はやく起きた朝は

フジテレビ

日曜 6:30

テレビバラエティ批評_054_01

 

 

 放送時間帯の変化にともなって名前を変えながらの長寿番組である。これからもっと続いて超長寿番組になるだろうと予想される。終了する理由が特に思い当たらないから、ということでしかないが。内容としては、森尾由美と磯野貴理子、松居直美がおしゃべりする、というだけのものだ。

 

 長寿番組の秘訣は単純なことと、変わらないことだろう。「女三人寄ればかしましい」という昔ながらの光景を、十年一日のごとく淡々と、しかしもちろん楽しげに繰り返すことだ。ずいぶんな早朝にやられてしまったが、日常的に早起きで、だからわざわざゴルフに出かけるわけではない、という人は必ずいる。そういう視聴者に、ずーっと見続けてもらう、という数字もあっていい。

 

 そのためには安心感が必要で、なんといっても三人の見た目がちっとも変わらないところがよい。一瞬、大昔の再放送を見ているのかと思うが、そんなものを流す理由がない。『徹子の部屋』ならゲストによって回と時間がくっきり刻まれるが、こちらは文字通り十年一日だ。

 

 すなわちそれが、女たちのおしゃべり、ちょっと前の文学用語で言うところのエクリチュール・フェミニンの本質かもしれない。女たちのおしゃべりは変わらない。けれどもそれも概念なので、実際は日々起きる出来事、関係性も変容してゆく。しかしその変容の仕方が、今も昔も変わらない、と思わせなくてはならない。なぜならテレビは普遍にアピールするものだからだ。

 

 変わらなくする技術というものは確かにあって、女性タレントの容姿はもちろん、制作ノウハウとしては最重要だろう。素人の料理の味はそのつど変わるが、プロの味は一定である。一定というのは、けれども何れにしても変わる、というのを前提にしているところがある。生ものである食材、食べる人の体調もあり、まったく同じ味わいということはない。だからこその、できるかぎりの不変=普遍だ。

 

 視聴者、あるいは出演者や制作者として関わるなら、それは様々なことがあるに違いない。我々が見て、変化のなさにほっとするのはまず磯野貴理子の病気のことがあったからだ。そのノリの相変わらずは、我々に漠然とではない、文字通りの安心を与える。病気、育児、家計、親戚や友人関係など、日常はそもそも、変化と不安に満ちてもいる。だからこその「お変わりなく」という挨拶がありもする。

 

 それら日常の出来事をアピールし、訴える視聴者からのハガキに反応するかたちで番組が進行する、というのはややラジオ的ではある。ラジオはかぶりつきで聞くものではなくて、洗濯物を畳みながらとか、夕飯の下ごしらえをしながらとか、孤独を紛らわせるというテレビにはない特徴があるが。

 

 こちらではもちろん、まず話を貴理子が引き取り、そしてたいてい自分の話に置き換える。あたしもこないださ、というわけで、極めてオバさんのエクリチュール的だ。ラジオでは隠れている脇の二人は、無言で聞いていてもタイミングをはかったり、呆れたりしているのが映っている。その賑やかさはやはりテレビ固有の安心感ではある。

田山了一

 

 

 

 

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