証拠物件_04_cover_01コウタは大学三年生で、幼なじみのシュンジと〝本部〟に溜まって目的もなく毎日を過ごしている。本部は安アパートの一室。仲間のために部屋を借りたのは二年先輩のボスだ。高校生時代からコウタとシュンジはボスに憧れてきた。その怜悧さや悪の匂いすべてが魅力的だった。そのボスがある儲け話を持ちかける。手っ取り早く金を稼げればそれでよかったのだが・・・。辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑による新連載小説!。

by 寅間心閑

 

 

 

 

  二 (後半)

 

 ターゲットが決まってしまえば、後は流れるように話が決まった。唯一にして最大の問題はターゲット、つまり清美の父親が真面目だったことだ。「スケベオヤジだったら、女に声をかけさせれば一発なのにな」とボスが笑う。

 山中良次・五十歳は、今まで女関係でトラブルになった経験がない。一人娘の清美・十七歳の証言だが、そこそこ信憑性はある。

 酒は飲むけれども強くはない。煙草もギャンブルも女も全くやらない。そんな人物をどうやって罠にかけるのか。もちろん俺には何の策も浮かばない。シュンジは頭がいいくせに積極的に考えようとしない。最終的に、ボスが「何日か時間をくれ」と天を仰いでその日はお開き。清美はシュンジと一緒に帰った。

 「家族と同じ屋根の下にいたら、いいアイデアなんか浮かばないだろ」

 苦笑いを浮かべながら、ボスは「本部」に残った。それから数日間、連絡はなし。やっぱり無理だったかと半ば諦めかけ、ろくな話じゃねえんだからと半ば忘れかけた頃、ボスから招集がかかった。一週間、「本部」に缶詰め状態で考えたというアイデアが、俺とシュンジと清美を待っていた。

 舞台は新宿。ターゲットを呼び出すのは娘、つまり清美の役割だ。

 「久しぶりにお父さんと食事するのもいいかなぁと思って」

 そのセリフを笑いながら練習する親不孝者。本当にこんな気持ち悪いこと言うのかよぉ、とぼやいている清美に「スタートが肝心なんだから」とボスが演技指導する。

 食事をする店は高い方がいい。自分でも行けるような安い店に、わざわざ親と行きたがる娘じゃないことは、当の父親自身が一番分かっているはずだ。

 一人娘の清美・十七歳にせがまれた高級な飲食店に山中良次・五十歳が行くと、娘ともう一人の女性が待っている。清美よりも少し年上のその女性は、ボスが手配する仕掛人。どんな人なんですか? とシュンジが尋ねる。「まぁ安心しろ、口は固いヤツだから」と言葉を濁すボス。この人はそういう女を何人も知っているんだろう。

 高校を途中で辞めてフラフラしている娘。そんな危なっかしい娘の面倒を見てくれているその女性は、見た目も派手すぎず、言葉遣いもしっかりしているので山中良次・五十歳は一安心する。そして、その女性の勧めるがままに酒をどんどん飲んでしまう。彼が酔っ払った頃に、娘のスマホが鳴り、すぐに戻るからとそのまま席を外す。全く勝手なヤツで困ります、という山中良次・五十歳に女性は笑って酒を飲まし続ける。

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 そこからは少し時間をおく。結局娘は戻ってこないし、電話をかけても通じないので店を出ることにする。泥酔状態の山中良次・五十歳を、女性がホテルに連れ込む。朝、ホテルで目を覚ました彼は、あられもない姿で隣に寝ている女性に気付く。別に何もしなくていい。ただ、あられもない姿でいればいいだけだ。目を覚ました女性は知人の男性に電話をかけて「助け」を求める。

 そこで俺たちの出番だ、と言ったボスにシュンジが驚く。

 「俺、清美の家に行ったことあるんですよ」

 泣きそうな声を出す小心者を、ボスは笑顔で制する。

 「安心しろ、出番なのは俺とコウタだ」

 あとは「穏便に」話を進めていけばいい。いくら酒が入っていたからといえ、娘の友達とそんなことになってしまった山中良次・五十歳は、とにかくバレないようにしたいはずだ。金で済むなら御の字だろう。

