不機嫌な果実

テレビ朝日

金曜 23:15

No.121_TVドラマ批評_01

 

 

 脚本からキャスティングから、ちょっと豪華な昼メロを観ているようである。林真理子の原作で昔から女性に人気が高いというが、テーマは不倫で、「金妻」以来の古典的なものだ。しかしながら、ちょっと古さを感じるのは、ほとんど文学的なまでに古典的なテーマのゆえではないだろう。

 

 ドラマの冒頭、また折りに触れ、女主人公(栗山千明)は「わたしは損をしている」と呟く。離婚して念願だったワインバーを開いた友人、裕福な夫と可愛い子供に恵まれながら若い男と不倫する友人と引き比べ、神経質なマザコン夫(稲垣吾郎)とセックスレスに陥っている自分を振り返っての言葉だ。まだ32歳なのに、自身の美しい肉体も時間も無駄にしているといったことか。

 

 夫への不満から、主人公はかつての妻子ある恋人と再会し、その不倫現場の証拠を押さえられる。まったくツイてない。そんな彼女の心を慰めるのは、プレイボーイの元恋人ではなく、芸術家肌の若い男だ。女主人公を責めるマザコン夫だが、実は彼も浮気している。相手は離婚してワインバーを開いた、女主人公の親友だ。

 

 このワインバー経営の女は、愛人である友人の夫を、つまらない男だ、と見切っている。見切っているのに嫉妬心から執着しはじめる。この女も女主人公も、他者と自分との利害関係、損得の感情から愛憎を生じさせる。すなわちここに出てくるすべての登場人物はただ駆け引きをしているだけで、つまらない。音楽評論家で芸術家肌の若い男は例外だが、単に子供の純真さを残すということだ。

 

 つまらない連中しか出てこない、女主人公がつまらない人物だからドラマが共感を得られないということはなくて、私たちもまた日常的にはつまらない人物なのだから、その正直さに共感することはある。ただ、そのつまらなさに開き直った雰囲気は、1980年代頃の古い風俗の匂いがする。

 

 つまりここには、よくも悪くもドラマがない。ドラマチックなドラマとは、究極的には不可能であっても、また愚かしくあっても、何かしらの高い観念を求めるところからしか生まれない。夫の経済力と見た目、プレイボーイの愛人の情熱的な言葉、純真さを残す若い男からも与えられる慰めと、女主人公の目に入るのは「自分が彼らから得られるもの」の見積もりでしかない。

 

 だからドラマというより、長いレシート明細を見せられているようなもので、しかし女はときに小説を読むより真剣に、レシートを眺めていたりもするのだ。そこには日常のあらゆることが書き込まれてもいて、女主人公はもちろん、凡庸な罪悪感にとらわれたりもする。

 

 マザコンもとりたてて目を見張るほどでなく、姑(萬田久子)の横暴もかわいいものだ。そんなドラマチックであることの本質を欠くがゆえの発見もまた、ないこともない。凡庸さの中でストーリーを推し進めてゆくのに、このドラマではやたらとグラスが割れる。また女主人公が転びそうになるといった、韓流にもよくあるような細かい〝事件〟を散りばめ、風俗エッセイはフィクショナルな味付けをされている。

山際恭子

 

 

 

 

■ 林真理子さんの本 ■

不機嫌な果実 (文春文庫) ビューティーキャンプ

 

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■