神違え_05_cover01「天の岩戸が開いた」。マンションの隣り、または上階の人々が権力と偉大さの幻想と重なり合い、暗黒の陰謀が重層化する。ご近所から世間へ、そして巨悪の足元へと、無意義の波はひたひたと押し寄せ、現実を歪めてゆく…。詩人にしてストーリーテラー、気鋭の批評家でもある小原眞紀子が、現代の日常にひそむ古代的心理を抉る傑作純文学小説。

by 小原眞紀子

 

 

 

 

 鈴丸守は難しい顔をしていた。

 「公園脇の御所宅に、か。跡でも尾けたのか」

 来林の長は頷いた。三日間を費やし、尾行したのだと言う。

 「もし、番台の大都との繋がりがわかったら、」

 それは俺が調べる、と守は長を遮った。

 「あの番台を選んだ責任がある。だから、あんたはもう」

 呪術を、と長はまた、わたしに懇願する。

 「A4用紙一枚分で」

 来林の長が言うには、わたしの呪術とは、ようはペーパーなのだった。

 住民を熱くさせ、興奮を巻き起こし、さらに判断を正当化し、それに賛成の者も反対の者も、じっとしていられなくなるアジテーションの言葉。浮き足だった住民が、自ら事故を起こしたり、あるいは起こった事故に憤ったり、何かと何かを結びつけ、あらぬ噂が湧き上がる。

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 それが、もとおさの力なのよ、と来林の長は納得している。

 「そういう力がなきゃ、年代記に残るような長になれないんでしょう。わたしも勉強したい、呪術を」

 アジテーションの言葉。わたしはうんざりした。

 上司が聞いたら、何と言うだろう。

 確かに文章を書くのは仕事柄、苦にはならない。お堀端にある博物館に、夕方、閉館してから出かけ、収蔵物について調査をし、報告書や一般向け解説を書き、自身の論文を書くのが仕事だ。週に一度、大学で講義をするときだけは昼間からスーツで出かける。

 博物館に入れられるようなものは、まだとても扱えないが、亭主も業者間で古美術を売買している。店を持つのは数年先だろう。

 怪しげな暮らしと言われれば、無論、そうである。呪術使いと呼ばれることも、甘んじて受けよう。が、正確さと公正、論旨の一貫を旨とする文書を作成しているはずの日々の習いが、アジテーションの言葉に繋がったと言われれば、信用を害する。

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 「わたしが書いたのは数字じゃないの。担当者が代わった回数、風呂桶の指示を無視した回数、管理費の値上げの額、減った掃除の回数、工事費の見積もりの差額、その頃の大都工務店の株価。あくまで正確と公正を期して」

 「正確で公正ねえ」と、守は笑った。

 一見、そう読める感じで書いてあったんで、皆、余計に興奮しちまったのかもな、などと守までが言う。

 「とにかく、そんなあやふやな情報で、人を貶めることは書けない」と、わたしは言った。

 「市議のところに出入りしていようと、銀行員と会っていようと、すぐさま番台の背任とは言えないんだから」

 

 来林の長の後について、わたしは坂を上っていた。

 長の情熱は、日を追って高まっていた。行動力も横溢し、近辺のマンションに出かけては、そこの理事長と面識を得て意見交換する。町内会はおろか、商工会議所、青年団、消防団、子供会と、長の名の付く者がいるあらゆる団体と接触していた。

 「運営の仕方を学んでいるの」と、来林の長は言った。「長としてのあり方は、もちろんのこと」

 それらの団体は多かれ少なかれ、小蔵坂公園の能舞台に賛助していた。とりわけ商工会にとっては、鳩間川の花火大会が潰えてのち、久しぶりに張り切っているビッグイベントだった。

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 「来林の長、えらい有名人だぜ」と、鈴丸守は目玉を回して言った。

 邪魔な番台を排除するばかりでなく、年代記に残り、像が建つような偉大な長になる。

 山城で年老いた母を介護しつつ、子供のいない専業主婦の彼女は、その想いに取り憑かれていた。

 「うーん。そりゃ、もう止められないがな」

 鈴丸守は疲れたように首を振った。

 「長だからな。何と言っても、今は」

 それでも、ちょっと見張った方がいいな、と守は呟いた。

 その日は朝から町内会に出向き、新翼町の商工会議所で昼食をご馳走になり、そこで渡された玩具の袋を豆尾町の子供会役員宅に届けた。いまやわたしが平埜の代わりに、長について歩いている状態だった。

 公園への長い坂を上り終えて切れた息を吸い込むと、梅の香がする。

 山の上の公園は梅の開花が遅く、いつまでも咲いている。

 能舞台はほぼ、仕上がっていた。梅の香に真新しい木の匂いが混ざり、起伏のある緑の園に白く浮かび上がっている。

 来林の長は、それをうっとりと眺めていた。

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 幻の演目と言われるのはこの市に住み、早逝した歌人の生田西紀の書いた新作能で、新進気鋭の巨海文夫が演出するという。桜の花が咲く頃の上演だが、野外能舞台は限界が来るまで壊さずに置き、近隣市民の演奏会や子供劇に使われる予定だった。

 その最大の陰の協賛者ともいえる、公園の土地の持ち主の末裔、御所議員は留守だった。

 「商工会議所から、連絡はありませんでしたか」

 公園脇にある御所の屋敷の玄関先で、来林の長は頑張った。「今日、この時間にご挨拶に伺うと」

 お手伝い兼秘書のような初老の女性は、ふぇ、と惚けた。たぶん自分が伝え忘れたのだろう。

 「で、先生は今、どちらに」

 感染病予防のための市民啓蒙セミナー開催を祝するため、はまうきしまの会場にいる、と言う。

 「では、そちらに伺います」

 来林の長は躊躇なく言った。

 「また、出直したら」

 少なくとも、わたしはそんなところまでついて行く気はなかった。博物館の研究室へと出かける時間も迫っている。

 「いいえ。熱意を見せるのよ」

 何の熱意、とわたしは訊いた。

 今、思いついた、と来林の長は答えた。

 「新作能の舞台が明けたら、一番に舞台を貸してもらう。山城の年代記の朗読会をするのよ」

(第05回 了)

 

 

* 『神違え』は毎月23日に更新されます。

 

 

 

 

 

 

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メアリアンとマックイン 水の領分

 

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