 計画を最後まで聞いた後、沈黙が訪れた。果たしてうまくいくんだろうか、という不安混じりの沈黙。それを破ったのは、他でもないターゲットの娘だった。計画のスタートを報せるファンファーレがあったとすれば、それは「すっごいよぉ、完璧じゃない?」という清美の甲高い声だ。

 

 作戦決行当日。その日は朝から雨だった。

 なんか嫌な天気ですね、といった俺を「ビビってるのか」とボスがからかう。ただ口調とは裏腹に、その横顔は思わず息をのむほど険しかった。色とりどりの傘の群れ。夕方の新宿はいつもどおり混んでいる。俺たちみたいに犯罪決行直前の輩が、この中にも何人かいるんだろうか。もちろん、分からない。だったら俺たちの企みだって、決してバレはしないんだ。

 六時半に計画はスタートする。ついさっき、清美とその友達役を務めるサキエさんも一緒に、喫茶店で最終確認を終えたばかりだ。

 サキエさんは二十三歳、ボスと同じ歳。会うのは二度目だったが、雰囲気が全く違っていて驚いた。初めて会ったのは二日前。場所は「本部」だった。その時はジーンズに革ジャン、ほとんどノーメイクという姿。背の高さも手伝って、ぱっと見、長距離トラックの女性ドライバーという印象。正直なところ、この人で大丈夫かな、と不安がよぎった。清美の友達役は「しっかりとした年上のオネエサン」でなければまずいはずだ。この人は少しラフすぎる。シュンジも同じ心配をしていたのだろう。ただでさえ暗い表情が、一段と曇っていた。そんな俺たちにボスは「心配すんな」と笑いかけた。

 「こいつのメイクはすごいんだから」

 その言葉は嘘じゃなかった。さっき清美の隣りに座っていた彼女は、グレーのスーツにノーフレームの眼鏡。上品なローヒールに派手すぎないマニキュア。トラックはおろか、普通免許も持っていないような雰囲気だ。驚いている俺たちに、ボスは「な?」と再び笑いかける。清美の面倒をみている年上のオネエサン役としては満点の出来だ。これならターゲットの山中良次・五十歳も、一発で信頼しちまうだろう。

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 学校の先生みたいですね、と言った俺におどけて親指を立てるサキエさん。場違いだが、思わず惚れてしまいそうになった。昔からそうだ。真面目な雰囲気の女に俺は弱い。小学校の頃はカマタジュンコちゃん、中学の時はホリノブエさん、高校ではミズタニユミコ。好きになる女はみんな、真面目な子だった。シュンジと気が合うことも含め、やっぱり人間は無いものねだりだ。

 声を潜めながら、喫茶店で最終確認。広い店内にはオッサンとジイサンばかり。俺たちは明らかに場違いだ。ボスの冷静な話し声に、誰一人煙草も吸わずに聞き入っている。サキエさんと清美がターゲットと食事をするのは、西新宿の高層ビル内にある中華料理店。店の雰囲気はボスとサキエさんが偵察済みだ。念のため予約を入れ、席の位置も指定してある。

 俺、ボス、シュンジの男性陣は新宿駅近くのネットカフェで待機。中華料理店からLINEで合図が来たら、清美に電話をかける。合図を送るのはサキエさん。彼女も清美も二日前からLINEのグループに入っている。三人から五人に増えたタイミングで、グループの名前も「一蓮托生」に変わった。命名したのはボスだ。

