『キル・ビル Vol. 1』ポスター(2003年 アメリカ映画)
監督・脚本 クエンティン・タランティーノ
主演 ユマ・サーマン
花々をのぞけば、自然界には意外と黄色が見当たらない。だからこそ一部の毒を持つ虫や蛙などはこの色をまとって、自分が「異常」であることを示す。あるいは毒などないのに、毒のあるふりをしている場合もあるようだ。人間の目にも黄色はとにかく目立つから、注意信号に使われているのはもちろん、黄色の自動車は保険料が安くなる、という都市伝説が生まれるほどである。
毒と言えば、ザ・ブライドも毒のほとばしるような殺し屋だが、彼女の勝負服もまばゆいばかりの黄色である。その活躍を描いた「キル・ビル Vol. 1」(米、2003)は漆黒で始まる。次いで胸を締めつけるほど音響が強調された白黒の画面で、ザ・ブライド(ユマ・サーマン)の絶望が描かれる。だが主題歌が終わり、本編の開始と共にいざ画面に色がつけば、そこには一息に極彩色の世界が展け、なかでも復讐に燃える殺し屋のまとう黄色が、ひときわ目を惹くのである。
「キル・ビル」は企画の壮大さが災いして間延びした後篇を独立公開せざるを得なくなったという点を差し引けば、鬼才といわれるクエンティン・タランティーノの作品のなかでも傑作に数えられるだろう。すでに熱烈な支持者も少なくなかったが、四作目に当たる「キル・ビル」前篇によってその名声は世界的なものとなった。とはいえ高校を中退後、テレビ関係の仕事などをしながら五年間ビデオ店に勤めていた生粋の映画マニアであるこの監督の作品には他作品からの引用やオマージュが数え切れないほど散りばめられており、大方の観客がそれを追いきれていないことも事実である。
「キル・ビル」にはそのような仕掛けがとくに多いが、幸い、大部分は日本の観客に親しみやすいものとなっている。登場人物の名前や台詞、果ては主題歌やナレーションの手法まで、実に多くの断片が、タランティーノの偏愛する日本の映画やドラマ作品から引用・再構成されているからである。千葉真一や栗山千明ら日本人俳優が随所に起用され、舞台としても日本が登場するが、深作欣二の任侠映画や『修羅雪姫』(日、1973)のような癖のあるチャンバラ映画の枠組みで展開される「キル・ビル」に描かれる「日本」は、キッチュでこそあれ過剰ではない。ソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」(米、2003)やリュック・ベッソン製作の「WASABI」(仏・日、2001)など、「キル・ビル」と前後して公開された映画に多く描かれたような、異質なものとしての「日本」はそこにはない。
だが「キル・ビル」が包摂する映画の文脈は日本のそれだけではない。ジョン・ウー監督の『男たちの挽歌』(香港、1986)をはじめ、香港や台湾のハードボイルド映画への言及も多い(もっとも、そこにもマカロニ・ウェスタンと並んで、任侠映画の影響がすでに見られるのではあるが)。そして何より見落とせないのが、ブルース・リーに対する敬意であろう。この伝説的なスター扮する、しばしば荒唐無稽な動機からひたすら武闘の美学を追求する偏執狂的な格闘家の姿は、そのままザ・ブライドにも通じるものである。何より黒い線を引いたまぶしいほどの黄色のボディスーツが、「死亡遊戯」(香港、1978)でブルース・リーが身につけていたものとそっくりであることは言うまでもない。
ところで、ここでふと思い当たるのは、黄色がアジアの色だということである。何もそこに人種論争を読み解こうというのではない。しかしタランティーノがその魔窟のような映画知識の引き出しから、アジアに結びついた諸要素をコラージュして創り上げたこの作品のテーマ・カラーが、アジア人の肌に割り当てられた色であることが偶然だとは思えないのである。
スーパーマンとスパイダーマンに端的に表れているように、アメリカでは英雄は星条旗に配された色を身につけていることが多い。キャプテン・アメリカなどはその最たる例と言えよう。一方、超人ハルクのように怪物的な英雄は緑色をしているし、闇を抱えたバットマンは漆黒である。黄色なら、一匹狼でおよそ英雄の名にそぐわない、粗野なウルヴァリンが挙げられる。ブルース・リーの皮をかぶったザ・ブライドにしても、アメリカ的な英雄志向の価値観から見れば外れ者もよいところであろう。
