神違え_04_cover01「天の岩戸が開いた」。マンションの隣り、または上階の人々が権力と偉大さの幻想と重なり合い、暗黒の陰謀が重層化する。ご近所から世間へ、そして巨悪の足元へと、無意義の波はひたひたと押し寄せ、現実を歪めてゆく…。詩人にしてストーリーテラー、気鋭の批評家でもある小原眞紀子が、現代の日常にひそむ古代的心理を抉る傑作純文学小説。

by 小原眞紀子

 

 

 

 

 「もうすぐ春だな」

 長たちが帰った後も、わたしは残って鈴丸守にビールの酌をした。

 能舞台、楽しみだな、と守は呟く。

 梅の香が漂う公園に能舞台を設え、皆で稽古に励む。仕上がった舞台を眺める頃には、鈴丸守の手の中の杯に、桜の花びらが舞い散る。そんな光景を思い浮かべ、守はうっとりと目を細めた。

 「あんたは、俺の味方だよな」

 はい、とわたしは頷いた。

 鈴丸守には恩義がある。わたしは底知れぬ腹黒さを持ち、神をも恐れぬ意地悪で呪術まで使うと、山城と周辺の住民に忌み嫌われていたが、受けた恩義は忘れない女だ。

 その大恩ある守が、今度の能舞台にかける心づもりも察していた。

 「俺ゃ、こんだけで終わりたくないのよ」

 いまやちゃんとグラスで、四本目の缶を開けた守は言う。

 能舞台の主宰は町内会と、近くの巨大団地の管理組合、それを仕切っている公産党だが、公園はもともとは保守系県議の御所常光が明治期、政府に寄付した土地だという。

 この山城を治めた手腕が近隣に知られ、鈴丸守のところには公産党と保守党の双方から、なんとなく接触があったらしい。

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 「あんたのことは、俺ぁ、本当に頼りにしているんだ」

 守が人たらしなのは、こういうところだった。

 たった八十八戸のメゾンでも、暮らしの場そのものであるゆえに誰もが目ざとく、口うるさい。そんな人心を長年にわたり掌握するには、高い資質が必要なのだ。市議選か県議選か、いずれ守に目をつけるとは、公産党も保守党もやはりプロではある。

 「俺ぁ、あんたのこと悪く言われるのが一番嫌なんだ。皆があんたを避けたり、怖がったりしてるのがたまんねぇんだ」

 いつものことながら、わたしは守の言葉に感激した。

 周囲に嫌われたり、避けられたりするのは本当のところ、いい気分だった。侮られて攻撃に遭うより、怖れられ、プレッシャーを与える側にいる方がずっといい。無視して村八分にしたところで、コンビニもツタヤもある。誰もわたしに手出しはできないのだ。

 そのことは、あの殺されかけた経験からわかっており、夫もまたそれを承知して怪しげに振る舞っていた。

 「今、のうのうと暮らしているのは、あなたのお陰です」と、わたしは言った。「何があっても、裏切ったりはしません」

 そうか、と守は瞳を光らせた。

 「もし俺が総理の椅子に座るときが来たら、あんたを官房長官にする」

 表に出るより第一秘書に、とわたしは言った。「政敵を呪い殺します」

 