 電話を受けた清美は、友達と話すふりをしながらそのまま店を抜ける。そこからはお前次第だからな、というボスにウインクで応えるサキエさん。可愛い人だ。

 「もし、なかなか酔わないようなら、早いうちからこれ使えよ」

 そう言ってボスがパッケージのままの錠剤を渡す。怪訝な顔のサキエさんに「トイレで砕いてから混ぜるんだ。飲み物より食べ物の方がバレないと思う」と、更に声を潜めて告げるボスの顔はやはり険しい。その錠剤の正体など知らないし知りたくもないが、俺の頭には「昏睡強盗」という四文字がよぎった。一気にみんなの緊張が高まる。

 酔っ払ったターゲットを連れて店を出る三十分前に、サキエさんがLINEで二度目の合図を出すと、俺が一人でネットカフェから中華料理店のビルへ移動し、彼女とターゲットの後を尾行する。「万が一ターゲットが予想外の行動を起こした時は……」とボスが俺を見る。黙って頷くしかない。腕っぷしに自信はないが、酔っ払った五十歳のオッサンくらいどうにかなるだろう。

 ホテルはビルから歩いて十五分。満室だった時の候補は全部で四軒。場所はサキエさんが確認済みらしい。ボスと二人で行ったんだろうか、とまた場違いな想像をしちまった。彼女がターゲットを連れてホテルに入ったら、俺は近くのファミレスで待機。ほどなくボスと合流して、ネットカフェにはシュンジと清美が残る。

 俺とボスは、サキエさんから緊急の連絡があったらすぐに駆けつける。何も起きなければ、午前六時に彼女がターゲットを起こして一芝居うつ。ここが山場になるはずだ。

 俺たちに「助け」を求める電話をした後、サキエさんはターゲットと共にホテルを出る。そこへ俺とボスが合流して「穏便に」話をつける。もし六時十分になっても電話がなければ、俺たちの方から乗り込んでいく。話をつける場所は決めない。歩きながら話をつける。それが一番安全だろ、とボスが初めてコーヒーに口をつけた。少しだけ空気が緩む。ぬりいな、と顔をしかめてから数秒、ボスは俺たちの顔を見渡しながら締めの言葉を口にした。

 「とにかく何かあったら無理せずにその場で終了だからな。そういう時に粘っても絶対うまくいかないからさ。諦めが肝心ってことだけ忘れるなよ」

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 やはり険しいボスの表情に、みんな黙って頷くしかない。店内は静かだ。小さな音で流れているクラシックと、これから決行する犯罪行為との差があり過ぎて、まだ現実みを感じることができない。

 中華料理店に向かう女性陣と別れてからすぐ、俺たちは牛丼屋で食事をすませた。ボスは絶対に酒を飲むなと言っていたが、自分から「一杯だけならいいよな」とビールを飲んだ。さすがに緊張しているらしい。俺もボスに続いてビールを頼んだが、シュンジは水でいいと拒んだ。

 ネットカフェに入ったのは六時半。個室の座敷で寝転がり、少しだけ肩の力が抜ける。今頃清美とサキエさんは、ターゲットと一緒のテーブルに座っているはずだ。

 重苦しい雰囲気をどかすように、ボスがオンラインゲームのスロットを始めた。シュンジは目を閉じて横たわっている。俺は漫画を読んでいるが、一向に内容が頭に入ってこない。本当なら「清美たち、うまくやってますかね?」とボスに話しかけたかったが、それが出来ない。俺も漫画を閉じて休むことにした。室内にはスロットの音だけが響いている。

 

 清美がネットカフェにやって来たのは九時少し前だった。

 「いやぁオヤジ、超サキエさんのこと信頼しちゃってさぁ、私まで本当にサキエさんにお世話になってる気がしちゃったもんねぇ。娘がいつもすいませんって大声で何度も何度もさぁ、超恥ずかしかったよぉ」

 清美のおかげで重苦しさが薄まる。

 「明日も仕事がありますからとか言ってさぁ、はじめ酒あんまり飲んでなかったけどぉ、途中からは結構飲んでたよぉ。普通に酔っ払ってたし。またサキエさんが勧めんのうまいんだよぉ、さすがキャバ嬢って感じぃ」

