お迎えデス

日本テレビ

土曜 21:00

No.124_TVドラマ批評_01

 

 

 漫画原作とはタイトルが変わり、『お迎えです。』が『お迎えデス。』になっている。どちらでもいいというか、テレビドラマ的にはフツーに後者だろうと思うが、ファンからは抗議が来たという。昔の漫画作品なのに熱心なファンがいるものだ、漫画はすごいな、と思う。ちなみに「デス」は死を意味する「death」と引っ掛けてあるのでは、という。これも言われなくては気がつかない。

 

 絵柄も含めて、漫画の読者はイメージが出来上がっているわけだから、文句はどうしても出やすい。かといってドラマ化に反対なわけではなかろうから、痛し痒しというところか。ドラマ制作サイドとしては、原作を踏まえればちょっと違うと怒られ、無視しても違うと怒られる。それでこのドラマは、どうやら漫画のフクザツな設定をそのまま生かしたらしくて、漫画のファン以外にはわけがわからない。

 

 フクザツな設定というのは、人間関係がというより、それぞれの状況が、ということだ。あまり性格の合わない男の子(福士蒼汰)と女の子(土屋太鳳)が主人公だが、霊的な能力があるので、ある会社でバイトすることになる。この世に未練を残す死者の魂をあの世に送り届けるのが仕事で、バイト代は極楽への切符だという。

 

 男の子は現世でロケットオタクだったり、女の子はフクザツな家庭の事情や死神(鈴木亮平)への恋心があったりする。この二人には現世的な意味、またテレビドラマ的な意味で、フツーにあるはずの恋愛関係が当たり前には設定されていない。女の子は、男の子に高校生の頃の思いを寄せたまま死んだ女の子の幽霊(門脇麦)とも仲がよい。

 

 現世のありきたりな関係性に縛られない、無関係な中で別の次元での共感性を求める、というのは一つの思想かもしれなくて、漫画でじっくり読む向きには、それがよく伝わったのかもしれない。テレビドラマの圧縮においては、一見して生者なのか死者なのかよくわからないゲスト出演者も絡んで、混乱を極める。

 

 ただ、それではそれがつまらないか、見ていられないかというと、そうでもない。わかりきったコード、意味に縛られて安心してドラマを観ているのとは違うけれど、原作があるドラマとしてのフツーの完成度、という価値観もまた現世のものに過ぎないし、こだわることも執着だろう。

 

それでこの死神というのがウサギの着ぐるみを着ている。理由はあるようだが、いかんせん単なる漫画的な設定だ。そうなのだが、映像となったとき、それは映像的な理由による映像的設定のように見える。ウサギの着ぐるみを着た死神がどこかの道端に坐り込んで、風に吹かれている図といったものは無意味であって、すなわちそれは現世というものの無意味さを伝えてくるのだ。

 

 主人公の男の子のかつての同級生だった、門脇麦演じる幽霊は可愛らしくて、ちょっと前の剛力彩芽みたいだ。彼女と福士蒼汰の彼が「死」の側の追っ手から逃げ、手に手をとって「あの世」の商店街や住宅地、路地を駆け抜ける。それは懐かしく不条理な、この世と変わらない光景の映像だ。テレビドラマとしていまいちメチャクチャな感じの混乱が、不思議と静謐な映画的雰囲気を漂わせていた。

山際恭子

 

 

 

 

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