地方紙を買う女

テレビ朝日

2016年3月12日 21:00

No.127_TVドラマ批評_01

 

 

 松本清張ドラマスペシャルの第一夜であった。地方紙に小説を連載する作家に田村正和、小説家見習いに水川あさみ、犯人である代議士の妻に広末涼子。他に大杉漣、橋爪功に寺島進と、超豪華キャストだった。松本清張原作なら、無論それを受けとめる重厚感は保証されている。

 

 しかしながら観ながらふと、何かの再放映なのでは、という感がよぎった。既視感があるというより、時代設定が落ち着かない。現代なのか、近い過去なのか。大物揃いのキャスティングも、かえって何となく古めかしい印象を与える。松本清張なのだから古めかしくて当たり前と開き直るか、もしくはそれを逆手に取るという企画でもなさそうだ。やはりキーになるのはスマホということになる。

 

 日常的には単に便利になったわけだが、こうして考えると、ネットと携帯、その二つを併せ持つスマホというものは、社会の構造や人との距離感を決定的に変えた。小説はかつて社会の構造と人との距離感を描いていればよかったという側面があり、そこが問われる事態に陥っている。

 

 松本清張ドラマはもちろん、社会の構造と人との距離感が変わったことでいきなり古色蒼然となって鑑賞に堪えなくなるものではない。ただその背景にあるのは戦後社会で、後ろ暗い過去から闇雲に這い上がろうとするエネルギーで、そのエネルギーが普遍的なものだと納得させる手続きは必要なのではないか。書籍なら、その納得は手にとる者が負えばよいが、テレビドラマはドラマ化した者の解釈が問われる。

 

 スマホのある現代の事件、という解釈なら、心中に見せかけた殺人の地元での扱われ方を確かめるのに、地方紙を買う、それも新聞社に葉書を書いて申し込むというのは、やはり浮いてしまう。ネットを駆使してあらゆる情報を集めたが、やはりどうしても不安で地方紙を手にしたがる、そこから足がつく、というようなことなら説得力を持つ。地方紙の申し込みは当然ネットでする。葉書でなくてはならないことはない。

 

 「たまたま見かけた連載小説が面白かったので、購読したい」というメッセージは、ネットからのものでも作家の耳には入る。ただしそこから作家が本人にたどり着くには、また少し手続きを要する。ファンレターと同じ扱いで、本人の氏名や住所をそのまま作家に渡す時代ではない。

 

 とはいえ、それもそれほどの困難があるとは思えない。原作にない、はねっかえりの小説家見習いの女の子がいるし、最初にその「地方紙を買う女」に接触を試みるのはいずれにせよ彼女なのだから、新聞社に潜入でもなんでもさせられるだろう。そのことが原作のテーマを損なうのか、損なうのは雰囲気だけなのか。ではどんな雰囲気に仕上げたいのか。視聴者が観たいのは、それだけかもしれない。

 

 余談になるが、田村正和は本当に地方紙に書いている、かといってまるで都落ちしきったのでもなさそうな、初老の作家の感じがすごく出ていたと思う。原稿書きに疲れ、それでも作品には生々しい執着がなくてはならない。さすがである。ちょっとでも探偵らしく、また若々しく振る舞うと、任三郎が入ってしまうだろうし。

田山了一

 

 

 

 

■ 松本清張の本 ■

松本清張全集 (36) 地方紙を買う女 短篇2 張込み (新潮文庫―傑作短篇集)

 

 

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