 サキエさん、キャバクラで働いているのか。どこの店なのか、すぐにボスに訊きたかったが我慢した。一時間が過ぎて連絡が遅いんじゃないかと思った頃、ようやく彼女から合図が来て、俺は中華料理店が入ったビルへと向かった。雨はまだ降っている。予定より早く到着したので、一服しながらボスに電話をしていると彼女の姿が見えた。傘をさしながら、足元のおぼつかないターゲットの腕をひいている。あの様子なら大丈夫そうだ。スーツを着た意外と長身のターゲット。五十歳にしては若く見える。振り返ったサキエさんが俺に気付いて親指を立てた、と思う。この距離では分かりづらいが、多分立てたはずだ。

 十メートルくらいの距離を保ちながら尾行を開始する。酔っ払ったターゲットのせいで、歩くスピードはかなり遅い。ホテルに入るところまで見届けたが、まだ安心はできない。もし満室だったら尾行再開だ。五分待ったが出て来ない。入れたのかな、と思った瞬間、サキエさんから俺にだけトークが来た。

 無事入室しました/引き続き、がんばります

 何故俺にだけ、と不思議に思うより、さっきやっぱり親指を立てたんだな、と確信できて嬉しかった。一応彼女に倣い、LINEではなく電話でボスに連絡を入れてから、ファミレスへ移動する。席に座ると一気に空腹感が襲ってきたので、ハンバーグとエビフライのセットを頼んだ。ちょうど食べ終わった頃、ボスがやってきた。残った皿を見て「何食ってんだよ」と笑っていたが、結局自分も同じものを注文して食べていた。罪を犯しているからなのか、いつもよりも腹が減る。

 でもシュンジがいて助かったよ、と食べ終わったボスが言う。あいつがいなかったら清美引っ張ってこれませんでしたからね、と答えた俺にボスは首を振った。

 「たしかにそれもあるけどさ、お前が出ていった後にちょっとあってな」

 サキエさんの連絡を受けて俺が外へ出た後、清美の様子が少しおかしくなったらしい。

 「私って親不孝なガキだよねぇ。さっきサキエさんに頭下げてこれからも娘のことをお願いしますって言ってるオヤジを見てたらさぁ、なんか可哀相っていうか私どこまで親不孝なんだろうって考えちゃったんだよねぇ」

 誰に言うでもなく延々と呟いている清美は今にも泣き出しそうだったらしい。重い空気に耐えかねたボスがトイレに逃げようとした時、シュンジが無言で清美の手を握ってあげるのが見えたという。

 「いや、マジでシュンジがいてよかったよ、あいつらちゃんと付き合えばいいのにな」

 ボスの声を聞きながら、俺は高校時代のシュンジを思い出していた。テスト期間になると、決まって机の中にはあいつのノートのコピーが入っていたっけ。俺は照れくさくてお礼なんて言わなかったけど、あいつは優しいヤツだ。

 「コウタ、一時間交代で仮眠取らねえか?」

 ボスの提案に俺は賛成した。特に疲れたわけでも眠いわけでもなかったが、誰かと話をする気分じゃなかったからだ。「じゃ、俺から寝るわ」と勝手にテーブルに突っ伏したボスを見ながら、今日一日を振り返る。

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 優しいシュンジや、泣き出しそうになっていたという清美を思うと、とても大変な流れに巻き込まれているような気がして怖くなる。なんで今こういう状態になっているのか、うまく整理がついていない。あまり動じていない様子からすると、やはりボスはオレオレ詐欺をやっているんだろうか。訊いてみたい気持ちはあるが、犯罪行為の最中にはふさわしくない質問だからやめた。

 ボスはすぐに寝た。軽くいびきまでかき始めている。飲みたくなったので、店員を呼んで小声でビールを頼んだ。寝ているボスを指さし、静かに持ってきてくれとジェスチャーで伝える。途中、お会計の時に結局バレるな、と気付いたが別に構いやしない。

