるけれど、なんかちょっと違うな、という気がする。特に男性の視点から、女性視聴者の心証をうんぬんとなると、やっぱり無理なんだな、と思う。何もわかってない、というのではないが。

 

 キレイどころが強いオンナを演じると、女性の好感度が上がる、というのは別にナイかな。北川景子演じる女主人公は、情緒欠損のパワハラ上司でもあるので、そういう役が女性視聴者にアピールしたというのは聞いたことがない。結局、イライラするほど無能で怠け者の部下たちというのが脇役で、それに厳しく当たるのが女主人公だから、視聴者の共感を呼ぶ構造になっているだけだ。

 

 すなわち相手次第、そういう奴らに言ってやりたいセリフが共感を呼んだ、ということなら、似たものとしてあの『半沢直樹』が挙げられる。「あの家は私が売りました。庭野ではなく、私が売りました」とか「家を売るのは個人技です。人を育てるぐらいなら自分で売った方が早い」というのは、仕事する多くの人が我慢しているセリフだ。「Go!」と部下に目を剥く顔は「倍返しだ!」とミエを切るのと変わらない。

 

 つまりそこには男も女もない。仕事というのはそういうものだ。確かに女主人公は美貌だし、イケメンの同僚と同じように、必要とあらばそれを利用するだろう。持っているものはすべて使う。仕事というのはそのぐらい厳しくて、それを日々実感する視聴者にアピールしているのに、女性の好感度がどうこうというのは甘いと思う。

 

 もっともこれはコメディなので、気楽に眺めていられる。『半沢直樹』のように義憤の渦を巻き起こしたりしないけれど、その気楽さの中にカチッと現実のビジネスにおけるスイッチを押すところが、観ていておトク感を与えはする。しかし、その家売る手法が現実的なわけではない。

 

 現実的ではないが、荒唐無稽でもない。なぜ実績が上がるのか、それは家を売るということのある本質を捉えているからではないのか、と。ドラマになるからには人間関係の問題を描くわけだが、その多くが実は、ただ空間のあり方を変えることで解決してしまうのではないか、ということだ。

 

 そしてそれは恐らく、その通りなのである。そのことは私たちに、人間の精神とか、愛情とか相性とか人間性とかいったものの幻想性を突きつける。なーんだ、というわけで、これはコメディがふさわしくもある。二コリともしないオンナのドラマはよくヒットするが、それは常識的な、とりわけ女性に期待される温かさや優しさに包まれた世の欺瞞や怠惰を暴き出すからだ。

 

 その意味で、これはあの天海祐希主演の『女王の教室』(本編)ともちょっと似ている。鬼気迫るシリアスドラマだったそれと比べるのも妙だし、『家売るオンナ』は人なんか育てないと言い切るのだが、それでも周囲が影響を受け、変化するだろうという展開は見えている。結局のところ、そういうかたちでしか人は育たないので、悪魔のような女教師と通じるところはやはりある。

山際恭子

 

 

 

 

■ 脚本家・大石静さんの本 ■

蜜の味 ~A Taste Of Honey~ (扶桑社文庫) 四つの嘘

 

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■