 わたしの部屋の玄関先に立ち、来林の長は考え込んでいた。

 「何だか、変なの」

 この山城の外で、番台は仏さまと呼ばれていると言う。

 日曜や夜、近くの老人介護施設でボランティアとして働き、教会では寄付を惜しまず、公園にいる子供らには人気のシャックリマンチョコを配りまくっている。

 「出入りの業者は。玄関でブロックされた被害について、一筆取るんじゃなかったの」

 それがねえ、と来林の長は言葉を濁した。

 「供え物をした、って。生き仏さまのような番台に、供え物をさせていただきました、って」

 「それ、リベートじゃないの」

 いや、ほんの気持ち、あくまで自発的な、って、と来林の長は呟いた。

 「供え物をすれば玄関を通してくれるし、リフォーム工事にも協力してくれる。ただ何としても、わたしと平埜のところだけには行かせてくれないって」

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 では少なくとも、その業者らは被害を証言できるだろう。

 「それが、代わりに別の客を紹介するんだって。無償で。中には法人契約で、大口になるところもあるって」

 この不況時に、まさに仏さま。

 「あんたたちは、その仏さまに、なんで目の敵にされてるの」

 たぶん、わたしが長だから、と来林の長は俯いた。

 それに気づいた平埜は、すでに来林の長と距離を取りはじめたと言う。それについては、やはり鈴丸守の言った通りになった。

 「防犯ビデオで日曜にゴミ捨てしたとか、若い男を連れ込んだとかって脅された住民たちも、苦情を言わなくなってるの。自分が悪かったって」

 自分が悪かった。

 エゴの塊そのものの住民たちに、そんな反省の弁を述べさせるとは。

 わたしまで跪きたくなる。

 「でも、負けないから」と、来林の長は言う。「絶対、おかしい。長はわたしよ。長も風呂桶も、権力の正当性がある。雇ってる番台なんかに、なんで」

 わたしは思わず肩をすくめた。

 長という立場にいる以上、逆らわれれば腹が立つ。気持ちはわかるが、わたしにとっては、別にあの男は番台から追い落とす理由はない。他の連中まで納得しはじめているというなら、なおのことだ。権力の正当性というのは、だいたい勝ち目のある方に備わるものだ。

 「でも一つだけ、突破口があると思う」

 お付きの平埜にも去られ、孤立無援となった来林の長の目は異様な光を帯びていた。

 「あの番台、町議の御所のところに出入りしてるの。どうしてだと思う」

 さあ、とわたしは首を傾げた。「能舞台のことや何かで、ボランティアで協力してるんじゃないの」

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 それがね、と息使いを荒げ、長は言った。

 「あいつが行くとき、必ず東都五陽AFKK銀行から人が来てるのよ」

 東都五陽AFKK銀行。

 つい先頃、合併したばかりで馴染みもなく、舌を噛みそうなその名を、長は詰まりもせず一気に言い切った。

 それは大都のメインバンクであった五陽銀行が傾き、東都AFKKに合併された巨大金融機関だった。

 名目は対等合併であり、五陽の名前も二つ目に押し込んでもらったものの、実質上の吸収合併であり、五陽銀行の幹部はいずれ左遷され、体よく解雇される道筋だという。

 同時に大都工務店は戦後最大の負債を抱え、産業再生機構が活用されて事実上の倒産を果たした。

 表向きは素知らぬ振りで、手を取り合ったりはしなかったものの、その瞬間、鈴丸守とわたしが快哉を叫んだのは、言うまでもないことだった。

 「あいつ、五陽銀行と繋がってんじゃないの」

 まさか、とわたしは言った。「それに五陽は、なくなったんだし」

 「じゃ、大都は。国庫の金を注入して、まだ生き残ってる」

 「名前は、ね」

 わたしは言った。

 が、この山城には確かに、その残党が。

 番台として経験の長い男を選んだが、少なくとも履歴書に大都の文字はなかった。

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 「隠してたとしたら。大都を追い出した山城に入り込むのに、大都にいた経歴を書く奴はいないでしょ」

 まあ、あり得るわね、とわたしは息を吐いた。

 「そしたら経歴詐称でしょ。番台から引きずり下ろす理由になるじゃないの」

 それは、そうかもしれない。が、経歴詐称が問題になるのは、現状の業務に支障がある場合ではないのか。

 ある、と長は言い切った。

 「ここは山城よ。大都や五陽の支配から逃れようと、もとおさも守も、わたしも頑張ってきたんじゃないの」

 呪術をお願い、と来林の長は真剣な眼差しで言った。

 「呪術をかけて。わたし、わかったの。もとおさの呪いがどんなものかってことが」

(第04回 了)

 

 

* 『神違え』は毎月23日に更新されます。

 

 

 

 

 

 

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