 店内を見渡す。確認できたのは、ノートを広げて勉強をしている学生の三人組、さっきからずっと同じ体勢で何かを食べ続けている老婆、大きな声が耳障りなサラリーマンの団体。こいつら全員、犯罪行為の最中ではなさそうだ。

 ビールは冷たすぎて、味がよく分からなかった。分からなかったので、すぐに飲み干してしまった。もう一杯頼む。今頃サキエさんはターゲットと一緒にホテルの部屋にいる。やっぱりあの人も怖いんだろうな、と心配になってきた。次の一杯でやめとこう。二杯目のビールは、一杯目ほど冷たく感じなかった。

 そういえば、ボスに彼女の勤めてるキャバクラの場所を訊き忘れちまったな。そんなことを考えながら、一瞬のつもりで目を閉じた。椅子にもたれてだらしない姿勢になる。楽だ。疲れていないつもりだったが、やっぱり疲れは溜まっていたらしい。煙草の火を消し忘れていたけれど、目を開けるのが億劫だった。いいや、煙草はほっとけば消える。何でもそうだ。ほっときゃ消えちまうんだ。

 

 「コウタ、出るぞ、早く支度しろ」

 ボスの声で飛び起きた。

 やばい、眠っちまってた。テーブルの上にはほとんど手つかずのビール。もう席を立ったボスの背中。時計を見る。時間は五時半。予定の六時まであと三十分もある。時間が早まったということは、何かハプニングでも起きたんだろうか。あの、と喋りかけた俺を置いて、出口へ向かうボスの後を追う。

 「もう会計は済ましてあるからな」

 振り返りながら言われた。「すいません、眠っちゃって」と謝る。それには答えず「酔っ払ってるんじゃないだろうな」と尋ねてくるボス。

 「それは、はい、大丈夫です」

 寝起きでうまく口がまわらない。何やってんだ、俺。外は少し肌寒かったが、雨はもうやんでいた。もう始発は動いている頃だろう。朝の新宿、小走りに駆けているのは俺たちだけだ。

 「サキエさん、何かあったんですか?」怪訝そうな顔のボス。「いや、六時予定だったから」

 「ああ、サキエから電話があったからな」

 「どうしたんですか」

 「いや、普通に出るから来てって」

 寝起きで走りながら喋るのは意外に大変だ。喉が段々と渇いてくる。

 「じゃ、今、急いでるのは」

 「ちょっとでも早く着いた方がいいだろ」

 それを聞いて一安心した。悪い方向に早とちりしちまった。そうですね、という声がかすれている。久しぶりに長く走ったせいで、こめかみの辺りが痛い。ホテルの前に着く頃には、二人とも息があがってゼエゼエとうるさかった。ラブホテルの前でゼエゼエしている男性二人は、あまりにも目立ちすぎる。少し離れた自販機で水を買い、ホテルを見張りながら息を整えることにした。

 シュンジに電話を入れる。清美は眠っちまったらしい。で、大丈夫なのか? と訊くと「ありがとう、平気だよ」と答えた。電話を切って、もう一本水を買って来る。六時になったが、まだサキエさんは出て来ない。三分経過。ボスが心配そうに「大丈夫かな」と呟く。見てきましょうか、と言った俺を制して「それは予定どおり、六時十分になってからでいいよ」と、煙草を一本くれた。

 吸い終わる頃にサキエさんから連絡が来た。俺が見る、とボスがスマホを出す。二人ともサングラスと、深めに被ったニット帽。準備万端だ。しかし、メッセージを確認したボスは「ん?」と変な声を出す。これ見ろよ、と差し出されたスマホには予想もしなかった内容が記されていた。

 もう話はついたので大丈夫です/ところでいくら欲しいんだっけ?/返信下さい

 さっぱり意味が分からなかったし、俺たちは金額に関して全く決めていなかった。ターゲットと「穏便に」話を進める中で、具体的な額を決めていくつもりだったからだ。ただあまり待たせるわけにもいかない。

 「ダメモトで百万いってみるか」

 なんだか調子狂っちまうよな、とぼやくボスは滑稽だったがさすがに笑えない。百万円の要求に対する返信はすぐに来た。

 八十万ならばすぐ払えるそうです/百万ならば時間かかるって/どうしますか?