タランティーノの映画は基本的に反アメリカ的である、と筆者は思っている。それはすなわち、非常にアメリカ的である、ということでもある。タランティーノの紡ぎ出す物語は常に価値観のごった煮であって、音楽、映画、ファストフード、銃、美女と、これ以上ないアメリカ的記号の組み合わせでありながら、出来上がってくるものは王道のアメリカ的価値観からどこか逸脱したカーニヴァル的な活人画である。勧善懲悪で白人至上の、よそゆきのアメリカはそこにはない。あるのは遥かに現実的で生々しい、それこそタランティーノが修行時代を過ごしたビデオ屋の棚をひっくり返したような世界である。幕内弁当のような文化、という言葉が日本文化の形容として使われることがあるが、こうしてみるとこの言葉はアメリカ文化にもよく当てはまるように思われる。
では、日本でこのようなごった煮を表現しようとすると、どのようなものになるか。例えば「黄線地帯(イエローライン)」(日、1960)がある。「地帯(ライン)シリーズ」と銘打たれた石井輝男監督によるシリーズの第三作では、新聞記者の真山(吉田輝雄)が殺し屋の衆木(天知茂)に拉致された恋人の踊り子、エミ(三原葉子)を追いかけるのだが、たどり着いた神戸港の裏町「カスバ」は国際的な人身売買組織の拠点であった。組織は若い日本の娘を誘拐し、麻薬漬けにして、海外の富豪に売り飛ばす。つまり黄色人種を売るので、赤線ならぬ「黄線」というわけである。
劇中の「カスバ」で描かれる人種のるつぼは、実に奇体というほかない。アジア、ヨーロッパの各国から流れて来る労働者やごろつきが朝も夜もなくとぐろを巻き乱痴気騒ぎを繰りひろげる影で、多くの女たちが利用され、捨てられてゆく。なかでも印象深いのはバーのマダムにおさまっているムーア(スーザン・ケネディ)である。彼女は体つきや顔の造作は白人であるが、その肌は真黒であり、黒人のようにも見える。組織が黄色人種の輸出を始めたいまでは寵愛を失い、ひねもす我が身の凋落を嘆いているわけである。結局、彼女は主人公の真面目さに心打たれて寝返ったために、組織の怒りを買って無残な死を遂げることになる。
「黄線地帯」の本筋は新聞記者の奔走と殺し屋の心の葛藤であるが、彼らの周囲を彩る世界のまさに幕内弁当のような賑やかさは、そのままタランティーノ的世界と交差する。もっとも、それもそのはずで、タランティーノは尊敬する監督の一人として石井輝男の名を挙げており、「キル・ビル」にもオーレン・イシイ(ルーシー・リュー)という殺し屋が登場するのだ。
アメリカの子供が太陽を黄色いクレヨンで描くことから推せば、黄色は暖かで平和な色とも言えるのかもしれない。だが同時に黄色に結びつくイメージとして挙げられるのは嫉妬や貪欲であり、英語で「あいつは腹が黄色い」と言えば、腹黒ならぬ臆病者の意味になる。ガス・ヴァン・サント監督がコロンバイン高校の乱射事件を描いた「エレファント」(米、2003)の画面にも黄色が溢れ、主人公は黄色に近い金髪の持ち主であった。またヴィットリオ・デ・シーカ監督の「ひまわり」(伊・仏・ソ連、1970)のラストシーンを飾るひまわり畑は、映画史上でも指折りの有名な場面だが、この映画が描いたのは戦争によって引き裂かれる夫婦の姿であった。やはり、黄色は平穏の色とは言い難いようだ。
フィンセント・ファン・ゴッホ作『アイリス』(1890年)
この画家も黄色に憑かれていた。
最後にすこし映画の世界から踏み出してみるならば、イタリアの文芸ジャンルに「ジャッロ」と呼ばれるものがある。これはミステリーやホラー、犯罪小説に広く応用可能な区分けで、1929年に創刊されたその代表的な雑誌「ジャッロ・モンダドリ」の黄色い表紙から広まった。「ジャッロ」が「黄色」を意味することは言うまでもない。このような小説を映画化したものもジャッロと呼ばれるが、そのしばしばパルプ・フィクション的な、好事家の趣味をくすぐる文学臭と、場末の歓楽街の安っぽさとがないまぜになった香りは、やはりタランティーノ映画を彷彿とさせずにはいない。そしてイギリスにはさらに古く、1894年に「イエロー・ブック」が生まれているが、美学と退廃に彩られたこの文芸誌の、オーブリー・ビアズリーによって意匠をほどこされた毎号の表紙も、やはり黄色なのである。
美と醜、知と痴、聖と俗のあわいをゆく危険な世界を、黄色ほど巧みに演出する色はないらしい。そういえば、江戸にもまさに「黄表紙」という、万華鏡のような読物が溢れていたではないか。
大野ロベルト
■ クエンティン・タランティーノ監督作品 ■
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