 無論八十万で即決した。欲張るのは危険だったし、元々金欲しさの犯行ではない。

 お金もらいました/どこ行けばいいですか?/返信下さい

 特に迷うこともなく、ボスが「本部」に戻ると決めた。シュンジには俺から連絡をする。もう全部終わった、と告げるとさすがに驚いていた。とりあえず「本部」に集合な、と伝えたが返事をしない。どうした? と訊くと「一旦清美を俺の家に置いてからでもいいかな」と言う。ボスに確認を取ると、すぐにオーケーが出た。それを伝えると、あいつは「ありがとう」と呟いた。ありがとう、か。やっぱりあいつは優しいヤツだ。

 

 ターゲットの山中良次・五十歳が俺たちの予想以上にビビっちまった、というのがコトの真相だった。

 サキエさんが電話をした時点でかなりパニックになっていたらしい。とりあえず友達が来るから話をつけるように、と告げたサキエさんに「これ以上誰かに顔を見られたくないから」と床に頭を擦りつけ、目に大粒の涙を浮かべながら嘆願したらしい。そこまで話すと彼女は「疲れたぁ」と身体を伸ばした。

 清美がこの場にいなくてよかったな、と思った。八十万を渡した後でさえも、ターゲットは「今後とも娘のことをよろしくお願いします」と頭を下げ、サキエさんも「さすがに心が痛んだよ」と泣き笑いのような表情を見せた。シュンジはずっと顔をしかめている。

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 金はその場で五等分した。一人、十六万円。

 なんかさ……、とボスが言いかけてやめた。俺を見ている。すっきりしませんね、と苦笑いするとサキエさんが「そうねえ」と大袈裟に同意した。

 「でも現ナマで八十万ってさ、やっぱり不動産屋ってかなり儲かるのかな」

 わざとくだらないことを言ってみたが、誰も笑ってはくれなかった。一応用意はしておいたんだ、とボスが封筒を取り出してお金を包む。チャーチャーチャチャーチャーと表彰式の音楽を口笛で吹きながら、一人ずつに封筒を渡すボス。やっぱり誰も笑わない。清美の分はシュンジが預かった。

 

 その封筒が今、目の前にある。

 犯行当日から一週間。深い理由などないが、なんとなくこの十六万円には手をつけなかった。いや、つけられなかった。色々思い出したくないのかもしれない。実際、共犯になっちまった四人とは会う気にもなれなかった。多分みんな同じ気持ちだったらしく、誰からも連絡はなかった。

 最初に来るとすればボスだろう、という俺の予想は当たった。昨日、犯行前と変わらない感じで、俺とシュンジをダーツに誘ってきた。本音を言えば乗り気ではなかった。でも断らなかったのは、どっちがボスに少しでも近付けるか、という競争をしているからだ。シュンジも同じ理由だったと思う。その証拠に、ダーツバーへ来たあいつは疲れ切っていた。

 ボスの様子は普段と変わらないし、特に無理をしている様子もない。俺は無理をしてビールを飲み、普段よりもはしゃいでいた。シュンジは最後まで疲れ切った様子のままだったが、それでも途中で帰りはしなかった。もしかしたら、悪い予感があったのかもしれない。清美の父親が自殺未遂。数時間後にそんな連絡が来ることを知っているかのように、顔色が悪いままビールを飲み、ダーツを投げていた。そして予感の有無にかかわらず、悪い報せはシュンジに届けられた――。

 とにかく理由はどうあれ、十六万円はそのまま残っている。一円たりとも使ってない。ターゲットが自殺未遂をしたと知った今、これを使う気にはもちろんなれない。

(第04回 了)

 

* 『証拠物件』は毎月06日に更新されます。

 

 

 

 

 

 

 

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